1.1
「ミー君、知ってるかい? この世にはこわ~い怪物がいっぱいいるんだぞ? 背中に翼が生えたやつとか、凶暴な犬の姿をしたやつとか」
その日も、お父さんの口癖から始まった。
お父さんはいつも僕をこうやって怖がらせようとする。もうそんな年じゃないのに。子供扱いはやめて欲しい。だから僕は言い返す。
「うっそだ~。そんなの、いる訳ないじゃないか」
これもお決まりの文句。
なぜなら僕のおうちの周りは優しい
綺麗に磨かれたおうちの壁はここらへんにある大きい木よりキラキラ光っていたし、中にはあったかい暖炉やふかふかのベッドが置かれていて、とてもじゃないけど嘘っぽい。
こんな綺麗なものと、お父さんの言う『こわ~い怪物』が同じ世の中にあるはずがないだろう?
「嘘じゃないぞ? お父さんは絶対に嘘をつかない。お父さんがまだお母さんと結婚していない時は、そんなやつらと命懸けで戦っていたんだ。ミー君も気を付けろよ」
はいはい。お父さんはしつこいな、まったく。僕だってそんなやつ、一気にぶっとばしちゃえる。
「……本当に、な……」
あれ? 今なんかお父さん、言った?
まあ、いいや。それに正直なところ、お母さんのほうがお父さんよりも強いしね。
「は~い。じゃあ気を付けるよ。でもここいらにはさすがにいないだろうし、ちょっと裏庭に行ってるよ。お父さんも後でチャンバラの練習、付き合ってね」
お父さんの法螺話を相手にするのが面倒くさくなって、僕は逃げるように裏庭へと駆け出した。
僕は別に稽古なんてしなくてもいいと言っているんだけど、お父さんはどうしても言うことを聞かない。なんでも僕を一人前に鍛えるためらしいけど、正直僕はそんなに戦闘向きではないと思う。
少し前に一人で
世の中、強くなくても弱いなりに生きる道があるんじゃないかな。
「あ、そういえば……」
途中でお母さんから言い付けられていたことを思い出した僕は、一旦立ち止まって後ろへ振り返る。
「……お母さんがさ、お父さんに話したいことがあるって。なんか、ベリアルさんの書簡がなんとかって言ってた」
家を囲む鉄柵がガタついているのを気にしていたお父さんは、僕の言葉に顔を上げずに返事をした。
「ほ~い」
よし。これで少なくともお母さんにどやされることはなさそうだ。
最近、お母さんは少し神経質だ。ちょっと誤ったことをするとすぐイライラして怒るし、僕が声をかけても返事をしないこともある。お父さんは妊娠の初期兆候って言っていたけど、それを聞いたお母さんに半殺しにされていた。
なるほど、お母さんにそういうことを言ってはいけないんだな。そう考えさせられた。
僕は家の脇の小道を小走りで駆け抜けて、裏庭へと向かった。
「……やはり、見つかったか……」
お父さんが何か言ったような気がしたけど、まあ気のせいだろう。
雑念を振り払うと、僕は鉄柵に立てかけてあったチャンバラ用の木刀に手を掛ける。ずしり、とした不自然な重さは気にならなかった。
木刀を縦に振り下ろす。
右、左、左、右、突き、ガード。
右足を踏み出して、相手の懐に潜り込む――。
♠
「……んっ」
暗かった視界が、徐々に明かりを取り戻す。ゆっくりと開いた黒い緞帳は、やがて薄暗い教会の天井を映し出した。
夜。人々は既に眠りにつき、草木も昼の疲れを癒す。昼の王が沈み夜の女王が支配する世界。
「……まだ夜か……」
外で甲斐甲斐しく鳴く鈴虫の音色を聴きながら、僕はさっきの不思議な夢について考えを巡らせた。
幼い子供が父と会話し、稽古に励む。いたって普通の家庭。
何の変哲も無い、幼い頃の夢だ。特筆すべき点は無いように思われた。
しかし、僕はその先がどうしても思い出せなかった。
稽古を終えた後に、何が起きたのか、誰がいたのか、どうしてそうなったのか。まるで、記憶の花園に不透明な
ただひとつ、靄の中からうっすらと聞こえるのは、女性の咽び泣く声。
悲劇の象徴。
「……まあ、そのうち思い出すか」
そう考え、またボロボロのベッドに身を倒す。
孤児院のベッドは所々が壊れて薄汚れていたが、それはあまり気にならなかった。
寝転がるとまた、抗いがたい闇が視界を狭める。僕はその闇と闘うのを諦め、素直に身を任せた。
淡い月光を発する青白い三日月が、雲に隠れて消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます