1.5
「……っ!?」
ラビア地方上空の
本来なら、こんな辺境ではなにも物騒なことは起こらないはずなのに……なにが起こったのだろう?
カスピエルは胸騒ぎがしたが、首を振って雑念を振り払う。いま優先すべきは、魔力の出所を見つけること。そして、未熟なまま芽を摘み取ること。
感じたところ魔力の量は膨大だが、それを完全にコントロールするには及ばないようだ。
言うなれば、血統だけは折り紙付きの暴れ馬といったところか。私の敵ではない、とカスピエルは思う。
「……様、こちらカスピエルです。ラビア地方を警邏中、膨大な魔力を検知しました」
「ああ、こっちも把握した……カスピエル、原因を突き止めてこい。武力行使も厭わない」
嗄れた声で、
「了解しました」
端的に了解の旨を伝えると、カスピエルは魔力の元に全速力で飛翔した。
カスピエルから連絡を受け、彼もまた重大な事態だと認識した。
「……【люцифер】……また厄介な土産を……どうせなら、お前が殺される前に知っておきたかった」
人知れず、彼はそう呟いた。
「……まとめて始末できたのに、な」
のそりと立ち上がり、右手を振るう。
その呟きは、誰の耳にも聞かれぬまま消えていった。
刹那、漆黒の魔方陣が彼の足元に展開される。
「来い……【Азраил】」
常闇の部屋の中、魔方陣が紫色を帯びた。
♠︎
「Хватит убивать больше! Я не дам тебе больше!」
怪物が何か喚いている。今更何か言ったところで、死ぬのには変わりない。何回も他人を蔑み、あまつさえ暴力を振るった。その罪は償ってもらわねばならない。
そんなことを考えながら、喚く怪物を爪で一突きする。
「Ваааааааааааааааааааааааааа!」
心臓を突かれ断末魔の叫び声を上げながら、残っていた怪物も絶命した。もう一体はどうやら、己が風貌を目にしただけで膨大な魔力によってショック死したようだ。
所詮、それほどの器ではなかったということ。元から気にも留めていなかった。
惨たらしく転がっている血肉の塊を無造作に掴み、洞窟の外に放り捨てる。そこら辺に捨てておけば、いずれ野生の動物にでも喰われるだろう。
恐らくこいつらはどこかの部族の一員なのだろうが、それは関係なかった。
他の奴らが復讐にくるのなら叩き潰すまでだし、来ないなら害はない。
……復讐? 何を考えているんだ? 物騒なことを考えてしまったものだな。平和が一番だろうに。
そんな声が、突如頭の中に響いた。
……おいおい、なんなんだこの声は? 復讐こそ正義、復讐こそ快楽だろう? 変な良心、生やすんじゃねえぞ。
そう自分に言い聞かせ、心の中の誰かを静めようとする。だが内なる声は止まらない。
……忘れたのか、お前の目的を。お前は元々、消えた両親を――。
「グルァァァァァッ!」
……やめろ、思い出させるんじゃない。その夢はもう、諦めたんだ……。
記憶にこびりついて離れない思い出が蘇る。途端に頭が痛くなり、思わず膝をついて頭を抱える。
……諦めたんじゃないだろう? お前は、自分の弱さを認めるのが怖かった。臆病だった。
「アアアアァァァァッ!」
違う、俺は弱くなんかなかった! ただ、奴らが強かっただけだ。……あれ、奴らって誰だっけ……?
必死に顔を思い出そうとしていると、不意に新たな声が響く。
「……ねえ! キミ、大丈夫!?」
痛みを堪えて声の出所に目を向けると、そこには一人の少女が立っていた。
白銀の長髪、金色の双眸、背中に生やした乳白色の翼、そしてフワリフワリと浮き続けているその身体。
そう、まるで天使みたいな美貌――。
――天使!?
永遠の仇敵を目の当たりにしてその名を叫ぼうとするが、身体に力が入らない。むしろ、どんどん力が抜けていっているような……。
ふと混濁する意識の中で周囲を見ると、緑色の光が身体を包み込んでいた。
安らぎ、安心感、温もり、癒し。心の中が浄化されるような幻に襲われる。
思考はそこで止まった。
頽れる。黒の緞帳が、視界を遮る。
「……安心して。キミの始末は私がしておく……」
少女が何か喋っているのも、もう耳には入ってこなかった。暗闇に包まれ、奈落へ落ちていく。
♠︎
カスピエルは、目の前で起きている現象が未だ理解できずにいた。
先程までおぞましい怪物の形相を呈していた生物が、カスピエルが治癒魔法をかけた途端に目に見えて小さくなっていき、最終的に一人のヒューマンの少年になっているのだ。
「……確かにここで膨大な魔力を検知したんだけど……」
カスピエルが急いで飛んできた時には、確かに巨大な魔力が怪物から放出されていた。しかし、どうみてもその力をコントロール出来ているようには見えなかったのだ。
少し考えて魔物の『強化種』だろうと結論付けたカスピエルは、治癒魔法をかけて魔物が自然と野生に帰るのを待ったのだが……。
カスピエルの予想に反して、異形の魔力は一介のヒューマンの少年によって放たれていたものだった。
「……これは、どういうこと……?」
考えられる理由は、カスピエルの心中に三つあった。
一つ目は、なんらかの事情でこのヒューマンを襲った魔物が魔族化魔法をかけた可能性。洞窟の外に惨たらしく捨てられたゴブリンの死体が二つ、積み上がっていた。
この可能性に従う場合、二体のゴブリンは自らが犠牲になった訳だが、普通他の生物を使役する時は催眠魔法を併用するのが定石である。よって、この選択肢はないと思われた。いくら知能の低い魔物だと言っても、そのくらい理解してから魔法を使うはずだ。
二つ目は、そもそもこのヒューマンが魔力を放出していなかった説。他に魔力を多く持っている魔物がここにいて、カスピエルが到着する前に気配を消して飛び去ったのならば、このヒューマンはそもそも関係なかったことになる。
しかし、このヒューマンの少年はカスピエルの目の前で魔物からヒューマンへと変貌してみせたのだ。この二つ目の可能性も低い。
となると残るのは、カスピエルが一番想像したくなく、また想像しがたい三番目の可能性。すなわち――。
この少年が、魔物だということ。
ヒューマンに擬態する魔物など聞いたこともないが、もし新種の魔物が現れたとしたら、一応説明はつく。高度な知能を持ったものなら尚更早期に始末しなければ、やがて大陸全土に広がるやもしれない。
しかし、このヒューマンの容姿からして、とても偽物とは考えられなかった。どこか幼さの残る顔つき、純粋な黒の髪。赤と青のオッドアイ、眉間による僅かな皺まで、そのどれもが再現不可能と思わせる精度だった。
魔物か、ヒューマンか。
天使であるカスピエルからしてみれば、正直どちらでもいい問題だった。
寿命の限り永遠の刻を生きるカスピエルや他の天使には、下界の沙汰などせいぜい見世物ぐらいにしか思われていないのだ。いっそのことこの少年を放置してみれば、あるいは面白い展開が望めるかもしれない。
しかし、カスピエルには優先すべき命令があった。彼女の
「……どっちを優先させれば、いいんだろ……」
カスピエルの中で、今まで感じたことのない感情が生まれた。数千年を生きる彼女にも、その正体は分からなかった。
「……」
彼女は独り、悩み続ける。
その夜、近隣の街サレダッドに身元不明の子供四人が倒れているのが見つかった。協議の結果、町長であるカルルが経営する宿屋にひとまず運び込まれ、看病されることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます