1.6

「……ちゃん。リョウ兄ちゃん。起きて」


 誰かが僕を呼ぶ声がする。微睡まどろみの中にあった意識が覚醒し、ゆっくりと周囲の景色を映し出した。


 白い壁。重厚な木々でつくられた梁。輝く日の光が窓から差し込んでいる。


 身体中が布に包まれている。視線を移すと、純白のベッドに横たわっていた。


「……起きた?」


 左を見ると、元気溌剌としたゲイブの顔があった。


「……ゲイブ」


「よかった。全然起きなくて心配したよ」


 やや大げさな身振りを交え、ゲイブが喋りだした。樹妖精エルフの伝統的な服装をしているのに気付き、首を傾げる。


「ゲイブ、ここは?」


「あ、そうか。リョウ兄ちゃんはまだ知らないんだっけ」


 そこで思い出したように、ゲイブが頷いた。ピョコン、と癖毛が揺れる。


「どうやらここは、サレダッドの街らしいよ」


「え、そうなの?」


 ゲイブの口からサレダッドという地名が出てきて、軽い衝撃を受ける。


 サレダッド。クレアさんから聞いた話では、王都エルディア真東に位置する小規模の街だそうだ。小規模とはいっても、グレシアのような農村とは比べ物にならないぐらい栄えているため、僕ら田舎者には大都会に見える。


 王都への道のりが計画通りに進んでいれば、ここは一日目の夜を過ごす場所だった。本当は長居などせず発っていたんだけど、どうやら僕はここで寝かされていたようだ。


「うん。助けてくれた人がいるって。ここは宿屋らしいよ」


 そこで僕は思い出した。


 ミーシャとゲイブの発熱。洞窟での惨劇。そして、その後の不思議な出来事。


 その後、気が付いたらここに寝ていた。なるほど、誰かが救出してくれたというのは真実味がある。


「もうみんな起きて、下の酒場で朝ご飯を食べてるよ。リョウ兄ちゃんも行こう?」


 洞窟に入ったのが昼過ぎ。得体のしれない怪物に襲われ、意識を手放したのはそれからすぐ。


 そうなると、僕は最短でも半日以上昏睡していたことになる。


 も、申し訳ない……。


「分かった」


 ゲイブに誘われ、体を起こす。僕は簡素な麻の服を身に着けていた。どうやら誰かが着替えさせてくれたらしい。


 ベッドから降り、ゲイブの先導に従って僕は階下へと降りた。


「お~い、リョウ兄ちゃん起きたよ」


 階段を降りるなりゲイブが中央のテーブルに声をかける。テーブルに座っていた人達が一斉に振り向く。


「……ミーシャ! 無事だったんだね」


 その中に僕は、見知った顔を発見した。


「リョウ! よかった、起きて」


 ゲイブと同じ服に身を包んだミーシャが、嬉しさを全面に出して駆け寄ってきた。

 ぎゅっ、と腰に抱き付いてくる。


「……よかった、二人とも」


 傍にいたゲイブ共々抱き寄せる。素直に身を預けてくれた。


「感動の再会だねっ」


「うぅっ、よがっだでず~」


 そんな声が聞こえてきて顔を上げると、テーブルにもう二人の影があった。


 一人はヒューマン。白銀色の髪と金色の瞳、そして整った顔立ちは、樹妖精エルフにも引けを取らないように見える。僕と同じ薄茶色と緑の麻の服を着ているが、ここの住人だろうか。


 もう一人は……これは土妖精ドワーフ? こげ茶色の髪と愛らしい顔立ちだが……子供? なぜか大粒の涙をぼろぼろと流している。


 っていうか、恥ずかしい。なんかこう、色々と視線が痛い。


「ちょ、ミーシャ。ゲイブ。離れられるかい?」


「「やだ」」


 ……。


 仕方ない。子供二人に抱き付かれたまま、僕はヒューマンと土妖精ドワーフの女性達に頭を下げる。


「……えっと、僕達を助けてくれてありがとうございましたっ」


「ちょ、ちょっと。お礼なんていらないよ。それに、あなた達を助けたのはこっちの女の子だし」


 土妖精ドワーフの少女が慌てたようにそう言った。っていうか、もう涙がきれいさっぱり消えてるし……。


「初めまして。私はカスピエル」


 銀髪の少女がこちらに会釈する。


「キミ達、洞窟で熱中症になってぶっ倒れてたよ。私が偶然通りがからなかったら、結構ヤバかった」


「それはもう本当に、感謝してもしきれませんっ……」


 カスピエルさんは、僕達の命の恩人だ。なんとなくだけど、この人には頭が上がらなそうな予感がする。


「はいは~い! ボクが経緯を説明します!」


 土妖精ドワーフの少女が勢いよく割り込んでくる。


「えっとまず、ボクの名前はカルル! 土妖精ドワーフさ!」


 背丈の割にふっくらとしている胸を張るカルルさん。


 ……いろんな意味で、この女の子にも頭が上がらなそうだ。


「……んで、ここサレダッドの町長!」


「……は?」


 思わず間抜けな声が僕の口から漏れる。


「……え、えっと……町長の娘さん?」


 なにか聞き間違えたのかな? 僕の耳が正しければ、このは今自分のことを『町長』と言ったような――。


「あっ!? そこあなた、今僕のことを小っちゃいと言ったな!?」


「えええっ!? い、言ってないですよ!?」


「いや言った! 土妖精ドワーフの聴覚をバカにするなぁ!」


 叫びながら音速で肉薄してくるカルルさん。童顔とはいえ整った顔立ちが視界いっぱいに広がる。ま、前が見えない……。


「リョウ君、土妖精ドワーフはしつこくねちっこいことで有名なんだぞぉ??」


「ちょっ、カルルさん! 近い! 前が見えない! あと近い!」


「……キミも早速、洗礼を受けているね……」


 気のせいか、カスピエルさんの同情の声が聞こえる。


「わぁっ! カルルさん遊ぼ!」


 突然の土妖精ドワーフの来襲に戸惑っている僕を助けてくれたのは、腰に巻きついていたミーシャの一声だった。


「えっ……ちょっ……ちょっと!?」


 背丈が同じくらいなので親近感が湧くのだろうか。新しく遊ぶ対象を見つけたらしいミーシャは、瞬く間にカルルに絡みつく。ぎゃーっ、という悲鳴と共に、死闘という名のじゃれ合いが開始された。


「なんか……面白そう」


 と思ったら、ゲイブもそんな不穏な呟きを残してじゃれ合いに身を投じた。三つ巴の戦いは、やがてヒートアップしていく。


「……ちょっと、ちょっと。リョウ君。こっちきて」


 不毛な戦いを呆然と眺めていると、不意にカスピエルさんに肩を叩かれた。手招きされるまま、酒場のテーブルに腰を下ろす。


 どうやらこの建物は、小ぢんまりとした宿屋兼酒場のようだ。僕が眠っていた二階が宿泊者の部屋で、一階が酒場と受付だろうか。


 趣のある樫のカウンターやテーブルは、街の人達の憩いの場として使用されているのが想像できる。カウンターの奥には様々な銘柄の醸造酒が並んでいる。ふと視線を移すと、カウンター内の入口が一段上がっていた。


 も、もしかして、カルルさんはここの主人マスター……?


 遅まきながら、そんな驚愕の事実に気が付く。


「えっと、改めて、助けてくれてありがとうございます、カスピエルさん」


 微笑むカスピエルさんへ向けて、僕は感謝の言葉を告げた。


「いいよ、そういうの。名前だって、カスピエルでいいし」


「そ、それじゃあ……カスピエル。カスピエルはどうしてあそこを通ったんですか?」


 さん付けしなくていいと言われたが、流石に初対面なので不躾すぎる。そのことを後で伝えておこう。


 よくよく考えてみたら、カスピエルはとても美人だ。


 白銀の長髪は綺麗に纏めて結わえられており、清楚な印象と可憐な雰囲気を同時に演出している。そしてその髪とは逆に、見つめる者を魅了する金色の瞳。ほっそりとした出で立ちだが、しっかり女性としての魅力も主張している。


 ……つまるところ、可愛い。


 僕はカスピエルを直視できなくなり、視線を下げる。


「私はサレダッドに住んでいるの。昨日は森で乳粟茸チチアワタケを採取してくれないかって言われて、採取しに行ったら、キミ達が洞窟内で倒れているのを見つけたんだ」


「そうだったんですか……」


「危機一髪だったね。キミ達、あそこで何してたの?」


「えっと、ミーシャとゲイブ……あ、これはあの二人の名前なんですけど」


 多少暴れすぎて疲弊してきている子供達にちらりと目を向ける。


「ミーシャとゲイブが重度の熱中症に罹ってしまって、ひとまず洞窟で休もうってことになって……」


「なるほど」


「そうしたら、僕もいつのまにか気を失っていたっていうのが事のあらましです」


「ってことは、覚えてないんだ……」


 そこでカスピエルが考え込むような仕草をした。


「……?」


 覚えてない? 僕はなにか忘れているのだろうか。


 うーん……。分からない。


「ああ、いやなんでもないよ。それより、どこへ行こうとしてたの?」


 カスピエルが慌てた素振りを見せる。


「僕らは、王都エルディアへ行く途中なんです」


「へー、エルディアね……実は私もエルディアに行ったことないんだよね」


 王都エルディア。


 イグドラシル王国の丁度中心に位置する大都市であり、全国津々浦々から様々な人が様々な目的をもってやってくる街。


 に隣接する、世界で最も危険な場所。


 そして、僕がいつかその地を踏むことを夢見ている都。


 同じ場所を目指しているというカスピエルとの出会いは、果たして偶然なのだろうか。


「ねえ、よかったら私もついて行っていい?」


「……は?」


 僕は、今日何度目になるか分からないほうけた声を漏らした。


「え、えっと……まずは理由を、聞いても良いですか?」


「やっぱり、いきなり言われても戸惑うよね……ちょっと、個人的な話でもいいかな?」


「……はい」


 真剣な面持ちになったカスピエルにつられて、僕も佇まいを正す。


「実は――」


 ♠


「――というわけで、お願いっ! ものすごく気になるのっ!」


 数分後。カスピエルの理由わけを聞いた僕は、彼女を一緒に連れて行くか決めあぐねていた。


 というのも。


「僕は別にいいと思いますけど……ミーシャとゲイブがいいって言うかどうか」


 そうなのだ。


 僕は異論がなくても、ミーシャ達がいきなり見ず知らずの彼女を受け入れてくれるかが分からない。というか、初対面の人といきなり旅をする、というのも中々無理があるけど……。


 彼女には、


「それはもちろん、ミーシャちゃんとゲイブ君の意思を尊重するよ。私がすげなく断られちゃったら、すっぱりと諦める」


「……分かりました」


 それに正直、こんな可憐な少女とご一緒できるだけでも役得というものだ。


「お~い。ミーシャ、ゲイブ」


 もはやじゃれ合いはとっくのとうに終わりを迎え、カウンターに座ってカルル町長のふるまうお菓子を頬張っている二人にをテーブルに呼ぶ。


「なに~?」


「はい」


 トコトコと歩み寄ってくる二人。ちょ、お菓子がボロボロこぼれてるよ……。


「このカスピエルってお姉さんが一緒にエルディアに行きたいって言うんだけど、賛成?」


「どうせなら人が多い方が楽しいでしょっ」


 少しの時間が流れる。


「いいよっ!」


「気にしない」


「やったぁぁっ!」


 あっさりと二人の許可が出て、乱舞するカスピエル。


 ……大げさでは。


「いい子だからよしよししてあげよう!」


「「それはやだ」」


「っ!?」


 サッとカスピエルの手から逃げて、こちら側に隠れる二人。それを見てカスピエルが悲嘆した表情になる。ご愁傷様。


「え、えっと……とりあえず、一緒に行く方向でいいですか?」


「……分かった、グスッ」


 半泣き!?


 早くもたじたじとする。


「おぅい! ボクをのけ者にするなぁ!」


「なんですかっ!? 別にのけ者になんかしてませんよっ!?」


 呼んでもいないのにカルルがなだれ込んでくる。


「ふえ~ん、拒絶された……」


「ちょっ、そこ! 泣かないで! ミーシャとゲイブの目が白くなっていくから!」


「こらぁ! これでもサレダッドの町長だぞぉ! もっとボクのことを敬ってだなぁ……」


「あ~もううるさいです!? ちょっとカルルさん静かに!」


「リョウが女の子、泣かせた」


「やめよう!? ミーシャ、誤解を招く言い方はやめよう!?」


「なにぃ!? こうしちゃいられない、早速街の皆に言いふらさなければ! なんてったってボクはサレダッドの町長だからね!」


「やめてぇぇぇぇっ! っていうかいちいちソレ言わなくていいですっ!?」


 そんなこと言いふらされたら、社会的に終わるっ!


「……リョウ兄ちゃん、大変だね」


 ゲイブのその一言が、とどめとなって胸にグサリと刺さった。


 なんか、このメンバーは不安だ。特にカスピエルとミーシャが。

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