1.7(前編)

 翌日。


 どうせなら一日で王都に着きたい、というカスピエルの希望で、僕達は朝早くにサレダッドを発つ羽目になった。


 町長のカルルは夜型の人間らしく、補佐をしているらしいヒューマンの男性――カイロスさんというらしい――にひたすら謝られてしまい、たじたじになりながらの出発。


 なんでもサレダッドからは王都へ馬車の定期便が出ているらしく、それを使えば半日ほどで王都に辿り着けると彼が教えてくれた。


 っていうか、ぶっちゃけカイロスさんの方が町長にむいている気がする……。


 熱中症の騒ぎで生活必需品を捨ててきてしまったので、サレダッドの街を散策しながら、カスピエルを加えた僕ら四人は丸一日をサレダッドにて過ごした。


 僕が買ったのは、質素な服一式と荷物が入る大容量のバックパック。なんでも近隣の森で獲れたツキノワグマの素材をふんだんに使用したらしく、かなり詰め込んでも破れることはまずないそうだ。


 ゲイブは僕にくっついて色々探し回っていたが、結局同じ店で服一式を買っていた。こちらは樹妖精エルフ用として売られており、見た目も樹妖精エルフを連想する緑色で統一されていた。


 ミーシャはカスピエルとともに食料を調達しに行っていた。食料とはいえ今回は馬車に乗るだけなのでそんなに下準備は必要ないが、カスピエルいわく旅のお供にお菓子は必須なのだとか。結局は買い占め過ぎて抱えきれなくなり、僕のバックパックに入れることになった。


 夜ご飯と宿は、カルルが経営している酒場兼宿場にてお世話になった。もちろん、しっかりと代金は請求された。


 カルルが振る舞ってくれた料理は存外に美味しく、ミーシャやカスピエルは何度もおかわりを要求していたのをよく覚えている。ちなみに僕はというと、補佐のカイロスさんの愚痴に夜通し付き合っていた。要するに、損な役回りをやらされたということ。


 街が寝静まる時間になってもカイロスさんは僕を解放してくれず、後半は僕もカイロスさんもベロンベロンに酔っぱらって飲み潰れていた……らしい。朝起きてきたカスピエルにそのことを聞かされ、僕は顔から血の気が引いた。ちなみにカイロスさんは後日、事情を知ったカルルにタコ殴りにされたらしい。お大事に。


 そんなこんなで迎えた今朝。僕とカイロスさんは二日酔いのため頭痛を訴えていたが、ミーシャとゲイブのゴミを見るような視線で頭が一気に冴えわたった。


 このことがカルルにバレたら一巻の終わりだったので、丁度良く早く出発したがっていたカスピエルの要望に便乗して、馬車に飛び乗った――。




 これが今朝のあらましである。


「すごいよリョウ! この馬車めっちゃ速い!」


 そこで僕は現在に引き戻された。ミーシャとゲイブが幌から顔を出しているのを見て、なんとなく微笑ましく思う。


「そりゃあ、僕らの脚とは比べ物にならないくらい速いよ」


「都市間の移動手段はもっぱら馬車が主流だから、需要も多くて結構儲かるらしいしねー」


 カスピエルがそんな経済背景を紹介してくれた。ふーん、と話半分に聞くミーシャ。どうやら外を飛ぶ揚羽蝶アゲハチョウに意識が向いているようだ。


 対照的に、カスピエルの豆知識に熱心に聞き入るゲイブ。なんとなく、二人の将来の予想がついてしまう。


「……カスピエルはお金のことになると熱心……」


「んなっ!? 失礼なっ! あくまで儲けるなら徹底的にってだけだよ!」


「ゲイブが言ってるのはまさにそういうところだと思う」


「ふふっ、欲望に正直と言いたまえ」


 まるで旧知の仲のように軽口を叩き合う一同。なんか、ちょっと楽しいかも。


「……カスピエルの場合、性格のせいで損してる……」


「ゲイブ? それはどういう意味かな、え?」


「ちょっ、カスピエル!? ナイフはよくないナイフはよくないナイフは……」


 前言撤回。十歳児のおちょくりに殺意を滲ませるカスピエルを、ミーシャと二人がかりで抑え込む。


「いいもんね! おこちゃまのゲイブには分からないだろうけど、私のよさを理解してくれる人なんて掃いて捨てるほどいるもんね!」


 お、大人げない……。っていうか、そもそもカスピエル、何歳だろう?


 ふと気になって聞いてみると、


「うーん……十七歳ぐらい?」


「……」


 うん。大人げない。


 色々と悟った僕の目を見たのか、カスピエルが掴みかかってくる。やむなく僕も応戦。間に割って入ろうとするミーシャと油を注ぐゲイブのせいで、幌の中は大騒ぎになった。


「――お客さん! そろそろエルディアに着きますぜ!」


 そんな惨状を、御者さんの声が収めた。そろそろ着く、という言葉にミーシャとカスピエルが浮き足立ち、ゲイブがいそいそと荷物を纏め始める。


 僕は掴んでいたカスピエルの髪をおとなしく放し、降りる準備を始めた。


「うわぁ……すごいよリョウ兄ちゃん。外、見てごらん」


 荷物を纏める傍ら外の風景を眺めていたゲイブが、僕を呼んだ。つられて僕も幌の外に視線を動かす。


「……!」


 そこには、何とも不思議な造形の『遺跡』があった。


 元来の形が破壊されたかのように、ポツリポツリと辛うじて立っている石の群。蔦が巻き付くその出で立ちはどこか神秘的であり、どこか聖なる光を放っているように幻視した。


 目を凝らしてひとつの石を見ると、うっすらと流線型のが掘られているのが分かる。まるで、使


 周囲は柵で阻まれており、誰も迂闊に立ち入れないようになっている。更に、所々に衛士が武器を携えて立っていた。


 そして、その石達、衛士達が護るように、遺跡の中央に。


 地の底へといざなう乳白色の石の入口が、大口を開けていた。


「……アルク……」


 思わず、その単語が口から漏れる。


「本当に……王都に来た……」


 幼い頃から夢見ていたことが、今現実に起こっている。こんなことが、あっていいのだろうか。


 思わず目頭を押さえる。


「はいっと。お客さん、到着だ――ようこそ、エルディアへ」


 ガタガタガタッ、と馬車が停止した。


「いぇ~い、一番だ!」


 ミーシャがすぐさま飛び降り、ゲイブとカスピエルが続いた。ゆっくりと、僕も馬車を降りる。


 ザッ。右の足が、王都の地を踏む。


 とうとう、来てしまった。


 夢見た場所に。


 エルディアに。


 アルクのある地に。


「一応説明しておきますぜ、お兄さん。今ウチらがいるのが、王都のファヴェール商会本部前。隣のでっけえお城みたいなのが、ユニオン連合本部。まずはここに行ってくだせえ」


 そんな御者の言葉が、僕を現実に引き戻した。


「んで、さっき通り過ぎて今後ろにあるのが、アルク――聖魔戦争の、負の遺産」


「かっこよかった……」


 アルク。


 その言葉を、脳内で反芻する。


 ……覚えた。


「残りは、ユニオン連合のところで聞いてくだせえ」


 御者の説明が終わる。僕は麻袋から金貨を二枚取り出し、手渡した。


「ありがとうごぜえます。またご贔屓に」


 金貨を受け取ると、御者はそそくさと去って行った。


「楽しみだね、リョウ」


 カスピエルが笑いかけてくる。僕も笑みを返し、雑念を振り払ってこれからの行動について考えを巡らせた。


「これから、みんなはどうしたい?」


「美味しいもの食べたい!」


「なんでもいい……」


「なんでもいいよ」


 約一名、食い意地が張っている人がいるようだけど、差し当たって絶対にやりたいことはなさそうだ。


「えっと、ミーシャの要望は後で叶えてあげるとして……とりあえず、宿か借家を探そうと思う」


 そう。僕達は浮かれてはいけない。


 寝床を探すのはもちろん、僕とカスピエルは職を見つけなきゃいけないし、ミーシャとゲイブもやることがたくさんある。他の街に最低限の荷物だけ持って引っ越して来たわけだから、課題は山積みだ。


 家は最悪借家でも宿でもなんでもいい。しかし、稼げる職はなるべく早い内に見つけておきたい。


 僕の手持ちは九万ギムスとちょっと。カスピエルはなぜか無一文らしいし、家を借りると残金は多く見積もっても二万ほど。僕らの家計はいつも自転車操業だ。あれ、こういう時って火の車って言うんだっけ……?


「分かった。とりあえず散策がてら、めぼしい家を探してくるよ」


 カスピエルが名乗り出る。はーい、という元気な叫び声とともにミーシャも手を挙げた。ミーシャは……まあ、多分食べ物が目当てだろう。とりあえず放置。


「じゃあ……そこのユニオン連合の本部前で集合しよう。ゲイブは?」


「……カスピエルについてく」


 人気のなさが如実に表れる。僕の背中を、一筋の汗が流れ落ちた。


「僕は、本部で転居に必要な手続きを済ませてくるよ」


 気を取り直し、これからしようと考えていた事柄を三人に伝える。


「はーい。じゃ、またあとで」


 最早この場所にいないミーシャを追って、カスピエルが足早に市場の方へ去って行った。その背中を、ゲイブが小走りで追いかける。


 心なしか、背中を流れ落ちる汗が増えたような気がした。


「……さて、と」


 カイロスさんに昨夜教わったのだが、エルディアに転居するにはいくつかの手続きが必要らしい。


 一つ目は、書類手続き。言うまでもないが、エルディアに住んでる、という証左になるので必須だ。これがなければ色々と不都合が生じ、万が一トラブルに巻き込まれた場合にもユニオン連合が保証してくれない。


 これについては昨日、有能なカイロスさんが酔わない内に代行してもらったので、僕にとって煩雑さは全くなかった。


 二つ目は、個人証明書の発行。これはその名の通り、個人個人を証明してくれる小型のカードであり、身元が一発で分かるようになっている。持ち主の真名はもちろん、種族や所属ユニオン、顔写真に年齢まで記載されており、エルディア民にとって命に次に大事なものだといわれているらしい。


 最後に、ユニオンへの所属。これは、世界でもこの街の住人だけが持つ特殊な手続きである。


 ユニオンとは、有り体に言えば二つ目の家族といった感じだろうか。


 同じ屋根の下で暮らし、同じ食べ物を食し、同じ目標を目指す。


 そんなユニオンの結成が、王都では義務付けられている。


 それは、なぜか。


 理由は明白。


 アルクがあるからだ。


 ここからはクレアから聞かされた話なのだが――。


 おおよそ二千年ほどの昔、天界に住む天使と魔界に住む悪魔が『聖魔戦争』を引き起こした。


 始まりは些細な意見の食い違いであったと云われている。そこから埋められない溝が生じ、結果的に暴力を伴う戦争へと発展した。


 戦火は人界をも巻き込み、激しさを増した。沢山の生き物が死に、沢山の生き物が悲しみ、沢山の生き物がその身に憎しみを宿した。


 そんな中、天界の指導者である天使長ミカエルが最終兵器を送り込むよう命じた。


 それは、破壊の象徴。


 殲滅の旋律。


 憎悪の慟哭。


 全てを無に帰す、生物兵器。


 その名は、アルク。


 それが人界に送り込まれた時、ある者は絶望を垣間見たと言う。


 またある者は殺戮を。


 ある者は過酷を。


 そしてある者は、無慈悲を。


 まだ小さな集落だったエルディアの地に深く突き刺さり、それは口を開けた。


 そこから出てきたのは、異形の怪物達。


 人工的に造られたであろう無機質な石造人形ゴーレム


 瞬きとともに獲物に鮮血を咲かせる死蝙蝠デス・フライ


 人智を超えた妖術を纏い殺戮の宴を開く妖術師ウィッチ


 おおよそ天使が遣わした者がやったとは思えない惨たらしい戦場に、人々は信仰心を失い、絶望した。いや、絶望さえ生ぬるい、どす黒い感情。


 そして、無力感。


 それらが、人々の心中に突き刺さり、抉った。


 夥しい数の血肉が捧げられ。


 悪魔達をも殺戮することによって、聖魔戦争は終結した。


 戦後、天使達は。数々の所業を悪魔の仕業とし、彼らへの欺瞞に満ちた信仰心を取り戻した。そして、、完全な支配体制を築いた。


 教会の者は天使達の言いなりであり、美談として語り継がれている聖魔戦争の裏側を私は知っている――そうクレアに告げられた。


 顛末を聞かされ、僕は深い動揺に見舞われ――そこから先は、うまく思い出せない。


 ただ、エルディアにて義務付けられているユニオン制度、そして窓から見えたアルクの残骸の裏を知っている僕は、複雑な気持ちになった。


 どうにかして、ミーシャとゲイブにバレないようにしなければ……。


 そんなことを考えながら俯き加減に歩いていると、不意に他人の足が目に飛び込んで来る。避けようとするもむなしく、前から歩いてきた男性とぶつかてしまった。


「……す、すいませんっ」


 パッと顔を上げ、慌てて謝る。


「大丈夫ですよ。あなたは?」


「だ、大丈夫です。幸い、怪我はしていません」


 悪い人じゃなさそうだと思い、少しホッとする。


 改めて相手の姿を目に捉えると、その燃え盛る炎のような髪に思わず惹かれてしまう。ブンブンと首を振り、雑念を振り払った。


 カスピエルと同じ金色の双眸と炎の髪は、希少な種族である炎竜族ヴリトラの特徴的な外見と一致する。黒いローブとブーツで身を包んでおり中は見えないが、一見して悪い印象は与えない。むしろ、烈火の如き性格なのだろうかと勘繰ってしまいそうになる。


 金の瞳で見詰められ、僕は思わず視線を逸らしてしまった。


「……え、えっと、僕の顔になにかついてます?」


 いきなりそんな失礼な質問をしてしまい、慌てて謝罪しようとするが、


「……いや、なにか心配事でもあるのかな、と思って。暗い顔してますよ?」


 思ってもみなかった角度から質問をされ、黙り込む。


 確かに、なくはない。が、


「いえ、大丈夫です。初対面のあなたに打ち明けるほどでもないですし……」


 名前も知らない人に無闇に打ち明けても、この男性が困るだけだろう。そう考え、僕はやんわりと断る。


「実は俺、そーいう暗い人、たくさん見てきたんですよ。だから、顔色だけ見てもピンときました」


 だが、意外にも炎竜族ヴリトラの男性は食い下がった。うーん……。果たして、こんな街中で打ち明けてもいいんだろうか……?


 すると、男性が握手を求めるように手を差し出してきた。


「俺、レンギルスっていいます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る