知病

猫浪漫

第1話 不幸があなたの拠り所なのですか?

 昨日、あなたが受験した司法書士試験の合格発表がありました。合格発表なんて、ネットから見ることが出来るのに、あなたはわざわざ法務局まで見に行きました。


 わたしはあなたよりも緊張してしまって、合格発表を見にいけないなどと嘯いておりましたが、実はあなたよりも圧倒的に早い時間にあなたの合格を知っていたのです。

 実を言うと、わたしは一昨日の夜から法務局のサイトに釘付けになっておりました。本当は気になって仕方がなかったのです。

 正直に言いますと、わたしはあなたが不合格になることを望んでいたのですが、あなたは受かった、受かってしまったのです。



 最初、あなたから電話が来た時、その着信に気付きながらも、わたしは電話を取りませんでした。その後、あなたは喜び勇んで、興奮気味なメールを送ってきました。だけどそのときのわたしは、あなたの合格なんてものはとっくに知っていて、意気消沈としていたのです。



 違います、あなたのことが嫌いではないのです。あなたが喜ぶことはわたしにとっても嬉しいことなのです。しかしこの試験に関してはそうは思えない事情があったのです。

 そうは言っても、わたしはあなたにお祝いの返事をしなければならないと思いました。電話だとわたしの感情が読まれてしまいますから、メールで対応させて頂きました。



『遠野さん、おめでとうございます。あなたもとうとう法律家になられたという訳なのですね。明日はあなたの合格祝いをしたいと思うので、お時間がありましたら、夕方の六時頃にわたしの家に来て頂けませんか?』



 わたしがこのように返信すると、すぐにあなたから電話があって――

「ありがとうございます。是非、伺わせて頂きます」とのご返事でしたね。メールで返信して下さってもよかったのに――。

 あ、もしかしてわたしの声が聞きたかったのですか? もし、そうなら早苗は本当に嬉しいです。女冥利に尽きるというところです。



 それで今日、わたしは朝から色々とあなたの合格祝いをする為の案を練っておりました。

 失業中のわたしではございますが、お金に糸目はつけませんでした。あなたはきっとわたしの経済面のことを心配なさるのかもしれないですけれども、ご心配には及びません。まだ失業給付がありますから、大丈夫、大丈夫なんです。



――ところで、さっきあなたに貰ったばかりの婚約指輪が、いつの間にかあなたの吸っていた煙草の吸殻と共に灰皿の中に埋もれて沈んでいます。

 どうしたことでしょうか? まだ、わたしはあの指輪をはめていない。あの指輪は私の薬指にはめておかなければならない筈なのです。

 あの指輪を貰う時まで、わたしは生まれてからずっとこんな幸せ染みたことなんか、決して自分には縁がないものだと思い込んでいたものですから。



 あれ? だけど、あなたは働いていない筈じゃないですか? どうやってこの指輪を手に入れたのですか? 

 あっ、さては失業手当からですか? 国の税金、国民の血税を結婚という、いかにも個人的な理由で還元してしまいましたか?

 慌ててはいけません。大丈夫、結婚は指輪無しでもやれますよ? 市役所の紙切れでどうにでもなる訳です。

 第一、あなたは試験勉強の為に失業していた筈です。それなのに、こんな用途に使ってしまっていいものなのでしょうか? 

 生活はどうなさいます? 貯金はあるのですか? 



 実をいうと、あの指輪を貰った時、私は本当にまずいことをしてきたのだと、痛感致しました。

 つまり(やべえなあ)と――このように思ったという訳です。

 どうですか? これは信じられるのでしょう? 信じざるを得ないのでしょう? 



 あなたは幸せなことが、元々信じられない人です。そんなに幸福が憎いのですか? 一体、幸福に何の恨みがあるのですか? 

 そしてあなたは、いえ、あんたという人は不幸なことは百パーセント信じてしまうんです。ねえ、どうしてなのですか?

 あなたはいつもそうです。あなたはそうやって、わざわざ不幸になりたがる。

 不幸があなたの拠り所なのですか? あなたの故郷なのですか? 

 嬉しかったこともまずいことをしたと思ったことも、わたしにとってはどちらも真実なのに、あなたはいつも白か黒かでしか、物事を計ることができないのです。



 でもそれは多分、あなたが真面目だからなんでしょうね。

 ああ……真面目な人は怖い。わたしのことなんて、そんな杓子定規ではこれっぽっちも判らない筈なのに――。

 第一、わたし自身も判っていないのです。ねえ、本当のことって一つじゃなきゃ駄目なんですか? どんなに好きな人にだって、人は嘘をつくものなのです――。

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