狂器

【6月6日 水曜日 午前八時】


「海人…?」


扉越しに母親の声が届く。


「あぁ、ごめん。すぐ行くよ」


憂鬱だった。学校が嫌なわけじゃない。だけどどことなく気分が向かない。


「どうしたの?」


「ちょっと夜更かししてたかも」


「そっか。はやくいきなよ」


心配は掛けられない。

ずっと前に起きてはいたが、咄嗟に嘘をついた。


そんな自分すら、嫌になる。


「…はぁ」


親に聞こえないように、ため息をついた。


行くかぁ。


そう腹を括り、重い腰を上げた。






キーンコーンコーンコーン、という聞き慣れた音が教室に響く。


「どうしたよ。海人」


4時間目のチャイムが鳴り終わると、直也がすぐに俺の机に駆け寄ってきた。


「どうしたって?」


「なんか今日しょげてんなぁって思って」


「そっか…」


割と普段通りに行動していたつもりだが、直也には何故かバレていたようだ。


…どんだけ俺のこと見てるんだ気持ち悪い。


「なんかあったか?」


「ううん。何も無いよ」


愛想笑いをしつつ気丈に振る舞った。


「んー。そか。あ、購買行てきまー」


軽く時計を眺め、直也はそう言い残し教室を出た。


…ダメだな。俺。


そう思いつつ、ぺちっと音を立てて自分の頬を軽く叩く。


今日は部活に行かず帰ろう。







特になんの連絡もせず、部活を休んだ。


昨日と同じ夕焼けの坂道を下る。


―――かいくん。


ふと呼びかけられた気がしてはじかれるように後ろを振り向く。


しかし、誰も居ない。


「…はぁ」


何度目のため息だろうか。


憂鬱になる。気分を晴れる訳でもないのに、やるせない気分を道端の小石にぶつけた。


カラカラと子気味良い音を立て、ある程度転がった所で止まる。


何やってるんだ俺は。


そんな思いがまた、ため息をつかせた。


「飯田くん」


聞き覚えのある抑揚のない声が背後から俺を呼び掛けた。


「…静凪ちゃん」


静かに振り向くと、彼女はポニーテールをふりふりと揺らしつつ坂を下り、隣まで来て止まった。


「どうしたの?」


問いかけると、彼女は無言で前を歩き出した。


「…静凪ちゃん?」


「早く帰ろ」


「あ、ちょ、待ってよ」


どんどん先を歩いていく彼女の背中を思わず追った。


が、すぐに足を止めた。


カチカチカチっと言う音が背に寒気を憶えさせる。


ゆっくりと、音の方向を向く。


ぴゅーっという音と共にやや強めの風が吹く。

それと同時に、目線の先の彼女の長いツインテールがなびく。


右手に、鈍く光るカッターを持って。


「…かいくん。それ、だぁれ?」


ヒュッと風切り音を立てつつ刃先を向ける。

きっとそれは俺の背後を歩く鈴木に向けたものだろう。


「…ただの友達だよ」


愛想笑いすらせずじっと彼女の目を見つめて一歩後ずさる。


「へぇ。友達かぁ」


空いた間を詰めるように、彼女も一歩踏み出した。

そして再び、一歩後ずさる。


すると彼女は距離を詰めることはせず、立ち止まり呟いた。


「いらないよ」


と。


「友達もなんだろうと、かいくんの周りに私以外の女の子はいらない!」


狂気じみた笑顔を浮かべ、カッターを握りしめるように持ち変える。


守らないと。


鈴木のことだけは、守らないと。

ふと湧いてきたのは、そんな使命感だった。


同じ事件を繰り返さないために。


それは同時に、あの時の出来事がトラウマとして根付いていたことを意味していた。


「飯田くん!」


背後から鈴木の声が響き、左手が強く引かれる。


「逃げるよ!」


力強く叫ぶ彼女は、俺の返事も待たずすぐに走り出した。


言葉も発さず必死に足だけ動かして着いていく。



振り返ると、既に椿の姿はなかった。


強いな。お前は。

そう思いつつ、ひたすらに前を向いた。





「はい。お茶」


鈴木は家に帰ってすぐ、リビングに座る俺にお茶を注いだ。


「あ、ごめんね…」


そして、向かい合うように座った。


「いえいえ」


感情のなさそうな声色でそう言うと、頬杖をつきぼーっとし始めた。



しばらく沈黙が続いた。



鈴木も俺も、口を開かない。


目も合わせず俯く俺と、頬杖をつきじっと俺を見つめる鈴木。



先に口火を切ったのは鈴木だった。


「あーもう!」


頬杖をやめ、バンっと机に手を付き立ち上がった。


「さっさと言いなさいよあんた!」


普段にはない険しい目付き、口調で勢いよく言葉を紡ぐ。


「せ、静凪ちゃん…?」


「わかってんでしょ? あの子のこと聞かれてるって。飯田くんが元気なかったのもそれが原因なんでしょ!」


息をつく間もなく彼女は続けた。


「だいたい分かってんだからさっさと必要なこと言いなさいよ。このまま黙り込んでるくらいなら私が直接あの子のとこまで行って聞いてやるわよ!」


「そ、それは―――」


「ダメとか言うならさっさと言えよ!」


だめ、と制止しようとした瞬間、彼女は上から言葉を被せてきた。


「そもそも元気なかったってことはもっと早くから問題起きてたんでしょ? なのになんで相談しなかったの? 私たちを巻き込みたくなかったとかいうこと言ったらマジでぶん殴るから!」


そう言いつつ彼女は身を乗り出し力強く俺の胸ぐらを掴む。


「わかったから、話すから!」


ほぼ恐喝のような彼女の言葉に冷や汗を垂らしつつ、縮こまる声帯を無理やり開く。


「はいはい。じゃあ質問するから簡潔に答えて」


「う、うん」


鈴木は掴んでいた胸ぐらを離し、軽くお茶をひと口含んでから再び頬杖をついた。


「で、あの子は?」


「…元カノです」


「メンヘラ?」


「…どっちかと言うとヤンデレ、です」


「あー…」


そう言うと、鈴木の表情が少し歪んだ。

きっと彼女の過去の経験と重なる部分があったのだろう。


「まぁ、その、お疲れ様だね」


そう言うと、鈴木は目をそらし、一気にコップのお茶を飲み干した。


「…お互いにね」


と、返事をする。


「とりあえず、あの子どうにかしないとじゃん」


俺の言葉を気に掛けず、すぐにほかの話題に切り替えた。


「まぁ、そうだね…」


と言ったものの、どうすればいいか考える気になれなかった。


気力も体力も、衰弱しているかのような感覚だった。


「うぁ~もう!!」


彼女は再び声を上げると髪を掻きむしりまた机に手を付き立ち上がった。


「いい加減うじうじしてないでシャキッとしなよ! どいつもこいつもハッキリしなさすぎて腹立つんだよ!」


「…わかったよ」


「何が!」


勢いよく言葉を飛ばす彼女と同じように机に手を付き立ち上がった。


彼女は今までの小さなヒントで、俺と椿の間に大きな問題があること、椿のせいで俺の気が病んでいること、そして俺が伊藤や鈴木たちを巻き込まないために1人で抱え込もうとしたことまで全て察した。


「相談に、乗ってほしい」


ぐっと顔を上げ彼女の瞳を力強く見つめた。

やや潤む彼女の瞳は鋭さを感じさせつつ輝いている。


きっと、そこまで察しのいい彼女なら力になってくれるだろう。


もはや完全にキャラの変わった彼女に対して覚悟を決めた。

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ショタの中身なんてこんなもの アイネット @ainetoaru

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