混沌の始まり

「ねぇ、すずちゃん。付き合って幸せなところ悪いんだけどさ」


「ん?」


彼女が見た感じある程度落ち着いたところで声をかけた。

林と吉井の関係は結局素晴らしい形で終わり、ハッピーエンドで万々歳だったが、俺にはどうにも心残りがあった。


「流石に好きな人いるのに誘っちゃまずくない?」


俺が言っているのは彼女を部屋に呼び込んだ直後のことだ。

林は困惑しつつもブラウスを脱ぎ始めしまいには襲っていいとまで言ってしまっていた。


言わば、説教をするつもりだ。


「…いや、だって、仕方なくない?」


彼女は目線をそらしぼそっと呟いた。

すると、顔を背け、


「溜まってたんだもん…」


と、ギリギリ聞こえてしまう程度の小声で言った。


いや聞こえないように言ってくれと言う心の叫びがひきつった笑いとなって表に出た。


好きな人いるのにそういうことしたらダメだろ! と叱るつもりが、その言葉のせいで思った通りに喋れなくなった。


「え、えっと、何?」


とりあえずで聞こえないふり。

これで彼女は「なんでもない」と言って会話は終わり、


「だから、溜まってたの!」


にならなかった。


「す、ストレスがですよね。そうだよねすずちゃん」


必死に彼女の言動を無理やり全年齢版にねじ曲げる。


「はぁ? 性欲に決まってるじゃん」


しかし俺の努力も虚しく彼女はR18に突っ走った。


「え、えと、あの」


唐突に素になるしめちゃくちゃ危険なゾーンの話をするしオマケにいまなら寝取られ属性までついてくるしで今の彼女は色々危なすぎる。


思わずベッドから立ちあがり距離を取った。


「…日向には秘密だよ?」


そう言いつつ、林はブラウスのボタンにふたたび手をかけた。


一つ一つ、ゆっくり弾くように外れていくボタン。

徐々にあらわになっていく褐色の肌と青い色の下着。


「いや待て待て待て待て待て!」


慌てふためきつつぶんっと勢いよく振り返り扉と向き合う。


流石に彼氏持ちを襲うわけには行かない。

本人許可が出ていたとしてもだ。


その時だった。


ピンポーン


とインターホンがなった。それは1度感覚を開けると、

ピピピピピピピピピンポーン

とめちゃくちゃに連打される。


俺も林も何も言わずに固まって、一瞬音が途切れる。


そして、


ガチャっと言う音と共に足音がこちらに向かってきた。


鍵を閉め忘れてたことを、今になって強く悔やむ。


そして、足音は確実に近づいてくる。

この時点で気づいた。


1人じゃない。


その瞬間、俺の目の前の扉は横にスライドし、扉を開いた人物と目が合った。


「ふ、不法侵入だよ亜美ちゃん」


背筋が凍るような感覚を覚えつつ、そんなことを言ったが彼女は答えない。


そして、ちらちらと俺の背後を見て、満面の笑みで言った。


「既成事実の作成は終わった?」


「断じて何もしてございません!」


なぜ自分でもそうしたのかはわからない。

だけど、勢いよく頭を下げていた。


「こんのショタ狼がぁっ!」


その罵声とともに、俺の後頭部に教材などで鈍器と化した鞄が振り下ろされた。









「いてて…」


ベッドに座り、首元を擦りながらそう漏らした。

あの容赦のない一撃は首が落ちるのではないかと思うレベルだった。


「大丈夫? 飯田くん」


そう言いつつ右隣に座った彼女が少し顔を覗きこんできた。


「うん。そもそも静凪ちゃんがいろいろ言わなければ何も起きなかったんだけどね…」


事の発端は俺が林を連れてったのをどこからか鈴木が目撃し、それを伊藤に伝えた結果こうなったのだと言う。


「でも来ないと飯田くん確実にやってたよね」


その発言に思わずカハッと変に咳き込む。

鈴木の抑揚も動かさずにそういうことを言える精神力はある意味尊敬してしまう。


「や、やってない。やってないから!」


思わずそう否定した。

すると彼女は一瞬ニヤリと笑った。


「えぇ、何をかなぁ?」


こいつ、狙いやがった…

と、胸の内で密かに敗北感を抱いた。


「な、なんだっていいでしょ」


咄嗟に何を言えばいいのか分からなくなり、誤魔化すことしか出来なかった。


しかし鈴木はさらに楽しそうに意地悪な微笑みを浮かべ、俺の耳元に口を近付け囁いた。


「もしかして、エッ―――」


「なぁにやってんじゃお前らぁ!」


「うわぁっ!」


急遽俺らのあいだに割り込んできた伊藤によって、俺と鈴木は左右に押し飛ばされた。


「どうしたの、亜美ちゃん」


全く悪びれず普段通りのトーンで鈴木はとぼけるように言った。

そのあまりの変わりように思わず呆れる。


「どうしたのじゃない!」


きーきーと喚きつつ伊藤は俺と鈴木のあいだに強引に座り、左手で俺の手を、右手で鈴木の手を取った。


「えっと、どしたの?」


しなやかで暖かいその手はなんとなくこごち良かったが、その行動には謎が残った。


「え、いや、その、なんか…」


口ごもりつつ握る力が強くなった。

鈴木も首をかしげた。


「…安心しない?」


と、若干不安げな表情で見つめつつ言ってきた。


可愛いかよ。

でもなんでこうなってるのかわけわかんないけど。


そんなことを思っていた時、部屋のドアが開いた。


「…何してんの?」


そこから姿を現したのは伊藤にどこか連れていかれていた林だ。

まぁ3人手を繋いでただぼーっとしてるだけのこの状況を見せられたら妥当な反応だろう。


「んー」


ふと伊藤が唸った。


「涼夏も入る?」


と誘った。


「…は?」


と冷たい返事。

まぁ俺もは?と言いたくなったけれど。


その時だった。


ガチャっと言う音が1階から聞こえた。


今更になって思い出した。


母親の仕事は月刊誌関係。毎月末はほぼ会社から帰ってこない反面、月初めはかなり帰りが早い。


そして今日は、6月1日。



「あ、お邪魔してまーす!」


呆然とする俺を置いて、林の元気な声が響いた。


「お、海人の彼女さんかぁ? せめて私がいない時に連れ込めよ〜」


と、若干ハスキーな、それでも聞き慣れた母親の声が響く。


「違います! 私が彼女で―――」


「嘘言わないの」


いつの間にか飛び出していた伊藤を、同じく飛び出していた鈴木が口を抑える。


「ありゃー。ずいぶん騒がしいね」


呆れたような母親の声が聞こえる。


「さて、正妻はどの子かな?」





…カオスの、幕開けだ。

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