携帯に苦しめられて

「はぁ。疲れた」


やっとベッドの下から出た鈴木は、今度は上でごろんとうつ伏せになった。


「引っ張られてただけでしょ。ほら、もう真っ暗だし帰りなよ」


俺もベッドに腰掛けて、帰るように促した。


「んー。そっか」


彼女は、体を起こし、俺と同じように腰掛けた。


「もう夜遅いし、送るよ?」


時刻は8時半だ。空は既に真っ暗になっている。周辺は特に治安が悪い訳でもないが、男としての礼儀だろう。


「んー…」


彼女はなにか考え込んでいる。

そんなに悩むような要素はあるだろうか。

その時、


「え、ちょ、何!?」


体を起こして俺の両肩を掴み一気に押し倒してきた。


「顔、大丈夫?」


俺に馬乗りになったまま、頬を優しく撫でた。


「大丈夫だから、あと降りて?」


「もう、そんな重いかな?」


ちょっとムスッとしつつ俺の上から退いた。


「い、いやそういう訳じゃないけど…」


その質問は否定しないといけないじゃん、と若干卑怯に思いつつ倒された体を上げた。


「そっかぁ」


彼女の返事が急に虚ろになった。


「う、うん」


様子の変化に少し戸惑った。


「…ごめんなさい」


少し沈黙したあとに、彼女はぼそっと呟いた。


「えっ?」


聞き取れていたけど、聞き返してしまった。


「痛かったよね。私なんかのせいで」


顔を伏せて発せられる声には、悲壮感を覚えた。


「は、腫れなかったし大丈夫だよ」


無理して愛想笑いをして誤魔化した。


「ごめんね。出来るだけ、考えたんだけど」


「だから、大丈夫だって」


俺の言葉を聞かずに、鈴木は身をくっつけてきた。

また押し倒されるのか、と警戒した時、


「ちゅっ」


若干わざとらしいそんな言葉と同時に、柔らかい感触が頬に触れた。


「ごめんね。私、意気地無しだから、自分からじゃこんなことしか出来なくて」


「ううん」

首を軽く横に振った。


「その、充分…です」


顔を上げることが出来なかった。


「そっか」


そう言うと、鈴木は立ち上がり、


「じゃあ、お邪魔しました」


部屋を後にした。






【5月21日 月曜日 午後3時】

俺は授業中にも関わらず肘を立ててぼーっとしていた。


なんとなく、昨日の出来事が頭から離れない。

正直キスなんかにそこまで意識させられるほど俺は熱のある人間じゃなかった。


事実、元カノと散々『そういう事』はしたけれど別れた後も気まずいとか思ったりはしなかった。


普段通りの態度で接することが出来ていた。


なのに、昨日の出来事はどうにも意識してしまう。

少し考えるとすぐにその感触が戻ってきてしまう。


溜息。

どうして意識してしまうのか。

好きだから、惚れたから?いや、違う。


きっと俺は人を好きになることなんてない。


みんなにとっての『飯田海人』は可愛くてショタな男の子、一歩間違えれば男の娘なのだ。

だからみんな俺の内面を知らない。


よって俺のことを『本当に好き』になる人なんていないのだ。


そんな現実わかってる。だから俺は現実の女子は好きになれない。

好きになったところで、辛いだけだからだ。


「うっ!?」


背中にグサッと刺激を感じた。


「な、なんだよ!」


小声で不機嫌っぽく振り返ると、そこには俺よりももっと不機嫌そうな顔をした伊藤がいた。


「今日から、来るの?」


なんのことかは、すぐに察せた。

部活のことだ。

鈴木のことを詮索されるのがめんどくさかったため、先週月曜日すっぽかして以来行っていない。

そして、今日から行くと、メールしていた。


「うん。いくよ」


「ふーん。そっか」


不機嫌な雰囲気は消えた、気がする。

伊藤は青いシャーペンを得意げにくるくると回し始めた。


「あ」


その声とともに回っていたシャーペンが止まる。


「どうしたの?」


不思議に思って聞いたが、聞いてから彼女に聞かれることがすぐに予想出来た。


「あの子も、来るの?」


やっぱり鈴木のことだ。


正直来てくれない方が俺のメンタル的にいい気はするけど、きっと『来るな』と言わなければ来るだろう。


「来るよ」


鈴木のことを思い浮かべるだけで変に目線を逸らしたくなった。


「んー。そっか」


そういう伊藤は、ほんの少し微笑んで、再びシャーペンを回し始めた。




「えっと、改めまして、鈴木静凪です。よろしくお願いします」


「あ、私は伊藤亜美。亜美でいいよ!」


部活に来て早々、二人の自己紹介が始まった。

なんとなくよろしくするつもりはさほどなさそうな表情で淡々と頭を下げる鈴木と、


女子特有の愛想笑い、名前呼びの強制でなんとなく仲良くしようとしている雰囲気を出している。


「あ、わかったよ。亜美ちゃん」


「うん。よろしくね。静凪」


既にこの時点でちゃん付けか名前オンリーかで明確な隔壁が生まれてるような気もする。

二人の間の『温度差』というものだろうか。


「んー。座る場所どうしよっか」


ふと伊藤が俺の方を見てきた。

机を1つ増やすにしてもそうすると2対2で対面できる形式の正方形が失われる。


「んーと、そーだなぁー…」


なんかしっくりくる方法が思いつかず、考え込んでみるも思いつかない。


「あ、気にしないでいいよ。私ここ座ってるから」


そう言うと、鈴木は教室の左角に追いやられている教卓に座った。


「…えっと、会話参加出来る?そこ」


「うん。大丈夫」


不安になって聞いたが、軽い返事だ。


…もしかしてそんなに参加する気ないな?

まぁテニス部から引っこ抜いておいてちゃんと働けと言うのも変か。


「じゃあ静凪の席はそこで決まりね」


そう言いつつ伊藤も俺の左隣に座った。




「…人、来ないね」


ふと伊藤が口を開いた。


30分くらい、携帯をいじったり課題やったりして時間を潰していたが、全く人が来ない。


「恋愛相談なんて、そう簡単にする人いないもんね」


正直こういう部活になるってことは初めからなんとなく勘づいていた。


その時、


ガチャンっという音ともに勢いよく扉が開かれ、その開いた本人も勢いよく俺のもとに駆け寄り、


「海人、大丈夫か!!」


バンッという音ともに机に手をついた。


「…どうしたの?直也」


柏木直也。なんだかんだこの部活に最も最初に相談しに来たアホだ。


「あと近いよ?」


直也の顔は俺の10センチ先くらいにまで来ていてものすごくビビる。

流石に男とは嫌だ。


「あぁ、すまんすまん」


そういうとやっと顔を離した。

そしてポケットに手を突っ込んだ。


「で、なんの用?」


若干煩わしさを覚えつつもなんのために来たのか流石に聞かずにはいられない。


「これだよこれ!」


彼はポケットから携帯を取り出し、無造作に俺に画面を見せつけてきた。

そこには動画が再生されていた。


見覚えのある噴水。見覚えのある男二人と自分、そして女子。


男は俺の胸倉を掴みあげ、力任せに殴り飛ばした。


動画はそこで終わっている。


「これって…」


正直ちょっとまずい。この現場がしっかり撮影されているのは。


「これ絶対海人だろ。大丈夫かよお前!」


凄まじい勢いで言い寄ってくる直也はさらに気持ち悪い。

昨日の鈴木のような『精神的な癒し』は全くない。


「えっと、これどこで見たの?」


「どこってタイムラインに流れてたぞ普通に」


拡散されてるじゃねぇか。さらに色々めんどくさいことになるかもしれない。

これがもし教師とかにまで行ったら、


「直也くん、ちょっと見せて?」


俺らのやり取りをずっと傍観していた伊藤が直也の携帯の動画に興味を持ってしまった。


「え、あ、えと」


「あ、ちょっと待っ」


確実に見られるとめんどくさいことになる。

直也の携帯が伊藤の手に渡るのを制止しようと手を伸ばしたが、


「うわぁっ!」


凄まじい速度で手から携帯を奪い、直也は驚きの声をあげるだけだった。


やっべ。

一瞬でゾワっと冷や汗が出てくるのを感じた。


その動画が再生されてる間、彼女は何も言わなかった。


俺は彼女の方を見ることが出来なかった。


「…ふーん。そっか」


意味ありげなその言葉の根底を、俺は全く見透かすことが出来なかった。

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