怒りの天使

 翌日、ノアゼット様が大事な話があるといって、宮殿前の広場に人を集めてもらった。そこに用意された演台の上に立つ、ノアゼット様以下2名。俺とプウラムだ。ディヴィさんはちょっと具合が悪いということでこの場にはいない。広場にはこの国の様々な人たちが集まってひしめき合っている。


「今日集まって頂いたのは、他でもありません。この国の将来に関することです」

 ノアゼット様の良く通る澄んだ声が響き渡る。

「私とシューニャにこの国のかじ取りを任せて頂くというのは大変に名誉なことだと思います」


 広場はシーンと静まり返っている。

「もし、私が何も使命を与えられていなかったなら、非才の身ではありますが、皆さんと共に歩んでいったかもしれません。ただ、残念なことに私には重要な試練が与えられています。多くの人に関りがあるとても大変な試練です。時間もあまりありません。どうか、このまま私たちを行かせてください」


 広場の人々は口々に叫びだす。自分たちを見捨てないでくれと哀願する者、じゃあ俺達はどうなるんだと憤慨する者、どうしたらいいのだろうと悲嘆にくれる者。すんなりと、はい分かりました。どうかお達者で、と了解してもらえるとは俺達も思っていない。


 広場に詰めかけた人々が興奮して演台に近づいてこようとしたその時だった。キーンと甲高い音が響き渡り、空中に白い羽が生えた者が姿を表した。驚いた表情をしているクラウス様の天使アリエル。そこへ疲労困憊した表情のディヴィさんがやってくる。


「あら? アリエル、どうしちゃったの?」

 アリエルの表情がみるみる怒りの表情になり、ディヴィさんに向かって文句を言い始めた。

「ちょっと、ディヴィ。あなたどういうつもりなの。私の不可視の護り解除して」

「何のことかしら。あなたの腕が落ちたんじゃないの?」


「ふざけるのもいい加減にしなさい。人の前に簡単に姿を見せちゃいけないってことぐらい知ってるでしょ」

「ぎゃーぎゃー、うるさいわね。エルフ王のところでも姿現してたんだし、減るもんじゃないでしょ。ちょっと落ち着きなさいよ」


 ギャーギャー、キャンキャン。うるさくも懐かしい二人の壮絶な口げんかが始まった。俺は笑いをかみ殺す。突如現れた天使の姿を見て、カッラムの人々は畏怖して平伏する。そりゃそうだろう、言葉は分からないものの物凄い剣幕で怒っている天使の姿を見れば、事情を知らなければ畏れるのが普通だ。


 アリエルとディヴィさんの罵り合いは、この世界の標準語ではなく、神聖語で行われている。なので、高位の神官でもない限り何を言っているのか分からないはずだ。ディヴィさんが神聖語で話しかけたのがポイント。バイリンガルなら、話しかけられた言語で返事をするのがごく普通の反応だ。


 かくして、人々の目からすると、自分たちがノアゼット様に対して異を唱えたことに対して天使が怒っているように見えるというわけ。実は仲の悪い二人が低レベルな口げんかをしているだけなのだが、怒ってまくし立てるアリエルと、澄ました顔をしておちょくるディヴィさんの姿だけを見ればそのことは分からない。


 ついに我慢しきれなくなったのか、覚えてらっしゃい、のセリフを残して、アリエルの姿がフッと掻き消える。ディヴィさんが、ああ、と嘆息の声をあげた。

「ねえ、どういうことなの? プウラムにも説明してよ」

「天使は大変怒っています。私もできる限り宥めたのですが……」

「ええ~、たいへーん」


 まったく、役者だよな、ディヴィさんもプウラムも。ディヴィさんはまったく嘘は言っていない。アリエルが怒っているのは間違いのない事実。ディヴィさんが一応ちょっとだけ宥めたのも事実。大半はおちょくりだったわけだが。


 二人の会話を聞いた周囲の人たちは慌てふためいて、俺達の出立の準備を自発的に手伝ってくれた。城門までぞろぞろとついてきて、地に頭をこすりつけるようにして俺達を送りだす。いやあ、うまくいったな。ちょっと悪い気もするけど、誰も傷つけずに無事に街を出ることができた。


 30分ほどは神妙な顔をして、馬を急がせていた俺達だったが、ディヴィさんがプッと噴き出すと笑いが止まらなくなる。しまいにはヒイヒイと呼吸困難になるほど笑い転げた。

「あー可笑しかった。あの真面目くさったアリエルの怒った顔ったらなかったわよねえ」


「ディヴィさん、ちょっと笑いすぎですよ」

「だって、ノアゼットちゃん。あのアリエルの顔見たでしょう。ぽかんとした呆けた顔。もう絶対忘れられないわね」

「見守ってくれているのに悪い気がするのですけど」


「見てるだけで何もしないんじゃ、居ないのと一緒よ。言われた通りのことしか出来なくて、ただ報告するだけなんてアホみたい」

「今日のことを報告されたらディヴィさんの立場が悪くなるのではないでしょうか」


「大丈夫です。エルフ王ならともかく、ただの人間になった私に魔法を解呪されたなんて、あの子は絶対に自分からは言うわけありません」

 その日は解呪に消耗したディヴィさんを休ませるために早めに休みを取ったが、寝るまでの間、ずっとディヴィさんがアリエルとのやりとりの真似をしてご機嫌だった。

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