急ぎの馬車
一晩寝て背中の痛みはすっかり引いた。ディヴィさんが背中を見て、
「これならもう心配ないかな。あまり薬草の当てすぎも良くないから外しちゃうわよ。しばらくすると痒くなるかもしれないけど我慢してね」
上着が擦れても痛くない。
昨晩借りた毛布を畳んでノアゼット様に返す。
「ありがとうございました。お陰さまでよく眠れました」
「そうですか。それは何よりです」
やっぱり言葉のキャッチボールが続かないが、以前のような他人行儀でないだけ関係は進展しているのだろう。そうだと思いたい。
いつものように簡単な朝食をとって、木々に囲まれた空間から出発する。先頭はプウラム。10メートルも進むと街道に出た。俺は木を駆け上り、周囲を見わたす。西の方を見ると前回見渡したときに遠くに見えた山が想像していたより至近に見える。森を突っ切ることで大分距離を稼いだようだ。
距離を稼いだのはいいが、山に入るということは、例のヒルトロールの住処に近づいているということ。気を引き締めて、山道に臨む。パズーは問題なさそうだが、荷車を引いている馬は気息奄々、随分と苦しそうだ。俺が後ろから押してやることにした。
道はぐねぐねと山裾を巡ったり、谷間を抜けることもあれば、低い尾根沿いに上り下りする。その日は何事もなく、日が暮れた。浅い洞穴があったので、洞窟内には何もいないことを確認して、そこで野営することにする。洞窟の入口の周囲に良く乾燥した枯れ枝をまく。踏めば音がするので、いわば天然の警備装置だ。
何事もなく夜が明け、のんびり朝食をとる。聞くところによればヒルトロールは昼行性。あまり急いでも意味がない。
「いつもペースで進めば、あと2日で山は抜けそうです。その間に出てくれると時間のロスがなくていいですね」
いつもより遅めに出発し、谷あいの細い急坂を進んでいると、後ろから馬蹄の音が響いてくる。荷馬はへばりきっていてのろのろとしか進めない。たちまちのうちに馬が駆ける音が近づいて、俺達のすぐ後ろにやってきた。4頭立ての立派な馬車だ。すぐに罵声が飛ぶ。
「どけっ。道を開けろ。邪魔だっ!」
あほか。この切通の細い道でどこに避けられると思ってるのだろう。
「あら、悪いわね。でも、広いところに出るまで待ってもらわないとどうしようもないわ」
冷静なディヴィさんの声が聞こえてくる。後ろの御者も状況が分かったのか何も言わない。さて、じゃあ一押しして坂を上り切ってしまいますか。
俺が一層の力を込めて、荷車を押し始め、もうすぐ坂の頂上というところで、先ほどとは別の声が響く。
「何をもたもたしておるのだ。わしの道を遮る無礼者はどいつだ。ムチをくれてお追いたてろ」
全世界横柄コンテストがあれば入賞間違いなしの横柄さ。馬車から首を出した太った男が顔を真っ赤にして怒鳴っている。
ようやく、荷車は頂上にたどり着く。幸いなことに俺たちが後ろの馬車をやりすごせそうな場所がすぐ先にあった。馬を労わりつつ、そのスペースに荷車を入れる。すぐにノアゼット様とプウラムが乗るパズーが続く。俺は武器を取り出し、道の際に立った。俺の横をすり抜けるようにディヴィさんがパズーの側に行く。
そのディヴィさんを弾き飛ばさんとする勢いで馬車が通り過ぎる。ディヴィさんを狙って御者はムチを振り上げたが、手元から1メートルほどのところで俺のハルバードに鞭を切断される。
「何をしとるかっ。こやつらムチで打ちすえてやれ」
事態を理解していない横柄な太った男が怒鳴っていたが、あっと言う間に馬車は通り過ぎた。その後ろを5騎の武装兵が着いていく。
ものすごい砂ぼこりが収まった後の道に出ながら、
「ありゃ何者ですかね。ハルバードの柄をコツンとぶつけてやれば良かったかな」
「シューニャ!」
「はいはい。マダム。分かってますって。冗談ですよ。でも、横柄な嫌な野郎だったというのは同意でしょ?」
ノアゼット様は澄ました顔をして何も言わないが、まあ、否定はできないということなのだろう。ディヴィとプウラムは俺と同意見らしい。
「べー、あんな奴、モンスターに襲われて食べられちゃえばいいのよ」
「プウラム。それはちょっとひどいわ。モンスターだってあんなの食べたらお腹壊しちゃう」
その後、ひとしきり、呪いの言葉が続いた。出かけようとするたびに靴がそろわないようにだの。馬車を降りるときに犬の××を踏めばいいだの。あいつの飲むワインが酢に変わればいいだの……。一つ一つは地味だが微妙なラインの呪詛が続いた。うん。横柄マンよ、お前は怒らせてはならない者を怒らせた。お前に心の平穏は訪れぬであろう。なんちゃって。
しかし、この道は閉鎖されているはずじゃなかったのか? ああ、俺達より前に出発したのを追い抜いていたのか。森の中を抜けたので相当短縮したのかもしれない。あの態度じゃ無理やり突破してきたというのも考えられるな。
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