吟遊詩人

 席に戻り、俺も腹を据えて、飲み食べ始める。明日は明日の風が吹くさ。

 この世界に来てからの食事としてはかなり美味しかった。この宿は食事が売りというのは間違いないようだ。


 ディヴィさんがご機嫌なのは当然として、あまり、こういった騒がしいところは好きじゃなさそうに思っていたノアゼット様も意外と楽しそうだ。ディヴィさんと頭を寄せ合っていたかと思うと、クスクス笑っている。そうそう、生真面目な顔をしているより、年相応な感じがして、一層魅力的に見える。


 賑やかになったと思ったら、部屋の反対側に吟遊詩人が来て、何やら楽器をかき鳴らし歌っていた。遠目にも分かるイケメンだ。むむ。良くは分からない敵愾心がわいた。落ち着け、落ち着け。こっちは美人2人と楽しくテーブルを囲んでいるんだ。


「にゃあ、シューナ。もうちょっと、らべてもいいか?」

「そういう約束だからいいですよ。でも、お酒はこれぐらいにしてくださいね」

「ひゃい、ひゃい。んー。シューニャはやさしい」

 ディヴィさんが何か注文したので、それにおっかぶせて、冷たい水に果汁を加えたやつを3つ頼む。


 運ばれてきた飲み物をディヴィさんに勧めながら、俺もチビチビ飲んでいると、ジャーンと近くでリュートをかき鳴らす音がした。いつの間にか先ほどの吟遊詩人が近くに来ている。

「何か一曲いかがかですか?」


 やはり、美人の匂いを嗅ぎつけてきやがったな。

「にゃんだ、お前は。音楽はいらない」

 ディヴィさんは手を振って追い払おうとする。一方のノアゼット様も身を固くして、首を横に振っている。おや?


 美人2人に振られて、優男は盛大にショックを受けたような表情で、

「おお、なんとつれなき、美しき方々よ。私めに1曲も披露させていただけないとは。せめて1曲愛の詩を美の女神に捧げさせてくださいませ」

 そう言って、甘い旋律をかき鳴らし始める。


 歌いだそうとするその機先を制して、ノアゼット様が言う。

「申し訳ありませんが、曲は不要です。別のテーブルにいらしてください」

 明確な拒絶の言葉に、吟遊詩人はたじろぎ、楽器の演奏をやめる。周囲も何事かと注目し始めた。ガヤガヤしていたのが次第に静かになっていく。


「悲しきお言葉なれど、そのようにお命じなされるなら、お言葉に従いましょう。されど、せめて理由だけでもお聞かせくださいませんか?」

 まだ、取りつく島がないか探りたいのだろう。

「お友達と静かにお話がしたいので」


「なるほど。それはお邪魔をいたしました。では、お邪魔にならぬよう短き一曲を」

「いえ、いりません。歌でしたら間に合っていますから」

 いい加減会話を打ち切りたいのだろう、ノアゼット様はそう切り出す。


「私の歌が不要とは。それはあまりな仰せ。私以上の歌い手がこの中にいらっしゃると?」

 こうなっては吟遊詩人も引くに引けないのだろう。そして、ノアゼット様もこうなると意固地だった。

「ええ、もちろんです」


「おお。見目麗しきお二人方。さぞや声も素晴らしいのでしょう。私にぜひお聞かせ願えませぬか?」

 ディヴィさんは既にこの男に興味を失い食事に夢中だ。ノアゼット様が歌うのか? 聞いてみたい気もするが、さすがに恥ずかしいだろう。


「いえ。違います」

「お二人ではない。私を不要とされるほどの歌い手がいるとおっしゃったはずでは?」

「ええ。言いました」

「でも、それはお二人ではない。難しくて、私には理解できませぬ。分かりやすくおっしゃっていただけますか」


 なんか嫌な予感がしてきたぞ。3引く2は1。簡単な算数だ。

「簡単なことです。このシューニャがそうなのですから」

 うわ。予感的中。なんてこと言ってるんだ、この女主人は。俺が歌うのか。この満座の中で? 冗談きついぜ。こちらを見るノアゼット様の目は、お願い、と言っていた。はあ。


 さあ、どうする俺。正直言って、歌なんて、ほとんど歌ったことないぞ。カラオケも好きじゃなかったしな。職場の2次会でも頑なに拒否していたぐらいなのに。この場にふさわしい歌。すぐに思いつかないと。ポップスはダメだ。歌おうものなら、別世界からジャスラックが取り立てに来てしまう。くそ、くだらないこと考えてないで、思いつけ俺。


 よし。これしかない。

「あはは。本職の方には敵いませんよ。マダムが個人的に気に入ってくれているだけですから」

「さようですか。いや、ご謙遜なさらずとも。ぜひ拝聴したいですな。きっと素晴らしい歌に違いないでしょう」

 フン、お前なんぞが大した歌をうたえるもんか。この優男の仮面の下の素顔が一瞬覗いた。


「いやいや。本当にお耳汚しですよ。この歌は異国のもの。古き友と酒を酌み交わし、また再開を祈念して歌う歌です。このすばらしき酒場に集いし皆さまはいわば私の友達のようなもの。お恥ずかしながら、またこのような夜に出会えることを願って歌いましょう」


 こうなりゃ、やけくそだ。さっきディヴィさんに勧められるまま飲んだ酒の酔いも手伝い、席を立ち胸を張る。

「ほたーるのひーかーり、窓のゆーきー。ふーみ読むつーきーひ、重ねつーつ……」

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