先輩の思い出

 俺は下っ端だったので、雑用で別の課に出かけることも多い。近藤先輩は俺が通りがかると、アメだの、キャラメルだのをくれる。他人に関わっている暇がないような殺伐としたオフィスの中で、周りが忙しそうにしていて委縮していた俺も気にかけてくれる人ができたことで、なんとか半人前にはなってきた。


 入社して3カ月後のある日、会議室から近藤さんが大きな声を出しているのが聞こえた。何やら抗議しているようだ。その日の夜、残業していると誰かが後ろからポンと肩を叩いた。

「うわ」


「驚くのは気が緩んでいる証拠よ。そんな状態で仕事してても時間の無駄。気持ちの切り替えに飲みに行くぞ」

 帰り支度をした近藤先輩が立っていた。

「えーと」

「なにをぼやぼやしてんの早くなさい」


 半ば強引に席を立たされて、連行される。普段は俺の存在など眼中にないような周囲の先輩や上司たちもさすがにこちらをチラチラ見ていた。連れていかれたチェーンの居酒屋で近藤先輩は、良く飲み、良く食べた。そして、色んなことを良くしゃべる。俺は完全に聞き役ポジション。


 3時間ほど店にいて、終電近くなってお開きになった。結構な金額の伝票がテーブルに置かれると近藤先輩がさっさと掴んでレジに行き支払いを済ませる。財布を出そうとすると怒られた。

「今日はアタシが誘ったんだからいいの。新人君は余計な気を使わない」


 それからも近藤先輩から何度か誘われて飲みに行くようなった。何度か行くうちに俺も気兼ねしないようになり、

「先輩、俺なんか呼び出すより、彼氏呼んで飲みにいった方がいいんじゃないですか?」

「うちの会社のアホ上司のことを知ってる君の方が愚痴りやすいの」


 そうこうするうちに、近藤先輩にはどうやら彼氏はいないらしいということを知った。そして、若く見えるが今年で30になることも。

「でも、やっぱ、なんで、近藤先輩はいつも俺を誘うんですか?」

「君はね。胸をジロジロ見ないでしょ」


 そう。近藤先輩は胸がでかかった。会社の大抵の男連中はいつも胸を見ている。で、なんで俺は見なかったか? 俺はちっぱい派だったからだ。

「胸なんてねえ、でかくていいことなんてありゃしないわよ。肩凝るし、走ると邪魔だし、そういう目でしか見られないし」

 あるとき酔った近藤先輩がこう吐き捨てたが、俺もその点については同意かつ同情した。


 社内では近藤先輩が俺と付き合っているという話になっていた。なんであんな奴がというヒソヒソ声。実態は単なる愚痴聞き係である。仕事ができるし、時に俺のことを助けてくれる先輩を尊敬していたから、せめてもの恩返しをしていただけだ。先輩が俺みたいなダメな奴にそんな感情を抱いているとか想像もできない。敢えて関係を名付けるとすれば、いわばブラック企業の戦友ってところだ。


 そんな近藤先輩との関係は12月に終わりになる。俺を飲みに連れだした近藤先輩はいつもと雰囲気が違った。この会社ではどんなに頑張っても女性では評価されない。悔しそうにそう言ったあと、

「転職することにしたの。君も来ない?」


 突然のことにとっさに返事もできない。とりあえず質問をしてしのぐ。

「いつやめるんですか?」

「15日付」

「転職先は決まってるんですか?」

「もちろんよ」


 聞いたところ、今いる会社よりは小規模な会社だった。評判は悪くない。ただ、今の会社は知名度も高い上場企業。必死に就職活動をしてなんとか入ったこの会社、中身は昭和を引きずるブラック企業だとしてもそう簡単に踏ん切りがつくものではない。


「気が向いたら連絡して頂戴」

 そう言って別れたが、その後連絡することはなかった。俺はその後、急に忙しくなり、社畜道まっしぐらだったし、先輩は俺の事なんて忘れただろう。あの時、はい、と返事していたらどうなっただろうか……。


「おーい。聞いてるかあ?」

 ふと現実に帰るとあの女神官が体を起こして、まっすぐに俺のことを見つめていた。やっぱり先輩には似ていない。こんなに自堕落な感じじゃなかった。

「ああ。聞いてるさ」


「ふーん。それで、クラウスの神官がこんなところでなにやってんの?」

 意外としっかりした口調で核心を突く質問をしてくる。

「俺が神官だって?」

「とぼけても無駄よ。そんな格好してたらバレバレじゃない」


 しまったあ。着替えるの忘れてた。く、ここで慌てたら向こうのペースだ。落ち着け。小さいは正義、小さいは正義、小さいは正義っ!

「ふっ。べろんべろんに酔ってるかと思ったら意外としっかりしてるじゃないか。だったら話は早い。ここで何をしている?」


 相手の女神官はきょとんとしている。

「食事して、お酒飲んでるだけだけど。他に何しているように見える?」

「そうじゃなくてだな!」

「あなたとお話もしてるわね。お名前は? 私はディヴィ」


 なんかあっちのペースに飲まれてるな。

「俺はシューニャだ。それで何を企んでいる?」

「何も。久しぶりに遠慮なく食事ができるから食べ貯めてるだけ。それ以外に何があるっていうの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る