「平成最後の夏」

砂塔ろうか

夏が終わらない(前)

 僕はいま、非情に困った事態に直面している。


 ピピピ……ピピピ……。

 スマートフォンのアラームに優しく肩をつつかれるようにして、目を覚ます。スマホに表示される時刻は24時間表示で09:00。と、思ったら画面を見ているうちに一分経過した。

 が、まあいいのだ。そんなことはどうでも。

 時間が一分過ぎようが、二分過ぎようが、今の僕には関係ない。なぜなら――。

 僕はスマホに表示された日付を確認し、それからWebブラウザを起動する。

 検索窓に「今日」と打ち込むと、検索をかけるまでもなく、IMEがその結果を僕に告げた。

「…………」

 その結果に、僕は落胆する。

 自分の体温で熱を帯びた布団の中で、がっくりと肩を落とす。

 もういいや。このまま二度寝してやれ。

 一時間と経たないうちに妹に腹を蹴られて起こされると知ってはいたが、僕はそうすることにした。とにかく、起きる気分ではなかったのだ。


 ……結局、今回もまた、妹に腹を蹴られて僕の八月三十一日、平成最後の夏の一日が幕を開けるのであった。


 ○


 テレビから垂れ流される朝のワイドショーは聞き覚えのある声、言葉ばかりでうんざりしてしまう。

 パジャマのまま、母さんの作ったトーストをもそもそと食べつつ、特別、景気が良いわけでもなければ、気分が良くなるわけでもないニュースとそれについて話す不快なコメンテーターの声とをなるべく耳に入れぬよう、僕は努めた。

 すると妹が言う。

「なんでこう、毎日毎日これといって変わりばえのないニュースを流してるんだろうねぇ。テレビ局って暇なのかな」

「言うな言うな。それだけ重大ってことだろ」

 「ふうん」とどうでも良さそうな反応をして、妹は二杯目になる卵かけご飯をスプーンでかっこむ。巷の女子高生の間では糖質制限なる概念が大流行と聞いているが……三食炭水化物を欠かさないこの妹にとっては、どうやらそんな概念は無縁らしい。

 そんな朝食の風景も、これで一体何度目になるのだろうか。


 ○


 10:30になると、妹の友達が遊びに来る。なので僕は朝食を食べ終えると、急いで着替えなくてはならない。そうでなくては妹に恥をかかせた罪として、妹の手による私刑が執行されてしまう。

 シャワーで寝汗を洗い流し、顔を洗い、髪を乾かしてちゃんと無難に服を着る。それだけで僕にはいっぱしの兄貴づらをする権利が与えられる。まったく、何度経験しても不思議なものだ。

 果たして10:30、僕の家に妹の友人が現れた。

 夏らしい半袖のシャツに、白のホットパンツを着た、つやつやの長い黒髪とそれとは対照的に雪のように白い肌を持つ妹の友人、榊さんだ。

 榊さんは妹と同じバイト先で働いている高校二年生で、成績は極めて優秀、全国模試では毎回必ず十位以内に入っているそうだ。一体なぜこんな、全てに於いて優れた雲の上の人間と地を這って生きる我が妹が仲良くなれたのか、榊さんの秘密を知った今もなお、不思議で仕方がない。

 榊さんは家に来ると、「トイレ借りていいですか」と少し恥ずかしそうに言った。

 そして、リビングから出て行く間際、僕の顔をちらと見る。これが僕達の間で密かに交わされ続けてきた合図だ。

 妹には適当な言い訳をして、僕は廊下に出る。そして階段を上って二階へ。

 はたして、榊さんは、僕の部屋の前で待っていた。

 いつになっても、この光景を目の当たりにすると僕の心臓はどくどくと必要以上に働き出して困ってしまう。

 だがしかし、僕のような冴えない男の部屋の前に可憐な高校生が一人、不安そうな目をして立っていれば胸の高鳴りもまたやむかたなしといったところだろう。

 しかも、僕の姿を視界に捉えるやいなや、榊さんは傍目に見ても分かるくらい目を、きらきらと輝かせるのだ。まるで砂漠の砂の中から一粒の宝石を発見したかのように、きらきらと。

 しかし僕は、それで舞い上がってしまうわけにはいかない。

 なぜなら――

「あの、ボク……今日こそ、ちゃんと伝えます」

 ぎゅっと、その華奢な手を握り締め、榊さんは言う。

「――ボクが、男だって」

 ――彼の好意の矛先は僕ではなく、妹の方に向いているのだから。


 ○


 それから、昼になる前に三人で出かけた。行き先は隣街。電車に乗って、揺られること数分。僕達は目的地に着いた。

 適当な店に入り(今回はラーメン屋だった。思いのほか冷やし中華が絶品で、食わず嫌いは良くないなと思った)、適当に店を冷やかして(ここでは毎回、服を見る。果たして店員さんの目に僕達三人の組み合わせはどのように映っているのだろうか。想像するだけで恐ろしい)、そしてゲームセンターで散財する。

 今回も僕は音ゲーをやることにした。始めた当初はフルコンボという概念に縁のなかった僕ではあるが、繰り返すうちに最高難度の曲でさえもフルコンボをきめられるようになってしまった。そしてそれをSNSにアップして反応を貰って夜、ネットニュースサイトに自分の撮った写真を無断転載されているのを確認するのが、今では密かな楽しみとなりつつある。我ながらなんと趣味の悪い。


 そして、そんな僕のプレイを見て無邪気にはしゃぐ榊さんの顔を見ると、そんな自分が少しだけ、恥ずかしくなるのだった。


 ○


 そうこうしているうちに夕方になった。榊さんは肩を落としながら、僕達二人と分かれる。

 そして、僕は妹と一緒に家に帰る。あとはおんなじ。昨日とおんなじ。夕食のカレーを食べて、完食して、妹の三杯目おかわりにどん引きして、風呂に入って、歯を磨いて、自室にこもって無断転載の確認を行って、そして。


「11:58か……」


 日付が変わるのを、僕は待つ。

 一人こっそり、布団の中で。

 しかし、それは叶わない。

 唐突な睡魔。それが、僕を阻む。

 この強烈な睡魔に僕はどんなに努力しようと、太刀打ちすることはできなかった。

 全裸で自室の窓から跳び降りようと、風呂場で冷水に浸かっていようと、包丁で切り傷を身体中につけようと、苦手な梅干しを口いっぱいに頬張ろうと。

 僕は眠る。眠ってしまう。

 平成最後の夏が終わる瞬間を見届けることが叶わないまま、眠りに落ちる。

 ――さようなら、八月三十一日。


 ピピピ……ピピピ……。

 そしてまた、八月三十一日の幕が開く。

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「平成最後の夏」 砂塔ろうか @musmusbi

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