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 紫苑がスピーカー化してから約一年後。あたしは高校二年生になり、桐谷先輩は三年生になった。

 紫苑がスピーカー化した事件をきっかけに、桐谷先輩が水面下に結成していたスピーカー処理委員会は学校と教育委員会から存在を公式に認められ、そのメンバー探しに繰り出していた先輩に最初に捕まったのがあたしだったというわけだ。スピーカー人間を処理するには、しっかりと方法を学んで、簡単な免許を取らなければならない。あたしは先輩に勧誘された一ヶ月後、スピーカー人間処理免許を取るために勉強を始め、学校の勉強のかたわら、免許を取得して委員会に入った。スピーカー処理委員会。名前が気に入らなかったが、日本で初のスピーカー化を目撃した証人として、自分が行動を起こさなければならない義務感があったのかもしれない。いいや、それよりも、一番そばにいたはずなのに、親友のスピーカー化を許してしまった罪悪感、紫苑への罪滅ぼしの気持ちが何よりもあったのだろう。あたしはイケメンの先輩に笑顔で迎えられ、スピーカー処理委員会の中の、実際にスピーカー人間の動きを封じ、ゴムバンドで縛ったり、声を封じたりする実戦系の班である『制圧班』に入った。

「諸君も知っているとおり、最近、『スピーカー化抑制ピル』が開発された。」

 桐谷先輩が、口を開いた。司令官である先輩を囲み、委員が整列している。今日は会議だ。自ら志願して入ってきた一年生の委員は、緊張を顔にはりつかせている。

「スピーカー化しそうだと思った人がピルを飲むと、一時的にスピーカー化するのを遅らせることができる便利な代物だが、一方で『潜在スピーカー人間』を増やしてしまうという非常に危険な副作用がある。諸君らもそのことを肝に命じ、周りにピルを飲んだという人がいたら細心の注意を払うように!」

「はい!」委員が一斉に返事をした。委員会と言うより、まるで部活だ。

「今日の会議はこれで……」言いかけた先輩の声を遮り、校内回線の電話が鳴った。

 我先にと受話器を取りに動きかけた一年生の少女を片手でさえぎり、先輩は受話器を取る。

「もしもし……ああ……うん……なに!…………ああ……ああ……すぐ行く!……場所は……わかった、職員室だな、周りの人を避難させておいてくれ!俺たちもすぐ向かう!」叩き付けるように受話器を置いて、先輩はぐりんとあたし達の方を振り返り、叫んだ。

「任務だ!」

 あたしも含め、委員達の表情が一気に引き締まる。

「木村先生がスピーカー化した!場所は職員室。周りに十人ほどの人がいる模様。『包囲班』はまず、一般人を避難させろ!『制圧班』は茉莉について動くように!一年生の諸君はしっかり茉莉に張り付いて、くれぐれもけがは避けろよ!」

「はい」名指しされたあたしは、先輩の目を見てうなずいた。これはなかなか、責任重大だ。

「『援護班』は『制圧班』を守りつつ、スピーカー人間に近づく活路を開け!分かったか!」

「はい!」全員が声をそろえる。

「よし。じゃあ出動!」先輩のかけ声で、あたしたちは一気に散っていった。


 殺風景な学校の廊下を駆けながら、背後の後輩達の心情に思いを馳せた。

 あたしは何度目かの出動だが、高校生になったばかりのこの子達にとってはこれが初陣だ。あたしも、初めての出動のときは、口から心臓が飛び出るほど緊張したものだ。こんどはあたしが、しっかり教えてやらないと。スピーカー処理委員会は、そんなところも部活みたいだとしみじみ思う。ぐるぐると意味のないことを考えながら走っていると、職員室が見えてきた。背中で後輩が息を飲む音が聞こえる。

 職員室前は、大混乱だった。パニックにおちいった生徒を、これまた冷静とは言いがたい教師が避難させている。大声で友達の名前を呼ぶ声や、誘導する声、スマホのフラッシュ音などが混ざり合う中、鼓膜が破れそうな大音量で叫び続けているのは、かつて木村先生だったスピーカー人間だ。もともと背が低いひとだったのだが、スピーカー化して身長が伸びたのだろうか、人の群れのなかで青白い異様な姿がにょっきりと生えている。

「こりゃあ、やっかいだぞ」

 呟く声で横を向くと、桐谷先輩が眉をひそめて立っていた。

「そうですね」あたしは再び前を向いて答えた。

 先輩の言うとおり、これはとてもやっかいな状況だ。スピーカー人間を捕らえるには、周りに野次馬がいてはいけない。あたしたちは桐谷先輩の指示のもと、『制圧班』『援護班』『包囲班』に分かれて、絶妙なチームワークのもとに動くのだ。こんなに音で満ちていると、先輩の指示も通らない。そうなるとあたしたちはまず、野次馬の整理から始めなければならなくなる。そしてもたもたしているうちに、スピーカー人間がレベル5まで到達してしまうと、民間のあたしたちみたいな組織じゃ手に負えないほど危険な状況になってしまうのだ。それだけはなんとしてでも避けなければならない。

「『包囲班』!スピーカー人間を包囲する準備をしろ!」

 桐谷先輩が叫んだ。その声で動き出した仲間を尻目に、『制圧班』のあたしも野次馬の整理にかかる。自由にふらつく人の群れは、大きなうねりになってあたしたちを圧倒した。

 先生の助けもかりて、ようやく人払いに成功した委員たちは、もうへとへとだった。げっそりした顔の後輩に微笑みかけ、はげます。あたしもかなり疲れていたが、これからもっとも重要な作業がはじまるのだ。

「包囲」

 桐谷先輩の指示で『包囲班』が動き出した。スピーカー人間の周りを囲むように陣取り、まるで機動隊のように盾を構えてしゃがみこむ。

「シールド展開!」『包囲班』の班長の声で、蛍光イエローの薄い膜がスピーカー人間を包み込んだ。シールドを生で目にした野次馬たちのなかから低い歓声がもれる。

「茉莉」先輩がひとこと。

 あたしの出番だ。

「『制圧班』、『援護班』はあたしに続いて!」叫んで駆け出す。『制圧班』と『援護班』は二人一組になってシールドの外側に立った。これがスピーカー人間を捕獲するための最もメジャーなフォーメーションだ。

「制圧」桐谷先輩の指示で、『制圧班』と『援護班』のあたしたちは一斉にスマホを取り出した。

 そう。スピーカー人間の捕獲は、一風変わった方法を取られる。彼または彼女のスピーカー化した原因はインターネット上のいじめによるトラウマだ。力ずくで捕らえるのも、リスクが高い。だから、スピーカー人間の動きを止めるのにスマホを使い、SNSで優しい言葉をかけまくって、暴言ではなくそれを叫ばせるのだ。スピーカー人間はなぜか、スマホで言われたことを全てしゃべるから。かける言葉が真っ赤な嘘だとしても、あたしたちは機械的に美しい言葉を、手元の小さな武器に打ち込み続ける。

 だんだんと、スピーカーの爆音が小さくなってきたのを感じた。これは何度見ても慣れることはない。あたしは目を上げて、シールドごしに木村先生を見た。白くぼこぼこに変形したその人の顔は、テカテカとぬれている。泣きながら鳴いているその姿の、なんと哀れなことか。そういえば紫苑も、スピーカー化する直前に涙を流していたっけ。

「捕獲」かすれた声で、あたしは呟いた。その声を敏感に聞き取った委員がシールドを抜け、ゴムを投げる。黒光りする拘束具は、化け物に巻き付いて、なり続けるスピーカーには栓がつめられた。免許をもっているとはいえ、素人の組織にしては素早い、見事な動きだった。

 あたしは、気が遠くなりそうな気持ちで、それをぼんやり見ていた。音がどこか遠くに聞こえて、もがく木村先生に、あの日の紫苑が重なった。うごめく白いものは、紫苑の身体だ。あたしは今、紫苑を捕まえようとしている。

 ……なんてことだ。あたしは、彼女を助けたかったんじゃないのか。なんで紫苑を、捕らえているんだ。唇をふるわせて、じっと捕獲をみつめるあたしを見下ろし、桐生先輩が言った。

「紫苑じゃない。」

「紫苑じゃないんだ」そんな声は、皮肉なほど同情的で。

「はい」あたしののどは、キュウと鳴いて答えた。

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