第67話 再面談

 白い空間に、ぽつんと一人。

 ここは神と初めて会った場所だ。


「来たか」


 またあの時と同じように、後ろから声がした。

 この声は、最初に聞いたときの神の声。地上に降りてきたときの声とは違う。


 振り返ると神がいた。もちろん最初にここで会ったときの顔だ。

 恰好もあのときと同じだった。浄衣のような純白の服。そして後方に流されている長い髪。


 とりあえず俺は「遅くなってすみません」と一言謝罪したが、待たされたことについては特に気にしていない様子だ。


「俺、これから、帰ることになるんですね」


 神はすぐ返事をしなかった。


「……?」


 そして返ってきた答えは、夢にも思っていなかったことだった。


「残念だが、お前は元にいた時代には帰れない」


 何を言われているのか、わからなかった。


「どういう意味ですか?」

「そのとおりの意味だ。元の時代に帰ることはできない」

「え。なぜ……ですか」


「お前はすでに死んでいるからだ。よって、元の時代に帰るということは不可能だ」


 やはり何を言われているのか、わからない。

 俺、今ここにいるではないか。

 死んでいる? どういうことだろう。


「死んでいるって、どういうことです。冗談ですか」

「冗談ではない。思い出してみるとよい。お前が落ちた崖は、助かるような高さだったのか?」

「……。それは、そうではなかったと思いますが……」

「わたしは、死んだ人間のみ、召喚して使うことができる。そしてこの空間も、人間は死者でなければ入ることができない。つまり、お前は紛れもなく死んでいるということだ」


 そこまで言われて、やっと意味が分かってきた。

 俺は死んで。死んだけど、魂? 精神? そういった類の存在が一時的に残されていて、それが今の自分なのだろうと。


 ……。

 死んだ。

 そうか。そうだったのか。


 それで今度こそ、終わるということなのか。

 今あるこの意識も、終わる、と。


「俺を……騙していたんですか?」

「すまない。嘘をついたつもりはなかったのだが」

「でもあなたは、俺が約束を守れば……あ」


 ――そうか。確かに嘘は言っていない。


「なるほど。あなたと約束したときの会話を思い出しましたが、約束したのは『この時代からの脱出を取り計らうこと』でしたね。元の時代に返すとか、生き返らせるとは、一言も言ってない」

「そのとおりだ。わたしもお前に悪いことをしたとは思っている。

 お前が『自身を死んだと認識していない』こと、そして『あの時代から脱出するということを、生き返ることだと勘違いしていた』こと。どちらもわたしは気づいていたが、お前には黙っていた」


「なんで、言ってくれなかったんですか?」

「言ったら気力をなくしてしまうだろうと判断していた」

「それは、確実にそうだったでしょうが……」

「……」


「じゃあ、俺はこのあと、どうなるんですか」

「普通の死人に準じた処理がなされることになる」

「どこに行くことになるんですか」

「それは規程により今ここで言うことはできない」


「さっきまでいた時代に戻って、そこで一生を過ごすことは?」

「それもできない。基本的に神の特命がなければ、異なる時代に行かせることはない。挨拶まわりの時間程度なら与えられたが、もうこれ以上は不可能だ」

「……そうですか。わかりました」


「意外だな」

「え?」

「もっと暴れるだろうと思っていた。意外に落ち着いているように見える」

「……そう言われれば、そうですね。

 俺、今ここにいるので、死んでいるというのがピンと来ていないというのがあるかもしれませんし。うーん。でもきっとそれだけではないですね。よくわかりません」


 ――なんだろう。

 なんというか、この空間に来る前から「終わった」という感じがあった気がする。


 元の時代では、何かを本当に一生懸命に考えたり、本当に一生懸命にやったりということが、一度もなかった。

 そのせいだろうか?

 地下都市の件が片付いてから、変に満たされているような感じがある。

 だから、命が「終わった」と言われても、さほど動揺しないということなのだろうか。


 神は俺の様子を見て、「それくらい冷静なら大丈夫そうだな」と言い、続けた。


「お前は結果を出した。しかも最高の結果だ。今まで召喚した人間で、お前ほど結果を出せた者はいない。そのお前にまったく対価がないというのは、気の毒だとは思っている。

 さきほどこちらで確認したが、神の都合で使われた人間が成果を挙げた場合、特別に褒美を与えることについては問題ないということになっている。よって、何かお前に願いがあれば聞かぬこともない」


「それって、俺が生き返るとか、そういうレベルの願いはダメなわけですよね?」

「そうだな。残念だが本人を生き返らせるということは禁止だ。他にも世界のバランスが崩壊するような願いは不可だ。それら以外で、となる」


「そうなると、これは褒美を与えるというよりも、遺言があれば聞くよとか、そんな感じですかね」

「まあ、そうかもしれぬな……。どうする? 何か希望があれば聞くが。何もなければそれでもよい」

「うーん。すみません、いきなりなのでちょっと」


 蘇りがダメと言われると、途端に難しくなる。

 答えに窮してしまった俺に対し、神が提案をしてきた。


「少し考える時間が必要か? ではお前に会いたいという神が待っているので、先に会うがよい。返事はその後でもらおう」

「へ? 誰ですか」

「会えばわかると思う」


 神はそう言うと、姿をフェードアウトさせた。


「わっ! ……あれ?」


 代わりにフェードインしてきたのは、白い犬だった。

 一瞬、クロかと思った。だが、クロよりも三回りくらいは大きい。


「へえ、近くで見ると別に普通だな、お前」

「あなたは?」

「おれは犬の神とでも名乗っておこうか。あいつ――クロを召喚した者だ」

「へえ、あなたがクロを」

「そうだ。一度は飼い主を直接見ておこうかと思ってな」

「はあ。そうですか」


 犬の姿の神の目には、いかにも品定めするような、好奇の色があった。

 突然の登場に驚いたが、いつだったか、神は一人ではなく、たくさんいるんだよというようなことを聞いた気がする。

 人の姿をした神がいるのであれば、犬の姿をした神がいてもいいのかもしれない。


 俺は、少し気になっていたことをぶつけた。


「あの。せっかくお会いしたので、一つ質問を」

「なんだ?」

「人の神は、元々俺を呼び出す意思があったわけじゃないと言っていました。呼び出す作業を担当しただけで、その意思を持っていたのは他にいるんだ、って。

 もしかして、あなたが俺を召喚しようとしたんですか?」


「それは正解のようで正解じゃねえよ。おれが人の神にお前を召喚するよう頼んだのは確かだけどな。おれの意思というのは少し違う」

「じゃあ誰が」

「……お前は本当にあいつの飼い主か? 全然わかってねえんだな」

「その言い方は、もしかして……クロが俺を?」


 この神は、割と表情がわかりやすかった。

 やっと理解したか、というような呆れた顔をして、俺の疑問に答えた。


「そうだよ。それしかないだろ? おれは死んだ犬に対して、死後の処理がおこなわれる前に、一時的に他の時代に召喚することができる。今回、能力が高くて、おれが望む仕事をやってもらえそうな犬が事故で死んだ。それで――」

「ちょっと待ってください。クロも俺と同じく、死んでたんですか?」

「あ? そりゃ普通に考えればそうだろ。人間が即死するようなところから落ちて無事なわけねえだろが」

「……」


 クロも、死んでいた。


 そうであれば、俺のせいだ。

 俺がリードを手に巻いていたせいで、崖崩れから逃げられなかったからだ。

 俺は、なんてことを――。


 これまでの安い達成感が消え去っていく中、犬の姿をした神は話を続けてきた。


「まあそういうことで、おれはあいつを召喚しようとして、問題がないかどうかの検査をしたんだよ。

 そのときに意識も検査するんだが、頭の中にあったのはお前のことばっかりなわけだ。これじゃ単体での召喚は耐えられないと判断して、仕方なくお前も呼び出すということになったわけ。言葉が通じる相手だって、本当はお前じゃない予定だったんだよ」


 崩落しつつある俺の頭でも、事情は理解できた。

 俺があの時代に呼ばれたのは、クロの意志。なんの能力も持たない俺が召喚されたのは、そういう理由によるものだったのだ。

 だが――。


「俺、クロとは召喚後に仲良くなりましたが、それまでは関係もほとんどなくて、あまり……好かれてないんじゃないかと思ってました」


 もともと捨て犬だった仔犬のクロを拾ったのは、いちおう俺だ。

 犬がどれだけ昔のことを覚えているのかは知らないが、もしかしたら、まだそのときのことを覚えていたりしたのだろうか。

 そう思いながら目の前の神の顔を見ていたが、その呆れ顔がさらに強まってきている気がした。


「あいつかわいそうだな。一方通行だったわけだ」

「……?」

「お前さ。崖から落ちる前、あいつと初めて散歩したんだろ?」

「はい、そうですね」

「あいつがそれをどんなに嬉しく思っていたのかはわかってたのか?」

「……いえ」

「あーあ、本当に気の毒だな。こんな飼い主にあたっちまうとはな」


「あんな適当な散歩でも、嬉しかったんですか」

「そうだよ。検査したときのあいつの意識はこうだ。『まだ散歩が途中だった。初めて機会をもらえたので、もっと続けたかった。こんな形で終わるのは心残りだ。もう少し一緒にいたかった』――そんな感じだったかな」


 ……。


 クロがそんな仕草を一度でも見せていただろうか。

 もう遠くなっているあのときの記憶を、再生する。


 ……。

 あ。


 確か、二回。吠えられてリードを引っ張られた気はする。

 一回目は、崖崩れの少し前。散歩を早く切り上げることを決めたとき。

 二回目は、崖崩れの本当に直前。


 俺はどちらも、崖の崩壊の予兆に気づいたクロのサインかと思っていた。

 だが、今思うと一回目のほうはタイミングが早すぎる。

 最初の吠えは、もう少し散歩をしたいというメッセージだったのだろうか?


 もしそうだとしたら……。

 全然、気づいていなかった。


「俺。あの散歩、予定より早めに切り上げようとしていました」

「で、吠えられたんじゃねえの?」

「そうですね……」


 クロはあまり自分から何かを要求するということがない。

 そういう性格だ。

 そんなクロがアピールしてくるということは、クロなりに初散歩に舞い上がっていたのだ。


 ああ……。


 俺は、なんで。

 なんで、こんなにバカなんだろう。


 あそこで気づいていれば。

 あそこで選択を誤らなければ。

 クロがすべてを失うこともなかったのに――。


「おれとしてはがっかりだな。まあでも、人間はこんなもんか。ちょっとくらいは労ってやろうと思っていたんだが、なんかその気も失せたな」


 犬の姿をした神は、突き放すようにそう言った。


 感謝。

 その感情が一番近いだろうか。


 今聞いたことを知らないまますべての終わりを迎えていたら――。

 そう考えると、背筋が寒くなる。

 自分には達成感に浸ってこの世を去る資格などなかった。

 それを教えてくれたことが、ありがたい。

 そう思った。


 そしてこの神にはもう一つ、聞かなければならないことがある、とも。


「おれはもう帰るわ。じゃあな。このまま手続きどおり死ね」

「あの、ちょっと待ってください」

「ん?」

「クロは……クロ自身が死んだという事実に気づいてたんでしょうか」

「気づいてはねえだろうな。おれもあえて教えてない。生きていると思わないと何やるにも無理だろ。それに、お前も死んでいるということを察知されるかもしれないしな。そうしたらたぶんあいつ発狂してたぜ」


「……。わかりました。ありがとうございます」

「はいはい。じゃあな」


 犬の姿をした神がフェードアウトする。




 ……。


 ふたたび目の前に人の神が現れるまで、少し時間がかかった。


「大丈夫だったか? 彼は口が悪いので、会わせるのが少し心配ではあったが」

「大丈夫です。確かに口だけは悪かったですけど……」

「……?」

「俺が大バカだったということを、丁寧に教えてくれました。最後の最後で知ることができてよかったです。感謝してます。会わせてくれてありがとうございました」


 神がその内容について聞いてくることはなかった。

 ただ、少しだけ目を細めたように見えた。


「あの。お願い、決まりましたので」

「そうか。では聞こうか」


「クロを生き返らせてください」

「……!」


 神の表情が一変した。

 もちろん人間に比べれば、ずっと無表情ではあるのだろう。

 だが、この神がここまで驚いた顔を見せたことは、今までなかったように思った。


「なんと……」

「それなら、俺本人が生き返るわけでも、世界のバランスが崩れるわけでもないですよね。お願いします」

「そういうことか。屁理屈な気がしないでもないが」

「俺は真剣です。お願いします。このとおりです」


 膝と頭は、自然に落ちていた。

 土下座して、懇願した。


「ふむ。即答できないので確認してくるが。もしできないということになったら?」

「いえ、絶対にお願いします」

「……わかった。少し待っているがよい」


 待っている時間は、おそらくさほど長い時間ではなかったに違いない。

 だが、祈っていると時間の進みは遅くなるのだろうか。

 いつまでも、時が経たないような気さえした。


 ……斜め上方向からの声で、神が戻ってきたことを知るまでは。


「頭を下げたままで待っていたのか。上げよ」

「どうでしたか。大丈夫でしたか」


 頭を上げる前に、そう聞いた。


「ああ。喜ぶがよい。お前の屁理屈が通った。その願いをかなえよう」


 しばらく、頭は上げられなかった。

 ありがとうございます――そう絞り出すだけで、精一杯だった。




 ***




 俺は、この後の流れを聞いた。

 この空間が解けたあとは、別の場所に移動されるらしい。

 そして、そこにある橋を渡るように言われた。


「では、お前ともここでお別れだな」

「お世話になりました」

「わたしのほうこそ感謝する。お前はなかなか面白かった」


 神のほうから、微笑とともに手が差し出された。

 驚いたが、俺もその手を握り返した。


 白い空間が、ゆっくりと解けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る