第56話 再確認

 正直なところ、存在そのものを忘れていた。

 これからのことを考えていたから。

 それに比べれば、あまりに小さなことだったから。


 あ、そう言えば。


 そんな感じだった。




 元領主、オドネル。

 今さっき、肩書きに「元」が付けられた。


 彼が拘束されている部屋には、国王のほか、ヤマモト、女将軍、ランバート、俺、クロ、神、そして警備の兵士たちがいる。

 神を除く全員が、厳しい表情で元領主を眺めていた。


「へ、へ、陛下! し、死刑だけは……」

「……」


 国王が剣を抜く。かなり重い剣だと思うが、剣先はまったくぶれる気配がない。

 拘束されている小太りの男の、「ヒェェェ」という情けない声が、部屋に響く。


「やはりお前だったのか……リクを殺そうと兵舎に隔離して火をつけたのは。許さん」

「ヒェェェ」

「あっ。ちょ、ちょっと待った! 追及するのはそこじゃないでしょ。落ち着いてください」


 俺は慌てて国王の前に入り、胸を押さえて止めた。

 まず、地下都市とのつながりを追及するのが先だ。それを聞かないと、真相が明らかにならない。

 俺はこのとおり五体満足で生きているので、それは別にどうでもいい。


「いいや、そこだ。許さん。斬る」

「ヒェェェ!」

「わー! だから落ち着いて!」


 本当に殺しそうな勢いだったので、今度は強く抱くような格好で止めにかかる。

 俺のことで怒ってくれるのは嬉しいのだが、なぜ肝心なことを聞く前に殺そうとするのか。平和主義ではなかったのか。


 俺も「この人はダメだ」とは思う。

 タケルやヤハラが俺を殺そうとしていたのは、敵対勢力の人間が仕事としてやっていたことだ。特に腹は立たなかった。

 ところがこの領主は、この国の責任ある立場の人間。まったく事情が異なる。そんな人に殺されかけたわけで、怒りがまったくないわけではない。


 しかしながら。まずは細かい事情聴取を、だ。斬ってしまっては解決にならない。


「へ、陛下。ま、待ってください。わ、私が火事で殺そうとしたのは、オオモリ・リク殿ではなく……そちらの……」


 オドネルの視線の先は、俺の足元の少し後ろ側。

 ……え? クロ!?


「あなた、俺じゃなくて……クロを……焼き殺そうと?」

「そ、そうです。事故に見せかけて殺そうと……」


 ……。


 こいつ……。


 血が逆流するというのはこういうことなのか――そう思った。

 国王ではないが、手を出したくなる衝動に駆られた。


 その衝動を抑えるのが、大変だった。

 さっきの国王とのやりとりがなかったら。一対一だったならば。

 本当に殴っていたかもしれない。


「いったい何があったのか、説明してもらいましょうか」




 ***




 取り調べの結果――。


 やはり、オドネルは地下都市に通じていたことがわかった。

 いや。正確には、意識しないうちに地下都市と関係を持っていた。


 この国の領主は、基本的に世襲である。

 本人の供述や押収した資料を確認した限りでは、当代よりもずっと前から、本拠地不明の怪しげな行商人と密な関係にあったようだ。行商人らから領主に、あれやこれやと定期的に賄賂が送られていたらしい。

 そしてどうもその行商人というのが、地下都市の関係者だったようなのである。


 地下都市側としては、このミクトラン城を毎回コソコソと通過するよりも、行商人として領主とつながりを作っておいたほうが便利だと判断したのだろう。

 地下都市の監視拠点があった首都から、地下都市までの距離は非常に遠い。連絡係はいくつもの地上の町を通り過ぎることになるが、このミクトラン城よりも地下都市側には、地上に町が存在しない。

 ここは、『高速道路に入る前の最後のコンビニ』のような重要なポイントなのだ。


 そしてさらに。

 地下都市が国王爆殺の前準備としてオドネルを脅迫し、クロを謀殺するよう要求していた証拠もあった。地下都市側がご丁寧に作成した、「事故死に見せかけて殺すための手順書」なる資料が出てきたのである。


 どうやらヤハラの調査報告から、『クロは要注意』ということが地下都市上層部に伝わっていたためらしい。暗殺の成功率を少しでも上げるため、会談の前日までにクロを事故死させておく方針だったそうだ。


 まだ少しだけ記憶に残っているが、地下都市からの使節団のリーダーは、クロを見たときにかなり厳しい表情をしていたように思う。

 きっと、「領主め……この犬を殺すのに失敗したな?」ということだったのだろう。




 話は一通り聞いた。

 さて、この男の処遇だ。


「な、なんとか命だけは……。お、脅されていたのは本当なんです!」


 まだ小太りの体を震わせ、命乞いをしている。


「お前、よくそんなことが言えるな……。自分のしたことがわかっているのか」


 あまりの見苦しさに、もはや国王は怒りを通り越したのか、呆れているようだ。

 と、そこで、俺はコツンと足に衝撃を感じた。

 ――クロか。どうした?

 目でそう答える。


「話は終わったのか?」

「ああ、だいたい」

「この人間は罰を受けるのか」

「たぶんな」

「お前を侮辱したから、ということでいいのか」


 一瞬何を言われているかわからなかったので、頭の中の引き出しを漁って思い出す。


 ――ああ、あれか。


 俺がこの城に来たとき。この領主が、俺は奸臣だとか、俺に振り回されて国王が気の毒だとか、クロは俺みたいなくだらん人間に世話をされてかわいそうだとか、ボロクソに言っていたような気がする。


「いや、それはちょっと違うけど」

「なぜ違うのだ」

「あれは台本だったんだよ。ああ、台本と言ってもわからないか。あれは言わされてたんだ。事実じゃないし、多分この人の本心というわけでもない。そもそも、この人とはそれまで関わりもなかったからな」

「そうか。わかった」


 クロは安心したように答えた。

 ――こいつにはそこが重要だったのか。

 なんというか、国王と一緒で、ちょっとズレているというか。

 まあでも、嬉しいよ。


 室内には、なんとも言えない白けた空気が充満していた。

 この領主があまりにみっともないためだろう。

 兵士たちすらも、呆れたような目で見ていた。


「リクからは何かあるか?」


 国王から話を振られた。


「んーと。そうですね。ちょっとこんなときに、おかしなことを言うかもしれませんが――」

「……?」

「元の時代にいた頃は、俺、クロとあまり絡みがなかったんです。ま、俺が悪いんですけど。ほとんど世話もしたことがなくて。

 だから、あの頃は一緒には住んでいたんですけど、仲間という感じはあまりなかったんですよね」


 下を見ると、クロが少し遠い目をしている。

 元の時代のことを思い出しているのかもしれない。


「でもこっちに来てからは、いつも一緒にいましたし、何度も助けられたりもして、だんだん本当の仲間になってきていたというか。

 まあ、俺が思っているだけで、クロもそう思っているのかはちゃんと聞いてはいませんけど」

「……」


 クロが、俺の足に少しだけ寄りかかってくる。

 そして「リク――」と小さく呟いてきたので、わかっているからと手で制する。


「そういうことなので、仲間が暗殺の対象になって、そして犯人はこの人というわけです。今ここで、自分の手でこの人をぶん殴りたいと思ってしまいました」


 また「ヒェェェ」という情けない声がする。

 クロが「リク、その気持ちだけで私は――」と小さく囁いてきたが、それもまた手で制した。


「まあでも。そのクロが、俺がそこまですることを望んでいないようです。俺自身も、クロとの関係を再確認できたいい機会だったと思うことにしますよ。処分はお任せします。俺は見届けません」


 正直、さっき血が逆流するまでの怒りを感じた自分に、少し驚いたというところもあった。

 すっかり、自分の中でクロとの関係は強固なものになっているようだ。

 そしてそれが、嬉しくもあった。


 国王は俺の言葉を聞くと、「わかった」と言ってうなずいた。

 そして、少し笑った。


「リク……。ということは、だ。余がこいつを殺したいという気持ちを持ったことも、わかってくれたと思っていいのか?」


 ――ああ。なるほど。


「そうですね。よくわかりましたよ。ちょっと恥ずかしいですけど、嬉しいです。陛下」

「そうか!」


 国王が剣をしまった。

 そして抱き付いてきた。

 しばらくそのまま、時間が流れた。


「あの、陛下」

「ん。なんだヤマモト」

「今はなんの時間なのでしょうか?」


 あ。




 ***




 結局、オドネルは首都に送られ、所定の手続きを経て裁かれることになった。


 神から国王にアドバイスがあり、今後、重要拠点の領主については、一定期間を経たら配置換えをさせる方針にするようだ。

 同じ人物がずっと同じところで同じ仕事をしていると、だんだん慣れてきてしまい、癒着や不正が発生する原因になるとのことらしい。

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