第55話 勇気

 エイミーとその師匠は、治療が終わると別の医務室に向かった。

 見舞い目的で来てくれていたカナも、師匠のところに帰っていった。


 仮設医務室は、急に静寂に包まれる。


 仰向けに寝たまま、何となく天井を見る。

 今さっき、少しだけ窓を開けたせいか、乾いた風が顔を撫でていく。


「少しは元気出た?」


 カイルの声。

 彼は、ベッドの横に置いてある椅子に座っている。

 俺は体を横向きにして、そちらを見た。


「なんで?」

「なんか酷い顔してたからさ」

「酷い顔?」

「うん。この部屋に来たとき、凄く暗ーい顔してたよ。ゾンビみたいな」

「実はゾンビなんだ。ごめんな」

「……」


 笑ってはくれない。


「冗談だよ。でもそんな暗い顔してたかな」

「うん。いつもと違うとすぐわかるよ。付き合い長いんだし」

「まだ九か月だけどな。初めて会ってから」

「大事なのは長さじゃないでしょ」

「ほんの数秒で矛盾できるお前の頭の中はどうなってるんだよ……あ、イテっ」


 後ろから頭を叩かれた。

 国王だ。いつのまにベッドから出てきたのか知らないが、カイルとは反対側に立っていた。


「カイルは心配してくれているのだ。ありがたく気持ちを受け取っておけ」


 俺は、二人のどちらも見えるように仰向けに戻った。

 国王が椅子を引っ張ってきて腰掛ける。俺のベッドはカイルと国王に挟まれた格好だ。


「余も心配はしている」

「俺は元気ですよ」

「嘘をつくな」


 今度は、おでこのあたりを手のひらで叩かれた。

 二人の鋭さを前に抵抗を諦めると、自然と「ふぅ」というため息が出てしまった。


「お察しのとおり、残念だとは思ってますよ。全部台無しになってしまいましたから」

「……」

「あれやこれやと一生懸命考えていたのは、いったいなんだったのかなって。今回の話し合いは、相手の……地下都市の人たちのためでもあると思ってましたから」


 もう力攻めは決まりだ。

 今回の事件の後始末が済み次第、軍は首都に戻るのではなく、地下都市に向けて動くことになるだろう。

 どうしても脱力感がある。


「まあ、まったく落ち込むな、とは言わないがな……」

「……」


 なんとなく窓際のクロを見たら、視線が入口のほうに行っている。

 誰か来たのだ。


 ……神だった。


「ずいぶん冴えない顔だな。大丈夫なのか」


 神もそんなことを言ってきて、ベッドのところに来た。

 椅子に座るわけでもないので、寝ている俺からは天井から見下ろされているように感じる。

 ほぼ全身が見えるが、神の服には汚れもなければ、みっともないシワもない。

 爆発に巻き込まれたメンバーの一人だったはずなのに。


「いちおう大丈夫ですが……。でもまさか自爆されるとは思いませんでした。しかも上層部の一人が、ですよ。その勇気は凄いですが……参っちゃいましたね」

「勇気がないからあのようなことをしたのだろう」

「え?」


「……降伏する勇気、滅ぶ勇気。それが上層部にはなかったということだろう。だから意味のない中途半端な延命策に逃げた。現時点ではそのように評価することが自然だ」

「……」

「少し休憩して心を休めるといい」


 心を、か。

 神にしては珍しく優しい言葉を放ってくれたわけだが、まるで体にかけていた毛布を剥ぎ取られるような感覚がして、それはそれで結構きつかった。


「無理だったんでしょうかね」

「何がだ?」

「最初から無理だったということでしょうか……やっぱり。話し合いでなんとかしようというのは」


 なぜかわからないが、神に愚痴のようなことを言ってしまった。

 無慈悲な回答が来るとわかっているのに。


「わたしの考えは以前に話した通りだ。文明レベルの関係で、この時代では紛争を平和的に解決することは難しい」

「確かに前に言ってましたね、それ……。でも地下都市って、崩壊前の文明を保存したまま、ということだったので。この時代のスタンダードとはまた違うんじゃないかなって、少し期待してしまっていました」


 我ながら、未練がましい理屈だとは思う。

 どうせまた、一言でバッサリ斬られるのかなと思った。


 だが神はその双眸を一瞬光らせると、斜め後ろ下方向を向き、右手をポンと、黒くて丸いものの上に置いた。

 そこで初めて気づいた。神のすぐ後ろに、今回の行軍で付き人になっていた、丸顔坊主の昭和男子ジメイがいたのである。身長差がありすぎて完全に隠れていた。


 無言のサインを受けたジメイは、椅子を持ってきた。

 神はそれに座って、話を始めた。


「地下都市は確かに、お前の時代の文明の延長線上にあるのかもしれない。だが、彼らは新しいものを創り出してきたわけではないのだろう? ただ単に過去の遺産を使い、それを守ろうとしてきただけだ。

 彼らが気づいているかどうかは不明だが、前進する意思もなく、ただ維持しようというだけでは、その維持すらもやがて不可能となっていく」


「そういうもんなんですかね」


「そういうものだ。そして下がった分を外から取り入れられればよいのだが、そんな材料はこの時代のどこにも存在しない。地上は一度崩壊して低い状態になっているからだ。

 よって、地下都市においては、ひとたび下がったものはそのままとなる。そうなると物質的にはもちろん、精神的にも徐々に水準が切り下がっていくことになる。それが千年以上も続いたらどうなるのだろうな」


「……」


 千年のモグラ生活を続けるうちに、物質的だけでなく、精神的にも水準が下がってしまっているのではないか――神はその可能性を指摘しているのだ。

 もしそうなのであれば、残念ながら、彼ら自身はそのような罠に陥っていることに気づいていないのだろうと思う。

 だからこそ、地上の人間を見下すような、おかしな方向に行ってしまったのではないか。


「結局、地上の文明から切り離された地下都市といえども、時代の縛りから完全に逃れることはできないということだ。時代の重石というのはお前が思っている以上に重い」

「……」


「神よ」


 俺が黙ってしまうと、国王が話に入ってきた。


「時が流れている以上、その重石を跳ねのけるリーダーが現れてもよいはずなのではないか?」


「……そうだな。その時代のスタンダードの壁を破るような人間も、歴史上には稀に存在する。そのような人間は次の時代の幕を開け、後の時代からは偉人と言われる」

「そのタイミングが今という可能性はないのだろうか?」


「残念だがないだろうな。こと戦の分野となると、その重石はまた一段と重い。パーティのときにお前に言ったとおり、片方の意思だけでは改善されないだからだ。

 二勢力間の戦争をなくすには、双方のリーダーが偉人でないと無理であるし、世界中の戦争をなくすには、主要国のリーダー全員が偉人であるタイミングが訪れなければならない。

 お前が偉人と呼ばれるカテゴリに属する人間である可能性は、十分にある。だが地下都市のリーダーがそうである可能性については、今回の事件を見る限りではゼロと言わざるをえない。今後についても、下降線をたどり続ける地下都市に、そのような人物の登場を期待するのは酷だろう」


 国王は視線を落とし、「そうか」と残念そうに言った。

 そして再び神を見つめた。


「では、リクが地下都市にとって偉人となる可能性はないのか? 少し発想が飛んでいるとは思うが、リクが地下都市の総裁になれば円満に収まりそうな気もするのだが」


 ――!?

 この国王はいきなり何を言い出すんだ、と思った。

 少しどころではないだろう。発想が飛び過ぎだ。


 総裁を暗殺して臨時政府でも立ち上げ、俺をそこに座らせる構想でも思いついたのだろうか。

 それとも、ある程度攻めたら再度降伏を呼びかけ、降伏条件に総裁交代を入れるということなのだろうか。

 突然な話すぎて意味不明だった。


 神の表情を見ると、やはり少し苦笑いしているような気がした。

 先ほどよりも、口角が少しだけ上がっている。


「リクについては、歴史上の偉人とは性質がまったく異なる存在だ。無理だな」

「凡人で悪かったですね……。アナタ俺を撃沈しに来たんですか? とっととお帰りくださいませ」

「また何か勘違いをしているようだが、わたしはお前を貶めたつもりはない」

「ソウデスカ」


 しっかりとディスられたので、反撃はした。

 もちろん、俺も自分に能力があるとは思っていないし、この神も悪気があって言っているわけでもないというのはわかるので、別にかまわないわけだが。


 国王のほうは、少し表情が翳った。


「そうか、無理か……。しかし会談も自爆事件で流れてしまった。この時代における存在意義を失ってしまったとリクが勘違いし、今すぐこの時代から消えてしまうのではないかと余は不安なのだ」


 ――なるほど。

 いきなり変なことを言い出したのは、そういうことだったのだ。理由がわかった。


「それは心配無用だ。リクをこの時代から消滅させるのは、わたしの作業になる。今のところ、地下都市に籠もる組織が無力化するまで、その作業をおこなうことはないだろう」


 「消滅」という表現に少しドキリとした。

 その言い方はやめましょうよ、と心の中で突っ込む。

 まるで、消えてなくなるみたいな表現に感じてしまう。


 そんな俺の心中をよそに、神は「それに」と続ける。


「まだリク自身に、考えることもやることもあるだろうからな」

「え? そうなんですか?」


 意外な振られ方をしたので、その本人である俺が聞き返してしまった。


「そうではないのか?」

「ん? どういうことですか?」


 もう一度聞き返した。

 神は俺には直接答えず、先に国王のほうに問いかけた。


「国王よ。地下都市を攻め始めるまで、あとどれくらいの猶予がある?」

「……詳しくは打ち合わせで詰めるが、ここは数日以内に立つことになるだろう。そこから地下都市までまた一週間近く行軍することになると思う」


 その答えに神は、彼にしては大きめにうなずいた。

 そして今度は俺のほうを向く。


「リクよ、それだけ時間があるのであれば、その間で考えるがいい」

「考えるって……?」

「そのとおりの意味だ」

「?」


「自爆事件で今まで準備してきたことが無駄になろうが、今回の作戦がここで終わるわけではない。

 わたしとの約束については、このまま進めばどのみち達成はできるだろう。もはや地下都市はその終焉を免れることはできない。あとはどう形を作るかの問題だからな。

 だが、わたしとの約束はともかくとして、お前にとってはその『どう形を作るか』が重要ではないのか? 一万五千の軍勢が地下都市を攻めるというのは、確かにもう避けられないのかもしれない。しかし、その中で、少しでもお前にとってよい終わり方ができるよう考えることはできるはずだ。物事はゼロか百かではない。気を落としている場合ではないだろう」


 思わず、神を見上げながら口が半開きになってしまった。

 違和感が半端なかった。

 言っている内容そのものではなく、その内容を神が言うことに、だ。

 この神、以前に「別に地下都市二万人大虐殺でも全然かまわないよ? むしろそうしたら?」というようなことを、サラッと言っていたような気がするのだが。

 心境の変化でもあったのだろうか。


 ……。

 ……あ。


「あー、もしかして。俺を励まそうと?」

「……わたしは現在のお前の管理者だ」


 イエスかノーかという答えではなかったが、そう言う神の表情は、たまに町長が見せていたそれと、少し似ているような気がした。

 そのまま視線を下に滑らせていく。

 神の足元にいるジメイと視線が合う。彼は一つうなずくような仕草を見せた。


 周りを見ると、クロもいつの間にかベッドの横まで来ていた。

 四人と一匹に見られている。

 それぞれの顔をあらためて見ると、心配をしてくれていることがよくわかった。


 もしかしたら。

 さっきのエイミーやカナ、将軍二人の妙なテンションも、俺を心配して慰めてくれていたのかもしれない。


 ――俺は周りに気を遣わせすぎか。


 さっさと頭を切り替えて、少なくとも顔には出ないようにしなければならないな。

 そう思った。


 交渉は失敗に終わったが、対地下都市の作戦はまだ続く。

 味方と敵、双方に一人の死者も出さないことは、すでに難しくなっている。

 タケルとの約束も、どこまで果たせるかは不透明な状況だ。


 だが、一人でも死者を減らすためにできること。

 考えればまだあるかもしれない。


 息を大きく吐いて、視線を一周させる。


「……なんだかスッキリしました。ありがとうございます」

「それはよかった。お前が何か考えついたのであれば、わたしもそれを援助しよう。期待するがよい」

「リク、お前が暗いと余が困るからな。頑張ってくれ」

「オレも困るよ。エイミーたちやタケルさんだって困ると思うよ」


 自分は周りの人たちに恵まれている。

 その気遣いに応えるためにも、もうひと頑張りしなければ。

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