第42話 お見合い

 ちゃぶ台を中央に置いた。看守に頼んで用意してもらったものだ。

 他にもお茶のセットを用意してもらっているが、部屋の中ではなく、ひとまずは看守が詰めている所に置いてもらっている。


 看守に「中に入りたい」と伝えたときは、「危険ではないですか?」と言われた。

 だが格子越しに話をすると、少し上からの目線になってしまうような気がした。

 もうタケルに戦意はないと思っている。できれば何も隔てず、近くで話したいと思った。


 俺が国王から説得を任されている身であることは、看守も知っている。なお心配そうな顔をしていた彼も、最終的には了承してくれた。


 タケルは部屋の奥で、右半身を下にして、奥の壁に背中をつけるように横たわっている。

 手足は縛られておらず、猿ぐつわだけがしてある。

 この猿ぐつわは、口にボールのような玉を入れ、それを皮ベルトで固定するタイプのものだ。施錠もできるようになっている。

 仮に両手がフリーでも、自力で外すことは不可能だろう。


 ――そろそろ起こそうか。


「クロ、今からこいつを起こす」

「わかった。気を付けろ」


 一緒に部屋に入ってもらったクロに声をかけ、彼のすぐ前に正座で座った。


 上になっている左の肩を、ポンポンと叩いてみる。

 無反応。目は瞑ったままだ。


 もうちょっと刺激が必要か?

 今度は、顔に刺激を与えてみようと思った。

 ……。


 あらためて見ると、やはり肌の色が白い。ウエットスーツが黒いので余計に目立つ。

 だが、まだ若い上に、外での仕事が多かったからだろうか? ヤハラよりは血色もよく、健康的に見えた。

 人差し指で、頬をツンツンと突く。


 ……やっぱり起きない。

 猿ぐつわのせいで表情はわかりづらいが、そんなに苦しそうな感じではない。

 意外と気持ちよさそうに寝ているようにも見えてしまう。


 そういえば、もうダメージは残っていないのだろうか。

 ウエットスーツ姿なので、逆胴打ちが入ったわき腹の様子を目で確認することができない。

 肋骨には当たっていなかったと思うが……。


「……っ」


 スーツの上から、左わき腹を確認するように触っていたら、体がビクンと反応した。顔を見ると、左右の眉毛が中央に寄っている。

 そして、目が少し開き、薄目でこちらを見上げてきた。

 起きてしまったようだ。


 起こそうとしていたのに、実際に起きたとなると、強い緊張が体中を走った。

 片膝を立て、様子を見守る。


 前にいるのが俺だと識別したのだろう。彼の薄目だった目は、パッチリと見開いた。

 そして慌てたように起きあがりながら、斜め後ろに飛んだ。

 しかし、ここは本人が思っていたような広さの空間ではなかったのだろう。そのまま彼は、部屋の隅に背中と後頭部をぶつけた。


「っ!」

「あ! 大丈夫か!?」


 寝起きでいきなり俺の顔を見たので、混乱させてしまったようだ。

 頭を抱えうずくまったタケルのもとに、駆け寄る。


「落ち着け。ここは牢屋だ」

「……」


 彼はあらためてこちらを見上げ、そして周囲を見回した。

 そして膝を抱えて体育座りのような姿勢となり、頭をがくりと垂らした。

 自分が捕縛されたことを思い出したのだろう。

 俺はふたたび片膝立ちで座り、目線の高さを彼に合わせて質問した。


「いま頭を打ったと思うけど。大丈夫か?」


 その問いに対し、彼はこちらを見て、アー、アーと何かを言った。


「ん?」


 猿ぐつわのままのなので、何を言っているのかよくわからなかった。

 言っていることがこちらに通じないと判断した彼は、声を出すのをやめ、その代わりにこくりと頷いた。

 大丈夫だ、ということだろう。


「そうか。手首やわき腹はどうだ? 大丈夫?」


 少し右手首をブラブラさせ、左のわき腹をなぞり。またこくりと頷いてくる。


 うーん……。

 この猿ぐつわはかわいそうだ。外してあげたい。

 舌を噛んで自殺という可能性を考えると怖いのだが、どのみち、水を飲んだり食事をしたりするときは外さなければならない。


「えーと。これから、その猿ぐつわを外そうかと思う。で、それに当たって俺のほうからお前に頼み……いや、約束してほしいことがあるんだ」


 そのほうがよいと判断し、約束という表現に言い直した。

 俺はさらに少しだけ接近し、目をできうる限りしっかり合わせた。


「ないと信じているけど、自殺は絶対に考えないでほしい」

「……」

「約束してもらえるならソレを外す。約束してくれ」


 彼はこくりと頷いた。


「お、よし。俺の時代では『指切りげんまん』というものがある。それでいくぞ」


 彼の顔を見ると、いかにも意味不明だという雰囲気だ。

 俺はお構いなしに左手を伸ばし、タケルの右手を掴んだ。


 こちらの左手の四指に、剣ダコで少しゴツゴツした手の感触が伝わってくる。

 彼は、少しびっくりした様子でこちらを見上げてきた。だが、抵抗はされなかった。

 彼の右手の小指に、こちらの右手小指を絡ませる。


「これで約束成立だな。男と男の約束だ。クロ、お前が証人だ。よく覚えておいてくれ」

「……わかった」


 指切りの意味まではわかっていないと思うが、空気を読んでくれたのか、特に突っ込みはなかった。

 俺は看守を呼び、猿ぐつわのベルトの鍵を受け取った。


「よし、では外すぞ。いいか? さっきの約束、忘れるなよ? 破って自殺なんかしたらぶっ殺しもんだからな? 絶対ダメだぞ? 末代まで恨むぞ? お前まだ若いんだからな? 命は大切だぞ? デフォルトの作戦は『いのちだいじに』だ。オーケー?」


 また彼がこくりと頷く。

 自分でも何を言っているのかさっぱりわからなかったが、必死なのは伝わったようだ。


 彼の口はフリーになった。




 ***




「……」

「……」


 ちゃぶ台を挟んで奥がタケル、手前が俺。

 向こうは体育座りのような座り方、こちらは正座をしている。

 会話はない。お互いに何となく顔も逸らしている。


「……」

「……」


 ――むむむ。何だこの空気は。気まずすぎる。

 クロはマイペースに格子の手前でペタンと座っている。この状況を打開するための助けにはなってくれそうもない。俺一人で打開する必要がある。


 いきなり「協力してくれ」と切り出すのは、さすがにまずいだろう。

 モノには順序というものがある。ある程度打ち解けてからでないと、構えられてしまいそうだ。

 まずは適当な話でも――。


「あのさ……」

「あの……」


 げ、かぶった。


「ああ、先どうぞ」

「いえ、そちらが先でお願いします」

「こっちは大したことじゃないから」

「こちらも大したことではないのですが……」

「あー、でも、とりあえずそっちからいこう。うん」

「……はい」


 まずい。早速かみ合わない。


「僕、自分から死ぬつもりはありませんので……。約束は守れると思います」

「そ、そうか。それはありがたい」


 よかった。

 というか、それは思いっきり大したことだと思うのだが。


「……」

「……」

「あの、今そちらが言いかけたことは……何だったんですか」

「ああ、ええと。この前に神社で会ったときも、こんな感じでテーブル挟んで向かい合わせだったなって思ってさ。これはちゃぶ台だから、そのときのものより小さいけどな。アハハハ」

「……そうですね」


 ヤバい。俺のほうは本当に大したことではない。


「……」

「……」


 また沈黙だ。


「ええと、タケル君と呼べばいいのかな?」

「タケルでいいです」

「じゃタケルと呼ぶぞ。俺はリクでいいからな」

「ではリクさんと呼びます」


 こっちに対してはさん付け。別に付けてくれなくていいのだが……。

 壁を作られているような気がしてしまうではないか。


「タケル、お茶は飲めるな?」

「はい」


 また看守を呼んで、用意してあったお茶を持ってきてもらった。

 匂いからすると、おそらくほうじ茶だ。


「……」

「……」


 ズズズズという音だけが、牢に響く。

 このお茶は来客用のものらしい。なので高級品なのだろうと思うのだが、この状況では味を感じない。


 うーむ……。

 まだ彼はショックを受けている状態で、気持ちの整理が付いていないのだろう。

 落ち込んでいるのもあるだろうし、自分はどうすればよいのだろうという思いもあるだろうし、いろいろな気持ちが入り乱れているのかもしれない。


 ちょっと俺の突入が早すぎたか?

 こういうのは経験がないので、どうするのが正解なのかよくわからない。


「……」

「……」


 ――だ、ダメだ。空気が重苦しすぎる。窒息してしまいそうだ。

 ギブアップだ。今日はもう諦めよう。ひとまず向かいの牢に戻って、服が来たら城の自室に戻って、明日また出直そう。

 と、そう考えていたら。


 にぎやかな声が、近づいてくるのを感じた。


 入り口の方向からだ。

 頼むからあの子たちじゃありませんように――そう祈った。

 今来られると捌き切れなくなりそうだ。


 しかしその祈りもむなしく。

 さらに近づいてきた声の主たちは、明らかに孤児院の子供たちだった。

 先頭はカイルだ。


「兄ちゃん! 着替え持ってきたよ!」

「あ、ああ……ありがとう。助かるよ」


 他の子供たちも、続々と挨拶して牢の前で横に並んだ。

 エイミー、ジメイ、エド、レン、カナと、なぜかまた年齢順になっている。


「あら、本当にパンツ一枚だったのね!」


 エイミーが腰に手を当てながら、無遠慮に俺の格好を突っ込んできた。


「ちょっといろいろあってだな。まあだいたい俺が悪いんだけど」

「ふーん……その人が捕まえた人? 少し白いけどなかなかいい男じゃない」


 彼女はタケルに対しても無遠慮に感想を述べている。

 述べられた方は、どう反応してよいかわからないのだろう。助けを求めるように俺のほうを見てきた。

 もちろん俺も、どう助けたらいいのかわからない。


「で、リクさん。どうして捕まえた人と一緒のところに入ってるの?」


 エドがまた面倒な質問をしてくる。


「これはちょっとだな……一緒にお茶を飲んでいたというか」


 説明が難しく、俺の返事はあまり答えになっていない。


「せっかくなんで中に入らせてもらいましょうよ?」

「いいね。入らせてもらおう。看守さんー」


 カナが余計な提案をし、カイルが勝手にそれに同調して看守を呼んだ。


「あ。じゃあ晩ごはんもこっちに持ってくるよ。丁度大きめのちゃぶ台もあるみたいだし。レンとジメイさん、手伝ってもらっていい?」

「うん。いいよ」

「うん」


 エド、ジメイ、レンの三人は、晩飯をこちらに持ってくるらしい。

 勝手に段取りされていく。

 俺とタケルはポカーン状態である。

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