第43話 約束

 今まで、人付き合いが得意だと思ったことはない。


 決して人が嫌いというわけではない。むしろ、どちらかといえば好きなほうなのだろうと思う。

 だが、自分から誰かに接近していったことは、記憶の限りでは皆無。来るものは別に拒まないが、自分から行こうとはしなかった。


 面倒臭がりなのか、臆病なのか。それは自分でもよくわからない。

 もしかしたら、両方なのかもしれない。


 大学という場所は、そんな自分にとっては気楽なところだった。

 クラス活動なんてものがあるわけでもないし、極端な話、勉強だけして単位を取りさえすれば、卒業はできる。人付き合いについては、同じゼミの友人やサークルの友人とだけやっていればいい。それでまったく困らなかった。


 新しい味方を得るための努力。それが必要だった状況は、一度もなかった。




 子供たちが牢の部屋の中に入りたいと言ってきたため、鍵を開けてもらうことになった。

 看守が目で俺に確認をしてきたが、既にダメだとは言えない状況だったため、首を縦に動かすしかない。やれやれという感情だけ、少しだけ目線に込めておいた。


 格子の扉が開く。

 食事を取りにいったメンバーを除く三名、カイル、エイミー、カナが入ってきた。

 まずエイミーとカナが、座っているタケルに寄っていく。


 さっそく制御不能な状況になった。


「んー、やっぱりちょっと色が白いかしら。もっと外で焼いたほうがいいわ!」

「え? は、はい。そうですかね?」

「でも細身に見えて、腕は筋肉がしっかり付いているのね! 胸も結構あるわ」

「わっ……ど、どこ触ってるんですか」


 エイミーの肌も赤髪がよく似合う白さなのだが、構わず攻めている。

 カナも、見た目はおしとやかな日本人形、頭脳は好奇心旺盛な少女だ。タケルのウエットスーツが気になったようで、負けじと攻勢に入った。


「この服は体にピッタリ付くようになっているの? 肌触りもいい感じ……。あら? 背中に大きな縫い目のようなものがある。不思議」

「あ、あの。くすぐったいですので」

「これ、もらうわ」

「あっ、ちょっと! この下は何も着てませんので!」


 俺は慣れてしまっているので、「またか」と思うだけなのだが。

 タケルは二人の逆セクハラに免疫がないため、非常にキツそうに見える。かなりのテンパりようである。


「あの、リクさん。この子達たちはいったい……」

「ああ。こいつらはこれが平常運転なんだ。ごめんな」


 しかし凄い。この少年が敵組織の戦闘員だったということは、子供たちもすでに聞いているはずだ。

 普通、こんなに簡単に距離を詰めていけるものなのだろうか?


 最後に、カイルが近くに寄ってきた。

 タケルの左右は女性二人で埋まっているので、前のほうに座る。


「ねえ、名前は何て言うの?」

「タケルです」

「オレはカイル。今日から兄ちゃんの仲間なんでしょ? よろしく!」

「いや、僕は捕まってここに入れられているので……」


 カイルが手を差し出しているが、タケルは明らかに困惑気味だ。

 それも当然のことで、一か月前、神社でこの二人は戦闘を繰り広げたばかりなのだ。


「お前、ついこの前戦ったばかりの相手に、よく普通に近づけるな……」


 思わず横から口を挟んでしまった。

 すると、カイルは何か問題あるの? というような表情で俺を見た。


「でも兄ちゃん、もう怒ってないんでしょ?」

「もう怒ってないというか、もともと怒ってないから。タケルは仕事でやっていただけだし」

「じゃあオレも怒らないもん」

「はあ」

「ハイ、仲直りの握手」

「あ、はい……」


 カイルも強引に懐に入っていく。いったいどうなっているのか。




 ***




 ほどなく、この場を離れていた三人が戻ってきた。

 食事をワゴンに乗せている。妙に豪勢だった。

 誰が作ったのかと聞いたら、ぽっちゃり男子のエドが作ったとのこと。


 孤児院では朝食終了後、午前中の間は院の授業がない。そのため、子供たちはそれぞれがそれぞれの修行先に行っている。

 エドは料理人のところで勉強させてもらっているそうだ。


 俺も並べるのを手伝った。すぐにちゃぶ台が料理で埋め尽くされる。

 部屋自体も、ちゃぶ台と八人の人間で埋め尽くされ気味になった。が、もともと牢の部屋が大きめだったこともあり、なんとか身動きは取れる。


 そろそろ座ろうかなと思ったとき、右手を後ろに引っ張られた。

 印象はアウトドア派、実際はインドア派の黒髪短髪少年、レンだ。

 何だろう?


「いいことを教えてあげる」

「いいこと?」

「リク兄ちゃん、この人と友達になりたいんでしょ?」


 ――何だいきなり。しかも本人がいる前で。

 当然、タケルもこちらを見る。


「友達か。まあ、そんなに違わないかな? 仲良くなりたい」


 回答、これでいいんだよな? タケル、不快だったら言ってくれよ?

 そんな俺の不安をよそに、レンは話を続ける。


「リク兄ちゃん、さっき、この人と真向かいになるように座ってたよね」

「ああ、そうだな。それが何か?」

「これから仲良くなっていきたいという場合、普通は斜め向かいになるように座るといいと言われてるんだ」

「斜め向かい?」

「うん。目線をぶつけ合うこともないし、どちらもリラックスして話せるから、というのがその理由だよ」

「そうなのか。全然知らなかった。じゃあ俺も斜め向かいに座るようにするか」


 そんなことは初めて聞いた上に、俺にはその真偽を確かめる術はない。

 だが、レンは図書館に入り浸りなので博学だ。いろいろなジャンルの本や資料を読んでいる。おそらくこれも、本から得た知識だろう。信じてよいと思う。


 ではレンの言うとおりに、ということで。ちゃぶ台の斜め向かいに腰を下ろそうとした。

 ところが、彼の話はそれだけで終わりではなかった。

 彼は少し笑って「ちょっと待って」と、俺の腰のあたりをを両手で抱くように支え、続けた。


「ふふ。今言ったのは『普通は』だよ……。リク兄ちゃんの場合は、もっといい方法があるよ」

「え?」

「こう……」


 レンは俺の腰を持ったまま、ちゃぶ台の奥中央に座っていたタケルのすぐ横まで、強引に移動させた。

 そして、俺の膝裏に自分の膝を当て、膝カックンして強引に座らせてきた。


 俺とタケル、二人並んで、あぐらで座るようなかたちになった。

 狭いので膝が重なるが、俺のほうを上にするわけにはいかない。タケルの左膝を少し持ち上げ、その下に自分の右膝を潜り込ませた。

 タケルは重なった膝をチラッと見たが、すぐに視線を前方斜め下に戻した。


「こんな感じかな。リク兄ちゃんの場合は、こうやってくっついて座るといいよ」

「レン。これはどういう意味が?」

「うん。これはどの本にも載ってないけど。リク兄ちゃんとくっついてると、初対面でも不思議と安心するんだよね。ねえ? 嫌じゃないでしょ?」

「そう……ですね。嫌ではない……です」


 彼は視線を伏せたまま、そう答えた。

 しばらくすると、重なった部分に体温を感じてきた。




 牢の入り口から見ると、奥正面にタケル。そこから時計回りに俺、カイル、エイミー、カナ、レン、ジメイ、エドというような座り方だ。


 タケルの右隣がエドというのは……まあそういうことなのだろう。


「はい、あーん」

「ええ?」

「あーん」

「あ、いや、自分で食べられますので……」

「遠慮しないの」

「……あの、普通こういうこと、するんでしょうか……」

「ふふふ、リクさんに初めてやったときと同じ反応だ」


 それは普通に恥ずかしいだろ、と心の中で突っ込みながら、俺も食べ始めた。

 うん。おいしい。

 地中海っぽい料理だが、どれもいい味のものばかりだ。さすが。

 伊達にポッチャリではないな、エド。


 これならタケルも喜んで食べているのでは? と思い、声をかけようと隣を見た。

 すると、なぜか彼の目からボロボロと涙が流れていた。

 どうしたのかと聞こうと思ったら、エドも気づいていたらしく、先に質問をした。


「あれ? タケルさん何で泣いてるの? 美味しくなかった?」

「……いや……違うんです。その逆で……」

「逆?」

「こんなにおいしいのは初めて食べたので……」


 この様子を見るに、あまりいいものを食べさせてもらえない環境で育ったのだろうと思う。

 食欲は人間の三大欲求のうちの一つだ。美味しいもので感動しない人間などいない。

 飽食の時代で過ごしていた俺にだって、この味は大感激だ。




 ***




 夕食後、タケルを城の中にある風呂に連れて行った。

 子供たちはもう入った後だったらしく、牢に残って後片付けと、寝る支度をしてくれるらしい。ありがたい。

 タケルは子供たちに繰り返しお礼を言っていたが、エイミーに「気にしなくていいわ!」とお尻を叩かれ、痛がっていた。


 城内でタケルをフリーのまま歩かせるのは、さすがにまずいらしい。手枷を付け、看守も同行するということで許可が出た。

 着替える際に手枷を外す必要があるという問題はあったが、看守が足枷も持ってきてくれていたので、手枷を外すときだけ足枷を付けるようにし、着替えを乗り切った。

 ちなみにウエットスーツは脱がせるのが大変で、最初は見ていただけの看守も、途中から手伝ってくれた。

 タケルは、看守にも丁寧にお礼を言っていた。




「俺、背中洗うよ。手枷付けたままだと洗えないだろうし」

「……すみません。ありがとうございます」


 だだっ広い浴室。

 俺とタケル、そしてクロだけで使うことになった。

 看守さんは仕事が終わった後に入るらしく、今は入口のところで立っている。


 クロは湯船に入らず、小さな桶でお湯に浸かってもらっている。

 俺とタケルは体を洗い終わった後、お湯に浸かることにした。

 レンの言っていたことがここでも通用するかは不明だが、彼のすぐ右隣にポジションを取った。

 少し、肩や腕が触れ合う。

 そしてお互い、目の前の白い湯気を見ながら、お湯の温かさを堪能した。


「悪かったな。いきなり騒がしくなって」

「いえ、大丈夫です。びっくりはしましたが……」


 湯気の先には入口があり、うっすらと脱衣場の一部が見える。

 そこに、黒い影が見えた。

 シルエットの形と丈で、誰だかはわかる。


「あ、すまん。今向こうにカナの姿が見えた。あのウエットスーツ、たぶん取られるぞ」

「え?」


「タケルさーん、これもらうわね」


 やっぱり。

 カナは勝手に奪取を宣言すると、どこかに消えていった。

 俺とタケルは顔を見合わせた。


「洗っていませんが……大丈夫なんですかね」

「そこか」


 ズレた回答に面白くなってしまい、思わず笑ってしまった。


「あれ? 僕おかしいこと言いました?」

「ああ。自信持っていいくらいおかしい」


 俺が笑ったままだったので、彼はつられたのか、少し笑顔を見せる。

 初めて笑った気がした。




 そのまま、お湯で足を伸ばした状態で、会話のない時間がしばらく続いた。

 そして意外にも、沈黙を破ってきたのは彼のほうだった。


「僕……こんなに構ってもらうの、初めてな気がします」

「そうなのか? じゃあ疲れただろ」

「そうですね。疲れはしましたけど……」

「しましたけど?」

「みんな、優しい……ですね」


「ははは。昼間も言ったけど。お前がどんな教え方をされてきたかは知らないけど、やっぱり同じ『人間』なんだよ」

「……」

「構われるのは、嫌じゃなかっただろ?」

「はい、嫌ではなかったです」


 少し顔が赤いのは、お湯で温まっているせいなのか、それとも照れているのか。

 彼はあまり他人から――特に年下や同年代の子供や、俺くらいの若い人から――構われたことがなかったのかもしれない。


「そっちの『組織』って若い人が少ないのか?」


 何となく聞いたのだが、すぐに「しまった」と思った。


「あ、ごめん。これは尋問とかじゃないんで。俺が個人的に質問しただけ。話したくなかったら、まだ無理に話さなくていいからな? まだ気持ちも整理できてないだろうし」


 しかし、彼の表情が硬化することはなかった。

 表情は先ほどのままから変えず、こちらに会話を返してくる。


「少ないと思います。小さい頃から、歳がかなり離れた人としか関わりがなかったですから」

「……。いいのか?」

「それ自体は大した話ではないですし」


 タケルはあっさり返してきた。

 そして「それに」と言って続ける。


「あのとき、僕を殺さずに捕まえたのって、こちらの組織の情報を入手したいという目的があったからですよね? なら、僕がどんどん話したほうが、リクさんは助かるんじゃないですか?」


 違う。

 あのときは、そのような考えがあって捕らえたわけではない。


「んー……。もちろんこの国としては、お前から情報を引き出したいというのはあるよ? それは隠すつもりはないというか……。でも、あのとき、俺がお前を殺さなかったのは、そんな打算的なことを考えていたわけじゃなくて――」


「でも、降伏して情報提供すれば死なずに済むとか、そんなことをリクさんに言われた記憶がありますよ?」

「あれは……情報が欲しいから降伏してくれ、というのとは意味が違う」

「ではどういう意味なんですか?」


「えっと。ああ言えば、降伏してくれる可能性が上がるのかなと思ったからで……。

 お前が俺の前に出てきたとき、凄くつらそうな感じに見えたんだ。それで話を聞いたら、無謀としか思えない命令を受けて来たってことだったからさ。

 何でここでこいつが死ななきゃいけないんだとか、こんな若い人間を死にに行かせる組織って一体どうなってるんだとか、そんなことが頭の中に出てきて。

 で、そのあとに、いや、そもそも、こいつはどんな人間なんだろうか? とも少し思ったかな。その若さで戦闘員をやっていて、いったい今までどんな人生を送ってきたのだろうと。お前って、やっぱり俺から見ると、凄く謎の人物だったから……」


 うう。うまく説明できない。


「あー、なんかうまく言えないけど。とにかく俺が納得がいかなかったんだよ」


 何でこんなに話すのが下手なんだろうと思う。

 喋っていて自分にイライラしてくる。

 濡れた髪を、両手でかきむしってしまう。

 言いたいことをワープロソフトで打って、ゆっくり編集して、チェックをした上で、それを読み上げながら話したい。


「納得がいかなかったって、どういうことですか?」


 聞き返される。

 やっぱりわかりづらいよな……。俺本人も何を言っているのかよくわかっていないし。


「んー……何かさ、このまま終わらせたら俺は後悔するって思ったのと、お前に対しても、本当にそんな人生の終わり方をしていいのかよと思って……。ごめん、ダメだ。うまく説明ができないな……。

 今はギブアップだ。頭が落ち着いたときに、もう一度説明させてください。お願いします……」


 降参した。

 しかし彼は、柔らかい横顔のまま、手枷が付いた両手を俺の左腿の上に乗せた。


「少し意地悪でしたね。すみません」

「え?」

「大丈夫です。リクさんの言いたいことはちゃんと伝わってますから」


 そして俺の顔を見上げた。


「リクさん。今度は僕のほうから、あなたに約束してほしいことがあります」

「お前のほうから……? どんな約束?」


 顔つきが少し変わり、引き締まったような感じがする。

 どんな約束をしてほしいのだろう。


「僕のいた組織を攻めるにあたって、できるだけ死人が少なくなる方法でやってほしいんです。そして、僕が持っている情報をそのために使ってください。この国からすれば、僕のいた組織は敵だと思いますが、僕にとっては育ててくれた故郷でもあります。結果的に裏切ることには変わりないですが、せめて死人は少なくなるようにしたいんです」


 ――ああ。この締まった顔は、気持ちが固まったということだったのか。

 彼は、生きて、この先にあるであろう故郷の終焉を見届ける決意をしたのだ。


 ならば俺も、この少年の、せめてもの望みを叶えてあげたい。

 そう思った。


「ああ、約束する。任せとけ」

「ありがとうございます。ではもう一回、指切りというのをしてください」

「わかった」

「あの犬の名前、クロさんでしたっけ」

「そうだよ」

「クロさんにまた証人になってもらってもいいですか」

「了解。クロ――」


 俺が呼ぶ前に、すでにこちらに向かって歩き出していた。

 どんな話の流れになっていたのか、だいたいわかっていたのだろう。

 クロが至近距離で見つめる中、お互いの右手の小指を絡ませた。


「では約束成立です」

「ああ」


「僕は、あなたに、この国に……協力します」

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