6本の差

     1


―――ディッシュ、洗う《ウォッシュ》、突進ダッシュ希望ウィッシュ新鮮フレッシュ、かなりいい《グディッシュ》……

 春というには暑すぎる陽気のなか、黒髪の少女はとびきりの白い肌を惜しげもなくさらしながら、ショッピング・モールを闊歩していた。サンダルにホットパンツ、ボーダーのシャツで、早くもマリンスタイルを投入していた。首元のチョーカーも、今日はネイビーとホワイトでコーディネートされている。

 シェルとの闘いの後始末にも区切りがつき、晴れて自由に街を歩けるようになっていた。今日はリハビリも兼ねての外出だ。

 ここは中流階級層チープブランチが休日を謳歌する、安くて簡単な幸せを形にしたような場所だ。退屈せず、心地よい刺激が得られる。丁度連休とぶつかったために、通りは人でごった返しており、誰もバロットを気に留めることはなかった。皆、自分を幸せで満たすのに必死なのだ。

―――ねえ、ウフコック。あそこのお店みて!貝殻がたくさんあるわ。

 首元のチョーカーをやさしく握ると、バロットは水着屋の一角にある貝殻コーナーに吸い寄せられていく。

 彼女から発せられている匂いは、充足感と健康的な高揚感だった。ウフコックにとってはなかなか嗅ぐ機会のない、心地よい匂いだ。

―――これはリュウグウボラ、これはコンクガイ、こっちはカンムリボラね。

 図書館で培ったバロットの知識が炸裂する。

―――カリブ海から来たのかしら?

「お嬢ちゃん、貝殻が好きなのかい?」

 耳にピアスをじゃらじゃらつけた、ガラの悪そうなアロハシャツの青年が近づいてくる。胸元のプレートでかろうじて店員とわかった。ワイルドな香水がきついが、好戦的な匂いや猟奇的な匂いはしない。どうやら、ファッション悪のようだ。

 チョーカーに手を当てて、バロットは答える。

≪ええ、とても。これはカリブ海から?≫

 一瞬店員は電子音声に驚いていたが、すぐに平静を装う。

「その通り。フロリダから仕入れているんだよ。詳しいんだね」

 褒められてバロットはちょっと照れる。

「うちは水着メインだから、水着もぜひ見ていってくれよ。お嬢ちゃんならいろいろ似合うんじゃないかな」

 店員の指さした先には、色とりどりの水着が所狭しと並んでいた。

≪こんなにいっぱい…すごい!ありがとうございます≫

 バロットは目を輝かせていった。アロハシャツの店員はごゆっくりどうぞ、と言って他の客の元へ接客に向かう。

―――ねぇ、ウフコック。どれが似合うと思う?

 ルージュのように真っ赤なバンドゥと花柄のビスチェ、真っ白なフリンジのついたビキニを並べてバロットはチョーカーに向かってささやく。

「肌が潮風や海水に耐性があるか、ドクターに確認してからのほうがいいんじゃないか?」

 ウフコックが冷静な指摘を入れた。

―――もう、そんなこと言うの?気分が盛り下がっちゃうじゃない。

 バロットは意に介さず細部を確認していく。

―――これ、試着してみるわ。

「あ、ちょ、ちょっと待ってバロット。俺は外で待ってるから」

 試着室へ入ろうとするバロットの首元からチョーカーが慌てて外れてネズミに変身ターンし、すぐ近くにあった鏡に逃げていく。

―――もう、相変わらずなんだから。

 相棒の変わらぬ態度にバロットはくすくす笑う。ウフコックが変身ターンした鏡の縁飾りには盛大に貝殻があしらわれていた。ウフコックも今日の外出はまんざらでもないようだ。

―――じゃ、試着してくるわね。

 軽い足取りでバロットがカーテンの向こうへ消えると、早々に着替える音がした。ウフコックはカーテンの向こうから漂ってきた幸福の匂いに安堵した。どうやらこの外出は彼女にとっていいものとなったようだ。

 シャッと軽やかにカーテンが開くと、ハイビスカスがプリントされた鮮やかな水着を着たバロットが、ウフコックの目に飛び込んできた。

―――どう?買おうかと思うの。

 決意の匂いを嗅ぎ取りながら、ウフコックは視線を外そうとして鏡の縁飾りが歪む。

「君が気に入ったならそうそればいいさ」

―――もう。つれないんだから。

「だって、もう買うつもりなんだろう?」

―――そうだけどそうじゃなくて…もう!

 バロットから諦めの匂いがし始め、カーテンの向こうに戻ってしまった。彼女の気分を損ねたという結果はわかるが原因がさっぱりわからない。女心とは難しいものだ。


 バロットが歩き疲れたので、二人は近くのカフェに入った。

 ショッピング・モールのメインストリートに面した窓際の席に座り、バロットはタピオカ入りのマンゴージュースを飲んでいた。足元には先ほどの水着屋の派手なショップバッグが置かれており、バロットは上機嫌だ。

 通りを歩く人々は、友達同士と思われる同年代の少年、少女たちも多いが、家族連れや若いカップル、老夫婦なども多い。あまりにもたくさんの人がいて、人に酔いそうだった。

 ふと、バロットの目に金髪の細身の青年が飛び込んできた。誰かを待っているのか、暇そうにぶらぶらしている。

バロットが彼を見つけた瞬間、バロットの心拍数が上がり、わずかに体温が上昇するのをウフコックは感知した。以前にも何度かこの変動を察知したことがあった。

 少しすると、店の中から青年と同じくらいの年の女性が現れ、二人は仲良く手を繋いで歩いて行った。

 バロットからは残念そうな匂いが漂い、急激にマンゴージュースが減っていく。

―――カップルって、いっぱいいるのね?ウフコック。みんな愛がほしいのかしら?繋がりに生きた証を求めているの?

 バロットはそう言ってチョーカーに変身ターンしたウフコックをぎゅっと握りしめる。

 ウフコックは握りしめられて苦しいと抗議しようか迷いながら、

「…そりゃあ、種を残すことは生物にとって大切な生きた証だからな」とトンチンカンなことを言う。

―――もう、そうやってロマンのないことばっかり。種を残せない愛はいらない?染色体の数はそんなに重要?

「いや…そういうわけじゃ…ないな。あー、特に、俺にとっては」

 ウフコックは曖昧に答えた。唯一無二の存在であるウフコックにとって番いなどいるはずもなく、今となっては生殖活動からは遠い存在だった。染色体が四十本か四十六本か以前に、同じ種であったはずのネズミすら、ウフコックにとっては遠く離れてしまった存在だ。

―――わたしにとってもそうよ、ウフコック。あなたとの愛は、何にも負けないと思ってる。

「ちょ…ちょっと待ってくれバロット。街中で何を言い出すんだ君は」

 突然の展開にウフコックは一瞬ネズミの姿に戻りかけて、慌ててまたチョーカーに戻る。

 バロットからは切ないような、不思議な匂いがした。



     2


―――ねぇ、ウフコック。まだ起きてる?

 隣で寝ているウフコックにバロットが声をかけた。もう日付が変わる頃だろう。

「眠れないのか?バロット」

 一瞬バロットが間を置く。

―――わたし、ずっと考えてたんだけど、ね…。

 羞恥の匂いが彼女から立ち込め、逃げられない予感が広がる。

―――やっぱり、愛がほしいの。

 思ってもみない内容だったが、思い返すとたしかに今日一日様子がおかしかった。

「…それは、こうしてプラトニックな愛を感じることではなく?」

―――それは、いっぱい受け取っているけど、なんていうか、その…

 バロットが深呼吸をする。

 決意の匂いにウフコックの身が固まる。

―――抱きしめられたいの。安心したい。

 ウフコックは頬をポリポリかきつつ、目線をそらす。

「…ネズミの俺にはなかなか難しい注文だな」

―――えぇっと、その…男性型のアンドロイドに変身ターン…してもらうわけには…いかない?

 ウフコックの頬をかいていた手が止まる、彼女から発される匂い、それは情欲だった、それは、つまりは、アンドロイドのなかでもセクサロイドをご所望、ということのようだ。

「あ…ああ、できなくは…ないが…、俺でいいのか?」ウフコックは声が上ずりながらなんとか返す。

―――誰でもいいわけじゃないの。ウフコックがいいの。

 ウフコックはポリポリと頬を掻いて逃げ場を探そうとしたが、逃げ道はなさそうだった。

「…わかったよ」

 ウフコックはため息を一つつき、これまでにバロットの脈拍が上がった男性の身体的特徴を思い起こす。短めの金髪/彫りの深い精悍な顔つき/細身で筋肉の引き締まった体/上腕に浮かぶ脈管/節のある男らしい手指。それら一つ一つが想起され、変身ターンする。声は軟らかいバリトンに調整し、最後にメイド・バイ・ウフコックの証としての赤眼。

「こんなかんじかな?あってる?」

―――恥ずかしいくらいよく当たってる。本当、ウフコックには嘘一つつけないのね。

「物に変身ターンするのは慣れてるけど、これはさすがにちょっと違和感が強いな。普段はこんな引き締まった腹筋とは無縁な体型だし」ウフコックはまるで鍛え上げられたかのような腹筋を触りながら肩をすくめる。

―――あなたにとって苦痛?

「そういうわけではないさ。むしろ、ワクワクしてる」

 造られた美貌でウフコックは笑う。

―――ありがとう。やさしい。抱きついても、いい?

「もちろん。バロット」

 両手を広げたウフコックに、バロットはぎゅっと抱きついた。ウフコックのぬくもりを全身で感じると、バロットは軽いキスをせがんだ。

「おいおい、俺はアンドロイドとしても童貞だし、ネズミとしても恋愛なんてしたことないんだぞ?ネズミの頃は実験動物として義務的に数回子孫を残しただけだったから」

―――誰にでも初めてはあるものよ。それとも、わたしじゃ嫌?

「そんなことはないさ。大切すぎて、ちょっと困ってるだけ。人間の心がわかるとは言っても、恋愛はしたことがないから」

 バロットは一段と強くウフコックに抱きつく。

―――うれしい。そんな夢みたいなこと、言ってくれる人はいなかったから。

 思わぬぬくもりに、ウフコックも己の孤独が埋められていくのを感じる。今まで孤独とも感じたことのない、日常化していた空白だ。

「俺は煮え切らないし初めてのことは怖いけど、失敗も赦してくれるというのなら、よろこんで」

 そう言って、ウフコックは恋愛もののドラマのようにバロットに軽いキスをする。夢のような、信じがたい時間が流れる。

―――どうしよう。すごく、どきどきしてる。ねえ、感じる?

 バロットはウフコックの右手を自分の左胸に当てる。心臓が早鐘のように打っている。

―――わたし、殻に閉じこもるような性愛じゃなく、きちんと恋愛がしたい。そして、あなたとならできる気がする。…ねえ、ウフコック。あなたと一緒に愛を学びたいの。…いい?

 バロットが潤んだ目でウフコックを見つめる。

「…そんな告白、反則だよ。バロット。俺はネズミだってのに、恋しちゃったらどうすればいいんだ」

―――何でもできるわ。だってあなたは万能道具存在ユニバーサル・アイテムだもの。そして、この姿ならお互いにお互いを愛し合うこともできる。

 ウフコックは殴られたような衝撃を覚えた。まさか、こんな姿になってティーンの、それも人間の少女と愛を語る時がくるとは思ってもみなかった。

「…ほ、本当に、いいんだな?バロット」

―――ええ、この経験はわたしにとって過去を乗り越える大きな力になると思う。商品としての性に過ぎなかったわたしが、主体性を取り戻し、愛を知るの。

 バロットからは強い決意の匂いがした。

「そこまで言うのなら止めないさ。俺の心の準備は全然できちゃいないが、煮え切らないなりに人間の愛ってやつを受け止めてみるさ」

―――そういうところ、すごく好きよ。ウフコック。

 バロットはもう一度ウフコックにキスをし、そのままもう一回抱きしめた。


 夜が、明けようとしていた。ウフコックは金色のネズミに戻り、バロットの枕の近くで丸くなっていた。

 バロットは気だるさの残る体を横たえて、朝日に目を細める。

―――好きな人に愛されるのって、ものすごく満たされるのね。世界中が敵になっても、あなたがそばにいてくれればそれだけで幸せな気がする。

「もし本当に世界中が敵になったら、バロットより先に俺が殺処分されるだろうけどな」

 自嘲気味にウフコックが言う。

―――そんなことになったら、必ず救いに行く。わたしの唯一無二のパートナーだもの。

 バロットは大輪の花のように鮮やかに笑った。

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6本の差 望月 湖白 @Mochiduki_Kohaku

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