余計な一言
菊郎
余計な一言
昔から悪知恵がはたらくせいか、Kは言葉巧みに人を騙して生きていた。どんな頑固者も、彼の達者な口ぶりにことごとく惑わされ、いつしか納得してしまう。いくつも用意した名刺はすべてデタラメで、住所を暴かれる心配もなかった。齢も五十に届きつつあるが、悠々自適な毎日を送っている。
(あいつには感謝しないとな)
Kは椅子に腰掛けながら酒を傾けると、しみじみ思った。それもこれも、呪いのおかげなのである。
数年前、新宿の一角で、Kは妖しげな女に呪いをかけられた。一日につき一言しか話せなくなる呪い。最初こそ激昂した彼だが、つぎの日には妙案を思いついていた。
一言で商談相手を納得させればいいのだ。言葉は短いほど、強く、覚えやすい。Kはその日から特訓に励み、磨き上げられた感性と技術から発せられる短い言葉は次第に魔法のような力を帯びて、より多くの人を欺いた。
(まあ、一時はどうなるかと思ったが)
Kは絢爛な自室を見渡した。著名な画家の絵画も、4Kの大型テレビも本革のソファも、すべて汚れた金で手に入れたのだった。
明くる日、Kは手帳に書かれた、ある案件を何度も読み直していた。再来週には、有名な多国籍企業の社長と取引がある。下調べの末、やり手のビジネスマンであることが分かった。難しい案件を次々に成功させているらしい。
(俺が失敗するはずはない。だが……)
さしものKも、少しばかり緊張していた。この商談に成功すれば、億以上の金が動く。一世一代の大勝負である。頭を悩ませたKは、懇意にしている優秀な闇医者にメールを打った。
(念には念を入れるべきだ)
喉に管を通し、ボンベの酸素を直接肺に送り込む。そうすれば、少しでも長く一言を続けられる。口から呼吸しなければ、いくらでも話せるはずだ。
闇医者からは、いくつかのプランを提示された。中でも最高のものを、Kは選んだ。貯金をほぼすべて使い切ることになるが、構わない。放り投げたスマホとともにベッドに横になると、Kはニヤリと笑った。
(金ならいくらでもある。これまでも、これからも)
商談の日になると、Kは、待ち合わせの場所である、海辺近くの喫茶店の前にいた。ガラス張りの店内はとても明るく、潮風が静かに吹いている。軽装の客たちは楽しそうに喋っていた。
「それでは、私はこれで。商談の成功を祈っています」
ボンベの運搬を手伝っていた黒ずくめの男は一礼すると、車に乗って去っていった。Kはまず、首に空いたふたつの弁の動作を確認した。酸素を送り、二酸化炭素を排出するためのものだ。管が伸びている酸素ボンベに背を向け、両手を肩掛けに伸ばす。背負った後は、管を、開けた首の弁に装着すればいい。
(くそ、重いな)
持ち上げようとすると、かなり重かった。思わず全身が力む。腰に年相応の痛みが走るも渾身の力で背負い上げた。
「よいしょっと!」
Kはそう言って、ついに酸素ボンベを背負うことができた。
その日、彼は二度と口を利くことができなかった。
余計な一言 菊郎 @kitqoo
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