032 ユキノの記憶と『真の主』との出会い

 ──ユキノの話──




 あたしが『真のあるじ』と出会ったのは、温かい春の夜でした。

 桜が……いえ、薄桃色の花が咲いてて、とてもきれいだったのを覚えてます。

 そのときのあたしが『最期を迎えるにはちょうどいいな』って思ってたことも。


 あたしは小さいころから身体が弱くて、病院に入ったり出たりを繰り返していました。

 学校にも、あまり行ったことはありません。

 友だちもいませんでした。


 長く生きられないってわかったのは、前の年くらいからでした。

 身体の器官のひとつがうまく働かなくて、治療しても、あと1年半くらいしか生きられないだろう、って。

 そのとき、あたし、思ったんです。


 自分はなんのために生きてるんだろう……って。

 家族には迷惑をかけるばっかりだから、このまま死んじゃった方がいいんじゃないかって。


 だから、桜がきれいに咲いたその夜、あたしは病院を抜け出しました。

 そのまま死んじゃうつもりでした。

 あたしの世界には自動車……大きな乗り物が走り回っていたから、それにかれてしまえばいいかな、って。

 でも、いざとなると思い切りがつかなくて、いろんな横断歩道を渡って、止まってを繰り返してました。


 10個目くらいの横断歩道を渡っているとき、あたしは、急に歩けなくなりました。

 貧血でした。

 ずっとベッドで横になってたのが、急にたくさん歩いたんだから当然です。

 身体が、限界だったんでしょうね。


 あたしは、その状態で、安心していました。

 ああ、よかった。って思ってたんです。


 貧血なら、あたしのせいじゃない。ここで終わってしまえるんだって。


 そうして、大きな車が近づいてきて──




「目覚めよ竜の力──2倍──いや、4倍! 我が異能よ我が身体しんたいに大いなるマナを注入し、我が真なる能力を目覚めさせよ────っ!!」




 ──そんな雄叫びが、聞こえて──




 気づくと、あたしは知らない少年に抱かれて、地面を転がっていました。


 彼が、動けないあたしを引っ張って、抱き留めて、そのまま横断歩道を転がった、ってわかったのは、すぐ後になってからでした。


 その時の彼は、宙を飛んでいました。


 ……え? 見間違いじゃないかって?

 そうかもしれません。熱のせいでふわふわしてましたから。

 ……あたしは、身体が浮き上がって、時間が止まったみたいに感じてたんです。

 やっぱり、宙を飛んでたのかも、です。それくらい、神秘的なできごとでした。


 そのまま彼はあたしを抱き起こして、歩道へと移動させてくれました。

 あたしはそのとき……自分が夢を見ているのだと思いました。


 彼の姿が、あまりに不思議……いえ、かっこよかったからです。黒いコートを着て、左手には包帯を巻いていました。右手にはブレスレットです。銀色のものや、黒い石がついたものもありました。頭には帽子をつけています。でも、額には包帯です。それが少しはみ出して、風に揺れているのが素敵だと思いました。


「大丈夫か」


 彼は言いました。


「は、はい。ただの貧血です」


 あたしは答えました。


「違う」


 彼は、そう言って首を横に振りました。

 あたしは、思わず視線をそらしました。

 死にたがっているのが、ばれたんだと思ったから。


 でも、彼は言ったんです。


「地の底にある第8階層グリーフ・ヘルから闇の軍勢がよみがえろうとしている。その尖兵せんぺいが人に危害を加えようとしているんだ。その中でも低級のもの、闇の雑兵ぞうひょうが君の足をしばったのだろう。すまない……俺がもっと早く気づいていれば……」

「そうじゃなくて、あたし……」


 あたしは思わず、首を横に振ろうとして、止めました。

 誰もいない闇を凝視ぎょうししている彼の瞳が、不思議なくらい輝いていたからです。


 きっと、あの人は、この異世界のことを知っていたのかもしれません。

 だって、その後、あたしに向かってこう言ったんですから。


「『魔との戦い』が近づいている。ここで出会ったということは、もしかしたら君は俺と共に剣を取る者なのかもしれない。その命を救えたことをほこりに思う」


 ──って。

 わかってくれましたか、リゼットさん、ハルカさん。

 そうですよね。思わず拍手したくなりますよね? ぱちぱちぱち。


 あたしの『真の主』は、あたしが異世界に転生することを知っていたんです。

 でなければ、あんなこと言えるわけがないじゃないですか。


 あの方はそのまま、あたしをバス停まで運んでくれました。

 動けなくなってたあたしをベンチに寝かせて、連絡先を聞きました。

 それから携帯けいたいで家族に連絡してくれたんです。


 あたしは聞きました。


「どうして、こんなに親切にしてくれるんですか?」


 ──って。


 あの方は言いました。


「……俺の能力がもっと早く覚醒かくせいしていれば……防げたはずだったからな……」


 すごく深刻そうな顔をしていました。

 わたしには意味がよくわかりませんでしたけど、すごく責任を感じているようだったんです。


 そしてあの人は、こう続けました。


「時が来れば、俺の言葉の意味がわかる。たとえその時は気づかなくても、後になれば『ああ、あの人の言ったことはそういうことだったんだ』って気づくはずだ」


 え? なんですか、ショーマさん。

 それってコールドワード? なんとでも取れる言葉、ですか。


 おかしなこと言いますね。

 だったらあたしが今、こうして、異世界の温泉に入っていることをどう説明するんですか。

 それにあの方は、最後にこう言って去って行ったんですよ?




「さらばだ。もしも汝が我と共に剣を取る者ならば……生と死を超えた戦いの先でまた会おう。我が名は『オーガニックドラゴンキング』である!!」




 ──と。


 まさに、あたしは転生して、新しい戦いにのぞんでいるじゃないですか。

 リゼットさんとハルカさんは、わかってくれてますね。

 うんうん、ってうなずいてますもんね。


 ありがとうございます。

 あなたたちとは、いいお友達になれそうです。

 え? 「敬語はやめていい」ですか? 慣れたら、そうしますね。


 ……はい?

 それからのあたし、ですか。


 あの方が立ち去ったあと、家族が車で迎えに来てくれました。

 みんな、あたしを助けてくれた方にお礼を言いたがってました。


 でも、家族への連絡は『非通知』になっていて、連絡は取れませんでした。


 あの方は「闇の勢力が近づいている。巻き込むわけにはいかない」と言ってましたから、そのせいかもしれません。

 あたしたちは、あの方に感謝しながら、病院に戻るしかありませんでした。


 もちろん、家族にはこっぴどく怒られました。

 でも、お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも、途中でぽかん、とした顔になって、怒るのをやめちゃいました。


 ずっと暗い顔をしていたあたしが、素直に笑えるようになっていたからです。


 あの方に助けられてから……あたしは、病気のことが、どうでもよくなっちゃったんです。見えないものを信じて、必死でそれと戦ってる人がいるんだから、あの人を見習って、同じように生きよう、って。


 まずは包帯を着けることにしました。左腕と額に。

 病院だから、手に入れるのは簡単でした。


 それからお姉ちゃんに頼んで、髪を整えてもらって、リボンを分けてもらいました。

 入院してからは、あたし、おしゃれなんかしなくなってましたから、お姉ちゃんはすごく喜んでくれました。

 右手に水性ペンで描いた紋章を見せたら、微妙な顔になってましたけど。

 あと、ドクロ模様のリボンは取り上げられました。病院では不吉すぎるって。


 そして、真っ黒なエリマキを着けて──

 色彩的にちょっといまいちだったので、水色のマフラーに変えて──

 診察の時は外す約束をしてから、左手にプラスチックの指輪をはめて──



 氷の魔女、ユキノ=クラウディ=ドラゴンチャイルドの完成です。

 名前が『雪乃』ですからね。やっぱりイメージは氷でしょう。




 こうして、魔と戦う魔女に変身したあたしは、積極的に動き回ることにしました。病院の中は死霊がいるかもしれません。屋上には、ワイバーンが隠れているかもしれません。未熟なあたしでも、病院にひそむ魔を見つけることはできるはずだ、って思いました。


 早くあたしも覚醒して、あの人に追いつかなければいけませんからね。あたしが「共に剣を取る者」ならば。いつかあの方と再会して……いつか、お礼を言って──あの方にお仕えするために。


 あたしが……ゆっくりですけど……病院の敷地内を歩くようになったことで、家族も喜んでくれました。

 お医者さんからも、できる範囲でいいから身体を動かすように、って言われてましたからね。


 それから、毎日が楽しくなりました。

 冒険です。

 魔は、どこからやってくるかわかりません。

 家族も──お姉ちゃんは苦笑いしてましたけど──あたしの探索に付き合ってくれるようになりました。


 そんな楽しい毎日をすごしたあたしは──






 ──ショーマ視点──




「──楽しい毎日を過ごしたあたしは……」



 うわああああああああぁぁぁぁ……。


 俺はユキノの話を聞きながら、樹の下で頭を抱えてた。


 自分の中二病時代のことを異世界で他人に語られるって……どんな拷問ごうもんだよ!?

 あの頃の俺、そんなこと言ってたのか。いや、言ってたけどさ。

 言ってた理由も、元ネタも、もう覚えてないよ……。


 ……やっぱり、あの少女がユキノだったのか……。


 でも、毎日が楽しくなった……って。

 だったら、俺のしたことにも意味があったのか?

 健康的になって、精神的にも明るくなって、ユキノは……どうなったんだ?

 もしかして、奇跡的に回復して──?




「──あたしはお医者さんの診断通り、1年後に死んじゃいました」

「…………うん」


 ……そうだよな。

 ユキノがここにいるってことは、そういうことなんだろうな。


「最後まで魔と戦おうとしたあたしを、家族は笑顔で見送ってくれました。あたしは家族にお礼を言いました。『ありがとう、お父さん。お母さん。お姉ちゃん……魔との戦いに付き合ってくれて、ありがとう……』って……そして……」

「……ユキノさん」「……ユキノ……ちゃん」


 リゼットもハルカも涙ぐんでる。


「『……あたし、精一杯がんばったよ。我がしかばねには、墓標ぼひょうは要らないよ……って』」

「いや、ご両親困るだろ……」

「いえ、笑ってました。ユキノが笑顔でいてくれれば、それでいいって」


 ……うつわのでっかいご両親だね。


「そして、死んだ後は女神さまに出会って、この乱世を鎮めるように頼まれました。髪の色くらいは自由にしていいって言われたから、氷の魔女っぽく水色に。スキルも氷系に。あとは、前にお話した通りです」


 そう言ってユキノは、話をしめくくった。


「というわけで、あたしが立ち直れたのも、家族に笑顔でお別れを言えたのも、あの方のおかげなんです。だから前世のあたしにとってあの方は、尊敬すべき『真の主』なんです。もちろん、この世界でも」

「でも……ユキノは普通に話してるよな。魔女っぽくもないし……」


 中二病っぽい格好はしてないよな。髪が水色なだけで、あとは普通の小さな女の子だ。

 

「この世界には現実に魔物がいますからね。姿かたちにはこだわりません。異世界の人とちゃんと話して協力しなきゃいけないし、戦いやすい姿の格好の方がいいですからね」


 ごもっとも。


「それに『真の主』に出会うときには、かわいい姿でいたいですから」

「いや、そいつがこの世界に来てるかどうかは……」

「あたしの『真の主』は『生と死を超えた戦い』のことを教えてくれました。ということは、あの方はきっと、この世界のことを知っていたはず。つまり、あたしと同じか──あるいはなにかの方法で、この世界に来ているはずなんです。でなければ『生と死を超えた戦い』なんて言うはずがないじゃないですか……!」


 うん……理屈は、そうなんだけど。

 世の中には偶然というものがあってね……その。


「……じゃあ、ユキノさんが……いた世界は」

「……あにうえさまと……えっと……その……」


 あ。なんとなくわかる。

 リゼットとハルカ。俺の方をガン見してるな。

 ふたりとも、俺とユキノが同じ世界の人間だって気づいたようだ。


 さて……どうしよう。

 いや、本当にどうしよう……。


 ユキノが探してる『真の主』の正体は俺だ。それは間違いない。


 でも、彼女が知ってるのは中二病時代の俺で、今の俺はアラサーだ。

『真の主』が変わってしまったことに気づいたら、ショックを受けて……戦えなくなるかもしれない。彼女のスキルは、俺を真似て『氷の魔女』になったのが元になってるわけだから。


 対処法は……そうだな。幻滅げんめつさせるのはどうだろう。

『オーガニックドラゴンキング』が、異能者でも、世界の秘密を知る者でもないって教えればいい。

 その上で正体を明かせば、ショックも少ないはずだ。


「あのさ、ユキノ」

「なんですか? ショーマさん」


 湯気の向こうから、ユキノの声が返ってくる。


「もしかしてその『オーガニックドラゴンキング』さんは……ただの中二病だったんじゃないかな……?」

「どうしてですか?」

「それは……」


 ……元中二病が中二病を否定するのってハードル高いよな。

 しょうがない。かつて俺が言われてたセリフを使おう。

 当時、俺が異能や設定を口にするたび、まわりから返ってきてたセリフだ。


「この世には、倒すべき魔も、闇の軍勢も、生と死を超えた戦いも存在しない」

「あるじゃないですか」

「ありますよ。ショーマ兄さま」

「あるよ。兄上さま」


 選択肢を間違えた。


 そうだよな。ユキノ、転生しちゃってるもんな……。

 それが『生と死を超えた戦い』で、この世界にいる魔物が『倒すべき魔』で『闇の軍勢』で……つまり、中二病時代の俺が言ったことは、結果的に当たっちゃってる。

 すげぇな『オーガニックドラゴンキング』


 できたのは、前世のユキノを笑わせることくらいだったけどさ。


 ……まぁ、いいか。

 急ぐ話でもないし、時間はあるんだ。

 少しずつ、ユキノの誤解を解いていくことにしよう。

 ユキノが、乱世を一緒に乗り切る仲間だってことは間違いない。今はそれでいい。


「そろそろあがります。ショーマ兄さま」

「次は兄上さまが入る番だよー」

「俺はいいや。それより、ユキノ」

「………………はい」


 間があって、ユキノの声が返ってくる。

 ちょっと怒ってるみたいだ。


「ユキノの『真の主』のことは、ハーピーたちに話しておく。うわさ話でもあったら、教えてくれるはずだ」

「はい! ありがとうございます!」

「それで、ひとつ質問なんだけど……」


 俺は言った。


「ユキノはその『真の主』と出会ったら……どうするつもりなんだ?」

「…………えっと」


 ちゃぷ、と音がして、


「………………それは、ないしょ」


 何故かすごく恥ずかしそうな声で、ユキノは答えたのだった。

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