010 王は異世界の文化に触れる
俺が案内されたのは、村の中央近くにある家だった。
石造りの一階建てで、入ると、壁際にかまどがある。
部屋の真ん中にはテーブルと椅子。花がかざってあるのは、いかにも女の子の家、って感じだ。女神さまはこの世界の文明レベルが低いって言ってたけど、家具も家のつくりも、結構しっかりしてる。
「このお部屋を使って下さい」
リゼットは俺の手を引いて、一番奥の部屋に案内してくれた。
そこは窓がついた広い部屋で、板敷きの床に、小さなベッドが置いてある。
「────はぅっ!?」
部屋に入った瞬間、リゼットは素早い動きで、ベッドの上に転がってた白いものを
拾い上げた。床からも数枚、布のようなものを取って背中に隠す。あまりに速くて見えなかったけど、下着だったような気がする。
というか、ここはリゼットの寝室じゃないのかな。
「本当に、ここ、使っていいのか?」
「もちろんです。むしろこんな小さな部屋では恐れ多いくらいです……」
そう言われても。
まさかリゼットの家に住むことになるとは思わなかった。
「どこか空き家か、物置でも貸してくれれば充分なんだけど……」
「そんなわけにはまいりません!」
リゼットは
「ショーマさまにそんな無礼はできません。本来であれば、村長はじめ村人総出で正式なごあいさつをするべきなんです。ただ、今はちょっと……村の男性がみんな出払ってるので、みんなに紹介することもできなくて……すいません」
「村の男性がみんな出払ってる……?」
……いいのかな。
そんなときに、見知らぬ異世界人が、女の子の家に泊まっても。
「ところで、村長さんってどんな人?」
「ハルカです」
「そうなの!?」
「はい。ハルカのお父さんが数年前に亡くなってから、彼女がその地位を継いでいます。もっとも、成人するまでは名目上の村長で、実際の仕事はまわりの大人たちが手伝っていますけどね」
というか、リゼットとハルカって、この町の重要人物なんだな。
リゼットは竜帝の血を引くお嬢様で、ハルカは現村長。
……なんだか自分が、高貴な人に近づく不審者に思えてきたよ。
「では、リゼットは食事の支度をしますね。ショーマさまは休んでいてください」
「その前に、ちょっと身体を洗いたいな。使ってもいい水場を教えてくれないか」
召喚されてから、ずっと森の中を走り回ってきたからなぁ。
スーツが汚れてるのは仕方ないとして、手足くらいは洗いたい。
「それなら、リゼットがよく使う洗い場をお教えしましょう」
リゼットは、ぽん、と手を叩いた。
「井戸のすぐ側に、外からは見えない場所があるんです。リゼットたちもいつもそこを利用してます。他の村人さんたちは来ない場所ですから、気兼ねなく身体を洗えると思いますよ。この桶を使ってくださいね。場所は──」
そう言ってリゼットは、井戸と洗い場の場所を教えてくれた。
俺は桶を手に、家を出た。
村の中は樹木がたくさん生えてる。木の実がなってるものもある。
魔物がいると外に出られないから、村の中で食料を確保してるんだろうな。家よりも樹の方が多いくらいだ。でも、今はそれがちょうど俺の姿を隠してくれる。
井戸の場所はすぐにわかった。
そこで水を汲んで、リゼットが教えてくれた秘密の洗い場に向かうと──
「────んっ。気持ちいい──っ!」
先客がいた。
下着一枚で、頭から水をかぶってた。
真っ白な背中を、透明な水滴が流れ落ちてる。白い下着は水で透けて、ほとんど身体を隠す役目を果たしていない。きれいな赤い髪が、夕陽を浴びて輝いてる。そしてそのてっぺんには、水晶のように透明な角。
「ん? リズ姉?」
水浴びをしてる少女が、こっちを見た。
ハルカだった。
視線が合った。
彼女の身体が、びくん、と震えた。
なにひとつ隠すものがない大きな胸も、一緒になって揺れた。
時間が止まったようだった。
俺の頭の中だけが高速回転をはじめる。
土で汚れているのはハルカも同じ。さっき彼女は城壁から飛び降りて、地面をごろごろ転がっていた。傷が治りが早くても、やっぱり洗った方がいい。だから彼女が井戸を使うのは当たり前のことで、リゼットにとっての『秘密の洗い場』なら、幼なじみのハルカが知ってるのも当然。でもって、そこに俺が現れたら、ハルカが硬直するのも当然で、きれいな少女の裸を見てしまったら、俺が硬直するのも当たり前。
そこまで思考は回ったけど、俺の身体は動かない。
ハルカも当然動かない。
お互いの視線が行き来して、お互いのつま先から、頭のてっぺんまで往復して、
それから──
「きゃあああああああっ! ショーマさんどうしてここにいい?」
「ごめんごめんごめん! 手と足を洗いたいって言ったら、リゼットにここに行くようにって……」
「…………う、うううぅ」
ハルカは俺に背中を向けて、しゃがみこんでる。
それから、俺の足元にある桶を見て、納得したように、うなずいて。
「そ、そういうことならしょうがないかな。ここは『村の護り手』が使う場所だから……そういうこともあるかな?」
「ごめん。ほんとごめん」
「でも、ボクの方をしばらくじっと見てたよね……?」
「それはびっくりしたからと、見とれてたからで──」
「え」
ハルカがこっちを見た。
俺は急いで、視線を逸らした。
「またまたー。ショーマさんってばなに言ってるんだよ。ボクは棍棒をふるって魔物と戦う『村の護り手』だよ? 今だって土まみれになってたんだよ? そんなボクに……その……見とれて、とか……本気?」
ハルカの声がだんだんか細くなっていく。
俺はそこらへんに生えてる葉っぱの数を数えながら、こくこくこく、とうなずく。
ぴしゃん、と、水音がした。
思わず横目でそっちを見ると……ハルカが、立ち上がってた。
濡れた赤い髪が、白い肌にからみついてる。布で胸をかくしてるけど──隠し切れてない。
「……そっか。じゃ、じゃあ、しょうがないよね」
ハルカは言った。
彼女が首を振ったのか、水滴が飛んできて、俺の頬に当たった。
「あ、ごめんごめん。これで拭いていいよ」
「──ハルカ!?」
ハルカは俺に向かって、胸元を覆っていた布を投げた。
それを受け取って、俺は慌てて横を向く。
ハルカはすばやく、樹にかかってた服を手にとり、身体を隠した。けど、あんまり意味がない。彼女の服は、濡れた身体に張り付いてしまっているから。
「ボクはねー、都の女性たちにあこがれてるんだ。お化粧して、きれいな服で着飾って……将軍や高官のお屋敷でお仕えする女性たちに。『きれいな女性』ってのは、そういう人のことだと思ってたんだよ……」
「……それは」
地方に住んでる女の子が、都会の女性に憧れるようなものかな。
俺がじいちゃんと一緒に住んでた地方都市にも、そういう同級生がいたからな。
「わかるような気がするけど……価値観は人それぞれじゃないかな。その……うまく言えないけど、ハルカは生命力にあふれてる感じがする。うん。だから見とれてたんだと思う……」
やっぱり、うまく言えない。でも、嘘は言ってない。
さっきのハルカを見たとき、本当にきれいな野生の生き物……あるいは、妖精とか、そういうものを目にしたような気がしたんだ。
「ふーん。ショーマさんはそう思うんだ。じゃあ、いいかな。いいよね。いいことにしよう!」
なにか納得したらしい。
こっちはそれどころじゃないんだけど。
ハルカ、気を許した相手には密着するくせがあるみたいで、だんだんこっちに近づいてきてる。
「と、とにかく、今回は俺が悪かった。次回からはちゃんと確認してから使うよ」
「う、うん。ボクも、ショーマさんがここを使うかもしれないって考えるべきだったよ。ここはもう、ボクと、リズ姉と、ショーマさんの場所なんだからねっ」
後ろで、さささっ、とハルカが服を直す気配。
身支度が終わったのか、ハルカは俺の前にやってきて、
「そ、それじゃボクは家に戻るね。あと、人目につかないように戻るルートがあるから、それはあとでリズ姉に聞いてね。ショーマさんはゆっくりしていって。それじゃ!」
そう言ってハルカは、すごいスピードで走り去った。
まだ濡れた身体で、水滴と、湿った足跡を残して。
……大丈夫かな、ハルカ。
出会ったばかりなのに、ちょろいどころの話じゃない。無防備すぎだ。
「……はぁ」
なんだか、この村を守る理由が増えたような気がした。
竜の血を引くことを気にしてて、泣き虫のリゼットと、一度信じた相手にはあけっぴろげで、無邪気なハルカを、ほっとけない。そんな気が。
それから俺は予定通りに手足をきれいに洗って──
リゼットの家に戻って、部屋で一休みすることにした。
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