002 その名は『異形の覇王 鬼竜王翔魔』

 俺が召喚されたとき、光が現れたり、神々しい声が聞こえたりはしなかった。


 職場に退職届を出したあと、「次へ行くか!」とコンビニで買い物をして歩き出したら、いきなり森の中に移動してただけだった。


 そして──




「ごめんなさいっ!!」




 泣きそうな声とともに、空から女神が降ってきたんだ。





 


「わたしのミスです! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」


 彼女は言った。

 金髪で、背中に生えた小さな翼を動かして、空中に浮かんでいた。

 どう見ても、人間じゃなかった。


「適性を持つ、死せる若い魂を転移させるつもりだったのに……あなた、大人ですよね? 生きてますよね!」

「……はい?」

「お願いですから確認させてください。私のミスなんです。お願いですからぁ……!」


 少女は土下座しかねない勢いで頭を下げた。


「……大人だ。年齢は26歳。名前は桐生正真きりゅうしょうま……死んではいない、と思う。たぶん」


 俺は買い物してコンビニを出たばかりで、車にはねられた覚えもなければ、降ってきた鉄骨にぶちあたったわけじゃない。

 でも……ここはどこだろう。

 森なのはわかる。でも、どこの森なのかはわからない。

 いくら仕事のストレスが溜まってたからって、いきなり電車に乗ってこんな森の奥まで旅立ったりなんかするはずがない。そうなる前に辞めたんだ。

 だとすると……一体ここは……?


「あああああっ! やっちゃったーっ!!」


 少女は頭を抱えて叫んでる。

 声と共に、身体のまわりに光る粒子のようなものがあふれだす。

 この神々しさ。そして『転移』という単語から察すると……。


「もしかして、あんたが俺をここに呼び出した張本人か」

「はいっ!」


 少女は勢いよくうなずいた。


「わたしはこの世界の調整をやっている女神の一人で、ルキアと申します。このたびはわたしのミスで、あなたを召喚してしまいました。申し訳ありませんっ!」


 異世界召喚。

 つまり、俺はこの女神に、この世界へと呼び出されたということか。

 ……よくわからん。


 というか、実感がまったくない。

 当たり前だ。さっきまで俺は、普通の会社員やってたんだから。


 終わりなきデスクワークで精神をすり減らして、限界が来て会社を辞めたばかりだ。これからどう生活するかで頭がいっぱいなのに、異世界とか、女神とか言われても困る。


「お辞儀はもういいから、説明してくれ。あと、できれば元の世界に戻してくれ」

「は、はい。実はこの世界にはゆがみが溜まっておりまして──」


 女神の話はこうだった。

 この世界は長く乱世が続いていて、混沌としたエネルギーの『歪み』がたまりやすくなっている。

 それがいろいろな化け物に変化したり、邪悪な魔法の原料にされたりしている。

 このまま歪みがたまり続けると、世界が崩壊してしまうかもしれない。


 そこで、この世界に異世界人を転生させて、乱世をしずめてもらうことにした、ということらしい。


「私は、担当女神のひとりとして、完璧な準備をしたはずでした」


 ルキアと名乗った女神は涙目で、俺を見た。


「なのに、召喚の儀式をしたら、なぜかあなたが引っかかってしまったのです」

「なんで」

「さぁ」


 さぁ、って。

 俺はまだ生きてるし、若くもないんだけど。


「とりあえずお詫びの印に、あなたの体力と精神力を若返らせてあげました。外見はそのままですけど、中身は一番強かった時代──あなたの年齢で言えば15歳くらいになってるはずです」

「それより元の世界に戻して欲しいんだけど」

「…………」


 なんで目をそらした?


「まさか……戻れない、とか」

「大丈夫です! 乱世が落ち着いたら、私が責任を持って元の世界に戻してさしあげます!」


 女神さんは、ぽん、と胸を叩いた。


「それに、あなたならこの乱世を生き残っていけるはずです」

「……どうして?」

「え? だってあなたは『最上位の女神の仇敵きゅうてき』で『異形いぎょう覇王はおう』なんでしょう!?」

「……は?」

「『4種の力を振るう王』なんですよね!? 異形いぎょう覇王はおう 鬼竜王翔魔きりゅうおうしょうま』さん!」


 ちょっと待て今なんて言った!?

 聞き捨てならない名前を聞いたような気がするんだが!


「……俺の名前は桐生正真きりゅうしょうまだけど?」

「え? でも、ステータスには……」

「ステータス?」


 俺が言った瞬間、目の前にウィンドウが表示された。

 一番上に、俺の名前が書いてある。えっと……



鬼竜王翔魔きりゅうおうしょうま


 最上位の女神の仇敵きゅうてきにして、人の姿をした最強の覇王はおう

 鬼、竜、翔、魔の4つの属性を使いこなす。


 基本スキル:鬼種覚醒きしゅかくせい竜種覚醒りゅうしゅかくせい翔種覚醒しょうしゅかくせい魔種覚醒ましゅかくせい


 また、王の位を持つゆえに、他種族の言葉と文字を解する能力がある。


 現在の魔力残量。


 おに:100%

 りゅう:100%

 おう:100%

 しょう:100%

 :100%







「なんだこれ!?」


 ……いや、わかるけど。

 ウインドウに表示されてる言葉には、確かに覚えがあるけど。


 これは中学生時代、さんざんノートに書いてた設定だ。

 中二病時代に作った『桐生正真』の真の姿についての、長い長い基本設定。『異形の覇王』にして『上天に座する最高位の女神の仇敵』で『鬼と竜と翔と魔の力を有した、最強の王』──って。


 だけど、それは10年以上昔の話だ。


 あれは、俺が中学校に入る少し前のこと。

 中二病に感染した俺は、いろいろな設定を考えて、『世界の悪』と戦おうとしていた。

 そのとき何日か徹夜して考えた『真の名前』が『鬼竜王翔魔』。

 本名が『桐生正真』だったから、かっこいい漢字に変えて、一文字増やした。

 中学生時代の話だ。今からずっと──10年以上前のこと。

 もう、とっくに中二病は卒業してる。


 中学受験の少し前に、中二病設定のノートは焼いた。

(効果を発揮しなかった自作の)マジックアイテムは埋めた。

 小遣いを貯めて買った「かっこいい」手袋とコートは廃品回収に出した。

 呪文は封印した。


 この設定は俺の人生から、完全に消去したはずだ。

 なのに──どうして俺が中二病だったころの名前が表示されてるんだ!?


「俺の名前は桐生正真きりゅうしょうまだ。鬼竜王翔魔きりゅうおうしょうまじゃねぇ!」

「おかしいですね。ステータスには魂に刻み込まれた名前が表示されるはずなんですが……」

「魂に刻みこまれた?」

「はい。なんども繰り返し、本気で『魂に刻め。我が真名は』──と繰り返すと、刻まれます」


 ──やってたけど。


「あー、刻まれちゃったんですねー」

「刻まれちゃったのか!?」

「毎日、本気でそういう儀式をやらなければ刻まれませんけどね」


 毎日、本気でそういう儀式をやってたけど。月に向かって。

 あのときは本当に不安定だったんだよ。しょうがねぇだろ!


「あとは、自分がスキルを使うところを繰り返し心の中でイメージすると、覚醒しやすくなりますね」

「やってた」

「オリジナルの魔法陣を描いて、大気中の魔力を凝縮ぎょうしゅくしたり」

「やってた」

「その魔力を取り込む修行を、倒れるまでやったり」

「やってた! だけど、それは10年以上前の話だ。今の俺とは関係が──」

「あなたの体力と精神力は、その頃のものになっています」


 女神さんは、納得したようにうなずいた。


「それが全盛期のあなたなんですね……ならば、わたしの召喚に引っかかったのも納得です」

「納得……って。俺は元の世界では、どんな能力にも覚醒してないんだけど」

「あなたの世界は魔力が薄いですから。スキルが覚醒しても、活性化しないんです。認識さえもできません。どんなに強い魔法でも、それを実現させる魔力がなければ、どうにもならないでしょう? そういうことです」

「じゃあ、俺のスキルは……?」

「元の世界で間違いなく覚醒してます」

「中二病時代に、俺がやってた修行は?」

「スキルが覚醒しているんですから、大正解だったんじゃないでしょうか」


 まじかー。

 すごいな、中二病時代の俺。


「今のあなたはおそらく、理想的な状態になっているはずです。すばらしいです……あなたは自分を新しく『名付ける』ことによって、それに合わせた進化と覚醒と成し遂げたのですね……」


 女神は胸の前で指を組んで、うっとりと俺を見つめてる。

 

「『最上位の女神の仇敵』──意味はよくわかりませんけど、私以上の存在と戦えるということですよね!? 『人の身でありながら、人を超えた存在。4つの属性を使いこなす異形の覇王。鬼竜王翔魔』さん! 女神のわたしでさえ心震える名前です。鬼竜王翔魔さん!! 異形いぎょう覇王はおう鬼竜王翔魔きりゅうおうしょうまさんっ!!」

「やめろぉ!」


 冗談じゃない。俺は中二病はとっくに辞めたんだ。

 いまさら『実は異能に覚醒してました』なんて言われても困る。

 俺はもう20代の大人だ。『異形の覇王』なんてやってられるか!


「あなたの力なら、きっとこの世界でも生きていけるでしょう……」

「……って、ちょっと待て。どこへ行く」


 すぅ、と、女神の身体が浮き上がる。

 空から光の柱が降りてきて、彼女を包み込む。ゆっくりと女神の姿は空へ──


「あなたの能力は……わたしがなにも付け加える必要がないほど強力なもの。あなたにあげられるスキルはありません。自前のスキルでなんとかしてください……わたしに与えられるのは武器だけですね」


 そう言って女神は木の根元を指さした。

 確かにあった。剣が。1メートル半くらいの、鞘にはいった両刃の剣。


「──って、だから待ってって言ってるだろ!」


 顔を上げると、女神は空のはるか高みにいた。

 こっちが剣に気を取られてる間に急上昇したのか!?


「……どうして元の世界では「サラリーマン」なんてやってたんですか? あなたは自らの力で覚醒めざめた『異形いぎょう覇王はおう』なのに」

「そういうのいいから!!」

「……自らの想いと願いで異形と化したあなたなら……もしかして……すべての運命を」

「だから、元の世界に戻せ! やり直しを要求する!」


 返事はなかった。

 女神は無駄に神々しい光を放ちながら、空の彼方へと消えていった。

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