パティシエ、怪異の町へ行く 3(終)

「んー、あのひとたちはそーいうのがお仕事っすから。まあ、話を聞いた感じだと、俺向けの仕事ですけどね」

 怜路は南極と北極の氷を溶かし込んだ氷琥珀をカリカリとかみ砕き「ヒョー、涼し~」とうなる。

「怜路くん向けって?」

「あ、俺、不動産がらみの仕事が多いんですよ。八代さんならわかると思うんですけど、ほら、事故物件」

 蒼衣の傍らで接客を終えた八代が、ああ、と訳知り顔になった。八代はピロート経営と同時に、不動産の管理もしている。

「変な声がするだの、ポルターガイスト現象が起こるだの、あるじゃないですか。ああいうのって、結局、人間の遺した感情だったり怨念だったりが原因の事が多いんですよ。昔っから居る妖怪やもののけ、神様の仕業ってのももちろんありますけど、ソレ系の調停役はまさにこの公務員殿の仕事ですね。俺は、もうちょっと俗っぽくて荒っぽいのメインなんで」

 怜路の言葉に、蒼衣はああ、とため息をついて、少しうつむいてしまう。

 そう。元々、自分の心の隙につけ込まれたのが元凶なのだ。怪異の持っていた怨恨と、自分の心の中の魔物が引き合った。飼い慣らせていると思っていたのにと、心中の嘆きが止まらない。

 申し訳ない気持ちと共に情けなさすら浮かんできて、怜路の隣にいる美郷をまともに見ることができなくなった。

「……あ~蒼衣サン? だからホント、あんまり気にしないほうがいいっすよ。まあ、怨念が~って煽った奴の言う台詞じゃないけど」

 どこか所在なさげな物言いの怜路が漏らす。彼が先ほどの自分の発言を後悔しているのは、蒼衣に「伝わって」きている。見た目は怖いが、その実怜路は思いやりのある青年で、自分を脅すような発言をして「しぐじった」と思っているのだ。

 それに、今だって、本当は居心地の悪さを払拭するため煙草に手を伸ばしたいのに、菓子屋の目の前であること、煙草を嗜まない蒼衣と八代の前であることを気にして、それをしないでいてくれている。

「じゃあ次は、怜路くんに護衛でも頼むかな?」

 うきうきとした様子で、八代が蒼衣と怜路の間に割り込んでくきた。

「八代サァン、俺、高いっすよ?」

「一回、近くで拝み屋の仕事ってやつを見てみたいんだよな~」

「エー、八代さんが居ると仕事になんないっすよ。誰も寄ってこねーから」

 苦笑しながら怜路は言う。

「寄ってこない?」

 怜路の言葉の意味がわからず、オウム返しをすると、怜路はほんの少しサングラスをずらして八代を見た。心なしか、彼の目が光ったように見えたのは、気のせいだろうか。

「たまに居るんですよ、こう、生きてるだけでそういうヤツらが寄ってこないタイプの人間が。常に陽気を纏ってるっていえばいいんかな」

「ああ」

 怜路の言う意味はなんとなく蒼衣にもわかる。確かに、昨日の怪異も、八代が対峙していたらまた違っていただろう。そう思うと、更に自分の不甲斐なさに拍車が掛かったような気がした。

「だから、このひとの側に居たほうがいいと俺は思いますけどね、蒼衣さんは」

 先ほどまで八代と接していた軽さを引っ込め、怜路は真面目な声音でつぶやいた。

「えっ?」

「おっと、連れが来たので俺はこれで」

 意味深な怜路の言葉に固まっていると、人混みの中から「怜ちゃーん」と親しげな少女の声がした。小学校の高学年らしき少女が店先に現れ、怜路と美郷に手を振る。

「おうヒヨコ。遅っせーぞ」

「ヒヨコじゃない、日菜子!」

 怜路の軽口に、少女は頬をぷう、と膨らませる。どこか照れ隠しのような様子から、彼らなりのじゃれあいなのだということはすぐにわかる。

怜路は軽く頭を下げ、少女の元へ歩いて行った。彼女はおそらく、怜路の弟子だという憑きもの筋の少女だろう。

 気兼ねない様子の二人を見送る。八代はお客に声をかけられその場を離れた。当然、美郷と二人きりになってしまい、沈黙が流れる。

「……蒼衣さん」

 降ってきた美郷の声に、蒼衣はおそるおそる顔を見やる。美郷は穏やかな顔で蒼衣を見据え、口を開いた。

「昨日食べられなかったベルサブレ、よかったら一つ頂けますか」

「あ、はい」

 蒼衣は拍子抜けしながらも、持ってきた在庫から、割れていないものを探し出す。

 綺麗なものを一枚取り出し、美郷に手渡したが、そこではて、と首をかしげた。

「そういえば、美郷くんって甘いものは得意じゃないって聞いてたような気がするんだけど」

 整った顔立ちが苦笑を作る。そうなんですけど、と前置きして、

「餡子のものじゃなければ、多少は。せっかくもらったのに、あれに喰われたのが癪で」

 と言い、さっそく包装を丁寧に開けると、サブレを口にした。

 食べる様子も上品で、育ちが違うんだなあとぼんやり眺めてしまう。

 ほどなくして、リン、と澄んだ音が美郷の口元で響いた。

「ほろっと崩れる感じもある。あれ、あんまり甘くないですね、これ」

「今回持ってきたのは、チェダーチーズ入りの新作。ワインとかに合わせても悪くないようにしてあるんだ」

 ワイン、の言葉に、少しだけ美郷の表情が緩んだ気がした。以前、彼が怜路と共に名古屋に来てくれた際に食べてもらったチーズのお菓子は、それなりにお気に召してくれていた記憶がある。

 美郷のため――とは言い過ぎだが、特自災係を始め、現地でお世話になる中には、甘いものが得意でないひともいるだろう、と考えて持ってきたのだった。

 すっかりサブレを食べ終えた美郷から、蒼衣に「伝わって」くるものがあった。


『優しさで救われることもあるのだから、もっと自信を持っていいのに』


「――?!」

 

 これまでに無いほど、はっきりとした感情――というより、これはすでに思考のレベルではないか、というようなものが伝わってきた。蒼衣は思わず美郷を二度見する。

 ごちそうさまでした、と美郷は涼しげな顔で手を合わせると、次に口にしたのは、蒼衣を驚かせるには十分な言葉だった。

「昨日、あれがあの場の最善策でした。蒼衣さんの作ったお菓子、髪に宿っている魔力と能力、そしておれの力があれば、あれの気持ちが「伝わる」と思いましたので」

「み、美郷くん、あの、僕の能力……」

 能力、伝わる。あえて強調された衝撃が大きく、蒼衣は口をぱくぱくさせた。

 蒼衣が魔法菓子職人として魔力と接することにより後天的に備わった能力――お菓子を食べた人間の気持ちが伝わってくる、というそれを、美郷はどうやら把握しているようだった。そして、魔力の影響を色濃く受けているのが髪だということも。

 近しい人間――八代や師匠くらいだ――にしか明かしていない秘密を、彼はなにも言わずにわかったというのか。

 しかも、伝わってくるといっても、快か不快か、楽しい美味しいといった単純なもので、今のような思考自体をそっくり読めるというものではない。

「……すいません。前に名古屋でお邪魔したときから、なんとなくわかってて」

「でも、なんかこう、はっきり思考が読めてるっていうか、普段はこんなには……」

「それは、昨日力をお借りしたからかと。その影響が残っているからだと思います。大丈夫、他言しません」

 美郷はそう言うと、顔をいつものへらりとした表情に崩した。

 そういえば八代から聞いたことがある。巴市の特自災係に配属される技術職員と呼ばれる立場の採用倍率は五百倍。つまり、美郷はエリート中のエリートなのだという。

「それは置いておいて……その、昨日の事は、怜路も言ってましたけど、あんまり気にしないでもらえますか。ここは誰だって、そういうものに巻き込まれる可能性のある町なんです。むしろ、貴方だったから昨日は上手くいった。ほら、きっと今からも。……じゃあ、おれも持ち場に戻りますので。また、後で」

 美郷はふわりと微笑み、つややかな黒髪を揺らしながら、人混みに消えていった。



 その夜。ブースに立っていると、いつもよりもたくさんの感情が蒼衣に伝わってきた。


 ――『おいしい』『たのしい』『満たされる』『おなかがいっぱいだ』

 

 目の前で食べてくれるお客よりも多いその思いはなんだろうと首をひねったが、ああ、と思い当たる節があった。


『ほら、きっと今からも』


 美郷の言葉がよみがえる。

 施餓鬼会には、ピロートのお菓子もお供え物として提供したのだった。

 彼らしい、慎ましくも自信のある言葉に、蒼衣は再度感謝をするほかなかった。

 

 

 地上で歩く人々から視線を移し、なんとなく空を仰ぎ見る。

「どーした、蒼衣?」

 接客が終わり、隣で一息ついたらしい八代の言葉に、蒼衣は「なんでもない」と言おうとして、やめた。親友には、自分の気持ちを共有してほしかった。

「ん、今日はたくさんのひとが、魔法菓子を「美味しい」って思ってくれてるから。うれしくなって」

「そりゃーそーだろ。蒼衣のお菓子は世界一ィィィなんだって。それがたとえ、人間以外でもそうだって俺は信じてるぞ。だからって独り占めはさせないけどな。そーだな、今度巴市に来るときは、怜路くんや美郷くんになんか対策教えてもらわないと」

 護符とかなんか高いのかなとぼやく八代から顔をそらして、蒼衣はぼそりとつぶやいてみた。

「……八代の側に居ればいいって、怜路くんは言ってたけど」

 怜路のあの言葉は、唐突ではあったが真面目な物だった。本職の拝み屋たる彼が言うのだから、冗談ではないのだろう。

「あ、そーいえばそうでした。一番安上がりだし簡単だし。じゃあそれで」

「いやいや、簡単に言わないでくれる? 君、一応既婚者だし。ここまで来るのも大変だろう?」

 今回は閑散期だったからお店も閉められたけどさ、と付け加えると、八代はなにかを思いついたらしく、にんまりと笑いを浮かべた。

「じゃあ今度はヨッシーと恵美も連れて、巴市観光も兼ねてってことで。はい地方催事にかこつけて社員旅行ですよ福利厚生ふくりこーせー」

「待ってそれ家族旅行って言うよね?!」

「もののけミュージアムもワイナリーも行ってみたいな~今度の冬休みに行くか! ホントは今回のだって、二人ともついて行きたいって言ってたのを、初めてだからってなだめたくらいだったんだぞ。いやいやぁ、これはクリスマス後のお楽しみが増えたなあ」

「あー……」

 八代の妻である良子と娘の恵美は、長い付き合いだからか、他人であるはずの蒼衣を親戚同然に扱ってくれる。泊まりがけの旅行もこれまで何度か一緒に行っているので、八代のこの発言は決して冗談ではない。

「……まあ、みんながいいなら」

 自分もこの地には魅力を感じている。美味しい特産品、がメインではあるが。八代の言うワイナリーにも足を運んでみたかった。

「そんときには、美郷くんや怜路くんにも声かけようぜ。俺、公務員陰陽師や拝み屋の話聞きたいな~」

 自分の身に起きたことならともかく、お客さんの個人情報に関わることなんじゃないだろうか、という懸念はさておいて。たぶん八代なら、その辺りをうまく立ち回るのだろうという謎の安心感があった。

 にこにこしながらあれがしたいこれがしたい、と計画を語った後、八代はふっと表情を穏やかにした。

「ま、みんなで一緒にいれば、誰もどっか連れてかれることなんてないだろうしな」

 八代はそうして笑うと、お客の気配を察知し、蒼衣の隣を離れた。

「……君って、やつは」

 なんてことのない言葉に込められたであろう、親友の心遣いが憎い。

 怜路の言う「陽の気」がなんなのか、蒼衣は少しだけわかった気がした。

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