パティシエ、怪異の町へ行く 2

「美郷くん、どうしてここが?」

「説明は後で。ここはおれがなんとかします」

 蒼衣をかばうよう前に出た美郷は、なにやら聞き慣れない呪文のようなものを唱えた。背中越しに、人差し指、中指だけを立てた手が見える。何事か、と思っていると、美郷の前に黒い小さなもやのようなものが薄ぼんやりとだが、複数現れていた。

 瞬間、手を剣のようにして横に切り裂くのが見えた。もやがあっという間に消えていく。

 ああ、まるで映画かドラマみたいだ。先ほどの酩酊感が抜けてきた頭で蒼衣は思う。

 それもそのはず。彼は正真正銘、現代の陰陽師である。

 初めて彼の職業を聞いたときは、まるで映画か小説みたいな話だと珍しく思ったが、宮澤美郷本人を見ていると、妙に得心がいってしまったのだ。

 当たり障りのないファストファッションに身を包み、にこにこと人当たりの良い笑顔で話す彼は、一見普通の公務員のお兄さんである。

 しかし、蒼衣よりも長く、なおかつ綺麗に整えられた長髪。へらりと笑う様子は今時の若者らしい優男だが、言動の端々に見え隠れする、良家――少なくとも、地方都市の庶民である蒼衣には物語のようにしか感じられないような――で育ったであろう教養の高さと、悠然とした態度。

 今も蒼衣の様子を確認するために、ちらりとこちらを見た双眸には、凍てつくような冷静さと鋭さが宿っている。

 そんな彼は、やはり間違いなく『陰陽師』。

 ――たとえそれが、ポロシャツ+スラックス+派手な色の「夏の妖怪フェスティバル」の文字入り半被を羽織った「市役所勤務のお兄さん」な格好であっても、だ。

「あと一日持ってくれたらよかったのに」

 美郷があきらめたようにつぶやき、懐に手を入れる。

「これで鎮まってくれればいいんですけど」

 彼の手にあるのは、透明なフィルムに包まれた小さな饅頭。表面に押された焼き印は、有名な和菓子店のものだ。

 突然、ぞわり、と背中を厭らしくなでるような感覚が蒼衣を襲った。

 顔を上げれば、先ほど小さなもやが出た辺りに、さらに大きなもやが見えた。


『邪魔をするな。その人間を寄越せ』


 もやから、蒼衣を拐かした声がする。

「断る。このひとは巴市うちの大事なお客さんだ」

 美郷はまたも呪文を唱えながら、饅頭をもやの出た場所に投げる。しかしもやから出た手が、それをはたき落とした。


『ふん、こんなものでわたしが満たせるとでも?』


 有名店の饅頭を鼻で笑い、こんなもの呼ばわりする声の主もすごいが、それを投げつける美郷も美郷だ。あれをどうにかするためだというのはわかっていても、職人の蒼衣としては気が気でない。

 落ち着かない蒼衣をよそに、美郷はそうか、とひとりごちる。そして振り返ると、蒼衣の顔を見た。

「蒼衣さん、これになにか食べさせましたか」

「あ、その、作れと言われたので、何種類か魔法菓子を……」

「合点がいきました。だからあの饅頭じゃだめなんだ。蒼衣さん、申し訳ないのですが、髪の毛を一本頂けますか?」

「髪?」

 なぜ饅頭じゃだめで、自分の髪の毛が必要なのかわからず困惑していると、お願いします、と美郷が鋭い声で急かす。温和さの欠片もない彼の気迫にすっかり圧された蒼衣は、ハイドウゾ! と髪の毛を二、三本勢いよく引っこ抜き、おぼつかない手つきで美郷に渡す。 

「ありがとうございます。あとは」

 またも懐からなにかを取り出す。そのときに小さな声で「もったいないけど仕方ない」とつぶやくのが聞こえた。彼の手にあるのは、特自災係の職員らに土産と思って持参した『ピロート』の焼き菓子だ。

「ベルサブレ?」

 美郷は中身のベルサブレを手に取ると――蒼衣の髪の毛を乗せた。食べ物に髪なんて! と心の中で悲鳴を上げるが、次の瞬間、そんなことなど頭から吹き飛ぶようなことが起こった。

 

 美郷の手元に、目がくらむほど強い青色の光が現れたのだ。


「これで満足だろうっ!」

 美郷は手の中の光を、もやに力強く投げつけた。

 もやにぶつかり、光からリリン! とやけに大きな鈴の音がして、やっと投げつけたのがベルサブレであることがわかった。よくよく見れば、あの光は蒼衣が魔力で相手の心を感じるときに発する副作用の光と同様だ。

 鈴の音を響かせた光は、ますますその強さを増し、蒼衣の視界を奪う。

 と、同時に、蒼衣に「伝わって」くるものがあった。


『――あまいものがたべたいの』

『――あまいものが食べたいの』

『――甘いものがたくさん食べたかった』

『――お母さんもお父さんも誰もかも、私に甘いものをくれなかった』

『――誰も私を愛してくれなかった』

『――甘いものを最期に食べたかったの』

『――愛情あまいものが、欲しかった』


 これは、あの尊大な態度を取っていたもやの声だろうか。

 悲哀と餓えと、独りよがりな感情がこもっている。あまいもの――愛を求めて縋って、心の空腹を満たしたいという気持ちは、まさに呪いに等しい。

 飢えていたのは体ではなく、心。

 勝手に拐かされたと思っていたが、こんな気持ちは身に覚えがありすぎる。だから扉はここに繋がってしまったのかもしれない。

 一方的に愛や承認を求める魔物は、確かに自分の中にもいるのだから。

 蒼衣は痛む胸を抑えた。そして、衝動に突き動かされるまま、一心に祈った。

 ――僕にあげられるのは、甘いお菓子だけだけど、それでも、よければ。

 

「……――、――、――!」


 美郷の、凜とした呪文を唱える声が、蒼衣を現実に引き戻す。瞬間、夏とは思えぬ冷気を帯びた衝撃波を感じ、足をもたつかせる。

 もやが衝撃波に打ち払われたのか、消えていく。同時に、頬をなでられたような感覚が蒼衣に走る。


『――おいしかった』

 

 それは穏やかなもやの声だった。それを最後に、厨房はしん、と静まりかえる。

 すると、辺りの風景が、ぐにゃりと文字通りゆがむ。

 気づけば、そこは厨房ではなく、ほこりっぽい倉庫のような場所だった。

 めまぐるしく変わる状況に言葉を無くしていると、美郷がこちらを振り返る。

 彼の口元にアルカイック・スマイルが浮かんでいるのが見えて、蒼衣は一連の騒動が終わったことを悟った。


:::


「美郷、オメーなあ。蒼衣さん呼ぶんだったらもうちょっとこう、気を遣っとけって言ったろ。あの野暮ったいプリントなりなんなり渡すとかさ」

「……貴重なご意見アリガトウゴザイマス今後の参考にサセテイタダキマス」

「うっわ棒読み。超棒読み! 息継ぎくらいしろや!」

 翌日。夏の妖怪フェスティバル開始直後の十五時。産業振興会館にずらりと並んだ屋台の一つ、列の端に設置された『魔法菓子 ピロート』ブース横。

通りゆく人々の邪魔にならないように、ブースに半分入るような形で蒼衣のそばに立つ、二人の青年の姿があった。一人は美郷だが、隣には脱色した短髪と偏光サングラス、パーカーにスウェット、チェーンのついた財布を腰に付けた、完全にヤの付く自由業的な格好の青年だ。非常に近寄りがたい風貌だが、仏頂面の美郷の横で賑やかにしゃべる様子は、案外親しみやすさを感じる。

 青年の名は狩野かりの怜路りょうじ。この巴市で拝み屋を営んでおり、いわば美郷とは同業者だ。美郷の下宿先の大家であり、彼らは共同生活を営んでいるという。

 蒼衣や八代とも――元々は八代とインターネット上で知り合った――顔見知りの彼は、昨日蒼衣に起きた怪異の顛末をつまみに、ピロートの魔法菓子をつぎつぎに口に運んでいる。

「ここは不思議な町とは聞いていたけど、本当にこういうことに巻き込まれるとは思わなくて。かえって特自災のみなさんのお手を煩わせてしまって申し訳ない」

 昨日の怪異を思い出し、蒼衣は意気消沈した顔でつぶやいた。

 事が済んだ後、美郷たちが丁寧に説明してくれた。

 蒼衣の姿を探している八代が、真っ先に美郷へ相談したこと。

 施餓鬼会の気配と、蒼衣の魔法菓子の魔力に引かれて、怨恨を元にした怪異が現れたこと。たまたま蒼衣が一人になったのが引き金で現実とは違う「あちら側の世界」に引き込まれそうになったこと。

 蒼衣の場所がわかった決定打は、八代がかけ続けた携帯電話だったという。普段忘れがちだった携帯電話を持っていてくれてよかったと、八代がこぼしたのが忘れられない。

 そして、美郷の術で相手を倒したこと。

 普段怪異、ましてや呪術とは無縁の生活を送っているので、詳細なことはよく理解できなかった。しかし、美郷を始め、特自災係の職員が尽力してくれたおかげで、蒼衣がいわゆる「あちら側の世界」に囚われずに済んだのは強く実感していた。

 だからこそ。

 招致してくれた美郷に対し、余計な仕事を増やしてしまったのだと思うと、蒼衣の良心が痛んだ。

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