第二話 バンカラ対不良(前編)
授業の休み時間。校舎の人目につかない場所で、井伊梓は頭を下げていた。それも、彼女基準としてはかなり神妙にである。
「……先日は、どうもありがとうございました」
「構わない。ホールの爆発に駆け付けたら、君が襲われていた。それだけだ」
しかし、礼を言われた側である番長五郎は態度を崩さなかった。室内であるため外套こそ外してはいるが、擦り切れた学帽と学生服を着用している。その上、腰の手拭いや足の高下駄も一週間前と変わっていない。
「でも……。助かったのは事実ですし……」
「……君に怪我がなくて良かった。さて、次の授業が始まる。クラスに戻ろうか」
長五郎は教室に向かって、無愛想に歩き始める。カランコロンと、高下駄の足音が廊下にこだました。
「なにこれぇ……」
下手な噂を立てられないように遠回りをしながら、梓は口の中で呟いた。
キーンコーンカーンコーン……。
名門・桜田門学院がいくら自由闊達な校風とはいっても、チャイムの音だけは全国共通である。ともあれ午前の授業は終わり、梓はクラスメイトの女子達と、昼食を兼ねたおしゃべりに花を咲かせていた。が。
「井伊さん、どうなのよ彼は」
「え?」
当然、彼の話題はやって来るのであった。いくら梓が呆れていても、である。
「だからさ。あのバンチョー。バンカラ男。皆の面前で助けてもらったじゃない。お礼は言ったの?」
「あー。聞きたーい!」
「どーなのよー」
梓が恐れていた事態が起こってしまった。女子達は大抵「コイバナ」の香りに敏感だ。ましてや、あんな出会い方である。期待されない訳がないのだ。
「あ、いや。その……」
「えー? まさかまだお礼言ってないの?」
「い、いや、その! お礼は、言ったんだけ、ど、も……」
「けどもー?」
女子達に代わる代わる問い詰められ、梓はしどろもどろになる。周りに目をやれば、男子達までこっそり聞き耳を立てているではないか。
「え、えええええ。と。その……」
羞恥で顔が真っ赤に染まり、更に口調がたどたどしくなる。
「あ。あんな、の……」
あんなバンカラ時代錯誤、こっちから願い下げだ。そう言えたら、どんなに楽だろう。否。言ってしまえばいいのか。あそこまで素っ気ない男なんだ。角は立たないだろう。
「んー?」
梓が思考を回す間にも、女子達の魔の手は止まらない。詰め寄り、耳をそばだて、梓の答えを待っている。
「……っ! 確かにお礼は言ったわよ! 言ったけ……」
意を決した梓が、長五郎への文句を並べようとしたその時だった。
「番長とやらは居るかぁ!?」
梓達のクラス――一年A組――の扉が、乱暴に開けられた。入って来たのは、奇抜な髪色や髪型にピアス。やたら派手なTシャツに気合の入ったジャンバー。首にはネックレス。いわゆる不良の集団であった。手にはめいめいに武器を握り、威圧的にチラつかせている。彼等は生徒達を黙らせると、教壇に陣取った。無論、示威行為は欠かさずにである。
「オウ、番長はこのクラスだるおぉ? どこに居るぅ。隠してねぇだろぉなぁ?」
巻き舌の良く効いた一声で、そういえばという風に生徒達はクラスの中を見回した。なんとあの目立つバンカラスタイルが、どこにも居ないのである。
「連れて来いや」
リーゼントの表情が、怒りに染まった。口をへの字に曲げ、歯を剥き出しにして上から睨み付ける。当然、生徒達は震え上がった。
「なにアレ……」
「この学校、校風が校風だから、少なからず不良は居るわよ。でも、徒党を組んで威圧するような話は聞いてなかったんだけどなあ……」
「えー……」
そんな生徒達の影に隠れ、梓は事情通の学友とコソコソ会話を交わす。だが、不良はナメた行為には目ざといもので。
「オラそこぉ! なにコソコソしてんだぁ!? そんな余裕があるならとっととバンチョー呼んで来いや!」
即座に梓達に向かって木刀を突き付け、意のままに動かそうとする。だが、その時であった。
「……これは一体、どういうことで?」
教室の後ろのドアを開け、彼等の目的の男が帰還した。そして。その男が最初に見た光景は、まさに梓達に木刀が突き付けられた瞬間であった。
「…………」
長五郎が、ゆっくりと教室を進む。誰もが口を噤んだ。不良達ですらだ。歩みを告げる下駄の音が、教室に鳴り響く。
「……祖父は言っていた。『バンカラとは粗野や下卑ではない。気風である』と。貴方達の行為は、下卑だ」
下駄の音に乗せるように、長五郎が口を開いた。声色こそは静かだが、その怒りは生徒達にも伝わっていた。
「ぁんだとぉ……!?」
下卑だと言われれば、不良達も黙っていられなかった。たちまち一個所に集まり、長五郎にガンを付ける。まさに一触即発だ。だが。
キーンコーンカーンコーン……。
昼休みの終焉を告げる予鈴が、彼等から戦いの気勢を奪った。いかに不良といえども、過度に授業をサボれば留年である。加えて、多対一であろうが決して退く気配のない長五郎の気概が、彼等の損得勘定を刺激していた。
「……おぉぼえてろぉ! その言葉、後悔させてやっかんなぁ!」
負け惜しみの罵声を叩き付けながら、不良達は退却していった。それでも最後まで前を向き、武器をかざして。一般生徒への威圧は欠かさなかった。
「…………」
ピシャリとドアが閉まると、教室は次の緊張に包まれた。長五郎へ向かって、皆の視線が一斉に伸びる。だが長五郎は意に介するでもなく、教壇に立つ。全員が黙っているためか、下駄の音がやたらとうるさかった。
「皆。俺のせいで大変なことになって申し訳ない。これは俺の問題だ。故に、俺が解決する。これ以上皆に迷惑はかけない」
長五郎の言葉は素っ気ない。素っ気ないが、そこには絶対の意志がこもっていた。それ故に、誰もなにも言えなかった。
ただ、井伊梓だけは。内心の不満を煮え滾らせていた。当然だ。彼女とて被害者である。勝手に自分だけの責任にする長五郎の態度。それが彼女には腹立たしくてならなかった。
「くっそ! なんだあのバンチョーって奴!」
「なんで数で囲んでんのにこっちが気圧されてんだよ!」
放課後の校舎裏、人目を避けて集まった不良達は口々に不満を漏らしていた。煙草
の吸殻や剥がれた外壁が、ここが彼等の常駐する溜まり場であることを示していた。
「畜生……俺達だけじゃ足りねえ。かと言ってあんな訳分からん奴にナメられちゃメンツが立たねえ……。ヨソにも声かけて五十……いや、百は集めねぇと」
不良は力関係と格に敏感だ。故に彼等は感じていた。あのバンチョーを、このままにしてはいけないと。
「百ぅ!? オメー、そんなに集めたら俺等ヨソにナメられねぇか?」
「変なのにシメられるぐらいならヨソの連中と組んだ方がマシだっての! 今時番長ってなんだよ! ショーワじゃねぇんだぞ? 分かってんのか!?」
罵声混じりの口論が、不良たちから視野を奪う。見張りを置いていた安心感もあった。だから、その人物に誰も気が付かなかった。
「番長五郎……。あの番長に人数を揃えた所で、返り討ちが関の山ですよ?」
「なんだぁテメエ……。どうやってここに入った……!」
不意に掛けられた声に、不良達は怒りと疑念をあらわにする。しかし声の主は飄然として、倒れた見張りを手で示す。
「見張りの方なら、あの通りです。それよりも、貴方達に耳寄りなお話が」
声の主は、のっぺりとしていた。男のようではあったが、あまりに特徴がなかった。スーツを着ているにも関わらず、学生と社会人の区別すら曖昧であった。
「あのバンカラ男、彼に勝てる方法……。ありますよ?」
男は、錠剤入りの瓶を懐から取り出していた。
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