第25話
ラウラ・レーゲンは昨日の時点でケルピーを発見、無事討伐を終え、明日の夕刻に帰還するとのことだった。
馬車が現在のヤーコフの心情を表わすようにゆったりと、舗装された街路を進む。
ヴェダッサ湖の一件についての経過報告書を読み終えたヤーコフは、何もかもが上手くいっている現状に、口元に笑みを浮かべた。
これでレイヴンズ家は失墜。レーゲン侯爵もラウラとオズワルドの婚約を改める必要が出てくるだろう。なにせわざわざ沈む泥船に、生きる国宝の愛娘をくれてやる道理などないからだ。
しかし――その余裕も一刻後には、音を立てて崩れ落ちた。
ブリュッセン刑務所の一室。もぬけの殻となった独房がその目に映る。彼は自分の血の気が引いていくのを自覚した。
――警備兵は何をやっているんだ!
内に湧き上がる憤怒と焦燥を抑えることができず、「くそ、くそがっ!!」、と鉄格子を何度も蹴る。
「まずいぞ……父上に連絡しなくては」
ヤーコフは右手首のグロウリンクを口元に近付けた。
数回呼び出し音が鳴った後、相手へと繋がる。
「父上、私です」
『ヤーコフか、どうした?』
「あの、その……オ、オズワルドが脱獄しました」
『なんだとっ!? どういうことだ、手錠はちゃんとしていたんだろうな! まさか武器を取り上げ忘れたのか!? 愚か者め!』
ランベルスは烈火の如き苛烈さで捲し立てた。
「ひっ! ち、違います父上! 武器も取り上げましたし、手錠もしておりました! 何より、独房に荒らされた形跡が一切ありません。外から解錠したとしか……」
語気がどんどん尻すぼみになる。ヤーコフは父には頭が上がらないようだ。
『なら……』
一瞬何かを考え込むとランベルスは、
『そういうことか……、警備兵の中に協力者がいたか』
と鋭く察した。
「警備兵の中に?」
『お前に率いさせた近衛兵らは、すべて私の派閥の者たちだ。裏切りはありえん。ならば、私の管理外である警備兵に協力者がいたと見るのが妥当だろう。見張りをしていた警備兵は誰だ?』
「え、いや、名前までは……」
『馬鹿者め、後で調べておけ! ふぅー……。つまり、お前はまんまと出し抜かれてしまったわけだ。……さて、何か私に言うことはあるかね?』
「っ、も、申し訳ありませんでした、父上!」
『謝罪などいらぬわ!』
「は、はいっ……!」
『しかし……オズワルドも無駄なことをする。嫌疑を掛けられた勇者は法によって王宮には入れん。破れば即刻有罪。陛下には何も訴えることはできぬ。頼みの父は親族ということで別荘で謹慎中の身、レーゲン候はフィッツベルクに帰還中、ラウラは未だにトリータにいるときた。……くくく、袋の鼠だな』
勇者はその並外れた能力の危険性を考慮され、嫌疑をかけられた場合、嫌疑が晴れるまでの間は王国の中枢機関である王宮への出入りを禁止ずる――という法律が定められている。
それには、王国を裏切った《炎姫》が起こした事件が関係している。
その事件とは、トゥメール公国との戦時下に、他の貴族たちと不仲だった《炎姫》が裏切って、王宮施設と当時の参謀本部を破壊し尽くしたというものだった。おかげで王国は継戦能力と最大戦力を同時に失い、トゥメール公国との戦争は優勢だったにもかかわらず、痛み分けという形での終戦を余儀なくされた。
この二の舞を防ぐためにと制定されたのが、嫌疑のある勇者の王宮出入りを禁ずる法律だ。だが、この法律には特例というものがある。それは、拘束具を勇者に取り付けた状態でなら、王侯貴族が同伴する場合に限り認めるというものだ。
『手錠はそこにあるか?』
ランベルスが平坦な声で訊いた。
「いいえ。ありません」
『そうか……』
「だ、大丈夫ですよ、父上! 父上の策に抜かりはありません!」
ランベルスの策を息子がよいしょする。それを聞いたランベルスは、興が削がれたように大きく鼻を鳴らした。
「……次もまた同じ失態を繰り返したら許さんぞ。肝に銘じておけ、ヤーコフ」
「……は、はい……」
魔力の流入が途切れ、グロウリンクはその機能を停止する。
ヤーコフは力なく床を見つめた。だが、次第にその目は力強いものへと変わっていく。
怒りだ。オズに対する憤怒が瞳に宿っている。オズからすれば逆恨みでしかないが、そのようなことはヤーコフには関係がない。
「この借りは必ず倍にして返してやる! 覚えとけよ、オズワルドォ……っ!」
ヤーコフは怒りに任せ握り拳を作ると、それを思いっきり壁に叩きつけた。
だが独房は内に強い一種の強固な要塞だ。叩きつけた壁は一切の揺るぎを見せず、逆にその手に痛みが走り、次いで痺れが生じた。
「~~~~痛ぅっっ! くそおおおおおおぉぉぉぉ!!」
滑稽な一人喜劇を演じた男の咆哮が、独房の中を反響した。
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