第20話

「お、お……おいおいおいおい、冗談だろ……」


 兵士の誰かがいった。その言葉はここにいる彼らの心情を的確に代弁していた。

 どうか夢で、悪夢であって欲しい。


「お前たち、落ち着け! まずは一旦樹から離れるぞ。このまま燃え広がられたら、こっちまで焼かれちまう」


 隊長のヘラスが指示を出すと、彼らは怯えながらもそれに従った。


「炎から逃れた猿たちが襲い掛かってくるかもしれない。各位警戒を緩めるな!」

「りょ、了解!」


 応えた兵士の顔は未だに蒼い。

 気分を上げて落とされた。そのせいで、暴落が起きたように兵士らの士気はどん底だ。

 移動を開始してすぐ、異変は起きた。

 どさっ、という音が近くで聞こえたのだ。


「なんだ?」


 兵士の一人がそちらを向く。そこにいたのは、鹿の顔に、猿の身体を持った魔獣――他の樹に逃げた鹿顔猿だった。


「鹿顔猿だ!」


 気付いた兵士が剣を抜き放つ。


「陣形を保ったまま倒すぞ! 距離があるものは弓矢で援護しろ!」


 素早い対応。士気が限りなく最低に近い状態で、この一糸乱れない統率は実に見事だった。

 しかし不幸なことに、相手は一体だけではなかった。

 どさっ、という音が今度は部隊の後方からした。そして次は右から、今度は左から……。


「まずいぞ……」


 ヘラスが周囲を見回すと、既に部隊は猿の魔獣たちに囲まれていた。

 その数、二四体。一人当たり、一体以上を相手にしなればいけない計算だ。

 下位魔獣とはいえ、戦闘力は自分たち上級兵と同ランク。オズのいっていた『勝てる状況』と真逆の現状に、ヘラスは歯噛みする。

 背後を見れば、大樹を焼いている炎が隣の木々に燃え広がろうとしている。消火を視野に入れると、残された時間は少ない。

 ――いや、いっそこんな森、焼かれてしまえばいい。そうだ。こんな森があるから……。

 邪念を抱いたヘラスは、部下に火矢を魔獣たちに放つよう指示を出した。


 袁翼鬼の番が標的をオズとクラウンに絞っているのは、不幸中の幸いだった。

 不快な臭気を纏ったガス状の猛毒息吹ブレスが、彼らへと放たれる。

 だがオズとクラウンに毒は通じない。

 躊躇なく突っこんでくる二人に袁翼鬼は驚くが、長く鋭い爪を二人に向けて振るう。

 灼熱纏うオズの長剣と、発光するクラウンの大剣がその凶爪を切断する。

 そして、オズはすぐさま返す刃で、袁翼鬼の中指と薬指を切断。クラウンも手の甲にナイフを突き立ててダメージを負わせる。

 クラウンは驚愕と痛みに跳び退った袁翼鬼の番を一瞥し、


「ねえ、どうするのオズ。兵士たち、まずいんじゃない? 囲まれちゃってるけど」

「……まずはこっちを片付けよう」


 一瞬思案した後に、そう答える。

 オズの方はクラウンと違い、いうほど余裕はない。頬には切り傷ができ、右腕には蛇に咬まれた跡があり、太腿には小さくない裂傷がある。

 その様を見て、クラウンは口元をいびつに歪め、


「むふふふっ。オズったら……悪い子ねぇ」

「どこが悪いんだ? 俺はしっかり自分の仕事はこなしてる」

「だって……だって……、リーダーくん以外、見殺しにする気でしょ? お猿さん二匹程度、あたし一人で倒せるのに……」

「言っただろう、報いは受けて貰うと。だが機転を利かせれば生き残れるかもしれない。生存のチャンスが無いわけじゃないさ」


 オズの無情な回答に、クラウンはより一層笑みを深くした。


「――またまたぁ。生き残ったら生き残ったで、でっかいお猿さんをけしかけるくせに。あたしなら、そうするわ。おおっ、可哀相カワイソー」

「……公爵の私兵と勘違いして、俺は王国兵に手を下してしまっている。公爵はそこを突いて俺を貶めるために、彼らを買収してくるかもしれない」

「……で?」

弱い、、生き証人はなるべく少ない方が良い。……が、さすがにあいつを嗾けるほど、俺は腐った奴じゃないよ」

「へぇ、そうかしらね?」


 疑るような視線をクラウンは投げかけたが、オズは答えなかった。

 彼が見据える先、袁翼鬼は怒りに歯を鳴らして呻り声を上げている。

 その背後には右腕右翼を失った袁翼鬼がいる。パートナーを庇っているのだろう。


「知能の低い獣ですら、こーやって美しい愛を持ってるっていうのに……。貴族どもも見習ったらどうかしら」


 クラウンがいった。

 その声音には、うら悲しさが篭められていた。


「クラウン――」


 オズが言葉を紡ごうとしたその時――

 ドンッ!

 大地が揺れ、轟音が鳴り響いた。背後で熱風が吹き荒れ、袁翼鬼らは驚いて後退った。


(この熱量! あいつら、あたしの超越魔法を――)

「使ったか…………」


 不快げに、ちっ、とクラウンは舌打ちした。

 それに対してぼそりと呟いたオズの言葉は、待ち侘びた時がようやく訪れた――まるでそういっているような響きを持っていた。


「クラウン。このままでは樹海が焼け野原になるのも時間の問題だな」


 吹き荒ぶ風に髪を揺らし、オズが澄まし顔でいった。そんな彼にクラウンは胡乱げに眉を寄せ、「そうね」、と一応の同意をする。


「だがリーマ伯爵からしたら、ここらの森は領民の生活を支える基盤。それを失うことは、本来望むべきものではないはずだ」

「……」

「このまま放っておいては作戦を立案した俺が、後々彼とその領民から恨みを買ってしまうだろう」

「承知の上のはずではないの? それとも…………。まさかオズ、貴方」


 オズの言わんとしていることを理解したクラウンは、はっとして目を大きくした。

 そして嘆息して小さく笑う。


「くふふふ、そういうこと……。それで?」

「お前の戦闘力から見て、手負いの袁翼鬼二体の討伐は余裕だろう。したがって、俺はこれから《白魔氷霧ブリザードミスト》で消火を行おうと思う」


 しれっと涼しい顔をして、オズはそうのたまった。

 彼は最初からそのつもりだったのだ。だから、兵士らに《極点火山ラストボルカノン》を持たせた。

 最初にクラウンと共闘して、分の悪い袁翼鬼と対峙したのは……、どこかにいる監視者に『自分は袁翼鬼と戦うだけの力がある』と主張するため。そして、袁翼鬼討伐を自らをして行ったという事実を残すためだった。

 踵を返し、燃え盛る大樹の元へと向かうオズ。クラウンは彼の背を一瞥すると、小声で、


「何よ、結局あたし一人に押し付けるんじゃない。まあでも……このまま続けていたら、貴方大怪我していたでしょうしね」


 といったところで気付く。


「ちょっとオズ! そっち行くならあたしの剣返しなさい!」


 声を張り上げて要求する。

 と、オズは一度振り返って何の躊躇いもなく、抜き身の長剣をクラウンへと投げ放った。


「よっと」


 彼女は左手に持ったナイフを代わりに投げ返し、燃え盛る炎のような色彩を放つ長剣の柄を、危なげなく掴み取る。


「はぁ~あ……。やっぱり慣れ親しんだこっちの方がしっくりくるわ」


 右手に大剣、左手に長剣。二振りとも本来は両手で扱う代物だ。それらを細身の女が片手に構えた二刀流は、異質の一言に尽きる。

 大剣を盾のように胸の前で構え、クラウンは悠然として、歯を鳴らし、威嚇音を発する袁翼鬼らに向き直った。


「せめてもの情けに、夫婦一緒に送ってあげる」


 袁翼鬼らの視界から、ふっとクラウンの姿が消える。

 いや、消えたと錯覚するほどのスピードだった。人よりも優れた動体視力を持った袁翼鬼ですら、彼女を双眸に捉えた時には、既に懐に潜り込まれていた。


「ッッッ――!!」


 驚愕の咆哮を上げ、反射的に長爪をクラウンへと向けて瞬時に二度振るう。

 クラウンは一撃目を顔を反らすことで避け、胴目掛けて放たれた二撃目は膝を折って、背中を地面に寝かせて躱した。

 さらに尾の蛇が追撃を行うが、咬まれるすんでのところで、彼女は地に手を着けて後転。必然と上がる足で、蛇の頭を蹴り上げて回避する。


「ッッ!?」


 そして寝そべったような低い体勢のまま、両手の剣で斬り払い、


「残念ッ!」


 金色の大剣が袁翼鬼の左足を紙のように容易く切断し、橙色の長剣が右足をその灼熱でもって溶断する。


「――ッッ!?!?」


 声にならない苦悶の叫びを上げ、両足という支えを失った袁翼鬼が、ドスンと地にうつ伏せる。

 己を必死に守ろうとした番の窮地に、今まで成り行きを見守っていた袁翼鬼が動いた。

 残った左腕を鞭のようにしならせ、クラウンを圧し潰さんと叩きつける。

 だがその決死の一撃も、虚しく空を切った。


「はいっ」


 大剣を目にも止まらぬ速さで振るう。

 フォン! と風切り音が袁翼鬼らの耳朶を打った。スライドパズルのように左腕と両足がずり落ち、その巨躯が地に倒れる。

 グオオオオッ!

 番の袁翼鬼が、怒りと恐怖を秘めた呻き声を上げ、這いずって血に塗れた片手を憎しみの相手へと伸ばす。

 クラウンはその最後の足掻きを、どこか冷めた目で見下ろしていた。


「……我ながら、ちょっと慎重過ぎたかしら」


 小首を傾げ、散歩に出かけるような軽い気持ちで、番の残りの四肢を斬り飛ばす。

 クラウンは達磨となった二匹を見やり、


「あ~あ。これであんたら四肢イっちゃったわね。でも良かったじゃない、夫婦お揃いよ」


 と仮面の奥でにこりと笑い――


「さようなら」


 胴体だけでも三メートル以上もある巨体が、斬り刻まれ木端微塵になる。

 頭を残し、細切れとなった死体が焦げ臭い異臭を放った。


「うえぇ……」


 仮面のせいで、鼻を摘まめないことを恨みがましく思っていると、焼け焦げた肉片の間から、もはや何も映さない四つの眼球がクラウンを見つめていた。

 それに気付いた彼女は、ふん、と鼻を鳴らして睨む。

 彼女は二つの頭を掴んで持ち上げた。袁翼鬼の首は討伐の証になるため、持って帰る必要があった。


「さて。オズの方はどうなったのかしらね」


 ふいに彼女が燃え盛っていた大樹の方へ視線を向けると、あちらも既に終わっていた。


 ◇


 焼け焦げた大樹が白い煙を上げている。

 消火に使われた水魔法と《白魔氷霧》によって、オズの周囲は季節に反して蒸し暑かった。


「七人か」


 オズが呟いた。生き残った兵士の人数だ。

 袁翼鬼に殺された二人を除き、一三人の内の過半数が生き残った。オズが途中で加勢したとはいえ、包囲されたあの状況から考えれば、非常に優れた結果だといえる。


「小魔猿から攻撃を受けた者はいるか? 居ればすぐにいってくれ。解毒する」

「いいえ。生存した者はみな、特に怪我を負っていません」


 ヘラスが答えた。


「わかった。ならばお前たちはこのまま、クラウンが袁翼鬼を討つまで待機して――」


 そこまでいって、オズは口を閉ざした。


「やっ。そっちも終わったみたいね」

『なっ……!?』


 兵士らの目に、二つの首を片手に提げたクラウンの姿が映る。

 頭頂を掴まれた袁翼鬼の虚ろな瞳が、肩を竦ませる兵士らを見つめている。

 勇者に匹敵するといわれる袁翼鬼を二体同時に相手取り、見事討ち取った。そんな化け物に、内から恐怖が這い出るのを誰も止められなかった。


「は、はわわわ……」

「なに、あんた…………。って、やだ――大の大人がなにチビってんのよ」


 膝を笑わせ股を濡らした兵士の一人を見て、クラウンが顔を顰めていった。


「クラウン。この中へ入れておけ」


 そういって、オズは懐から折り畳まれた麻布を取り出した。クラウンは麻布を受け取ると、その中へ二つの首を詰める。


「首だけあればいいでしょ?」

「ああ、それだけで構わない」


 クラウンの確認に答えたオズは、その首に腐敗を防ぐ保存の魔法を掛けると兵士らを見回し、


「よし、これで『袁翼鬼討伐依頼』は完了だ」


 告げられた討伐完了の宣言に、震えた安堵のため息がそこかしこで聞こえてきた。

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