第19話

 マレール樹海。

 テンネスから南へ馬車で一時間の距離にあるそこは、首都ブリュッセン四つ分の広さを誇り、狩人の多いテンネスの生活を支える必需的な役割を果たしている。

 その広大な樹海の中は狼・猿・鹿・鳥・蜥蜴・虫……様々な系統の獣・魔獣が棲息する魔窟だが、袁翼鬼のような危険な魔獣は普段出現しないことから、軍の訓練場にも使われるほどである。

 陽光が朝霧を照らし、幻想的な雰囲気を作り出している。

 樹海の入り口に差し掛かったところで、五台の馬車が停車する。

 そのうち先頭の馬車からは、装備を整えたオズと、相変わらずのドレス姿のクラウンが顔を覗かせた。

 オズの装備は運動性重視のためか、鎧の類は一切着けていない。防具らしいものは胸当てだけだった。


「クラウン。変わった動きはなかったか?」


 喜怒哀楽を表した不気味な仮面に訊く。オズのその表情はどこか疲れていた。

 移動中の馬車の中でオズは、ずっとカリオストロやカーラ、ホムンクルスたちにイレギュラーな現状を伝えていた。カーラからの『押さえた』という一報はオズに多大なる安堵を与えたが、逆に彼女はオズの好ましくない状態に不安を募らせたようだった。彼女が、『今から私もそっちへ行く』、と言い出した時など、説得するのに半刻の時間を割かれたほどだった。

 クラウンは報告で忙しいオズの代わりに、兵士たちやどこかで監視している公爵家の密偵の動きを見張っていた。それには、気配を察知する能力が彼女の方が高いという理由もあった。


「特に変わった動きはなかったわね。それとリーダーの男の統率が良いのか、貴方に恐怖こそすれど、反意を示す者はいないみたいよ」

「……わかった。それなら、まずは隊列を組んで、袁翼鬼の目撃情報のある場所をあたってみよう」

「了解ー」


 オズの指示を聞き、クラウンは馬車から続々と降りてくる男たちの方へ振り向く。


「はーい、ちゅうも~く!」


 劇場の前で子供たちを集めるピエロのように、クラウンは両手を高く振って兵士たちの視線を集める。


「兵士の皆さんにはこれから、言ったとおりに並んでもらいます!」


 これから魔獣討伐に赴くというのに、おどけた道化を演じている。

 過度の緊張で神経質になっている兵士らは、そんなクラウンを睨めつけた。反感の声が上がらないのは、オズよりも強いという彼女を単に恐れているからだ。


「え~っと、まずは……リーダーくん真ん中。そんで、次は貴方が彼の前、貴方はその隣――」


 クラウンはテキパキと兵士たちに指示し、隊形を整えさせていく。

 出来上がったのはヘラスを中心に、兵士が彼を守るように前後左右に展開した方円の陣形だった。

 ――どういうことだ?

 ヘラスを大将と見立てたこの防御陣形に、兵士たちは戸惑いを隠せなかった。


「あの、お二人は――」

「リーダーくんから聞いてるでしょ。あたしとオズだけで袁翼鬼を討つから、あたしたちは隊列には加わらないわ。貴方たちがその陣形を組むのは、他の魔獣からの奇襲に備えて全滅しないため。おわかり?」

「え、あ、はい」

「あと、一言いっておくけど。《極点火山ラストボルカノン》は絶体絶命の時だけ使いなさい。そこかしこで何十個もばかすか使われたら、この森があっという間に焼け野原になっちゃうわ」

「か、かしこまりました」


 兵士一同を睥睨し、「本当にわかったのかしら?」、と問うと、彼らは萎縮して頷いた。

 その如何にもなお役人兵士ぶりに、クラウンは彼らが、どうして捨て駒に選ばれたのかわかった気がした。


「オズ。準備できたけど……行く?」


 背後を振り返ってクラウンが訊く。


「行こう。討伐は早ければ早いほど良い。俺たちが先行する。お前たちは後をついて来い」


 オズとクラウンが先行して樹海へと足を踏み入れていく。

 その後を兵士たちが躊躇いなくついて行った。彼らが恐れているのは袁翼鬼であって、マレール樹海自体は訓練で比較的慣れた地である。二人が袁翼鬼を相手取るというなら、恐怖心は紛れるというものだった。


 樹海を歩き続けること、およそ一時間。

 オズが右手を広げ、後列に停止の合図を送る。兵士らは合図に従って進軍を止めた。

 それを確認したオズはそのまま、一つの大樹の根元を指差した。

 そこにいたのは、炭のような灰色混じりの黒い体毛をした巨獣だった。大きさは五メートル前後といったところか。腕だけで人の胴体ほどの太さを誇っている。

 牙を剥き出しにした狒々の顔に、蝙蝠のようなシャープな一対の翼を持ち、尾は頸部が幅広の蛇となっていて独立しているのか、その口にはネズミのような小動物を咥えている。

 袁翼鬼だ。この禍々しいフォルムから、『闇魔獣』という俗称は付けられた。

 だが袁翼鬼だけではない。その頭上の太い枝には鋭い毒爪を持つ小魔袁が、鹿と猿を融合させたような風貌をした鹿顔猿が、合計で三〇匹ほどの群れを成していた。


「いぃっっ――!?」


 一人の兵士が驚愕の声を漏らし、慌てて口を手で覆う。彼だけではない。他の面々も血の気が引き、口元を引き攣らせたりしている。

 いつ恐慌が起きてもおかしくない状況だった。

 相手はこちらの頭数の倍数いる。しかも上級兵と同レベルの魔獣の群れに、勇者と同格の魔獣だ。

 恐怖するのも無理はない。


「いきなり遭遇しちゃったわね。どうする、オズ?」


 横目でちらりと視線を送って、クラウンが訊いた。


「まずは俺が《極点火山ラストボルカノン》を投げつけ、袁翼鬼と他の猿たちを分断する。ヘラス」

「は、はい」

「おそらく樹の上にいる猿たちは火を嫌って方々に散る。お前たちは方円の陣形を崩さず、地に降りてきた奴らを各個撃破。二対一以上に持ち込めれば勝てる魔獣のはずだ」

「了解しました」

「……三つ数える。今のうちに構えておけ」


 そういってオズは懐から小さな薬瓶を取り出し、それに《爆弾化エクスプローズ》を仕込む。

《爆弾化》の起爆スイッチは衝撃だ。つまり、着弾した瞬間に超越魔法が解放される。


「三……二……」


 カウントダウンが始まった。ごくり、と誰かが喉を鳴らす。


「一……」


 薬瓶が放物線を描き、袁翼鬼の右肩にぶつかる。

 瞬間――

 ドンッ!! という大地を揺らす衝撃と共に、数十メートルを誇る木々のドームを突き抜け、特大の火柱が上がった。

 あまりのインパクトに、兵士らは放心して天を衝く灼熱の噴流を見上げる。


「何をぼさっとしている! 早く行動に移れ!」


 オズが声を張り上げたと同時に、炎の柱が揺らいだ。

 グヒャアアァッ! という身の毛もよだつような悲鳴を上げ、袁翼鬼が火柱の中から飛び出てきた。

 ――まずい。思ったよりも反応が早い!

 着弾した右腕は炭化して砕けたのか、左腕の半分ほどの長さと太さになっているが、怯んだ様子はない。それどころか袁翼鬼はオズたちを双眸に捉えた瞬間、赤い瞳を怒りで煌々と光らせた。

 そして、先ほどの奇声とは違う大迫力の雄叫びを上げ、翼をはためかせ――


「伏せろっ――!!」


 オズが叫んだ瞬間、暴風が駆け抜けた。背後から血飛沫が舞い、草木を赤黒く染める。

 咄嗟に振り返ると、地に身体を伏せるのが遅れた二人の兵士が、上半身を刎ね飛ばされていた。立ち尽くした死体はぐらぐらと数回揺れると、気付いたかのように地に倒れ、夥しい血をぶちまけた。


『ひいいいぃっっ!』


 仲間の凄惨な死体に、兵士たちは悲鳴を上げて縮こまる。


「ちっ。ヘラス! 兵を纏めて炎周辺で態勢を整えろ!」

「ひっ! り、了解です! 全員、死にたくなければ立って私に続け!」


 ヘラスら兵士は肩を竦ませると急いで立ち上がり、燃え盛る大樹の元へと移動を開始した。

 一方のオズとクラウンは彼らを背にして、羽を畳んで着地した袁翼鬼と相対する。

 袁翼鬼の左手先、鋭利な長い爪が赤く染まっていた。これで二人の兵士を刎ねたのだろう。


「――――――ッッッ!!」


 耳を劈く咆哮が木々をざわつかせる。

 袁翼鬼は図体以上の筋力でもって、枝や細い木々を薙ぎ倒しながら、一息にオズとの距離を詰めた。


「ふん」


 巨躯の割に素早いことなど大した問題ではない。

 相手の動きを見て、炎魔法を込めた薬瓶を膝元へ投げつける。

 砕けた薬瓶から炎を纏った光の鎖が解き放たれた。それは瞬時に袁翼鬼の足に巻きつき、一時的にだが袁翼鬼の速度を落とす。だが次の瞬間には、鎖は幹のように太い足の筋肉の隆起によって、ばらばらに砕け散っていた。

 オズは冷静に振りかぶってきた長爪を屈んで避けると、金色の鞘から灼熱の刀身を抜き放つ。

 袁翼鬼の長爪がどろりと溶断された。そのドロドロに融かされた爪から、異臭を放つ煙が立ち込める。袁翼鬼が『格下殺し』と呼ばれる所以がこの煙にあった。煙を吸わないよう、オズは急いで鼻と口を服の裾で覆う。

 それは、中枢神経に作用する猛毒だった。鋭い爪で掠り傷一つ付けられただけで、毒に耐性を持たない者は指先一つ動かせなくなり、格好の獲物へと変わる。

 だがオズは違う。彼は耐性を持っているわけではないが、耐性を獲得する術は持っていた。

 懐から薬瓶を取り出し、栓を抜いて中身を一気に飲み干す。その薬は一定時間神経毒を中和し、無毒へと変える薬だった。


「オズ……準備できた?」


 袁翼鬼の攻撃を難なく躱していたクラウンが、隣に並んで訊いた。

 彼女はオズと違い、薬は飲んでいない。それなのになぜ平然と立っているのか。

 理由は単純だ。彼女は袁翼鬼の持つ毒に対し、完全なる耐性を持っているのだ。

 クラウンの問いに、「ああ」、とオズは頷き、


「さあ、とっとと片付けよう」

「そうねぇ。あたし、臭くて不衛生な動物嫌いだし」


 同意したクラウンの右手には、いつの間にか金色に輝く大剣が握られていた。空いた方の手にはいつものトレンチナイフが握られている。

 彼女の構えは奇妙だった。二刀の構えを無理やり間に合わせの武器で補ったような、そんな不格好さが見て取れた。


「――――――ッッッ!!」


 再び大地を震わす咆哮が轟く。

 袁翼鬼は今度は樹木を飛び移りながら、こちらを攪乱しに掛かった。

 二人はその姿を目で捉え、相手に攻撃を仕掛ける隙を与えなかった。

 しかし時間が経つにつれ、徐々にオズが袁翼鬼の速度について行けなくなった。

 その瞬間、待っていたとばかりに袁翼鬼が一直線に飛び掛かってくる。

 巨大な砲弾と化した袁翼鬼が、オズとクラウンの首を刎ねんと迫る。

 オズは顔を地面に擦らせてなんとか回避を行い、一方のクラウンは――


「えいッ」


 気の抜けるような軽い掛け声。

 次いで、ぼたぼたっ、と大量の血液が草木を汚す。鉄臭いにおいがオズの鼻腔をついた。

 魔獣からの襲撃を避けるため、燃える大樹の傍で陣形を組み直した兵士らは、遠目に起きた光景に絶句した。

 クラウンと袁翼鬼が交差した刹那、袁翼鬼が右肩と右翼、そして蛇の尻尾を失っていたのだ。彼女の持つ大剣とナイフには、袁翼鬼の血液がびっしりと付着していた。

 彼女は目にも止まらぬ速さで飛来する袁翼鬼を、擦れ違いざまに大剣で右肩を翼ごと斬り落とし、それを振るった勢いを利用して回転。通り抜ける袁翼鬼の尻尾を、ナイフで切断していたのだ。

 視認すらできない神業だった。


『《女道化師キャンディクラウン》は俺や《炎の勇者》よりも強いぞ』


 オズの警告の言葉を思い出し、兵士らはそれが事実だったのだと悟った。

 奇声と悲鳴。どちらともいえぬ叫び声を上げ、袁翼鬼は右肩を押さえる。そして――切断面の放つ高温に苦悶の声を上げた。


「オズ、トドメ」

「わかってる」


 伏せていた身体を起こし、オズは薬瓶を肩で息をする袁翼鬼へと放る。

 終わった。誰もがそう思った。

 しかし、現実は想定外の連続である。

 中空で突如、火柱が発生する。オズの放った薬瓶が、袁翼鬼に到達する前に砕け散ったために起きた現象だった。


「なにっ!?」

「おお?」


 オズが驚きに瞠目し、クラウンは仮面の奥で呆けたような顔を作った。

 ――一体何が起きた?

 誰もが予想だにしない出来事に混乱する中、その答えはすぐに現れた。

 ズンッ! と大地が揺れると同時に、不吉な咆哮が木霊する。

 兵士たちは絶望に蒼褪めた。


「……どうやら、公爵は本気で俺を殺そうとしているらしいな。クラウンがいなければ、討伐はどう足掻いても不可能だっただろう」


 ぼやいたオズの視線の先、そこには五体満足の袁翼鬼が殺意を迸らせていた。


「まさか……つがいがいたとはな」

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