第15話

 学園を発ってから七時間以上が経った。

 窓の外では代わり映えしない景色が続いている。平坦な舗装された道路に、それを挟むように生い茂る数多の樹木。

 オズはテンネス行きの高速馬車に揺られながら、後ろに流れてゆく木々を一瞥した。

 それからさらに一時間ほど経った夕暮れ時。テンネスまで後四時間ほどの距離となった地点で、突然馬車が停車した。

 車外が騒がしくなったのはそのすぐ後のことだった。


「思ったよりも遅かったな」


 窓を開けて外を見ると、武装した野盗のような男たちが有蓋馬車を取り囲んでいた。王都から十分に距離ができるまで機を待っていたようだ。

 おそらく、ついてきていた兵士たち――フライターク家の息のかかった者たちが偽装した姿だろうか。彼らは馭者を襲う素振りは全くなく、数珠つなぎの後ろの馬車らには人が乗っていなかった。


「おい、出てこい!」


 野盗に扮した一人が声を張り上げ、馬車の扉を蹴飛ばす。

 貴族の所有物に傷を付けるなど大した度胸だ。

 オズは手首のブレスレットを触ると、それを口元に近づけ、


「どこにいる?」

『もうすぐ追いつくわよ』


 返ってきたのは少し抑えた女性の声だった。


「今のこっちの状況は見えるか?」

『見えてるわ』

「そうか。なら、少し急いでくれ。相手は、こちらが把握しているだけで上級兵クラスが一〇人以上だ」

『ふぅん……。別に雑魚じゃん』


 オズが冷静に伝えると、相手は状況に反して軽い口調でいった。


「万が一に備えたい」

『はぁいはい。わかっ――』

「出て来いってんだろ!!」


 一際大きな衝撃が馬車を揺らす。

 馬車馬が驚きいななくが、馭者が見事に手綱で抑える。


「……仕方ない」


 オズは扉を開け階段を下りる。そして腰に差してある、橙色の長剣に手を掛けた。

 彼の迷いのない所作に、男たちは身構える。その数、二一名。

 うち一人が、オズに下卑たにやけ顔を浮かべて近付いてきた。


「どこの坊ちゃんか知ねえが、運がなかったな。金目の物だけ置いていってくれや」

「……命だけ置いていけの間違えだろ」

「ああん?」


 歯に着せぬ物言いに、男が顔を歪めた。

 オズの言わんとしていることに鋭く気付いた一人が、腰から剣を抜き放つ。見るからに、野盗が持つには過ぎた上等な剣だった。


「おい、こいつ。もう気付いてるぞ」

「ちっ」


 剣を抜いた男がいうと、他の男たちも次々に剣を抜き放った。

 同時に、オズも長剣を抜く。そして、左手には金色に輝く鞘が握られていた。


「――じゃあ、いっちょ死んでくれ。どこぞのお坊ちゃん」


 数的有利からくる自信だろうか。

 最初に声を掛けてきた男は、迷うことなくオズに剣を振り下ろした。かけ離れた実力差を鑑みずに――


「あ゛?」


 男は理解できなかった。なぜ自分の右手が地面にあるのだろうか、なぜ自分の腕が黒くになっているのだろうか、なぜ、なぜ、なぜ…………。

 理解した時には絶叫を上げていた。


「あああああああっ! う、ううううでがああ! オレのうでがあああああーー!!」


 オズは手の内で長剣を一回転させると、灼熱を帯びた刀身を地面に突き刺した。

 土がどろどろに溶解し、異臭と異様な熱気が辺りを覆った。


「降参しろ。でなければ、全員ここで一人残らず死ぬことになる」

『っ……!』


 たったの一度の剣戟で仲間が右腕を失い、男たちは動揺した。

 数いる王国兵の中でも、エリートであるはずの自分たちの一人がこんな簡単に……。

 戸惑った彼らの視線は、一様にオズの持つ長剣へと向けられていた。

 ――あの剣だ。恐ろしいのは。それならば、同時に仕掛ければあるいは……。


「う……うおおおおおおあああ!」

「し、死ねええええ!!」

「……無視か、お前ら」


 怖気づく者が多い中、二人が先ほどの男と同じように接近をしかける。そして彼らは剣を振り抜き、薙ぎ払い――

 一人が剣ごと右手を溶断され、もう一人が金色の鞘で攻撃を防がれる。


「ぎゃああああああ!!」

「っ!?」


 そして返す刃で残りの一人も防御に回した刀身を熔かされ、右腕を肘から斬り落とされてしまった。

 男は苦悶に呻き、地に伏せる。腕を落とされた他の二人も同様のありさまだった。


「ひいっ!」


 右腕を失った男の一人が小さい悲鳴を漏らした。


「な、なんなんだよっ! その剣はっ!?」


 手負いの仲間を一瞥し、恐れをなした男の一人が叫んだ。


「く、くそっ! こいつ、強いぞ! 無闇に近づくな!」


 さすがに二回目の剣戟で、接近戦は不利だと男たちは理解したようだった。

 一八名まで戦力数を減らした男たちは、内八人が剣と盾を構えて前に出、残りが背負っていた弓矢を構えた。


「面倒だな」


 彼らを睥睨したオズがぼそっと呟いた。弓矢が放たれたのは、それと同時だった。

 寸分の違いなく、オズへと迫る凶矢。

 しかしその一〇本の矢は、目標に当たることなく、その眼前で見えない壁に阻まれた。


「魔法障壁かっ!」


祝福アビリティ》によるデメリットで弱体化しているとはいえ、ただの弓矢による攻撃程度ならば障壁で防げる。

 だが、袁翼鬼と戦うまで無駄に時間と体力・魔力を消費したくはなかった。

 ――長期戦をされるのが一番厄介だ。一気に片付ける。

 オズは体勢を前傾し、勢いよく男たちに突貫した。

 長剣で斬り払いを行い、盾と一緒に男の拳を真っ二つにする。あまりの激痛に、盾を持った男は悲鳴を上げて倒れる。

 ――残り、一七人。


「おいおい、冗談じゃねえぞ! 話が違う!」


 彼らの内の一人が叫んだ。

 その叫びに、オズは違和感を覚えた。


「ひ、ひゃあああ!」


 恐れ混じりの反撃。盾と盾の隙間から突き出された剣。それを鞘で防ぎ長剣で溶断すると、後ろに跳んで一旦距離を取る。


「なんなんだよ、こいつの強さは!」


 オズの身のこなしに男が吃驚する。


(先ほどの態度といい…………なんだ? いや、そういうことか。この男たち、俺が勇者だと知らされていないんだな。つまり、こいつらは公爵家の私兵ではなく、王国兵か! ……サムの奴やってくれるな!)


 兵士は大きく二種に分けることができる。一つは貴族各々が擁する私兵。そしてもう一つが国に仕える兵士、王国兵だ。

 オズは男たちの置かれている状況を理解した。彼らは、騙された王国兵だったのだ。

 ランベルスは王宮では執政官として絶大なる権力を握っている。それを利用すれば王国兵を私的に利用することは可能だ。おそらく男たちはオズの妨害と、王宮の行う依頼精査を切り抜けるための道具にされたのだろう。

 ランベルスは常日頃、国益だ国力だ何だのと国をおもんばかる発言をするが、それは本性を隠すための方便に過ぎない。国という言葉をフライターク家へと置き換えれば、なるほどしっくりくる。


「そういうこと……あんたら、可哀相ね」

『っ――!?!?』


 突如、背後から掛けられたくぐもった女性の声に、男たちは驚愕を浮かべる。

 その瞬間だけ、彼らはオズのことなど忘れ、背後を振り返った。

 そこにいたのは、膝上ほどの丈の赤いパーティードレスに身を包んだ女だった。

 ドレスの色に合わない青白の二の腕までのウェディンググローブを着け、黒のニーハイソックス、厚底の黒いブーツを履いている。頭部も右半分は坊主に近い短髪で、左半分が赤髪の長髪となっている。何ともチグハグな印象を与える恰好だった。


「ひゃぁぁああ!」


 それよりも、女性の顔のあまりのおぞましさに悲鳴が上がった。

 彼らの目が捉えたのは服装よりも、口周りの皮膚がない、歯を剥き出しにした白塗りの面だった。右目元には赤いハートの刺青、反対側には青い涙の刺青が彫ってある。目尻は下がっているが、眉尻は吊り上っている。

 喜んでいるのか、怒っているのか、泣いているのか、それとも笑っているのか……。

 道化師が内に秘めた激しい愛憎を晒け出したような、そんな奇怪な仮面だった。


「落ち着け、ただの面だ。演劇でもよく使われているだろう」


 さきほど、指揮をしていた男がいった。彼がリーダーを担っているのだろう。


(とは言ったが……あんな気色悪い面、初めて見たぜ)

「ぁ……ああ」


 気の抜けた返事を悲鳴を上げた男が返した。その顔は未だに蒼い。


「オズゥ……どうするの、こいつら。皆殺し?」


 男たちを挟んで、そういった仮面の女は首を傾げる。


「いや、少し待て」


 オズが制止の言葉を投げかけると同時に、仮面の女の放った『オズ』という単語に、指揮をしていた男が目を見開いた。


「オズ……だと? まさか、オズワルド・レイヴンズ!? 《錬金の勇者》っ!」


 それは、彼らにとっては予想だにしていなかった名だった。リーダーの男以外の者たちも、動揺し、ざわめいた。

 事前に標的の名前の確認くらいできれば、こんなことにはならなかっただろうが、貴族を襲う汚れ役を演じるほどの者たちだ。生憎彼らはそれが可能なほど立ち回りが上手いわけでも、『祝賀会』に出席できるほど地位が高いわけでもなかった。

 自分たちが襲っていた相手を理解し、彼らはその愚かさに途方もない後悔の念を抱く。

 噂に聞く、あの《炎の勇者》ハインツ・ヴァイルを決闘で破り勇者となった猛者を、こんな少人数で殺せるわけがない、と。


「わかっていて襲ったんじゃないのか?」


 黒幕の見当はついているが、確認のためにオズが訊く。すると、そのリーダーの男は首を左右に振った。


「し、知らなかったんだ! お、俺たちは何も! なあ!」


 隣の男に同意を求めると、弓矢を持ったその男は頷いて、


「俺たちはただ、頼まれただけなんだ!」

「――ねえ、誰に?」


 肌が粟立った。

 耳元で囁かれた、なまめかしい声。それはさっきまで、一〇メートルは後ろにいた仮面の女のものだった。

 いつの間に――!


「言わないとぉ、首斬っちゃうよ?」


 首筋に冷たい感触が伝わる。

 恐怖に駆られるまま視線を下ろすと、鈍色のトレンチナイフが不気味な輝きを放っていた。

 仮面の女から漂う、菓子のような場違いな甘い香りが、男の感覚を狂わせる。

 周りの仲間たちが突然の事態に混乱している中、極限状態になった男は易々と暴露した。


「や、やめてくれ! 言うから、殺さないでくれ! クルゼ男爵だ!」

「お前っ、自分が何を言っているのかわかってるのか!」


 リーダーの男が焦って叫んだ。


「……誰だっけそれ?」

「学園長か!」


 とオズが驚いていうと、仮面の女は、「ああ……そういえば、そんな名前だったわね」、と興味なさそうにいった。

 彼にそんな権限があるわけ――、そう呟いたオズは困惑している男たちを見回し、


「俺が誰だか理解してもなお、戦いを望む者はいるか? お前たちには訊きたいことがあるんだ」

「くっ……」


 リーダーの男が渋面を作って一歩後退る。

 これは最終警告だった。

 もし、戦意を見せれば容赦はしない。野盗として殲滅する。

 そう、オズの目が告げていた。


「それと……そこにいる《女道化師キャンディクラウン》は俺や《炎の勇者》よりも強いぞ。万が一にもお前たちに勝ち目はない」


 国境線での戦いで防衛部隊に配属された際、ハインツの力の一端を見ているリーダーの男は絶句した。


「そ、そんな台詞が信じられるわけ――」

「信じないならそれでもいい。その時は、お前たち全員、ここで死ぬだけだ」


 鋭い眼光がリーダーの男を射貫く。彼はぶるっと肩を震わせると、慌てて、


「ま、待った! お、オズワルド・レイヴンズ……様! き、君、いや、貴方の力は理解している!」


 そういって手に持った弓矢、腰に提げた剣と盾を地面に投げ捨てる。

 一瞬呆気にとられた後、他の男たちも続いて武器を地面へと放った。

 リーダーの男は一度目を伏せると、唇を噛んで、


「……降伏する」

「……安心しろ、命までは取らない。……クラウン」

「はいはい。解放して差し上げますよっと」


 ふざけたような口調でいうと、仮面の女――クラウンは怯える男の首筋からトレンチナイフを離した。


「お前がこの部隊のリーダーでいいんだな?」


 オズが今までやりとりをしている男に訊くと、彼は力なく頷いた。

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