第14話
翌日、二月二七日。
『すまない……。すまない……、オズ。私の力が足りないばかりに……』
今朝、レーゲン候へのグロウリンクの通信を終えた後、父が力なくいった一言だ。
嫌な予感ほどよく当たると思うのは何かの錯覚だろうか。
オズが勇者となったこと、教室中がその話題で持ちきりとなった余白の朝の時間。
彼の周りに集まった生徒を掻き分け、一人の生徒が尊大に床を踏み鳴らした。
「オズワルド・レイヴンズ」
「……サムか」
「ランベルス・フライタークの代理人として貴様に命じる。今よりテンネスへと向かえ」
自席に座るオズを見下ろし、公爵家次男サム・フライタークが依頼書である羊皮紙を開いて見せ、父ランベルス・フライタークからの通達を告げた。
依頼人の名を見たオズは、不審そうな顔つきをして、
「今から?」
それに対し、サムは偉そうに大きく頷くと、
「ああ、そう言ったはずだが? 安心しろ、学園側は既に承知済みだ」
昨夜からまだ半日も経っていないというのに、どうやら根回しの方は既に済んでいるらしい。
普段の愚鈍な振る舞いとは大違いだ。
あまりの手際の良さに、さすがのオズも舌を巻く。
だが、冷静に考えて、この男がそんなに優秀だとは思えない。おそらく、事前に父のランベルスが仕込んでいたのだろう。
「……了解した。君の御父上には、今から依頼遂行に取り掛かる、とそう伝えてほしい。それと……その依頼書はこちらで預かってもいいか?」
「ふん。構わんよ。それで、
まるで、遺言を聞いてやる、みたいな口ぶりだ。
その意図するところの底意地の悪さに、オズは眉根を寄せた。
「ねえ、オズ。依頼ってどういうこと? それって勇者としての何かの任務なのかしら?」
二人の会話を聞いていたラウラが、正面の席から振り返って訊いた。
「お前には関係のないことだ」
オズが何かをいうよりも早く、サムが遮るようにいった。
「あら、私もオズと同じ勇者よ? 公爵様からのその『依頼』とは、無関係ではないはずなのだけど」
「これはオズワルド・レイヴンズにのみ課された特命だ。普段のものとは別枠として考えて貰おうか」
「何よそれ。そんな屁理屈が通用するわけないでしょ」
「これはオズワルド個人宛てのプライベートな依頼だ。お前とは無関係だ!」
「なら個人として、オズの婚約者――将来の妻として聞かせてもらうわ! それなら私にも関係あるはずよね?」
突如勃発した言い争いに、ラウラの衝撃的な発言に、生徒たちがぎょっとして二人に注目した。
執拗に食い下がってくるラウラに、サムは怒りで顔を真っ赤にした。
「ごちゃごちゃうるさいんだよ、お前は! 女は女らしく大人しく黙ってればいいんだよっ!」
「何ですって!」
女性を人として見下した発言に、ラウラや他の女生徒たちは不快げに口をへの字に曲げる。
「それぐらいにしておけ、ラウラ」
今にも飛び掛かりそうな態勢のラウラを注意する。
仲裁したオズに、彼女は不服そうに目を細めた。
「ラウラ。君はさっき自分でオズワルドは婚約者だと言ったな?」
「ええ、言ったわ。それが何か?」
ラウラが答えると、サムは弛んだ頬を震わせて笑みを浮かべた。
――まずいな。
オズはサムの悪意に満ちた笑みに、事態の悪化は免れないと直感した。
「おい、オズワルド。随分と躾のなってない婚約者だな? こんなに噛みついてきて、ちゃんと調教しなきゃダメじゃないか」
「っ――」
「それともあれか、ラウラ。お前、本当はオズワルドに鬱陶しがられてるんじゃないのか? そうやって『強い』というだけで、立場を考えずに物を言う。奥ゆかしさの欠片もない」
「くっ、言わせておけば――!」
サムの俗悪な言葉に、羞恥と怒りでラウラの顔に赤みがさす。
彼女は激情に任せて右手を振り上げると、平手を作った。そしてその手をサムの頬目掛けて振り抜き――
「ひぃっ――」
オズに手首を掴まれ、動きを止めた。
「ちょっと、放してよ!」
上目で抗議の視線を投げてくる。
「それぐらいにしておけと言ったはずだ」
オズの有無を言わせない迫力に、ラウラは喉を鳴らして黙った。
彼を本気で怒らせたと思い蒼褪める。逆に鎮火したようだった。
「……婚約者が無礼を働き、申し訳ない」
オズはサムに頭を下げた。
「さ……最初っから、そうやって殊勝にしていればいいんだよ」
腕を組んだサムが、ぎこちない嘲笑を浮かべながらいった。
その驕慢な姿勢に、良い感情を抱いている者はいないが、声を出して非難する者もいなかった。
なぜなら、この学年で彼の家柄が一番爵位が高いからだ。
真っ向から彼に楯突いて無事で済んでいるのは、ラウラとロッティくらいで、ロッティに関しては例外だ。
サムに生意気な口をきいても許されているのは、教授をやっている姉のナディアの存在によるところが大きかった。
「ほらほら。早く行ったらどうなんだ、オズワルド。期日は四日後、
「四日後? その旨は口頭だけではないだろうな」
「依頼書に書いてある、よく読んでみろ」
慌てて依頼書を見る。王宮から押された印、そのすぐ下に小さく期日が書いてあった。
――幾らなんでも短過ぎる。
テンネスまでは魔導具の備えられた高速の馬車を使っても、一日はかかる。往復で二日。さらに討伐に当たるに、リーマ伯爵に討伐立案や、作戦の説明のために面会をしなくてはならない。討伐後の様々な面倒な証左手続きも含めると、実質討伐に当てられる時間は一日あれば多い方だろう。
仮に失敗しても、立てた『計画』自体が狂うわけではないが、父の立場が危うくなる。
「……ラウラ。俺が留守の間、面倒は起こさないでくれよ」
サムを殴ったりしないようにと、釘を刺しておく。
「わ、わかってるわよ」
どもった答えは、実に信用ならない。
オズは内心で、本当にわかってるのか? と疑りつつも、気が逸る。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、サムは窓の外を指して、
「言い忘れていた。テンネス行きの馬車はこちらで用意させてもらった。今頃正門前で待機しているはずだ」
「……わかった。すぐに向かう」
(子飼いの連中がやはりついて回るのか。公爵家はずいぶんと人手が余ってるらしいな)
「あ、オズ……」
ラウラが手を伸ばすが、オズはそれに応えることなく教室から出ていく。
まるで飼い主に捨てられた犬のように、ラウラはその美貌に絶望を浮かべた。どうしてか、オズの背が消え入りそうに見えたためだ。
「わ、私も行かないと……」
突いて出た言葉は震えていた。
サムの口ぶりからして、オズが碌でもない依頼を任されているのは明白だった。そんなことを、彼一人に任せておくなんてできない。
――私が、私がオズを守らないと。
ラウラは慌ててオズの背を追いかけた。
「おっと、どこへ行く?」
だが、その歩は教室の入り口で止められる。
予想だにしない男の登場に、ラウラは目を見開いた。彼女だけではない。ちらほらと登校してきた他の生徒たちも驚いてざわめき始めた。
「なんで貴方がここにいるの? 弟の授業参観は先月でもう終わったでしょ、ヤーコフ」
「――――ふぅー……相変わらず口の減らない」
《爆炎の勇者》ヤーコフはラウラの嫌味に目じりを引くつかせた。初っ端から苛々が募ったが、深呼吸でどうにか心を落ち着ける。
彼は背後を振り返ってオズがいないことを確認すると、
「父上からの頼みでな、君を迎えにきた。勇者ラウラ・レーゲンに『法王』からの討伐依頼がきている」
「猊下から? どうしてあの方が……」
ラウラは戸惑いを隠せなかった。
なぜこのタイミングなのだろうか? まるで図ったかのようにどんぴしゃだ。
だが、ヤーコフは彼女のその疑問を笑い飛ばすかのように、突飛な内容を告げてくる。
「ヴェダッサ湖にケルピーが出現した」
「ケルピーですって!?」
ラウラの驚愕と共に発せられた質問に頷き、ヤーコフは続けた。
「湖畔の漁師や警備兵が既に何人も食い殺されている。このままではヴェダッサ湖が、人の立ち入れない場所になってしまうとの猊下の判断だ」
ケルピー。またの名を水棲馬。
魔獣を超える幻獣というカテゴリに分類され、その討伐難易度を示すランクは『A』。世界最強の種族、竜種と同格だ。ランク的に見ても、ラウラと同格。彼女ですら一瞬の油断で、命を失いかねない。
「ヴェダッサ湖はたしか、猊下の治める領地トリータに面しているわよね? そんな、人が管理している場所にどうして……」
歴史を紐解いてみても、ヴェダッサ湖にケルピーの目撃情報はない。
彼らは人の姿に化けて騙し、襲って食らうという言い伝えがあるが、魔族領に近い西のムルジア連邦最西端の湖での話だ。
ケルピーの恐ろしさは伝説となって伝わっているが、ムルジアの湖、エーレブルー湖でしか存在は確認されていないはずである。
「ケルピーは食物連鎖の最上位に位置する幻獣の一角だ。人の都合なんてお構いなしさ」
「だとしても、なぜ? もともとヴェダッサ湖にはケルピーなんて危険な幻獣、存在していなかったじゃない。それに昨年調査を行った時も、痕跡らしきものは見つからなかったはずよ」
「調査とはいっても、湖全域を事細かく隅々まで調べ尽くしたわけじゃない。たまたま見つからなかったんだろう」
調査は二年に一度、湖畔の岸辺から浅瀬までに限られる。調査施行日前から仮にケルピーが深場に潜っていた場合、何も見つからなかったのは頷ける。それか、調査後にやって来たのかもしれない。
だが、何よりも気に掛かることがあった。
それはケルピーが起こした被害というものは、昨日の今日ではなさそうだということだった。
「……その討伐依頼は本当に猊下からのもの? トリータは今どんな様子なの?」
「何とか、落ち着いているよ。これも猊下のおかげかな」
ヤーコフの答えに、ラウラは胡乱げに目を細める。
幻獣の力は、街一つを容易く壊滅させる。ケルピーが現れたとなったら、法王の統治下の元、他都市と比べて識字率が高く、伝承に詳しいトリータの民はパニックになるだろう。
しかし、ヤーコフは落ち着いているといった。――ありえない。
法王は権威はあるし、人望もあるが、混乱した人々の心を鎮めるような力はない。
「……猊下からの依頼書を見せて。実物で」
「そういうと思って持ってきておいた」
得意気な顔付きで、ヤーコフが懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
ラウラはそれを引っ手繰ると、目を通し――
「本物?」
右下隅の枠組みに押された法王印に驚きの表情を浮かべた。
「兄貴の事を疑うのかよ?」
今まで黙って会話を聞いていたサムが訊いた。その目には静かな怒りの炎が宿っている。
「疑うに決まってるでしょ。不審過ぎるもの」
「何だとお前!」
「おい。よせよ、サム」
「兄貴……」
ラウラににじり寄ったサムを、ヤーコフは片手で遮る。
そのキザったらしい所作は、自分を女性から良く見せようという魂胆からきている。女性に対しては紳士的で、優男風なヤーコフであるが、その本質はサムと同類だ。
人面獣心。この男の方がよっぽど魔物だった。
「ここにある法王印が何よりの証拠だ。まさかとは思うが、猊下の依頼に背くなんて言わないよな?」
「……背くと言ったら?」
「その時は、猊下がお前の父の秘密をフィッツベルク中に知らしめるだろうな」
「な、何のことかしら?」
「白を切るつもりか? パレイア教徒はなんて思うかな、レーゲン侯がリリの葉を愛でる趣味があると知ったら」
「――っ!?」
ヤーコフの予想だにしない脅しにラウラは声を失った。リリの葉は、アルタミラ教の
――どうしてこいつが? まさか……法王が情報を漏らしたの?
父、ロベルトは領地内で無宗教を謳うことによって、フィッツベルク内に存在している全住民の三割を占めるパレイア教徒と、アルタミラ教徒の調和を長らく図ってきた。このおかげか、数的劣勢であるパレイア教徒の市民たちは今のところ、排他的思考を持つアルタミラ教徒たちに迫害されずに済んでいた。
しかし、もしパレイア教徒に対する父の不実が明るみになったら……。
考えるだけでも恐ろしかった。
「ラウラ、わかったか? お前に拒否権はない」
口元をいびつに歪め、目を嗤わせてヤーコフが宣告する。
父と領民を人質に取られたようなものだった。ラウラは俯き、こくりと頷くことしかできなかった。
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