第13話

「ああ……、疲れた」

「ようやく帰ったか」


 パーティーから地下施設へ帰ってきたカリオストロを、オズが出迎えた。すでに懐中時計の短針は『Ⅹ』の数字を指している。

 自然と同じ顔が向かい合う。まるで鏡が目の前に現れたようだった。

 カリオストロはオズを一瞥してのっそり歩くと、どかっと三脚椅子に座って、「ふうぅー……」、と息を吐き出す。彼は草臥れてしばし無言だったが、


「……おい、オズ」

「なんだ?」

「影武者はこれっきりでいいんだろうな?」

「いや。学園を卒業した後、魔法院に入ってから……また一月後から再びやってもらう」


 オズがそう答えると、カリオストロはげんなりした。


「おいおいおい。勘弁してくれねえか? あのお嬢ちゃんにはもう疑われてるんだが」

「なんだと?」


 カリオストロの言葉に、オズは眉を吊り上げた。


「ラウラには注意しておけと、あれほど言っただろうに」

「いや、言われたけどなっ。このつらと声でお前オズじゃないなんて思う奴がいるか?」


 苛立たしくそう訊くと、オズは首を横に振った。


「普通は思わないな。……仕方ない、影武者の話は一旦保留にしておこう」

「それはいいけどよ、こっちの《祝福》が使えないのはどう誤魔化すんだ?」

「議会であれだけ大々的に証明してみせたんだ。いつも通り隠しても、、、、深くは言及してこないはずだ。仮に下の連中が何か言ったとしても、上には戯れ言として笑われるだけだ」

「あのお嬢ちゃんに疑われた場合はどうする?」

「その時はうまく誤魔化してみせるさ。ラウラに関しては、はぐらかせば深くは追及してこない。あの子はそういう距離を弁えた子だ」


 オズが答えると、カリオストロは目を細めて髭を撫ぜた。


「そう上手く行けばいいがの……」


 回答の曖昧さに一抹の不安を抱いたカリオストロは、逃避するように部屋の隅に置かれた粗雑なベッドに横たわった。


 ◇


 ヴァレンティン・レイヴンズが開戦派代表、ランベルス・フライターク公爵から呼び出しを受けたのは、オズワルドとラウラの婚約を各貴族に報告し、祝賀会が終わった直後の事だった。

 ランベルスが招いたフライターク公爵家別荘の貴賓室は豪華で、パーティー会場にも負けず劣らずの内装だった。過ぎた成金趣味に、ヴァレンティンは神妙な顔つきとなって毛皮のソファにかけている。


「レイヴンズ伯爵。一体どういうことかね?」


 向かいの椅子に腰かけたランベルスが怒気を滲ませて訊いた。


「ど、どう、とは? 閣下は何にそんな、お怒りになられていらっしゃるのでしょうか?」

「わからんのかね?」

「もしや倅が勇者だったことに関してでしょうか? それに関しましては議会開催の前に、事前にご報告なさったはずですが……」


 金細工のようなシャンデリアから降り注ぐ光が、ヴァレンティンの頬を伝う汗を映した。

 ランベルスはヴァレンティンの答えに嘆息し、少しの間を取って口を開いた。


「私が訊いているのはそんな、、、どうでもいい事、、、、、、じゃないんだよ!」


 唾を飛ばす剣幕で言い放つ。


「で、では……?」

「なぜ勝手にラウラ・レーゲンとオズワルド・レイヴンズの婚約を取り決めた? あれ、、は私の倅のものだ!」


 ランベルスの台詞に思わず喉が鳴った。

 ヴァレンティンは己の行動が裏目に出てしまったことを悟る。

 ラウラ・レーゲンの開戦派傾倒の目論見を立てていたのは、なにもヴァレンティンだけではない。ランベルスもその一人だった。彼からすれば、部下に獲物を横取りされたようなものだ。


「倅のサムの話では、後もう一押しのところだったそうじゃないか。ええ?」


 何の根拠もない、妄言としか思えなかった。

 オズから聞いた学園内でのラウラと公爵家次男――サムとの関係は険悪だという話だった。他の貴族の子息達もいっていたし、ヴァレンティンが彼の名を出した途端に、レーゲン侯が鬱陶しそうな顔つきをしたのを覚えている。

 だからこその二人の婚約だった。この婚約は開戦派に多大なる貢献をしたはずである。

 だというのに、なぜなのか。


「……申し訳ありませんでした。ですが、もう婚約の発表はしてしまいました。引き返すことはできません」


 これは、できる限りの精一杯の実直な回答だった。

 しかしその答えにランベルスは、「そうかそうか、それは残念だ」、と低い曇り声で呟いて、テーブルの上に置かれた銀製のワインクーラーからボトルを手に取った。

 彼は栓抜きを手に取って外すと、ヴァレンティンの空のグラスへと中身を注いだ。


「すまないねえ、レイヴンズ伯爵。今は時期が悪いせいか、こんなしょうもない、、、、、、ワインしかないんだよ」

「……いえ、お気遣いありがとうございます」


 低頭したヴァレンティンがボトルのラベルを見ると、そこには『ⅩⅩⅩ ベルティック 産地:ベルティエ』と書かれていた。三〇年ものだった。

 自領民が汗水垂らして作った渾身の一作を馬鹿にされ、頭がかっと熱くなる。だが、感情に身を任せるほど彼は間抜けではない。ぐっと堪え、ワインを一口含む。


「非常に美味しいです」


 とヴァレンティンが感想を告げると、ランベルスはコケた頬に皺を作り、意地悪くにんまり笑った。


「ところで、物は相談なんだがね」


 居住まいを正してランベルスがいった。

 あまりの切り替えの早さだが、これが彼のクセのようなものだった。

 ヴァレンティンはランベルスの態度に合わせ、荒む心を落ち着けた。


「最近、テンネスのリーマ伯爵から闇魔獣――袁翼鬼による被害の報告が多数上がっているんだよ」

「テンネスでですか? 闇魔獣……袁翼鬼ですか、珍しいですね。五年ぶりでしょうか?」


 テンネスは王国最南部のレケナ山脈の麓にあるリーマ伯爵家の領地だ。

 レケナ山脈とその麓に広がるマレール樹海には数多の魔獣が生息している。そのためか、領民の殆どが獣を狩る狩人であり、彼らはその獣や魔獣の素材を売買して生計を立てている。

 だが彼らのターゲットとしている魔獣は精々下位の魔獣であり、闇魔獣のような上位の魔獣が出現すること自体が稀だ。

 種類にもよるが、闇魔獣などいくら狩人が集まったところで、討伐は不可能だろう。

 ランベルスは鷹揚に頷くと、


「狩人は所詮、格下の獣を狩ることしか能のない連中だ。それに碌な魔法も使えん。しかし、奴らの隠密能力は侮れんものがある。戦争が再び始まれば、暗殺者としては有用に使える。無為にその数を減らすのは、国力の損失そのものだ。わかるな?」

「では、討伐隊を編成なさると? その中にオズワルドを、というところでしょうか」

「察しがいいじゃないか」


 ランベルスはにやにやとした笑みを浮かべ、話しを続けた。


「是非、オズワルド・レイヴンズを討伐に向わせてほしい。依頼書も既に作成済みだし、後は君の返事次第だ」

「はっ、かしこまりました。是非、引き受けさせていただきます。ところで閣下、討伐に向う勇者の数などはお決まりなのでしょうか?」

「一人だ」

「――――は? い、今なんと……?」


 ヴァレンティンは我が耳を疑い、ランベルスの正気を疑った。


「二度も言わせるな、レイヴンズ。一人だ」

「ふっ――不可能です!」


 蹴立てたヴァレンティンは、顔面蒼白であった。

 その表情が、袁翼鬼の危険性を物語っている。


「袁翼鬼はランク『B』の魔獣ですよ! つまりは『勇者と同格』の力を持っています! 通常は勇者二人以上で討伐隊を組んでいるではありませんか!」

「君の息子は、一対一の決闘で《炎の勇者》を下しているではないか。『勇者と同格』程度、、であれば、何も心配することはないのではないかね? それに兵も幾人か加わる。心配のし過ぎだよ、君は」


 ランベルスは嘲笑を浮かべ、続けた。


「それともあれか。決闘で勝ったというのは嘘だったのか? 嘘だというのならば、君の息子の序列五位という評価は、不当なものといえそうではないかね? んん?」

「い、いいえっ! 息子は、オズワルドは、そんな男ではございません!」

「……なら、何も問題はないな。存分にその力を奮って欲しいものだよ。陛下もお喜びになられるに違いない。君の評価も、また一段と上がるのではないかね?」


 ソファに深く凭れ、ランベルスは冷酷にいった。

 ヴァレンティンは応えることなく、血が滴るまで唇を噛んだ。

 ランベルスは立場を利用した駆け引きが非常に巧みな男だった。

 もしヴァレンティンが息子の身の安全を優先し、この討伐依頼を断れば、軽くて開戦派除名処分というところか。

 辣腕な為政者であるランベルスの事だ。首を縦に振らなかった場合に備えて、蝙蝠であることをばらし、オズとラウラの婚約を破棄させるという脅しや、レイヴンズ家を没落させるシナリオも考えていることだろう。


「これは、オズワルド・レイヴンズの戦闘能力をしっかりと知らしめるための、謂わばテストのようなモノだ。仮に失敗したとしても、心配には及ばんよ。その時は息子のヤーコフと、ハインツ・ヴァイルを向かわせるのでな。まあ……、君は涙を呑むことになるだろうがねえ」

「せ、せめて……《炎の勇者》の同行だけでもご許可願えないでしょうか?」


 真っ青になった唇を震わせ、懇願する。


「くどいっ! そんなに私の命令が聞けないというのなら、君はこの派閥から出て行ってもらうことになるが……。どうする?」

「っ――! 出過ぎた真似を、も、申し訳ありませんでした……」


 慌てて頭を下げる。


「私としても、今君に抜けられると困るんだ。……なあ、レイヴンズ。これからも上手くやっていこうじゃないか、お互いに。なあ……ええ?」


 片眉を上げ、歯を見せて不敵に笑い、立ち上がってヴァレンティンの肩を軽く叩く。

 裏の世界の人間のような、いつもとは真逆の印象を抱かせる態度に、ヴァレンティンの背筋は冷たくなる。

 空恐ろしい男だ。

 ヴァレンティンに残された答えは一つしかなかった。


 フライターク公爵家を後にし、失意に沈んで帰路に就く。

 どんよりと曇った頭の中は、オズをどう助けるかという考えで埋め尽くされていった。


 ◇


 梟の鳴き声がよく通る夜半。

 別荘のリビングルームでは、目を真っ赤にしたヴァレンティンがオズに頭を下げていた。


「オズ、すまないっ!」

「いきなりどうされたのですか」


 父のいきなりの奇行に、面食らう。

 ヴァレンティンの意気消沈した様子は、只事ではない何かが起きたことを予感させた。


「お前に名指しの討伐依頼が挙がった」


 勇者には貴族から出される討伐依頼は請け負わなくてはならない、という義務がある。

 当然、討伐依頼自体、不正なものではないかと精査されるが、相手はあの公爵だ。表向きは勇者と複数名の騎士での討伐ということになっているが、しかし、その騎士というのが彼の子飼いの徒であろうことは明瞭だった。


「俺にですか? 唐突ですね。それで、その依頼の討伐対象とは?」

「袁翼鬼だ」

「袁翼鬼ですか……。結構な大物が出ましたね。そいつの住処はどこなんです? ベルティエ周辺では目撃情報すらないはずですが」

「テンネス南部の樹海。それも、討伐隊の勇者はお前一人だけだ」

「え……、なんですかその依頼は? ずいぶんと無茶苦茶ですね。まるで、俺を殺そうとしているみたいじゃないですか」


 オズは摩訶不思議なその依頼に顔を顰め、首を傾げるが、すぐにそんなことをいってきそうな人物に見当がついた。


「父上。もしや……フライターク公爵ですか、依頼主は」


 ヴァレンティンが、ばっと顔を上げた。図星だったらしい。

 彼は切羽詰まった様子でオズの両肩を掴むと、


「大丈夫だ、オズ。討伐に向かう前に、レーゲン侯に協力を呼び掛けてみる。きっと協力して下さるはずだ」


 なにせレーゲン侯爵の娘、ラウラはオズの婚約者だ。彼女が婚約者の命の危機を無為に見過ごすはずがない。

 彼女さえ加わってくれれば、それだけでオズの命の安全は保障されたようなものだ。


「そんなことをして大丈夫なのですか、父上? きっと監視者がついて回りますよ。公爵の指示を反故にしては、まずいのではないですか?」

「……そんなことは百も承知だ。だが、お前はたった一人の私の息子。リイナのためにも失うわけにはいかんのだ」


 妻であるリイナが死の間際にいった、オズをお願い、という言葉がヴァレンティンの中で反芻していた。まるで呪いのように、その言葉は毎日幾度も繰り返されている。

 蝙蝠などしなければ、こんなことにはならなかっただろうか――と後悔するが、復讐心を抱かなければ立ち直れなかったのも事実だった。

 息子と復讐。両天秤に掛かった重さは、もはやヴァレンティンという支柱を圧し潰そうとしていた。

 ――一応、あいつに連絡を取っておくか……。

 ブレスレットを触り、オズはグロウリンクを起動させて繋げる。これで通信相手はこちらの会話を傍受できる状態となった。

 グロウリンクを軽く爪先で叩くと、同様の振動が返ってきた。通信先がアクティブになったのを確認し、オズは会話を続けた。


「父上、俺は平気です」


 そういってオズは力強くヴァレンティンを見据え、


「袁翼鬼はたしか、炎に弱いはず。それならば、こちらで対袁翼鬼用の道具を用意できます」

「本当か、オズ」

「ええ」


 息子の頼もしい言葉に、奈落の底のようだった表情に光が差した。


「ですが、それには多少時間がかかります。公爵から期日の指定などはされているのでしょうか?」

「いや、詳細は侯爵の次男に追って連絡させると言っていた」

「そうですか……」


 ヴァレンティンの答えに、オズは顔を顰めた。次男のサムが関わっている時点で嫌な予感しかしない。

 

「父上。最悪の場合、明日からその討伐を命じられる可能性もあるわけですよね?」

「さすがに無いとは思いたいが……あり得ない話ではない」

「わかりました。ならば最悪を想定して、早速準備に取り掛かろうと思うのですが」

「すまない。頼んだぞ……オズ」


 背を向け、リビングを後にしたオズの背は、いつもより大きく見えた。

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