第11話
二月二五日。朝、九時。
キーリス王国は封建制度の色が強く、帝国とは違って君主の独裁政治色が薄い。その違いが浮き彫りとなって形に表れているのが、王国議会である。
議長の席に国王、その両隣には宰相と法王が腰を下ろす。そして開戦派と和平派の貴族たちが、それぞれの派閥に分かれて席へと座っていく。
王国議会には重要性の高く、すぐに結論を出せるもしくは出さざるを得ない案件を最初に議論する、という暗黙のルールがある。これは国王であるデニス四世の
齢五〇にして巌のような威厳さを醸し出したデニス四世が、隣にかける宰相に視線を送る。
その視線を受け、目つき鋭く男が口を開いた。
「これより、聖暦一四六年二月期の定例議会を執り行います。さて……さっそくではありますが、議題に移ろうかと存じます。よろしいですね?」
王国宰相である王弟――バルトロメウ・キーリス大公が全体を見回して問う。銀色混じりの黒髪をオールバックにした岩のような厳つい顔。彼がぐるりと見回すと、誰一人言葉を発することなく静寂が訪れる。
バルトロメウは鷹揚に頷いて言葉を続けた。
「異論はないようですので、始めます。皆さまも気に留められておられる、最初の議案『六番目の勇者の可否』ですが、これに関しては起きた事象自体つい先日の事でして、報告書を読んだ私が説明するよりも、この件に詳しい方々にまずはお話を伺いたいと思います」
ちらりと隣席の国王を見る。デニス四世は整えられた口髭を一撫ですると、黙って続きを促した。
「ではまず、王立学園理事長マテウス・クルゼ男爵」
「は、はい」
和平派の一席から、額をてからせた男が立った。
「本議題の人物。オズワルド・レイヴンズに関してですが、彼が決闘で《炎の勇者》ハインツ・ヴァイルを下したという報告は事実なのですか?」
「じ、事実でございます。我が校の教員が複数名、そして一〇〇名を超える……全体の九割にも及ぶ生徒たちが証言しております」
「その教員はどなたですか? 挙げる名は主だった方で結構ですので」
「はっ。『実戦訓練』の指導をしておりますレックス・リュデイガー教授と、『錬金術』の指導をしておりますナディア・ガリレイ教授であります」
額から溢れた汗をハンカチで拭い、クルゼ男爵が答えた。挙げられた名前に貴族たちがざわめく。
レックス・リュデイガー。齢五三歳。前世代の勇者唯一の生き残りであり、市井の民でありながら一代限りの名誉貴族の称号を与えられた傑物だ。現役を退き、次代の教育者となって隠居した今でも、彼を特別視する者は多い。
和平派の席に座る彼に一斉に視線が集まった。
貴族の纏う華美な衣装に身を包んでもわかる、盛り上がった筋肉の鎧。頼りなく痩せ細った、または情けなく肥え太った体つきばかりの会場内で、ただ一人その姿は浮いていた。
「ふむ。リュデイガー勲功爵。クルゼ男爵の発言は事実ですか?」
「はい。事実であります」
宰相の圧し潰すような威圧感に動じず、はきはきと答える。
さすがは歴戦の勇士だ。肝が据わっている。
「なるほど……。ナディア・ガリレイ教授はこの場にはいませんが、まあ、学園側の証人は二人も居れば十分でしょう」
次にバルトロメウは当事者の勇者の父、和平派の席にかけているオラフ・ヴァイル男爵へと目を向ける。
「ヴァイル男爵」
「は、はっ!」
びくりと肩を揺らせてハインツの父であるヴァイル男爵が返事をする。
「貴方の子息、次男の《炎の勇者》ハインツ・ヴァイルはレイヴンズ伯爵家の長男、オズワルド・レイヴンズに一対一の正当な決闘で敗れたそうですが。当人はお認めになられているのですか?」
「は、はい。認めています」
「ふむ、そうですか。では、次にレイヴンズ伯爵」
そういって、ヴァイル男爵の隣に目を移す。
「はい」
バルトロメウをヴァレンティンは真っ直ぐ見返した。その表情はどこか誇らしげであり、優越感を滲ませている。
「貴方の子息はなんと?」
「オズワルドも勝利した事は事実である、と認めております」
「そうですか。――陛下、事実関係の裏付けはこの程度でよろしいですね?」
これらの問答は前口上だ。あくまでこれからの議案にすんなりと意識を向けさせるための、一種の儀式に過ぎない。
隣に泰然として座るデニス四世にバルトロメウが確認を取ると、デニス四世は頷く。そして重く低い声音で言葉を紡いだ。
「勇者が非勇者に敗北するなど言語道断。これは勇者という英雄像を打ち壊す、我が軍ひいては我が国、いや、世界全体を揺るがす取り返しのつかない
そういってデニス四世はヴァイル男爵を一瞥する。ヴァイル男爵の顔色がみるみる内に蒼くなった。
「すなわち、あってはならない事態である。しかしそれは彼、オズワルド・レイヴンズが本当に勇者でなかったなら、の話だ。さて、ヴァレンティン・レイヴンズ伯爵。貴方の子息は非勇者の、本当に一介の生徒に過ぎなかったのかね?」
デニス四世が問うと、ヴァレンティンは待っていたとばかりに、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「陛下、発言の許可を頂きたいと存じます」
「許可しよう」
「ありがとうございます。では皆さま、まずはこちらの資料をご覧になって下さい」
ヴァレンティンが手に持っていた羊皮紙を広げると、議会の議席周囲に控えていた衛兵たちが、他の貴族たちに彼の物と同様の羊皮紙を手渡していった。
「なっ、なんだこれはっ!」
「レイヴンズ伯爵、この内容は事実なのか!?」
「こ、これは、ばかな……ありえないっ!!」
手渡された羊皮紙に書かれた内容に、派閥関係なく貴族たちは驚愕と戸惑いに支配される。
そんな中、あらかじめこの報告書を読んで知っていた第三八代目法王、セレニオ・ホーラントが悠然として口を開く。頬のこけた、神経質そうな顔がヴァレンティンへと向けられた。
「レイヴンズ伯爵、この報告書に嘘偽りはないと言えるかね? 陛下と我らが主に誓って」
「はい。誓って申し上げます。嘘偽りはございません」
「うむ……」
即答したヴァレンティンにセレニオは鷹揚に頷くと、手元の羊皮紙へ目を落とした。そこには『オズワルド・レイヴンズの基礎能力及び祝福に関する報告』と書かれていた。
「《
唖然としてヴァイル男爵が独り言のように呟いた。
この議事堂にいるあらかじめ知っていた者以外が驚いた理由は、報告書に書かれた二つの《祝福》に見覚えがあったからだった。
「ま、待って頂きたい! へ、陛下、発言の許可をっ!」
ヴァイル男爵が切羽詰まった様子でいった。デニス四世は、「許可する」、と一言だけ発して続きを促した。
「こ、この報告書の内容が事実だとしたら、レイヴンズ伯爵! 貴方の御子息は――」
「お察しの通りです、ヴァイル男爵。息子オズワルドの《祝福》は《錬金の勇者》カリオストロ・クレイアと完全に同一のものであります」
「な――っ!!」
ヴァイル男爵は絶句した。
「《基礎能力》に関しては《
「そ――」
その根拠は――?
ヴァイル男爵は出掛かった言葉を飲み込む。ここでわざわざレイヴンズ伯爵家に対抗心を燃やし、せっかくの助け舟を沈めるのはあまりにも愚かだ。このまま息子のハインツが『一般人に敗れた』などということにでもなれば、勇者の位を剥奪されてしまう。
「そして皆さまには、今まで息子がこれほどの力を隠匿していたことをお詫びいたします」
ヴァレンティンの発言に誰もが眉間の皺を深くした。
歴史上の偉人と全く同じ能力を持っていることを隠すなど、ありえない。普通ならば息子の偉大さを宣伝し、権力と発言力の増長に徹するだろう。
つまり、つい最近まで、ヴァレンティンは息子の力を正しく把握していなかったということだ。
向けられた視線は疑惑、嘲り、憤怒、不満……千差万別だった。
「なぜ貴方の子息は力を隠匿していた? それになぜ貴方は一八年もの間、息子の能力を正しく把握していなかった?」
デニス四世が訊いた。
「一つ目の質問に関しましては後程お答えさせていただきます。誠に勝手ながら第二の質問からお答えさせていただきますと、私は息子が二歳から一五歳の時まで、毎年四度に渡って専用の魔導具を用いて、《祝福》の計測を行っておりました。ですがその当時、息子に力は発現しておりませんでした」
「歳が一桁の時ならばまだわかるが、一五の歳でも発現していなかったというのかね?」
「はい。息子が錬金術に関して非凡な才を発揮し始めたのは、学園に入ってからです。つまり、一六歳以降であります。学園に入学してしばらくしてから、私は息子から『錬金術に関する祝福を持っている』という報告は受けておりました。しかし、それがこれほどのものだとは思ってもいませんでした。ご報告せずにいたのも、『その程度』、だという認識でおりましたゆえです」
「なるほど。つまり認識が甘かったと」
「はい、申し訳ありませんでした」
「……まあよい。済んだ事をグチグチと掘り返す趣味は私にはない」
「……お気遣い感謝いたします」
「ふむ……」
《祝福》は持つ者全てが生まれると同時に、能力を覚醒させているわけではない。大半の者が三~一二歳の間に覚醒する。事実、オズが《祝福》を覚醒させたのは一〇歳――母が死んだ日――からだった。
覚醒以降もヴァレンティンが計測できなかったのは、オズが当日即座に作成した、観測阻害のネックレスがあったからだ。
「最初の質問には後ほどといったね? ならば、後ほど答えて貰おうか」
含みを持たせた言い方だった。
デニス四世はこれ以上いうことはない、とばかりに腕を組んで瞑目した。
「私の方からも質問よろしいですかな?」
宰相が訊いた。
「この報告書の調査は誰が行ったのですか?」
「屋敷の者でございます」
ヴァレンティンが答えると、各所から反発の声が上がった。
「屋敷の者は身内も同然だろう」
「伯爵。貴方の息子の実力は認めているが、そんな第三者を通していない報告書など認められるものか!」
「不正し放題ではないか!」
「君の子息は本当に! カリオストロと同じ、《超越調合》などという馬鹿げた力を持っているのかね!」
「御静粛に! 話しはまだ終わっておりません!」
反発の声を遮って、ヴァレンティンは声を大きくする。
「そう言われると思いまして、実は今、当事者を外で待機させております」
「なんだとっ!」
「当事者?」
「陛下、お連れしてもよろしいでしょうか?」
ヴァレンティンが訊くと、デニス四世はゆっくりと頷いた。
「許可が下りたようですので……。入れ!」
議事堂入り口の扉が開け放たれる。
貴族たちは入室してきた人物を見て目を瞠った。
「オズワルド・レイヴンズ……!」
貴族の誰かがその名を呼ぶ。
オズは堂々とした足取りで議事堂のカーペットを踏む。演壇の前で歩みを止めると、彼は議長席に向けて一礼した。
バルトロメウが手で着席を促し、オズは演壇傍の椅子へと腰かけた。
「皆さまの疑惑を解消するには、実際に確かめて頂くのが手っ取り早いかと思い、議事堂の外に控えさせておりました。衛兵! 皆さまに計測器をお配りしろ!」
ヴァレンティンの一声で、控えている衛兵たちがモノクルを貴族たちに配っていく。
貴族たちは配布されたモノクルを左目にかけ、オズを見る。そして口をわななかせ、
「ほ、本当だったのか……」
「百聞は一見に如かず。これで皆さまもお分かり頂けたかと思います。我が息子は……正真正銘の《錬金の勇者》です」
驚愕のあまり言葉が出ない。
事前に知らされていた国王や宰相、法王、開戦派代表フライターク公爵や、和平派代表レーゲン侯爵以外の誰もが唖然として沈黙する。
「なるほど、なるほど……。さて、これでオズワルド・レイヴンズが『本物の勇者』であることは証明されたわけだが」
モノクルを外してデニス四世が続ける。
「彼を六番目の勇者と認めるか否か、この現実を見ても否と答える者はいるかね?」
異を挟む者は誰ひとりしていなかった。満場一致の可決だ。
「これで最初の議案は可決となったわけだが……、レイヴンズ伯爵」
「はい」
「後で答えるといった質問には答えてくれるのかね?」
デニス四世の質問にヴァレンティンは頷くと、
「陛下。そのことに関しましては、直接本人に答弁をさせようかと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「許可しよう」
「ありがとうございます。オズワルド、何故この三年間、自分の能力をちゃんと報告しなかった? 何故隠したりしたのだ?」
ヴァレンティンが質問をする。
オズは立ち上って背後に一礼すると、演壇に立った。
「さっそくですが、父ヴァレンティン・レイヴンズの質問に答えさせて頂きます」
オズは貴族たちを見回し、
「私が能力を報告しなかったのは、勇者として戦争に参加するという事態を避けるためでした。ひいては、参戦することによって起こりうる、『私の死』が国益を損なうという判断に至ったためです!」
オズの答弁を聞いた瞬間、議事堂に怒号が鳴り響いた。
「何を馬鹿なことを言っている!」
「不忠であろうオズワルド・レイヴンズ!」
「君のその発言は問題だぞ! 勇者の存在意義を疎かにする背任行為だ!」
「君が臆病風に吹かれ、戦争に参加しなかったせいで無駄な犠牲が出たやもしれん! その責任はどう取るつもりだ!」
レイヴンズ伯爵家の台頭を嫌がった他の伯爵、子爵家の当主たちがここぞとばかりにオズを糾弾する。
しかし興奮状態の蜂のような猛攻を受けても、オズは何処吹く風といった体で澄まし顔だ。
「私が戦争への参加を避けていたのは、王国への忠義心が足りないわけでも背任でもありません! ましてや、臆したわけでも、王国民を無下に失うためでもありません!」
「ではなんだというんだね!」
「全ては特殊な道具を完成させ、戦争を早期解決へと導くためでした! それが完成する前に戦争は、《氷の勇者》の獅子奮迅の活躍により終結しましたが、完成したこの道具――触媒があれば、新たな争いへの抑止に、多大な貢献を果たすでしょう!」
そういって、オズは懐から一つのフラスコを取り出して掲げる。
「何だね、それは?」
オズを責め立てていた一人の貴族が胡乱げに見やる。
他の貴族たちもオズを不審がっている。
「この保存の触媒には
「……なに?」
「い、今何と?」
「幻聴でなければ、今し方、そのフラスコの中に《氷の勇者》の超越魔法が篭められている、と言ったように聞こえたのだが」
「はい、そう申し上げました。《炎の勇者》ハインツ・ヴァイルに私が勝利を収められたのも、これがあったからです。三年前、帝国軍は《氷の勇者》ラウラ・レーゲンの力により、手痛い大敗を喫しています。いわば、彼女の能力は帝国にとってのトラウマです。そのトラウマを誰でも扱えるようにしたのが、この触媒です」
「なっ…………!?」
伯爵や子爵らは驚き、閉口した。
裂けそうなほどに目を見開いて、オズの掲げるフラスコを凝視する。
「な、なにを言っているんだ! 超越魔法を保存の触媒に篭めるなど、そのような非常識信じられるか! それに、その口ぶりからすると、まるでオズワルド・レイヴンズ! 君が《白魔氷霧》を作ったかのように聞こえるぞ!」
「ええ、そのように申したつもりでしたが。その非常識を己の力で実現させるのが
「ぐっ……い、いや、それは……」
「まあ、両者とも落ち着きたまえ」
デニス四世が口を挟んだ。
昨日、オズワルドから事前に魔法の解放を実演された際、デニス四世はフラスコの中身が紛れもない《白魔氷霧》であることを確認している。
「前もって私や宰相、そして法王はその中身を見て知っている」
「な……!? そ、そうなのですか陛下?」
伯爵位の男が訊くと、三人は同時に頷いた。
「これは証左とはならぬかね?」
「い、いえ……そ、そのようなことはございません」
デニス四世の重い声音に萎縮し、伯爵位の男はすごすごと引き下がった。
「はてさて……。多少、オズワルド・レイヴンズの言い分に思うところがないわけではないが、彼が献上してくれることになっているこの触媒は、国防上非常に重要な意味を持つことが理解できたと思う。そこでどうだろうか、諸君? 我が国に対して、重要な事項を隠匿していたことの埋め合わせとして、彼には今後、王国魔法院でこの触媒――
一度言葉を切り、議長席から立ち上がる。そして威圧するように全体を睥睨し、
「これ以上の議論は必要かね?」
オズが勇者となることの是非どころか、処遇すらも既に決まっていた。それを察した伯爵らは口を噤み、赤くなるほど手を握り締める。
もはやデニス四世の決定に異を唱える者はいなかった。
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