第10話

 アーチ状の入場門を抜ける。

 現状で勇者を相手にするのはぎりぎりの綱渡りだった。

 魔法対策に、カーラの《白魔氷霧ブリザードミスト》を閉じ込めておいた触媒がなかったら、罠に嵌めたあの状況でも負けていただろう。

 三〇個しかストックがないその触媒を、二〇個も使わせられた。しかも近距離で炎魔法を受けた場合、触媒が熔けて《白魔氷霧》が自分の衣服の中で暴発してしまうところだった。

 そうなったら、今頃は凍死して彫刻となっていただろう。

 正直いって、ハインツがここまで強いというのは想定外だった。

 疲労感がどっと吹き出し、オズは夕日の眩しさに眩暈を覚えた。


「オズっ!」


 闘技場を出て、最初にオズを出迎えたのはラウラの抱擁だった。


「ラウラ……」

「オズ。凄いわ、貴方! ハインツに勝ってしまうなんて!」

「たまたまだ。油断を突いたに過ぎない。次にもし闘った場合、勝てるかどうか……」

「……そう?」


 とラウラは首を傾げた。

 そんな密着している二人を見つめるじと目が二つ。

 ラウラの背後から咳払いが聞こえた。


「お二人さーん。みんなが見てる中、お熱いですねぇ」

「きゃっ!」


 噂好きの女生徒の茶化した声に、ラウラは肩を尖らせた。

 慌ててオズから離れ、辺りを見回す。何人かの生徒がこちらを好奇の目で見ていた。

 羞恥で頬を赤くしたラウラを余所に、女生徒は、「あ、そうそう」、といって、


「勝利おめでとう」

「……どうも」


 抑揚のない返事だ。


「わぁ、そっけない。あんまり嬉しそうじゃないね? せっかく『勇者』になったのに」

「嬉しそうにするようなものでもないだろう……」

「ふぅん……。そう? 他の男子が聞いたら怒り狂いそうな台詞だね。勇者は男の憧れでしょ?」


 女生徒の言葉にオズが目を細くした。「勇者じゃなくて英雄だ」、と訂正したオズの表情が不機嫌になったように見えた。

 ラウラは二人の雰囲気が険悪にならないように、「あのさ、オズ」、と話題を変えにかかった。それは決闘中に湧いた、一人では解けない不可解な難問だった。


「ハインツが急に倒れたのって、貴方が何かしたのよね? いったい何をしたの?」


 立会人役の教員だけでなく、ラウラにも麻痺毒の仕掛けは見えていなかった。

 あれはそういう風にできているのだから当然だ。

 オズはポケットに手を入れると、おもむろに何かを取り出して、


「決闘中にこれを仕掛けた」

(まあ、嘘だが。ハインツ相手にそんな余裕はない)


 そういってオズはラウラたちに掌を見せた。そこには何もなかった。

 だがオズの表情からして、冗談をいっているようには見えない。

 一体なんだというのだろうか。ラウラは首を傾げ、


「なに? 何かがあるの……?」


 オズの掌に自分の手をそっと重ねる。すると、冷たく硬質な物に触れた感触があった。

 手をオズの掌から離すと――


「えっ?」


 突如現れた小さな薬瓶に、ラウラは目を丸くした。

 さっきまでは何もなかった。オズが何かをした動きもなかった。


「どういうこと? これって、もしかして認識阻害魔法? 私でも見破れないなんて……」

「この薬瓶は錬金術の事故を利用した、特殊な認識阻害魔法が付与されている。触れてその存在を知覚するまでは、目視することができないんだ。この薬瓶に毒を入れて注射針を仕込めば、ハインツを倒した即席トラップの完成だ」

「なに、それ……? 上位魔法の効果を付与する錬金術なんて、聞いたことないわよ。もしかして、針と毒も?」

「ああ、接触するまでは目視できない。危ないから、今持ってるこれには付けてはいないが」


 認識阻害の類の魔法は習得が難しく、勇者ですら扱えるのは魔法に長けた者だけだ。世間一般でも、上位魔法中の上位魔法として認識されている。

 凄い、とラウラは呟いた。そして自分の予想が間違いではなかったのだと確信する。

 オズはカリオストロと同じ《錬金の勇者》だ。彼の方から教えてくれなかったことに不満はあるが、そんなものは些事に思う。


「ちょっと失礼ー。見せてくれる?」


 二人の間に割り込む形で女生徒がオズの掌に手を重ねる。

 その手を退けると、目の前に小さな薬瓶が見て取れた。その光景に女生徒は、わあ、と大げさに驚いてみせた。

 背中にびしびしと石を投げられているような感覚がする。

 振り返ると、ラウラがむくれていた。


「あ、ごめんねラウラ。二人っきりになりたいよね?」、と女生徒は目を三日月状にして、「見たいものは見れたし、お邪魔虫は退散しますので。ではではー」


 と手を振って走り去っていった。


「はあ……まったく、ロッティったら。……ねえ……オズ、最後に一つだけいい?」

「なんだ」

「あの《白魔氷霧》は何? どうして触媒の中に私の、、魔法が封じられていたの?」


 訝しむ視線がオズに向けられる。

 王国、帝国、公国、連邦。人間が主となって生活圏を獲得しているこの大陸――エーデ大陸の四大国の中に、《白魔氷霧》を扱える勇者は、知っている限り自分ラウラしかいないはずである。


「あれは……ラウラの《白魔氷霧》を再現して作った」


 当然これは嘘だ。


「つく、った……?」


 ラウラは金槌で側頭部を殴られたような衝撃を受けた。錬金術による魔法作成は、カリオストロですら上位魔法までしか作れなかったといわれている。

 それに基本的に魔法作成は、錬金術を深く理解している者以外にとっては、事故以外の何でもない。だが、錬金術に精通している者は、保存の触媒の中でなら、調合による反応が起こらずに済むということを知っている。

 もしオズがいっていることが事実だとしたら、彼はその分野においては《錬金術の父》と呼ばれた偉人を追い越したということになる。

 とはいえ、真相は嘘である。

 あくまでオズが手持ちにできる錬金術による道具は、カリオストロが作れる範囲に限られる。


「ラウラの《白魔氷霧》と違って、相手の魔法を浸食する力は再現できなかったけど」


浸食イロージョン》とはラウラの強力な《祝福アビリティ》の一つで、彼女の魔力Aランク以下の魔力しか内包していない魔法、もしくは超越魔法以外の魔法を侵し、その魔力を奪うというものだ。

 これは魔法的な効果ではないため、カーラは《浸食》までは再現できなかった。

 オズは一度目線を下に落とし、「まあ、ともかく」、と深く立ち入られないように誤魔化しにかかる。


「これで俺も、ラウラと同じ勇者になるんだな」

「……そうね」


 相槌を打ったラウラの瞳は、オズの才能への期待に満ちたものだった。


 ◇


 辛うじて勝利を収めたオズが地下施設の広間へ入ると、カリオストロが彼を出迎えた。


「災難だったな」

「いや、あれでいい。おかげで早期に勇者として認められそうだ」


 オズは草臥れた様子で椅子に腰かけた。

 服の内側に装着していた幾つものベルトを外し、テーブルの上に置いていく。それには胴付き仕掛けの釣り針のように、小瓶が何個も垂れ下がっていた。


「国王に献上するはずだった物はこの通り、残り一〇個しかない。こっちの、、、、戦力が大分低下してしまった」

「……無闇に王国の戦力を上げずに済んだと思うべきじゃろう」

「……違う、そういう意味じゃない。俺たちの事だ。お前も俺も、戦闘向きの能力じゃないんだぞ。仮に現時点で勇者を二人以上敵に回した場合、十中八九負ける」

あいつ、、、がいるから平気じゃろう」


 オズの危惧を余所に、カリオストロは楽観視していった。


「……あいつは同じ王都にいるとはいっても、俺たちとは別行動中だ。何かあった時、こっちが救援を要請しても、すぐに駆けつけて来れるわけじゃない」

「……ここが誰かにばれぬ限りは、その心配も必要ないとは思うがのぉ」

「あんまり気楽に考えすぎるな。用心に越したことはないんだから」

「……ふん、精々気を付けよう」


 カリオストロは鼻を鳴らして、一体のホムンクルスが漂うフラスコへと目を向けた。

 オズには大きな目的が、野望がある。勇者になるという計画はその一環だ。

 本当はもっと早い段階で、カリオストロの祝福を利用して勇者になるという案もあった。しかしそうしなかったのは、思ったよりも戦争が長引いたからだった。

 勇者となれば否が応にも戦場へと駆り出されるだろう。そうなれば、命を落としてしまう可能性が高まる。どの世も命あっての物種だ。

 戦争は一〇〇%勝てると踏んで行う討伐とは違う。生きるか死ぬか、どうなるかわからない魔境だ。そんな予測不可能な状況に身を置くのは、論外だった。


「しかし、ようやくこれでこっちは準備が整った。後は向こう、、、が行動を起こしてくれれば、こっちも動ける」

「……ふむ。うむ? えー……今日は何日だったかの?」

「二二日だ」

「ほぉ。そいじゃ、あと少しか」

「ああ」


 オズは頷くと、含み笑いを漏らした。

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