第9話

「ちくしょう……ちくしょうっ!!」


 観客席が沸き立つ中、敗北の悔しさにハインツは闘技場を殴りつけた。

 殴った右手は痛くなかった。それ以上に負った心の傷の方が深かった。

 そんなハインツをオズは見下ろし、言い放った。


「戦いというものは、本来こういうものだぞハインツ。戦争に参加したことがあるなら、わかるだろう」

「……これは決闘っす、オズ先輩。決闘は公正なものじゃなければ、いけないんすよ」

「……悪いな、俺にとってはどちらも変わらない。争いは争いだ。お前はもう少し、お伽噺から現実に目を向けた方がいいかもしれないな。演劇の観過ぎだ」

「…………へ、へへ。そうすかね」


 力なく笑うと、ハインツは押し黙った。オズの言っていることは確かに事実で、正しくもある。

 きっと議論しても並行線だろう。価値観の押し付け合いは不毛だ。


「……一つ聞いてもいいですか?」


 ハインツが、何か腑に落ちないといった顔で訊いた。


「なんだ?」

「あのフラスコの中身。あれはオズ先輩が作ったんですか?」


 オズは一瞬迷った表情を覗かせた後、そうだ、と答えた。


「錬金術ですか? 錬金術の中には、魔法を作るものもあるらしいすけど……」

「そうだ。戦いの対策として、あらかじめ作ってあったものを、屋敷の者に持ってこさせた」

「……用意周到っすね。こうなること、予期してたんすか?」

「予期はしていない。ただ、備えていただけだ」

「へぇ……。触媒に魔法を封じるなんて、考えたこともなかったです。錬金の事故、、を利用するなんて……」


 錬金術で合成される魔法は、調合が始まった段階で発動してしまう。

 器材が爆発したり、フラスコが内部で発生した魔法で消し炭になったりと、碌な事にならない。そのため錬金によって発生する魔法は、軒並み『事故』と呼ばれている。

 その事故を保存の触媒に留め、攻撃や防御手段として利用する。自分では絶対に思いつかない発想だろう。


(そうか……俺は負けるべくして負けたのか……)


 ハインツは仰向けになって赤くなった空を見つめた。

 完全な負けだ。

 彼にはもう、オズを卑怯だと罵る気はなくなっていた。


「ハインツ君」


 視界の端に、ぬうっとナディアの顔が入り込んできた。

 急に現れた彼女に、ハインツは驚いて肩を揺らした。


「今、治療しますから」


 そういって、ナディアは羽織った白衣のポケットから薬瓶を取り出した。

 それには見覚えがあった。オズがいつも売っている治癒薬だ。

 ナディアが治療をするというなら、去っても問題はないだろう。


「ナディア先生、後はよろしくお願いします」


 オズが小さく頭を下げると、ナディアは、ええ、と頷いた。

 オズは踵を返し、闘技場の入り口に向かう。

 勝者の凱旋だ。

 ナディアが薬瓶の中身をハインツの左肩に数滴垂らすと、彼の傷がみるみるうちに塞がっていった。いつ見ても凄まじい光景だ。ハインツは目を瞠った。

 次に彼女は動かない右足に治癒薬を垂らし、


「あら? これは……」

「おそらく……、麻痺毒ですかね」

「そう……。なら、こっちね」


 再びポケットに手を突っ込むと、そこから色の違う薬瓶を取り出した。万能薬だ。

 さっきと同じように患部に液体を垂らすと、動かなかった脚に感覚が戻ってきた。まるで、動かない、という錯覚を起こしていたみたいだ。


「はい。これでよし、と」

「先生。ありがとうございます」

「いいのよ。大丈夫、立てるかしら?」

「大丈夫だと思います。ですが、少しこのまま居させて頂けないですか」


 どこか寂しそうな、何かを悟ったような、そんな横顔だった。

 ナディアは彼の心情を察したのか、「そう。じゃあ、先生はもう行くわね」、とだけいって踵を返した。

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