第8話
オズの投げ放ったフラスコから吹き荒れた魔法に、ラウラは絶句した。彼女はその魔法をよく知っていた。
炎熱系の魔法に対して極めて有効なこの魔法は、上位魔法を越えた次元に位置する魔法で、超越魔法と呼ばれている。
名は《
振り下ろしの一撃を盾で防がれたオズが、フラスコを再び投じる。
ハインツが赤熱した剣で溶断すると、中から再び霧が噴出する。ハインツの剣は熱を奪われるどころか、柄まで凍っていった。
柄を握る右手に冷気が伝わり、ハインツは急いでブロードソードを破棄する。
迫りくる霧から右手と左足を這わせて逃げる。左手に持つ盾はオズを警戒してか、上に向けて構えられている。
「オズ……貴方、いったい……」
観客席でラウラが当惑して言葉を紡いだ。
超越魔法は魔力ランクが最低でも『B』以上でなくては扱えないはずだ。しかし、オズの魔力ランクはどう多く見積もっても、『B』には至っていない。そもそもそれほどの魔力を持っているのだったら、滲み出る魔力の質ですぐにわかる。
「ちょっ、えっ!? オズワルド、本当に勝っちゃうんじゃ……」
噂好きの女生徒がラウラと同じように戸惑っていった。
さっきまでとは立場が逆、脚を奪われたハインツは得物だった。
オズがハインツに勝利したとなったら一大事だ。ハインツが敗北した場合、『勇者は勇者でしか倒せない』という、一種の不敗神話を崩壊させることに繋がる。
思い上がった馬鹿が勇者に挑みかかる、という事態を多発させかねない。
そして、国はそれを認めることを許さないだろう。
その意味するところは……、すなわち――新たな勇者の誕生だ。
「もしや、私たちは今……歴史的瞬間に立ち会っているのでは」
目を丸くしてナディアがいった。
「ふ……ふざけるな。ふざけるなよ!」
公爵家の次男が肩を震わせていった。もしオズが勇者となってしまえば、彼がラウラに見合う存在となってしまう。
ハインツが勝利さえすれば、家柄の力関係を使ってどうとでもできる。だが、オズが勇者となるのはまずい。最悪、彼の台頭によって、開戦派代表の父の権威が揺らぐかもしれない。
――父の情報によれば、レイヴンズ伯爵は蝙蝠ときた。
ラウラを開戦派に引き入れるというシナリオの元、最悪二人が
それだけは許容できない。
――父に見放されたら、どうしてくれるんだ!
「ハインツ、ハインツめ! 負けやがったら貴族位を剥奪して晒し首だ!」
「うわあ、過激。できもしないくせに」
噂好きの女生徒がいった。
「黙れ! 異国の雌が!」
「おぉ、こわっ」
「ちょっと、幾らなんでもその言い方は酷いわよ!」
ラウラが咎める。
だが公爵家の次男は不機嫌に鼻を鳴らして目を逸らし、取り合わない。
苛立った眼差しで彼は闘技場へ目をやった。
オズの短剣がハインツの左肩に突き立てられ、左腕がだらんと垂れ下がる。苦悶の表情を映しながらも、闘志を衰えさせないその姿は、いっそ哀れだった。
決闘の趨勢は、既に決している。
「まだだ……まだ、俺は負けてないっすよ……」
右足は麻痺毒で機能せず、左腕は神経を断たれ動かない。右腕は無手、頼みの魔法も《白魔氷霧》で相殺され、終いには魔力も空になった。
ハインツは這いずって決闘を続けようとするが、もう逆転の手がないのは明らかだった。
「先生」
オズが立会人役の教員に目で訴えた。
彼もオズと同じことを思ったようだった。
「――そこまで! これ以上の戦いは命に関わる!」
立会人役の教員が、戦いを続けようとするハインツを止めた。
ハインツは呆然とした。
突き付けられた『敗北』という現実を直視できなかった。
それは生徒たちも同じだった。
新たな勇者の誕生。その瞬間に立ち会うという夢のような現実に、脳が麻痺している。
何秒、何十秒の静寂を経ただろうか。
どこかの誰かが小さく、『おおおおお……』、と頼りない雄叫びを上げる。すると、それが周囲に広がり、
『おおおおおおおおお!!』
『オズが勝った!?』
『すげーよ、お前すげーよオズ!』
『ハインツ、お前も凄かったぞ! よく闘った!』
決闘に興奮した者、勇者の敗北に驚愕する者、勝者を讃える者、敗者に慰めを送る者――生徒たちは思い思いに感情を身勝手に発露させる。
「勝った……オズが勝った……!」
周りの生徒と同様に固まっていたラウラが歓喜の声を上げる。
「ロッティ! オズが勝ったわよ!」
喜びの余り抱きつく。
「ちょ、ちょっと苦しいって!」
「あ、ごめん。つい嬉しくて」
「あはは……、気持ちはわかるよ。本当に勝っちゃうなんてね……」
「ええ!」
階下のオズを見つめるラウラの瞳は、太陽のような輝きを放っていた。
「っ~~! ふざけるっなぁーー!!」
突如隣から怒声が響く。
ラウラは水を差された気分になった。彼女は冷ややかな目を音源に向けた。
公爵家の次男はそんな彼女の視線を意に介さず、顔を真っ赤にして席を離れていった。
「ふん。いい気味ね」
「ちょっとちょっと、ラウラ。ハインツ君がそれじゃかわいそうだよ、命かけて闘ったんだから……」
「大丈夫、ハインツの《
「そ、そういう問題じゃないんだけど……」
ラウラのある意味残酷で、的を外した答えに女生徒は苦笑いを浮かべた。
「ハインツ君の容体を看てきます」
立ち上がったナディアがいった。彼女は錬金術教の授以外にも、養護教諭の補佐を兼任している。
彼女に任せればハインツはすぐにでも回復するだろう。
ラウラは大きく見える彼女の背を、少し疎ましく思った。
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