第6話
王都が平和なのは魔王が倒されて以来、一四五年以上の間戦火に曝されたことがないからだった。しかし一昨年まで、約一六年もの間ヴァロワール帝国と戦争は続いていた。従って未だに戦時体制の名残が王都には残っている。
当然、学園のカリキュラムも同様である。『実戦訓練』、刀剣類や弓などの武器を選択して行う『術技訓練』、『魔法訓練』や『馬術』、『医術』などがそうだ。これらをある程度まで
オズとハインツが現在対峙している、この円形闘技場がまさにその戦時体制時の代名詞といえるだろう。対人戦の実戦訓練にはもってこいの場所だ。
円形闘技場は下層が闘技場、上層が観客席となっていて、オズとハインツを観客と化した生徒たちが見下ろしている。
決闘は特別な許可が下りない限り、通常は禁止となっている。しかし今回は公爵家の次男である男子生徒が、学園側に働きかけたことによって黙認された。
彼曰く、『礼には及ばん。せいぜい俺を楽しませろ。そして、ぜひとも共倒れしてくれ。……ああ、ラウラはもちろん俺の隣に座れ』、とのことだった。
「……まだ
ラウラの隣に腰かけた噂好きの女生徒が彼女の顔を窺った。
女生徒を真っ直ぐ見返したラウラの顔は、抗い切れない権力への怒りと恥辱で塗れていた。
「……当たり前でしょ」
「おいおい。この俺の隣に座っておいて、その態度はないだろう。もっと嬉しそうにしたらどうなんだ?」
物怖じしないといえば聞こえはいいが、彼の場合は家の力を己個人の力量と勘違いしたものだ。
ラウラは公爵家の次男を横目で一瞥すると、鼻を鳴らした。その態度が彼の不興を買う。
「なんだ、その態度は! 俺にそんな目を向けてただで済むと――」
顔を真っ赤にして立ち上がる。
瞬間――彼の足元から
「ひぃっ――!」
しゃがれた悲鳴が上がる。
ラウラが氷柱を消し去ると、どさりという音が隣から聞こえた。
――つまらない男。口をきく価値もない。
「うひゃあ……すごっ。でもさぁ、あんまり脅し過ぎると後が怖いよ?」
「大丈夫よ。口だけの者にいったい何ができるというのかしら?」
「まあまあ」
女生徒はラウラを宥めると、公爵家の次男を見やった。
「……君もさ、これに懲りたら軽率な言葉は控えよ? せっかく私ら、同級生の美人ツートップを侍らせてるんだからさぁ」
「お……おまえらああ…………」
涙目になり、公爵家の次男が抗議の視線を二人に向ける。
だがラウラは彼に一切の視線を向けない。取りつく島もなかった。
――くそっ、くそっ! バカにしやがって。いつかぶち犯してやる! 這い蹲らせて、泣き喚かせて、その面をグチャグチャにしてやる!
公爵家の次男が、よくありがちな負け犬の妄想をしていると、闘技場の方で動きがあった。
立会人を務めることになった教員の男が登場したのだ。
「決闘の試合条件は正々堂々とした一対一の実戦形式で行う。勝敗条件はどちらかが戦闘不能の傷を負うか、降参の意を示した場合に限る! 危険と判断した場合は私の裁量で決闘は止めさせてもらう!」
教員が宣言を行った。
そろそろ決闘が始まる。会場に熱が段々と立ち込め始めた。
「ロッティ、ここにいたのね」
突如背後から掛けられた声。ラウラが振り向くと、胸元を軽くはだけさせたナディアがいた。胸元にできた縦の『一』の文字に目を吸い寄せられ、公爵家の次男がだらしなく鼻の下を伸ばしている。
昼間の事を思い出し、嫉妬と怒りでラウラの頬がさっと赤みを帯びる。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
噂好きの女生徒が頭を思いっきり後ろに仰け反らせて訊いた。その際、胸元から十字状のネックレスが零れ、じゃらりと音を立てた。
ネックレスにつられて見ると、彼女も中々艶麗な体つきをしている。姉妹揃っていやらしい限りだ。
「オズワルドが心配で見に来たのよ」
(オズワルドォ? ファーストネームを呼び捨て?)
「へぇ、やっぱり気になる? お姉ちゃん隣に座ったら?」
そういって女生徒はラウラとは反対側の席を指した。
「そうしようかしら」
ナディアは無遠慮にその隣に腰かけた。妹を挟んだ隣に、自分と噂になった生徒の婚約者がいるにも関わらずだ。あまりにも面の皮が厚い。
まるで、ラウラなど歯牙にもかけていないように見えた。
「あれ? お姉ちゃん、そのアクセサリーどうしたの?」
女生徒がナディアが左手に持っている一つのアンクレットに目をやった。
「これのこと? オズワルドから預かったの。壊れたら大変だからって」
(オズのですって? なに、この女……っ!)
ラウラから激情が噴き出す。だがそれは一瞬だった。内に湧いたどす黒い感情に気付き、戸惑う。
彼女はかぶりを振ってため息をついた。
――駄目ね。こんな醜い女だって知られたら、きっと嫌われてしまうわ……。
気持ちを落ち着け、膝に落とした視線を階下に向ける。
オズが気になった。苛々を誤魔化すために、期待しないでモノクル型の魔導具を左目に掛ける。
そして、はあっ、という落胆のため息。審判が中空に手を上げたのは同時だった。
ハインツ・ヴァイルは幼い頃から英雄譚が大好きだった。とくに主人公たるヒーローは豪快で勇ましく、ヒロインは美しく儚い方が燃えた。
五年前。王宮で行われた勇者たちの初顔合わせで、ラウラ・レーゲンと初めて出会った時、まさに彼女は理想のヒロインだった。雪のように儚げで、綺麗な容姿は彼の心を容易く射止めた。
蓋を開けてみれば、実際の彼女は自分では足元にも及ばないほど強く、痛烈な性格をしていたのだが、そんなことはもはやどうでもよかった。
軍に入るのを引き延ばして、この学園に入学したのも彼女と親しくなりたいという一心からだった。
オズと出会ったのはこの学園に入ってから。最初はラウラが彼に向けている視線に嫉妬したこともあった。しかし、彼はラウラを見ているようで見ていなかった。
幸い、オズは意外にも面倒見がよく、ハインツは随分可愛がられている……と勝手に思っている。そして、オズがラウラに向けている瞳はハインツへのそれと同じであった。
おや? これはもしかして、自分にもチャンスがあるんじゃないか?
そう思った。だが現実は非情だった。
オズとラウラの婚約の話を聞いたハインツは、頭が真っ白になった。気付いたらオズに決闘を申し込んでいた。
そして、
ハインツは訓練用の皮の鎧を着込んだオズを睨んだ。
「オズ先輩。俺、手加減しないっすから」
「ああ、わかってる」
どこか不敵な笑みを浮かべるオズに、ハインツは顔を顰める。
見立てでは、オズの戦闘能力は
彼のすぐ下、現役兵士の中で王国六番目の強者である騎士団長が同じランクということを鑑みれば、途轍もなく強いが……。
戦時体制時のカリキュラムを全て熟しているとはいえ、オズは聞いた話では野盗や山賊などの掃討、魔獣の討伐などは経験あるらしいが、従軍の経験はないらしい。
だが戦闘の経験自体は積んでいるし、詳細な能力が分からない以上は油断できない。
「でも、びっくりしましたよ。オズ先輩ってこういうのは断ると思ってましたから」
「……まあ、普段なら断っていただろうな」
「なら、どうして受けてくれたんすか?」
「男の意地ってやつだよ」
「なるほど」
オズは尤もらしいことをいってハインツを納得させた。
さて――。と呟き、オズは刀身の反った片刃の剣……刀を鞘から抜き放った。
それに合わせ、ハインツは特製のブロードソードとカイトシールドを構える。
二人の闘志を察した立会人の教員が、手を上げた。
決闘開始だ。
先に仕掛けたのはハインツだった。
左手に構えた盾を前に突き出して、オズの攻撃を封じる。振り抜かれた横薙ぎの一刀が、大きな音を立てて弾かれる。
(シールドバッシュか!)
オズは刀を弾かれた勢いを利用し、バックステップ。距離を離す。
「
オズの眼前で轟音を伴った爆発が起きる。瞬時に魔力による障壁を展開。
だが障壁はガラスの如く砕け散ると、爆風の侵入を許した。
「――ぐっ!」
吹き飛ばされたオズは二、三回転がると、手をついて立ち上がる。
頬がじくじくと痛む。少し焼かれたようだ。
だが休む暇はない。
オズとの距離をすぐさま詰めたハインツが、剣を横薙ぎに振るってきた。
「ちっ」
オズは鞘を剣にかち合わせて防ぎ、次の一手に備えた。
今度は大上段からの振り下ろしが左肩へと迫る。それを刀と交差した瞬間から、刃先から滑らせるようにして受け流す。
標的を逸らされた剣が、闘技盤を砕いた。
さきほどの一撃は速く、そして何よりも重かった。一歩でも間違えれば、刀ごと両断されていただろう。
「へえ。やりますね、先輩!」
即座に剣先が浮き、その牙がオズへと向けられる。
直進してきた剣を鞘で受ける。しかし受け止めきれず、左肩に赤い一筋が走った。
「……」
だが、オズは掠り傷程度では怯まない。
攻撃後の硬直を狙い、刀で救い上げる様な一撃。
それに対してハインツは盾でその一刀を防ぎ――
続け様に翻った一太刀が迫った。
「なっ――!」
慌てて顔を傾け、頸に迫った凶刃を魔力障壁を纏った頬で受ける。
「いっ、今のは……」
赤の一線と驚愕を顔に張りつかせ、ハインツはオズを見た。
一瞬でも回避と防御が遅れていたら、今頃首から血飛沫が舞っていた。
(なんだ? さっきの一撃……)
鞘を用いた疑似二刀の闘い方といい、優れた受け流しの技術に、相手の間隙を縫った正確な一刀。今まで見たことのない、この国にはないタイプの剣術だった。
オズの放った返し刃。
ハインツは警戒し、盾を前に構えてカウンターの姿勢を取る。
それに対してオズは躊躇せず、盾には鞘を、剣には刀をぶつけて狙いを潰す。
鞘と盾が鈍い音を響かせ、刀と剣が鋭い音を鳴らした。
(なかなかやるっ! だけど、それでも白兵戦はこっちが上だ!)
鉄靴を履いた足でフロントキックを鞘に見舞う。
鞘に衝撃が走り、オズの左手が大きく後ろに仰け反った。
オズの表情が驚愕に染まる。
(なにっ!?)
大きな隙だ。
「はああああぁぁっっ!」
ハインツはブロードソードによる鋭い横薙ぎの一撃を放つ。
決まった!
勝利を確信する。しかし――
仰け反らされた勢いを利用し、オズは刀をそのまま振り抜いてきた。
刀と剣がぶつかり合い、甲高い音を鳴り響かせる。
オズがハインツから距離を取り、両者は再び睨み合った。
『おおおおお!』
『ハインツ、押せ押せ!』
『オズすげえな! 勇者にも負けてないぞ!』
人同士の決闘という最上の催しに、初めて見る勇者とそれに近い力を持つ者の戦いに、観客と化した生徒たちは熱狂する。
ハインツが接近を仕掛け、シールドバッシュが顔に向けて放たれる。オズは刀を叩きつけるようにして、その一撃を防御する。
その一方で、ハインツはブロードソードに数千度にも及ぶ熱を放つ、炎の
ジュウゥ……、という音を立て、鞘が両断される。
赤熱したハインツの剣が、勢いそのままに振り下ろされ、オズの皮の鎧を焦がした。
(耐熱性最高の、ヒルジス樹皮で作った鞘だぞ! それをこうも簡単に……)
カリオストロにグロウリンクで連絡を入れ、ホムンクルスに持ってこさせた逸品が無残な姿に変わる。
両断された鞘を苦し紛れにハインツに投げつけると、それは彼の眼前で小爆発を起こし、木端微塵となった。
ハインツの魔力障壁だろうか。障壁が反撃をしてくるなど、随分と攻撃的だ。
(これが人に力を向ける勇者の強さか。現状で相手取るのは、やはり厳しいな)
ハインツは明らかに対人、対剣士の戦いに慣れている。勇者として従軍した際、帝国人を殺めたこともあるのだろう。
オズは盾に蹴りを入れて、跳躍。再びハインツから離れる。
どうにかして、
しかしハインツは本気だ。こちらの思ったようには動いてくれない。
「《
剣先から蛇のようにくねる炎の鞭が出現し、オズに迫った。
刀を振るって炎の鞭を迎撃――できない!
それは刀が触れると陽炎のように揺らぎ、触れた刀身を熔解した。
慌てて体を地面と平行に寝かせ、難を逃れる。
ごうっという音と共に、灼熱が頭上を通り過ぎた。
「くそっ! 熔かされたか……」
刀身の中ほどが溶岩の如く熔け、凹みができた刀を見やる。
「うおおおぉぉっ!!」
雄叫びと共にハインツが数メートルの距離を一跳びで詰めてきた。
瞬きすら許さない速さだ。疲弊した獲物に襲い掛かる四足獣を髣髴とさせる。
剣を突き出すハインツに、オズは片膝着いた体勢で刀を薙ぐ。
瞬間、火花を散らす二振り。
しかし交差は一瞬。鍔迫り合いはなかった。
刀身を熔かされた刀が両断される。
迫る赤熱した刃を、上体を後ろに反らすことで回避。オズはその勢いのまま後ろに跳ぶ。
バック転で体勢を立て直し、ハインツを双眸に納めるが……。しかし、ハインツは瞬く間に再び距離を詰めてきた。
「《
オズは風の中位魔法を牽制に放ち、逃げるように再度距離を取りに掛かる。
それをハインツは盾で弾くと、
「効かないっすよ、先輩!」
余裕の表情を浮かべ、赤熱した剣を振り抜いてきた。
それを半分の長さになった刀の根元で受け、一瞬の停滞時間を作る。
再び耳朶を打つ、金属の熔ける不快な音。そして、焼き切られる。
オズは上体を後ろに反らし、灼熱の剣先を躱す。
しかし、根元から刃をもって行かれ、今度こそ刀は使い物にならなくなった。
「ちっ!」
残った柄に上位の炎魔法、《
「そんなものっ!」
柄が盾に着弾した瞬間、轟音を立てて爆風と黒煙が周囲に撒き散る。
だが――
「これでも無傷か……」
戦う前と何一つ変わっていないハインツが、黒煙の中から姿を現した。
前傾姿勢になると、ハインツは盾を突き出して突っこんでくる。
壁を背にしていたオズがその一撃を躱すと、闘技場の壁にクレーターができた。まるで竜の突進だ。
舞い上がった砂埃に紛れ、逃げるようにして距離を取る。
すると、その姿を見たハインツは額に皺を刻んで、
「先輩、逃げてばっかりっすね!」
「お前が本気出すからだ。それに、もう武器がないんだが……。取ってきてもいいか?」
「……情けないこと言わないでくれないっすか? これは決闘っすよ!」
怒気の籠った声だった。
「《
人間大ほどの大きさの火球が発射される。直撃でもしたら、火葬を省略された棺桶直行コースだろう。
横っ飛びでそれを避けると、ハインツは苛々を爆発させた。
「さっきから逃げてばっかりじゃないすか!」
「……突然どうした?」
「決闘だというのに、何を考えてるんですか!? 逃げてばっかりで、情けない!」
「武器が壊されたんだ、仕方ないだろう。で、何が言いたい?」
急に戦闘を中断した二人に、観客席から戸惑いの声やブーイングが飛ぶ。
ハインツは彼らを無視して続けた。
「先輩は、ラウラ先輩の婚約者でしょう! なら、あんたは英雄でなくちゃならない」
「英雄?」
オズが訊くとハインツは頷いた。
「弱く、情けなく無様に逃げる人に、ラウラ先輩は任せられない」
最初は巧みな剣裁きに、オズは自分よりも強いのではないかと期待していた。しかし最初だけだった。
武器を失ってからは逃げてばかりで、泥臭くとも輝かしい勝利を勝ち取ろう、という気概が見受けられない。
そんな男に好きな女を譲るなんてまっぴらだ。
「真正面から叩き伏せに来たらどうっすか!」
ハインツの挑発に、オズは呆れたようにこめかみを押さえた。
「安い挑発だな。乗る気にすらならない」
その言葉を聞いたハインツは無意識に唇を噛んだ。
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