第5話

 翌日、二月二二日。

 王立学園の二階、オズは一つの表札の前で立ち止まった。表札には『Ⅲ』という数字が書かれている。三年生の教室だ。

 中へ入ると、卒業を控えるだけの暇を持て余した同級生たちが、あちこちで世間話に興じていた。

 彼らの間を縫っていき、鞄を席に下ろすと、待ち構えていたラウラが正面の席から振り返った。


「おはよう。オズ」

「ああ、おはよう。ラウラ」

「……」


 いつもの日常であれば、この後ラウラが他愛もない話を振ってくるのだが、今日の――いや、今日も彼女は様子が変わっていた。

 何かを期待した目をオズへと向けている。その目は昨日も見た。

 

「ラウラ、父から聞いた」

「えっ!? な……なにを……?」


 疑問符をつけているが、ラウラはオズが何を聞いたのか察していた。その証拠に、彼女は顔を真っ赤にしてそわそわしている。

 オズはラウラの耳元まで顔をやると、そっと囁く声量で、


「なにをって、婚約の話」

「ぶっ!!」


 言おう言おうと思いながらも、終日言い出せなかった話題を平然と言葉にされ、ラウラは噴き出した。


「ちょ、ちょっと、オズ!」

「ああ、悪い。決まったわけでもないし、口外禁止の話だったな」

「そ、そういうことじゃなくて……その……」

「なんだ、どうした?」


 しどろもどろなラウラにオズは首を傾げた。そんな余裕綽々なオズにラウラは眉を吊り上げる。


「なんでそんなに平気な顔してるのよっ」

「なんでと言われても……」

「もう……私だけ騒ぎ立てて、馬鹿みたいじゃない。……ねえ、オズ。オズは……私を、どう思ってるの?」

「……」


 オズは目を潤ませてじっと見つめてくるラウラを見て、今彼女が向けてきている初々しい感情に気づいた。相手が自分をどう思っているか、本当に好いていてくれているのか。

 そんな彼女をオズは複雑に感じていた。

 ラウラの問いは非常に難しいものだ。好きじゃないとは口が裂けてもいえないし、好きじゃないといえるほど彼女に無関心なわけでもない。

 小さい頃から自分に懐いてる女の子、くらいには思っている。

 仮に嘘をついても、ラウラは聡い子だ。すぐに看破されてしまうだろう。

 しかし、いつだったか……誰かに恋愛のテクニックに『焦らし』というものがある、ということを聞いた覚えがある。

 ――これか。

 オズの選んだ答えは男性ではなく、普通は女性が用いる技巧だった。


「どう思っているか……知りたい?」


 小さく笑ったオズに、ラウラはどきりとする。


「う、うん……」

「――秘密」

「え…………?」

「秘密だ」

「え? なにそれ……? ずるい、卑怯よ……オズ」


 どうやらラウラには逆効果だったらしい。

 さっきとは打って変わって、ラウラの瞳に険のある棘が垣間見えた。彼女の背筋が冷える様な表情に、


「……悪かった」

「じゃあ。私のこと、どう思っているのか教えてよ」

「それは……」


 オズは言い淀んだ。

 この時点で、ラウラはオズの気持ちが自分にないことは察していた。

 だが、それは到底許容できない。プライドが許さなかった。


「わかったわ。もういい……」


 焦れたラウラはそういって席を立つ。

 黙って友達の席へと向った彼女に、オズは嫌な予感を覚えた。


 ◇


 予想に反し、あれから特に何事もなく昼休みを迎える。

 前の席に座るラウラは、噂好きの女生徒と、「ベーカリーに行かない?」、などと談笑を交わしている。

 ――今日は何とか乗り切れるか。

 時間が経つごとに、不安のようなもやもやとした感情は鳴りを潜めていった。

 だが……、


「オズ先輩!」


 教室の入り口から威勢の良い声が上がる。

 赤髪に特徴的なバンダナ。ハインツだ。


「そんなに慌ててどうした、ハインツ」

「どうしたじゃないっすよ! ロッティ先輩から聞きましたよ! ラウラ先輩とのこっ、~~っとお、あぶねっ! アレのこと! アレって本当なんですか!? しかも侯爵様と伯爵様が決めたって」

「なにっ!?」

「えっ!?」


 ハインツのぼかされつつもわかりやすい爆弾発言に、聞き耳を立てていたラウラも、慌ててこちらへと振り返った。

 そして、ラウラは噂好きの女生徒を睨んだ。


「……あはは、いやぁ面白そうだからつい……」

「ロッティィ~~、貴女ねぇ~っ!」


 親友の裏切りに、ラウラは怒り心頭だった。

 噂好きの女生徒は確信犯だった。

 ラウラの婚約の話を聞けば、ハインツが起こす行動は容易に想像できる。

 オズは面倒なのが来た、と心の中で盛大なため息をついた。

 昨日のようによく喋るだけならまだいい。だが、ハインツは生粋のトラブルメーカーだ。

 オズが二年生の時は商いの野次馬となって割り込んで薬瓶を破壊し、学園の見世物のブラウニーが脱走した時など、それを追いかけて女子トイレに突っ込んでいた。

 三年生になってからは学園近辺の森でサラマンダーを見たという噂を信じ、探しに行ったきり行方不明になって捜索隊を出させたり、好奇心からラウラの住む別荘に不法侵入したり、ラウラを罵った公爵家の次男を殴って一ヶ月間停学になったり……と、とにかく碌なことをしない。

 予想通りなら、絶対に『あの』言葉が飛び出してくる。

 オズはブレスレットの魔石に魔力を通し、一つの機能を発動させる。

 ハインツはオズの前に立つと、机にばんっと両手をついて、


「オズ先輩! 終業後、闘技場へ来てくれないっすか?」

「……何故だ? 理由は?」


 問うたオズは眉を上げた。ハインツがいつになく真剣な表情をしていたからだ。


「決闘を申し込むからっすよ、先輩。ラウラ先輩を懸けて」


 やはりこいつはとんでもないトラブルメーカーだ。

 だがこの提案は、オズにとって非常にありがたい申し出だった。

 オズは席から立って上体を傾ける。ハインツに顔を近づけ、不敵に笑って、


「いいだろう。その決闘、受けて立つ」


 オズたちを窺っていた周囲の生徒たちが、えっ、という声を上げて凍りつく。

 ハインツは勇者だ。実力――総合的な戦闘能力――は現役五人の中では最下位ということになっているが、見方を変えれば、一〇〇〇万いる王国民の中で彼は五番目に強いということになる。

 戦争で武功を上げたことのない、たかが一介の生徒であるオズでは勝負にすらならない。彼らはオズの行動が理解できなかった。自殺行為だ。


「さすが先輩、そうこなくっちゃ! じゃあ、終業後に待ってますからね!」


 オズを真っ直ぐ見返し寧猛な笑みを浮かべ、ハインツは教室を後にした。

 新たな波乱。ハインツの挑戦状を受けたオズに周囲が色めき立つ。

 どこか他人事のように彼らを眺め、ハインツをどう倒すか……とオズは思考の海へ身を投じた。


 先ほどの二人のやり取りを聞いていたラウラは、はらわたが煮えくり返っていた。

 ――ふざけんな。人を景品みたいに。

 とくにオズに対する怒りは強い。九分九厘の確率で、敗北が決まるだろう勝負を受けるなんて馬鹿げてる。ラウラをハインツに貢ぐ愚行に等しい。

 眉間に皺を寄せ、憤怒の形相でオズ――男連中に囲まれていて見えない――のいる方を見る。


「ラウラ……すっごい怖い顔してるよ」


 噂好きの女生徒が苦笑いしていった。

 彼女以外の女生徒は、ラウラの怒髪天に恐れをなして既に退散している。


「怖い顔にもなるわよ。信じられないわ! 貴方が余計なこと言い振らすから!」

「あははは。ごめんごめん」

「はぁ……。ごめん、で済むようなことじゃないのに…………。もういいわよっ、済んだ事だし。それより……ハインツ以外には言ってないわよね?」

「う、うん。言ってないよ?」


 噂好きの女生徒の答えに、ラウラはほっと安堵する。と、同時に頬を紅潮させる。

 ――オズが私を巡って勇者に挑む……。ああ、なんて素敵なのかしら!

 などと内心思いつつ、女生徒に鋭い視線を送り、


「……貴女、仕組んだわね?」

「ええーっ、何のこと?」


 どうやら、はぐらかす気でいるらしい。

 時間にして十秒ほどだろうか。ラウラは女生徒をじーっと冷めた目で見つめていたが、彼女はにこにこと人好きのする笑顔を浮かべるだけだ。

 根負けしたラウラは、諦めて目を逸らした。


「……オズ、一体何を考えているのかしらね? 私を懸けるだなんて」

「さすがにラウラそっちのけで決めちゃうのは……私もどうかな、って思うよ!」


 女生徒が同意すると、ラウラは鼻息荒く、


「ほんとよっ! しかも負け試合を受けるなんてっ、私のことはどうでもいいのかしら!」

「あはは。本当にどーでもよかったりして――」


 そこは『そんなことないよ』って否定しなさいよ――。

 望んだ答えを出さなかった女生徒に、ぎろりと刃のような目を向ける。


「あー……、え、ええっとー、ほら、男子ってこういう勝負ごと好きじゃない? オズワルドもきっとそうなんだよっ。好きな女の子を懸けてライバルと決闘って……こう、演劇っぽいでしょ?」


 王都の民は演劇に夢中になっている者が多い。とくに一人の女性を巡って二人の男が争う恋物語などは人気で、劇場は毎日千客万来を博している。

 また、王都内に娯楽が少ないのもそれに拍車をかけていた。

 無論、ハインツとラウラもその例に漏れていない。


「そう、そうよね! でも……ライバル? あの二人はお互いそういう風に思ってるようには見えないけど。うーん……演劇ねぇ。ふふ、オズって案外ロマンチストなのかしら? ――でも勝てなかったら、それ意味ないわよね」

「それもそうだけど……。えーっと……もしかして、オズワルドさっき、負けるように頼んでたんじゃない? 分からなければ、こういうのってすっごい盛り上がるでしょ?」

「そうは見えなかったけど……。まさか貴女、オズにも何か言った?」

「ええ~、何も言ってないよ?」

「本当かしら?」

「まあまあ。でもいいじゃん! オズが決闘に勝ったら公爵様のところのデブちんも、もう何にも言えなくなるわけだし。さすがにあの『下衆』でも、勇者に勝つような人につっかかったりはしないよね」


 デブちんとは、以前ラウラに交際を迫ってまとわりついていた公爵家の次男のことだ。

 あまりにも傲慢で、見下した振る舞いをしているため、女生徒たちからの評判は悪い。

 また、ラウラを自分のもの扱いしていて、彼女とよく行動をするオズを目の敵にしている。


「良くないわよ……。そもそも、オズが勝てるかどうかも分からないんだから」

「そう? でもハインツって男爵家でしょ。伯爵家に何かしたら大変なんじゃない? この前はデブちんがあの腹通りの太っ腹で、停学だけにしてあげてたけど……」

「そんなわけないでしょ。あの後、ヴァイル家は法外な罰金を公爵家から課されているわ」

「え? そうなの?」

「……貴女、本当にそういった事には無知ね。貴族じゃないから仕方ないのかもしれないけど」

「……あ、じゃあ、オズワルドがハインツを脅して出来レースを――」

「なに言ってるのよ、そんなわけないでしょ!」

「え? だって、そうだったら説得力あるかなーって思って」

「ないわよ。しかも、話の方向が段々ずれてるわよ、貴女」

「う~ん……?」


 女生徒は首を左右に傾けて唸る。

 彼女と同じようにラウラも首を捻る。と、何かを思いついてはっとする。


「もしかして……勝てる算段があるのかしら?」

「ええ……? いやいやまさかぁ。真正面から勇者と戦って勇者に勝てるのは、『勇者』だけだよ?」

「魔王を忘れてるわよ。まあ、魔王は滅ぼされてもういないけどね。オズが魔王なわけないし。そういえば……一昔前、帝国に『魔王』って呼ばれてた人がいたみたいじゃない。同じ人間なのに何でなのかしらね?」

「さあ? 知らない、そんなこと」


 女生徒は首を傾げると、興味なさそうにそっけなく答えた。

 だがそれを無視して、ラウラは続けた。


「ねえ、ロッティ。もしかしたら……本当にオズは《錬金の勇者》なのかもしれないわね。それだったら真正面から戦っても、勝てるんじゃないかしら」

「それこそまさかじゃない? 隠す意味がわからないもの」


 苦笑いを浮かべて女生徒がいった。

 その通りだと思った。だが否定するようにラウラはかぶりを振る。


「だってオズ、カリオストロ並みの薬を作れるのよ? カリオストロはその昔、魔王すら殺すと云われた《アジダハーカの猛毒》を作っているわ。オズもそういった独自の劇薬を用意できるのかも……」

「それ、ハインツ死んじゃうよね?」

「例えばの話よ。とにかく、もしオズが勇者だったらハインツにはそう簡単に負けないわ」

「そうかなあ? なんか、《錬金の勇者》って強くなさそうだけど……。やっぱりやらせ試合じゃない? そっちの方がラウラの妄想より説得力あるし」

「妄想って、貴女ねえ。これにはちゃんと根拠が――」


 とラウラが言葉を続けようとした時、教室の入り口から男子たちの浮ついた声が聞こえてきた。

 そちらの方へ目を向けると、ラウラは思わず喉を鳴らした。そこには彼女にとって、理想的な容姿をした美女がいたからだ。

 明々とした栗色の長髪に煌めく緑眼、同性から見ても目を釘付けにされるグラマラスな肢体。

 錬金術教授のナディア・ガリレイだ。

 彼女はキーリス王国の北東に位置するトゥメール公国からの移民でありながら、僅か数年で王国一の錬金術師と認められた天才だ。

 齢二四にして教授という地位と誰もが目を引く美貌を持ち、きちっとした真面目な性格でいながら、微笑みは蠱惑的でありつつも清楚さをも感じさせる。そして、なによりも独身だ。

 これらの要素が重なり合って、彼女は男子生徒たちから絶大な人気を得ていた。

 どこかの女生徒が嫉妬混じりに、「行き遅れ」、と呟くが、男子たちのざわめきに飲み込まれる。

 ナディアは教室を見回していた。誰かを探しているようだ。


「オズワルド・レイヴンズはいますか?」

「お姉ちゃん……」


 噂好きの女生徒がいった。

 彼女の声はナディアの呼びかけを聞いた、オズの周りの男子たちの喧騒に掻き消された。


「またオズかよ!」

「ナディア先生ー、オズはここにいます!」

「ほらっ、行ってこい色男!」


 どこぞの伯爵家の子息に背中をばんばんと叩かれながら、オズはナディアの元へと向かう。

 その光景に、うわっ痛そう、とナディアは顔を引き攣らせた。


「先生、何かご用ですか?」

「え、ええ……。と、そうそうこの間、貴方が提出した麻痺薬の調合方法について訊きたいんだけど――」

「あの……先生。ここではなんですので、場所を移しませんか」


 ナディアの言葉を遮って、オズがいった。

 教室中の誰もが二人に視線を送っている。


「……そうね。わかったわ、行きましょう」


 オズの言わんとしていることを察して頷く。

 二人が教室を離れると、周囲の女生徒たちは姦しく好き勝手な詮索をし始めた。


「ねえ、あの二人怪しくない?」

「ナディア先生って、いっつも彼に相談してるよね」

「この前、二人っきりで教授室に入っていくところ見たよ」

「うわぁ……、絶対あの二人デキてるって」

「先生、もしかして次期伯爵夫人の地位狙ってたりして――」

「先生独身だし、ありえるかも。しかもあの見た目だし、そりゃオズくんも手ぇ出しちゃうでしょ」

「いやぁん、今頃二人でなにしてるのかなぁ?」

「でもラウラさんとも仲良いし……。うわっ二股!?!?」

「しーっ!」

『あっ……』


 大声を出した女生徒の口を、慌てて一人が塞ぐ。だが、それは無駄な努力だった。

 痛いほどの沈黙が教室に伝播する。室内温度が下がったように感じるのは、きっと気のせいではない。


「…………」

「あ、あははは……。わ、私ちょっと用事思い出しちゃった」


 噂好きの女生徒の引き攣った笑いが、やけに大きく聞こえた。

 ラウラは二人が教室から出て行った方に、恨みがましい視線を投げつけるのだった。

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