第4話
夜、七時。
煌々と輝くシャンデリアの下、豪華絢爛なダイニングが照らされている。華美な室内に合うよう作られた長方形のダイニングテーブルに、二人の男が向かい合う形で椅子に腰かけている。一人は毛先が少し外にはねた黒髪の青年、もう一人は同じ髪色に口元に髭を生やした壮年の男だ。
リリの葉の模様が刻まれた赤のテーブルクロス。上には高級感漂う純白の陶器がいくつも置かれ、様々な食欲そそる料理が食卓を彩っている。
オズは膝元に抱えている、この場に似つかわしくない粗雑な出来の麻袋を手に持つと、それを料理脇に置いた。
「父上。頼まれていた『アービスベーカリー』のパンです」
「うむ。ありがとう、オズ。それは朝食べるとしよう」
麻袋をちらりと見た後、オズワルドの父――ヴァレンティン・レイヴンズは
ヴァレンティンは普段、王都ブリュッセンから東へ四五〇キロメートルにあるレイヴンズ伯爵領――ベルティエに居を構えている。オズと別居しているのは彼が王都の学園へ通っているからだ。
ヴァレンティンがこの別荘へとやって来たのは、王国議会が開催されるからだ。二ヶ月に一度の王国議会では、領地事情を記した資料に関する質疑応答や、国のこれからの展望を決める会議がなされる。
王都は領地から遠い距離にあるため、数十年前までは大変だったと聞く。しかし、昔と比べて交通網の発達した現在では、整備された馬車専用道路と馬車馬の移動速度にスタミナ上昇、荷台を軽くする魔導具が開発され、簡単に都市間を往来できるようになった。一日当たり大体三〇〇キロメートルほど移動できるだろう。
このため、オズからすれば頻繁に会っているような気さえする。
「父上。母上の分もありますので……」
オズが傍に控えている若いメイドに目配せをすると、彼女は料理脇の麻袋を持ち、中からパンを一つだけ取り出した。彼女は丁度、オズとヴァレンティンの間に位置するテーブル上に皿を置くと、その上にパンを置いた。
母というのは、当然このメイドの事ではない。
八年前、オズの母は帝国兵士の手に掛かって命を落とした。ベルティエは当時戦場となったフィッツベルクの近隣に位置しているため、逃亡兵が野盗化して入り込んでしまっていたのだ。そして、その者の手に掛かって母は死んだ。
「リイナ……」
卓上に置かれたパンをどこか遠い目で見るヴァレンティン。彼は右手をぐっと握った後、ゆっくりと掌を開け、黙祷した。
オズの母は、当初ベルティエで営んでいた『アービスベーカリー』のパンが好きだった。だからこうして二月二一日の命日には、母に供物を捧げているのだ。
オズもヴァレンティンを見て、黙祷を捧げる。
続いて、メイドや控えている執事らも、黙祷を捧げた。
目に浮かぶのは装飾品と衣服を奪われ、暴虐の限りを尽くされて事切れた母の姿。なぜ、こうなってしまったのか。当時は怒りと憎しみではなく、諦観という失望に感情を支配されたのを覚えている。
一方のヴァレンティンは怒りと憎しみが勝った。レーゲン侯爵の配下として終戦派にいながら、彼が継戦派の蝙蝠となったのは丁度この頃だっただろうか。
時間にして一分ほど経った。オズとヴァレンティンがすっと目を開く。
オズは真剣な面持ちで尋ねた。
「父上、ベルティエの近況は
「……野盗やならず者による被害がだいぶ減っている。お前からの援助で警備兵の雇用を増やしたおかげだ」
「左様ですか」
「すまないな。息子のお前の資金を充ててしまうなど……」
そういってヴァレンティンは目を伏せた。
「お気になさらないで下さい、父上。俺はレイヴンズ家の次期当主として、領民を守るという当たり前の義務を果たしているだけなのですから」
ヴァレンティンがオズの稼いだ資金を領地の治安維持に費やしているのは、単純にレイヴンズ家の資金が足りないからだ。
通常であれば、そんなことは決してない。ベルティエは貧相どころか、肥沃な土地を持つ農業都市で、作物を各都市部や王都に流通させるほどに余裕がある。当然、レイヴンズ家にはそれなりの額が税収として入ってきている。
ならなぜなのか? 理由は、現在ヴァレンティンが開戦派におり、未だに分裂している貴族派閥の蝙蝠をしているからだった。
終戦を迎え、継戦派は開戦派へ、終戦派は和平派へと名称を変えた。だがその中身は変わっていない。
開戦派の貴族たちは開戦の準備に資金と武装を集めていた。ヴァレンティンは蝙蝠をしている以上、開戦派に表立った協力はできない。だからその代わりとして、莫大な資金提供を行っているのだ。
そしてオズはその事を知っている。
――昔からオズは鋭い子供だった。
隠し事をしても、じきにばれるだろう。そう判断したヴァレンティンが直接教えたのだ。
ヴァレンティンは自らの行動にオズは反対の立場をとると考えていた。しかし、オズはむしろ逆にヴァレンティンの背中を押した。
――きっとオズも帝国人が憎いのだろう。
ヴァレンティンはそういうことで納得していた。
「オズ……来月に学園を卒業することになっているな?」
グラスに注がれたワインを一口含み、昔に比べ精悍な顔立ちをした息子を見る。
「はい」
「卒業したら一度帰ってきなさい。今日のように私が議会に出向いている間や留守の間を、お前に任せたい」
「了解しました。ですが父上、領主の仕事をいきなりでこなせるでしょうか?」
「平気だろう。平時私の仕事を見ている執事や、副官がサポートしてくれるはずだ。それに私の押印が必要な、重大な仕事は委任するつもりはない」
「……そういうことでしたら。謹んでお受けいたします」
「うむ。……ところで、そのブレスレットはどうした?」
ヴァレンティンの視線がオズの左手、ブレスレットへと固定される。
リリの葉を模ったレリーフ。それはヴァレンティンにとって馴染み深いものだった。
「アルタミラ教の装身具だな?」
「はい。教会から買いました」
オズ本人が買ったわけではないが、メイドに紛れているホムンクルスの一人が『レイヴンズ家の使い』として、今日の昼過ぎに王都のアルタミラ大司教宮殿の教会で、同型のブレスレットを証拠として購入している。
「なんだ、お前もアルタミラ教に入信でもするのか? 私としてはそちらの方が喜ばしいが……」
口ではそういっているが、表情は嬉しそうには見えない。
それもそのはずだ。なにせ彼の入信は当時の継戦派代表、法王セレニオ・ホーラント――現在は和平派に鞍替えした――に取り入るための、形だけのものだったからだ。
「実は後日入信しようかと考えているんです」
「なに……?」
頷いたオズにヴァレンティンは驚き、次の瞬間には複雑な表情を浮かべていた。
入信したというオズと己を重ねているのだろう。
ヴァレンティンがアルタミラ教に入信したのは
オズは決して宗教には靡かなかった。ヴァレンティンは、オズは国王と
それが今日になって突然の心変わりだ。
――何か心境の変化があったのだろうか?
「レーゲン候のラウラ嬢と何かあったのか?」
「ラウラ? なぜその名が?」
「うん? 違うのか」
親子して首を傾げる。
ヴァレンティンが、ラウラがオズの心境の変化のきっかけとなった、と思うのにはいくつかの理由があった。
ラウラ自体はアルタミラ教徒ではないのだが、侯爵家の自治するフィッツベルクの住民の七割がアルタミラ教徒だ。そして、フィッツベルクはアルタミラ教の聖地の一つとされている。
一方レーゲン侯爵はアルタミラ教徒であるが、表では教徒ではなく無宗教ということになっている。それは残り三割を占めるパレイア教徒の住民の不安を煽らないため、彼が中立の立場にある、という体にしているからだった。
オズはそのことをラウラから聞き、レーゲン侯爵からの印象を良くするために入信するのかとヴァレンティンは思ったのだ。
「実はだな……ふむ……。これはまだ正式に決定したわけではないのだが……時間の問題か……。いや、そもそもラウラ嬢から聞いているか」
「……父上?」
ぶつぶつと呟いてから、ヴァレンティンはとんでもないことを口にする。
「先日の話だ、オズ。レーゲン候との車内での私的な会談でだが……お前とラウラ嬢の縁談が持ち上がった。持ち上がったというよりは、私の方から持ち掛けたのだが」
「…………何ですか、それは?」
(ああ、だから今日はあんなに引っ付いてきたのか……)
オズは一瞬だけ驚いた表情を見せると、今日のラウラの不可解な態度に納得した。
ヴァレンティンは余裕のある笑みを浮かべている。彼は合挽き肉の安いステーキをナイフで切り分け、それを口に運んだ。
「どうした、嬉しくないのか? お前たちは小さい頃から仲が良かっただろう。とくに学園側からの報告では、仲睦まじくいつも一緒にいるらしいではないか。ラウラ嬢の方は二つ返事で婚約を受けると言ったそうだぞ、オズ」
「…………父上。その話をもし決定となされるのなら、俺がアルタミラ教徒へなる事は見送るべきではないですか?」
「どうしてそう思う?」
「俺もラウラも長子であり、次期当主です。もし仮に俺がレーゲン侯爵家の人間となるのでしたら、レーゲン侯爵家の規律を守らねばなりません。それに加え、レイヴンズ家の領地は如何なされるのですか?」
どうやらオズはレーゲン侯爵の秘密は知らないようだ。
オズは貴族では非常に珍しい一人っ子で、ラウラには弟と妹が一人ずついるが、どちらも様々な面で彼女に劣る。先代国王と現国王の意向の元、実力主義社会へと変化してきている王国では、必然的にラウラが家督を継ぐことになるはずだ。
基本、王国内貴族間の跡継ぎ同士の結婚という話はあり得ない。あるとしても、侯爵家以上の上位貴族による吸収だ。
しかし領地の問題や伝統ある家名の問題、仮に片方の家を吸収するにしても、一家の権力の増長や領地拡大を嫌う他貴族からの妨害があるため、結婚までいく可能性は非常に低い。
「そのことか……それらに関しては心配しなくてもよい」
「なぜです?」
「お前たちが結婚しても領地は双方とも分け、家名も残すことになっているからだ」
つまり『婚約・結婚』というのは体裁だけ。前半の問題を後回しにし、両家の結び付きをいち早く強化しようという目論見だろう。
――父は何を考えている?
レーゲン侯爵へより深く取り入るためのヴァレンティンの策だが、オズにはレーゲン侯爵側のメリットが少ないように感じた。
ラウラを政治的道具として見るのなら、広大な領地と発言権を有する公爵家の倅に嫁がせた方が旨味が多いはずである。
彼女は軍事力の要とまでいわれる勇者でありながら、見目麗しい才媛で、学園では逆に公爵家の倅から交際を迫られていたほどだ。公爵家へ嫁がせるだけで、レーゲン侯爵の発言力と権力は他の追随を許さないほど増長する。
だからこそ、なぜ立場の劣るオズなのだろうか……。
「……父上。婚約の条件に何かを求められましたか? 領地の一部、もしくは財源をレーゲン侯爵家に譲渡する……などですか?」
「いや、そのような要求はない。この婚約はお互いの利害が一致した対等なものだ」
「…………」
「それにオズ。お前はレーゲン侯から、随分と気に入られているのだぞ」
ヴァレンティンは上機嫌そうに口端を上げた。
その台詞にオズは――ようやく蒔いた種が芽吹いたか――と安堵感を抱いた。
計画通り、レーゲン侯爵からの評判は上々らしい。
「俺がですか?」
オズはとぼけた。
「そうだ。実際お前と自分のところの娘を結婚させたい、と思っている連中は多い。議会の間でお前がなんていわれているか知っているか?」
「いえ、存じません」
「《カリオストロの再来》だ」
「……なるほど」
どうやらオズは貴族たちの間では、『勇者と同格』と位置付けられているようだ。勇者とは生きる国宝そのもの。替えのきかない財産である。
身内に勇者がいるだけで、発言力と権力が増長する。それは貴族にとって、この上ないアドバンテージだといえるだろう。
レーゲン侯爵家より身分は低く、それでいて実力は他者よりも頭一つ以上に突き出ている。身分の差・戦力差でレーゲン側が常に主導権を握り、オズをコントロールする権利を持つ。
(婚約か。さすがに飛躍し過ぎだが、悪い話ではないのかもしれない。しかし、そうなるとアルタミラ教に入信云々という話は、保留にしておいたほうがよさそうだな)
ラウラとの婚約は想定外だったが、この程度であれば問題はない。
「レーゲン候にとっても渡りに船だったらしいぞ。ラウラ嬢は婚約の話が持ち上がる度に、『結婚しない』、と怒っていたそうだからな」
鼻を高くしたヴァレンティンの話を聞いて、オズは自分はラウラから、随分と信用されているのだな、と思った。
素直に嬉ばしく感じる反面、なぜ自分の立場を利用しないのかと疑問にも感じる。ラウラなら、次期王妃すら容易く狙えるというのに。
いや、彼女はそういう小狡い人間ではない。感情的な人間だ。
「とはいえ、この婚約話はまだ確定したわけではない。婚約自体は十中八九実現するだろうが、条件の付け加えがあるかもしれない。それと、アルタミラ教への入信は控えておけ」
「畏まりました、父上」
「ふむ……。少しお喋りが過ぎてしまったようだな」
ヴァレンティンは野菜のスープを口に運んだ。と、同時に眉根を寄せる。冷めてしまっていたらしい。
彼に倣ってオズも食卓の料理に手を伸ばす。庶民にとってのごちそう、合挽き肉のステーキは表面が硬くなってひび割れていた。
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