15話ー⑯『伝えたかったこと』
――――――俺には感情が無かった。その当時はたしかにそう思っていたのだが、実際には違った。そしてそれに気付けたのは、朱兎と再会したあの日………蘭李と出会ったあの日だった。
「弟を殺しにきた」
そう言うと、朱兎はアッサリ了承した。朱兎は魔力の扱いが下手で、度々物を壊したり人を傷付けたりしていたらしい。そのせいで誰も近寄らなくなり、故に忌み嫌われていた。そのことがあったから、死ぬことも厭わなかった―――後に朱兎はそう言っていた。
一方で、蘭李は激しく抵抗した。そもそもそれが普通の感覚なんだろうが、俺にとっては邪魔な存在でしかなかった。
ちなみに、この時何故蘭李がこんな場所にいたのか。後々訊いてみたら「迷子になった」と言っていた。「帰省していた従兄弟達とはぐれた」と。全く子供は突拍子がないものだと思った。
「なかないでよーしゅとくん!」
「ううううう……!」
初めての「友達」認定に余程嬉しかったのだろう、泣き出す朱兎。そして困り果てる蘭李。俺は無言で二人を眺めていた。
早く任務を完了させたい。そう思った俺は、朱兎に一歩近付いた。それに素早く反応したのは蘭李。バッと両手を上げ、朱兎と俺の間に立ち塞がった。
「どけ」
「やだ!」
「人間は殺せないんだ」
「じゃあ、しゅとくんのこともころせないよね!」
「朱兎を殺すのは命令だ。お前は魔力者じゃないから殺せない」
「………?」
この時蘭李はコノハを背負っていたが、それだけで魔力者だと確信出来るわけでもなかった。それに「魔力者」と聞いて首を傾げている姿を見たから、俺は非魔力者だと認知した。
――――――もし魔力者だと知っていたら、未来は大きく変わっていただろう。
「ぼく………生きたいかも……」
「え?」
ふとこぼした朱兎の呟きに、蘭李は再び首を傾げた。
「いきたい? どこに?」
「友達………蘭李ちゃんと………遊びたい……」
「え? いいよ! あそぼあそぼ!」
突然遊ぶ約束をつけ始める蘭李。キャッキャと無邪気に喋る姿を見ていると、ふと思い出された記憶―――。
それは、俺と朱兎が一緒に遊んでいる記憶だった。
まだ共に住んでいた頃。双子の俺達は何をやるにも一緒だった。何を話していたかとか、何をして遊んでいたかなんてことは覚えていないが、たしかに俺は朱兎とずっと一緒にいた。
そしてそれは――――――楽しかった。
「………え……? ど、どうしたの……?」
いつの間にか蘭李と朱兎が、目を丸くして俺を凝視していた。二人が何に驚いているのか疑問だったが、すぐにその理由が分かった。
――――――俺が、涙を流していたからだ。
何故涙を―――その理由は、言われなくとも分かっていた。
懐かしい―――そう思ってしまったのだ。
親父は昔からずっと言っていた。「子供は親に従うものだ」と。「親の言うことは絶対だ」と。
それは洗脳にも近かった。幸いだったことは、当の親父があまり家にいなかったことだ。それに幼かった為、特に何かをやらされることもなかった。
しかし親父と二人で暮らすようになってから、俺はその洗脳の効果を発揮することとなった。
「強くなりなさい。誰にも何にも負けない魔力者になりなさい。その為にはまず、感情を捨てなさい」
そう言われたから、俺は感情を捨てた。
初めて人を殺した日は恐怖で眠れなかった。その次は大泣きした。だんだん回数を重ねていくにつれ、何も思わなくなっていった。
――――――否。別に本当に感情を捨てたわけではなかった。
俺はただ、感情を押し殺すようになっただけだった。
だからこそ、「懐かしい」と思ってしまったこの瞬間、涙が溢れてきたのだ。
昔に戻りたいと思ってしまったから。
「なっなんでおにーさんもないてるの⁈」
「蒼祁……?」
あわてふためく蘭李の隣で、不安そうに俺を見つめる朱兎。その表情は、離れ離れになった瞬間のそれとよく似ていた。窓の中から、去っていく俺を見つめるその顔に。
ダムが決壊したかのように、感情が記憶に混じってドバドバと溢れてきた。親父と二人暮らしになってからは、負の感情ばかりだった。特に人の死に際の顔を思い出すと、虫唾が走るような自責の念に駆られるような、そんな気持ちになった。
「朱兎………」
無意識に呼んでいた。未だ不安そうな瞳は、弱々しく俺を見据えている。
「………昔に、戻りたいな」
すると、朱兎の眼からどっと涙が溢れ出した。隣でぎょっとする蘭李。
「うわああああああん! うあああああああん!」
「なに⁈ なんでまたなくの⁈ もーわけがわからないよー!」
「蒼祁と一緒にいたいよおおおおお!」
泣きながら俺に抱きついてくる朱兎。久しぶりの片割れの感触に、俺の欲望はさらに強いものとなった。
――――――親父のもとから離れたい。誰にも邪魔されず、自由に朱兎と暮らしていたい。
「朱兎………俺と二人で暮らさないか?」
「へ……?」
「親父から逃げるんだ。そして二人で気ままに暮らす。俺ならお前のこと守れるし、金銭面もどうにかなるはずだ。どうだ?」
――――――この時、俺は久方ぶりに笑みを浮かべていた。ほんの少し綻ばせただけだったが、朱兎にはそれがすぐに分かったという。
対照的に、朱兎は涙を流す目で満面の笑みを浮かべながら……。
「――――――もちろん、蒼祁と一緒にいる!」
元気な返事をした。
・
・
・
「……………」
随分と懐かしい日を思い出した。急にこんなことを思い出すなんて。ああ、これが走馬灯ってやつか。できればその後のことはあまり思い出したくないな。特にシルマでのことはな……。
「蒼祁………」
小さな声が聞こえた。目は開けているはずなんだが、視界がぼやけて何が何だか分からない。しかし恐らく、今呟いたのは蘭李だ。今、仰向けに寝ている俺の上に乗っているのも蘭李。
俺はついさっき、蘭李に心臓を刺されたから。
「…………あのね………」
ウイルスはもう力尽きたのだろう、声もしなかった。しかし、心臓を刺されたのなら、もう死んでいてもおかしくないとは思うんだが………俺の生命力はすごいらしい。死ぬ間際にして初めてそれに気付く。
「あたしね………」
それにしても、ウイルスがこいつの中に入らなくて本当に良かった。ウイルスにとって「特殊」にカテゴリされるらしい蘭李は、魔力の回復機能も異常だ。蘭李が生きている限り、ウイルスは永遠に生き残ることさえ可能になり、蘭李を乗っ取り続けることだって可能だろう。
そうならなかったことが、唯一の救いだったかな……。
「蒼祁のこと、好きだったんだよ」
―――――――――………………?
「自覚したのは最近だったけど………好きだったの。恋愛対象として」
――――――…………こいつは、何を言っているんだ……?
「ごめん………死ぬ間際にこんなこと………でも……嫌いじゃなかった……って………分かって……もらいたくて……」
頬に水滴が落ちてくる感覚がした。泣いているのだろう。しゃくり上げながら、蘭李は必死に言葉を続けた。
「ホントは……言うつもりなんて…ッ……なかった………蒼祁……あたしのこと………嫌ってた…から……ッ」
――――――こいつは本当に、何を言っているんだ。嫌ってるなんて、言った覚えはない。
いや…………それよりも。こいつ、言う対象間違えてるんじゃないのか?
お前が好きな人は、朱兎じゃないのか?
「ごめん………気持ち悪い……よね………でも…嫌いじゃな……かった……ッ…て………それだけ……分かってくれれば………」
色々と問い詰めたい。俺じゃなくて朱兎じゃないのかとか、仮に俺だとしてどこに好む要素があったのかとか、そもそもその感情は本当に恋愛感情なのかとか。
しかし、それはもう俺には叶わない。ならせめて、これだけは伝えようと思う。
――――――俺はお前のこと、恋愛対象として好きではなかった。
でも………。
「朱兎と同じくらい大切な存在だった」
口が微かに動いたのに気付いた蘭李は、必死に聞き取ろうとしたが、無理だっただろう。仕方無い。俺の声は出なかったのだから。
もう限界だ。意識が遠のいていく。深い深い闇に落ちていく。蘭李が何度も俺の名前を呼んでいる。その声も次第に小さくなっていく。
ああ………本当に死ぬんだな、俺。
やっぱり、生きていたかったな。こんなウイルスさえいなければ―――何度そう思ったことか。
ウイルスにも、このウイルスに感染しない人間達にも、そしてウイルスにすら勝てない俺にも腹が立った。そしてその結果、ウイルスにつけこまれて暴走した。
全く……笑えない話だよな。これのどこが「最強」なんだか……。
――――――今度こそ朱兎と離れ離れになるのか。「アニキの嘘つき」って怒られるかもな。朱兎の怒った顔が容易く想像出来る。
でも、お前まで死ぬ必要なんてなかったんだよ。そりゃあずっと一緒にいたかったけど、俺はコノハと蘭李みたいにお前に依存していない。お前が生きている方が嬉しいんだよ。
――――――お前は、俺の大切な弟だから。
「蒼祁ッ………!」
朱兎、蘭李のことは頼んだぞ。お前と蘭李だけだと不安しかないが………ああ、やっぱり不安だ。見ていないと何を仕出かすか分からない。
せめて、次に生まれ変わるのは、二人の傍にいれる、存在、が、いい、な………――――――――。
――――――――――――暗転。
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