15話ー⑤『訪れた場所』
少女は叫びました。何故殺すのかと。どうして家族を殺すのかと。
少年は答えました。それが命令だからだと。
「めいれいって………だれの⁈」
「父さんの」
「おとうさん……⁈」
少女には信じられませんでした。一般的な家庭でごく普通の生活を送っていた彼女には、理解し難かったのです。
だから、彼女は訴えました。そんなのはおかしいと。何も悪いことをしていないのに殺すのはおかしいと。
しかし、弟は言いました。少女の言葉を遮るように、涙を堪えたようなぎこちない笑みを浮かべながら―――。
「いいよ。ころしても」
*
「もういいよ」
練習を始めてもう何時間経ったのかも分からない頃。パシンと、蘭李の手は振り払われてしまった。彼女は再び手を取ろうとしたが、逆に手首を掴まれてしまう。見上げると、青い瞳が自身を睨んでいた。
「もう………疲れた」
弱々しく呟く蒼祁。その呼吸は苦しそうだった。汗も少しだけかいている。蘭李は思わず、蒼祁の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「蒼祁、大丈夫⁈」
「なあ………最後くらい、俺の頼み聞いてくれよ」
「頼み……?」
じっと蘭李を見つめる蒼祁。頼みなどという言葉を蒼祁から聞いたのは初めてだ。それ故に、彼女の中の不安がさらに大きくなる。蒼祁は息を整え、静かに呟いた。
「行きたい所があるんだ」
*
「よーし! じゃああれ乗ろー!」
怯える紫苑の手を取り、雷は一直線に駆けていった。連れて行かれている紫苑の顔は真っ青だ。それでも雷は構わずに走り続けている。蘭李と蒼祁も彼らの後に歩いてついていった。
蘭李は右肩に提げるバッグの持ち手をぎゅっと握りながら、ふっと視線を横に逸らした。蒼祁は興味深そうに辺りを見回している。一方、背後にいる蜜柑と睡蓮は、見たこともない「アトラクション」に興奮しっぱなしだった。
そう。ここは遊園地である。それも、国内で人気ナンバーワンを誇り、誰もが一度は訪れたことのあるような遊園地だった。故に平日の夕方だというのに、園内はたくさんの人で賑わっていた。
何故蘭李達はこんなところにいるのか―――それは、この場こそが蒼祁の頼みだったからだ。
蘭李と蒼祁も、かつて一度だけこの遊園地に訪れたことがあった。その時は朱兎も一緒で、そこに最後に行きたいと蒼祁は言ってきたのだ。
はじめ蘭李は、聞き間違いかと思って何度も訊き返したものの、返ってくる答えは変わらなかった。逆に「しつこい」と一蹴される始末。信じられなかったが、彼女はどうにか信じるしかなかった。
死ぬ前に思い出深い場所に行きたい。そういう心理は何となく理解出来る。しかし―――蘭李が理解出来なかったのは、その訪れたい場所が何故この遊園地なのか、というところだったのだ。
「おっ。あのアトラクションて、新しいやつだよな」
「ねえ蒼祁……ホントにここで合ってるの?」
「しつけぇな。合ってるって」
「二人とも早くー! 今空いてるよー!」
雷の呼びかけに蒼祁が答える。雷は、震える紫苑の肩を押さえ、笑顔で待ち構えていた。
絶叫系が苦手な紫苑がどうしてわざわざここまでついてきたのかというのは、雷に引きずられてきたからだった。蘭李達が遊園地に行くと聞いて、「うちも行きたい!」と声を上げた雷。はじめは白夜を連れていこうとしていた彼女だったが、「大事な用事があるから」と断られ、たまたま目に留まった紫苑を捕まえた、というわけだ。もちろん、紫苑がジェットコースター嫌いということは知っている上での所業である。それでも容赦ないのが雷である。
蘭李達が乗ろうとしていたのは、園内でも人気の高い垂直落下をするアトラクションだ。彼らはスムーズに中へと入ることができ、すぐに乗車の順番がやってきた。
「嫌だ……嫌だ……」
「もー紫苑ビビりすぎ! 男でしょ⁈」
「男だからって絶叫系得意だと思ったら大間違いだからな⁈」
そう言いつつ、アトラクションに乗り込む紫苑。恐らく腹をくくったのだろう。震える手を胸の前で合わせている。
こんな姿を見ているとかわいそうに思えてくる―――蘭李はそう思いながら、雷と紫苑の後ろの席に座った。隣に乗り込む蒼祁に、彼女はおそるおそる問いかける。
「蒼祁……大丈夫なの?」
「余裕余裕。お前こそ大丈夫なのかよ」
「あたしは全然―――」
平気、と言いかけたその時、いきなりアトラクションが作動し始めた。辺りが薄暗くなり、不気味な笑い声や機械の音が響き渡る。ガタガタと、アトラクションが上昇し始めた。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」
「あっはははは! 早く落ちろーー!」
「結構上がってるな、これ」
「蒼祁、これ乗るの初めて⁈」
「ああ」
「楽しいよこれ―――」
雷が言い切る前に、アトラクションは落下した。絶叫が、特に紫苑のそれが上がる。その後上がったり下がったり、アトラクションは絶え間なく上下運動を繰り返した。
蘭李自身、絶叫系は大好きだ。このアトラクションも、普段なら声が掠れる程に叫んで楽しむのだ。
それなのに、今の彼女には全く楽しめないでいた。それどころか、焦りさえも覚え始めていた。
この時間も練習に費やしていれば、もしかしたら出来るようになるんじゃないのか。一週間も練習しているのだから、もしかしたらあとちょっとで出来るようになるんじゃ? 時間がないっていうのに、こんなところで遊んでていいの?
やるべき順番が、違うんじゃないの……?
――――――――――ガタンッ
「ッ……⁈」
急にアトラクションが止まって、蘭李の意識が現実に戻った。どうやら終了したみたいだった。紫苑は魂が抜けたように、座席の背にもたれて放心していた。
「しぬ………」
「あー楽しかったー! 久々に叫んだなあー!」
ケラケラと笑いながら紫苑を起こす雷。蘭李が横目をやると、蒼祁は前の座席の背に右腕を置き、その上に俯いた顔を乗せたまま動かないでいた。係員から降りるように促されるものの、全く動こうとしない。立ち上がった雷と紫苑が、不思議そうに彼を見下ろした。
「蒼祁どうしたの?」
「早く降りようぜ………」
「うん………たぶん蒼祁………」
ちらりと蒼祁を見ながら、蘭李がぼそぼそと呟く。その時、蒼祁がむくりと顔を上げた。青白く険しい顔で、ぼそりと一言。
「………きもちわるい」
いつも自信に満ちていた声は、語尾が消えそうな程弱々しかった。
*
「まさか蒼祁がアトラクション苦手とはねー」
ログハウスを模したレストランで、悪戯っぽく笑いながら蒼祁を見る雷。しかし彼は椅子の背にもたれたまま脱力し、動かないでいた。相当気分が悪いらしい。
やっと動悸が治まったのか、紫苑が驚いたような色を帯びた目で、ちらりと蒼祁を見る。
「意外だよな………」
「何乗ってもへっちゃらそうな顔してるのにねー」
「あたしも最初そう思ってたよ」
蘭李はテーブルに置かれたグラスを手に取った。中にはリンゴジュースが入っている。
「昔ここに来たとき、アトラクションを乗っていくうちにだんだん気持ち悪くなっててさ。まあそれでも、朱兎に無理矢理乗せられてたんだけど……」
「うわ………同情する………」
紫苑の顔がひきつる。蘭李はリンゴジュースを飲み、放心する蒼祁を眺めながら呟いた。
「だからここに来たいって言った時、何かの間違いだと思ったんだよね」
「たしかに。ちょっとおかしいね」
ピクリと、蒼祁の顔が動いた。ゆっくりと上体を起こし、黒い髪の隙間から青い目を覗かせた。
「………あれから時間も経ったし、いけると思ったんだよ」
「へー。残念だったね」
「言っておくが、このヘタレチキンとはわけが違うからな」
左へと、鋭い視線を向ける蒼祁。紫苑は一瞬怯み、肩をすくめてしまった。追い打ちをかけるように、雷が笑いながら彼をいじり始める。
その時、窓の外から何かの音楽が聴こえてきた。自然と皆の視線がそちらに移る。真っ暗な夜の世界で、ある一点から大量の光が放たれていた。雷が「あっ!」と嬉しそうな声を上げる。
「ショーが始まったよ! 見に行こう!」
「よかった……! これで解放される……!」
「ショーが終わったらまた乗りに行くからね!」
「嫌だあああああ!」
泣きわめく紫苑を引きずり、店から出ていく雷。蒼祁も楽しそうに二人の後を追った。慌てて蘭李もついていく。レストランを出ると、大勢の人は皆同じ方向へと向かっていた。蘭李達と同じように、ショーを見に行くのだろう。その波に乗りながら、蘭李は自問自答を繰り返していた。
あたしは今、見るべきではないんじゃないの? もっとやるべきことがあるでしょ? だって今この瞬間、朱兎は頑張って魔法を習得しようとしているはずだ。あたしだって練習して習得しないと。
蒼祁が………蒼祁が死んで――――――。
「もう諦めろよ」
心を読まれたかのような言葉に、蘭李の肩がびくりと上がった。視線を向けると、蒼祁は彼女のことなど見ずに、前を向いて歩いている。いつものような、無愛想な表情だった。
「もう手遅れなんだよ」
「そんなことないよ……まだ可能性は………」
「無い」
腰程の柵に手をかけ、大勢の人がある一点に集中していた。蘭李が辺りを見回しても雷と紫苑が見つからないため、仕方なく二人は空いている場所に入り込む。巨大な湖を模した水上で、様々な色の光を放つ大きな船が浮かんでいた。
「前と全然違うなー」
蘭李は、隣に立つ蒼祁を見上げた。普段の彼なら、ショーになど目もくれないはず。こういうものが好きだなんて一言も聞いたことがない。それなのに蘭李の目には、とても楽しんでいるように映っていた。その瞬間、彼女はふと思ってしまう。
――――――蒼祁はもう、諦めてしまったのかな。もう永く生きることはできない。ならせめて、残った時間を楽しみたい。そう思ったからこそ、今この瞬間を楽しんでいる。
でも………あたしは諦めきれないよ。だって、助かる方法があるんだもん。そりゃ根本的な解決にはならないけど、でも、あの魔法さえ出来るようになれば、蒼祁はもっと生きていける。もしかしたら、治す方法も見つかるかもしれない。
だから、諦めたくない。諦めたくないのに………。
「なあ、あれって……―――――」
蒼祁が振り向く。蘭李の顔を見ると、驚いて硬直してしまった。
何故なら、蘭李はぽろぽろと泣いていたからだ。
「………やだよ………」
蘭李の言葉は、ショーの音楽に掻き消された。何か蒼祁が言っているが、彼女には聞こえない。蘭李が胸を押さえながら俯くと、涙はぽたぽたと地面へ落ちた。
「諦めないでよ蒼祁………」
「おい、何言ってるんだよ。聞こえねぇよ」
肩を押され、蘭李は無理矢理顔を上げさせられた。彼女の泣き顔を見ると、蒼祁は困惑したようにため息を吐く。
「なんで急に泣いてるんだよ」
「あたしもっとがんばるから………朱兎だってがんばってる……だから……諦めないでよ………」
「はあ……?」
「まだ助かるんだよ……⁈ だから諦めないでよ……!」
「お前………何言ってんだよ」
今度は深くため息を吐く蒼祁。青い目を光らせ、じっと蘭李を見据えてきた。
「もう無理なんだよ。仮に、お前らの魔法があっても助からない」
「そんなの分からないじゃん……!」
異様に感じたのか、傍にいた人達が少しだけ蘭李達と距離を取った。ショーをBGMに、蘭李と蒼祁の間に沈黙が流れる。
不意に蘭李の手が取られた。白い手袋をはめた右手は彼女の左手を掴んで、蒼祁の胸に押し当てた。蘭李が不思議そうに顔を上げると、複雑そうに笑う蒼祁の顔があった。
「………俺はもう生きられない」
押し当てられた手のひらから、心臓の鼓動が感じられる。心なしか、それは弱々しく思えた。
「なんで俺がこんな病気になったんだろうな? こんな治らない病気に………」
「………?」
掴んでいた手の甲から、今度は蘭李の手首を握る蒼祁。目を伏せ、憎しみのこもった声を発した。
「だからな、俺は決めたんだよ」
キリキリと、手首を掴む力が強くなる。蘭李は思わず、右手で蒼祁の手首を掴んだ。しかし離そうとしても、手は全く動かなかった。痛みで彼女の表情が歪む。
「蒼祁っ……! 痛い……!」
「残り少ない命。悔いの残らない時間を過ごそうって」
「蒼祁……! 手離して……!」
瞬間、力が抜かれ圧迫は消え去った。手は離されなかったが、蘭李は安堵の息を吐く。蒼祁は彼女を見下ろしていた。ふっと笑い、小さく呪文を呟いた。
「ソーマ・プロードス」
蒼祁の髪が青色に変化した。蘭李だけでなく、周囲の人々も驚いて目を丸くする。
「蒼祁……?」
「不思議に思ったか? 何故、強化魔法を使ったのか。それはな………」
図ったかのように、ショーの音楽がピタリと止んだ。蒼祁は薄く笑い、おもむろに蘭李に顔を近付け囁いた。
「世界を壊してやるからだよ」
―――――――――――バキィイッ
「ああああああああああああああああッ!」
蒼祁が、掴んでいた蘭李の左手首を握り潰した。明らかに骨が折れた音と、彼女の全身に広がる激痛。手が離されると同時に蘭李は倒れ、ありえない方向に曲がっている手首を地面に放った。彼女は必死に呼吸をする。傍に落ちたバッグは、ぶるぶると震え出していた。
「安心しろ。そんなんじゃ死なねぇから」
蘭李を見下ろしながら、蒼祁がアウターの内側から刀を取り出した。それを水平に持って、その場で一回転する。
直後、蒼祁の周囲にいた十数人達の腹から上、つまり上半身が地面に落ちた。どさどさと、続けて下半身も倒れる。鉄のにおいが漂い始めた。
「―――――――――きゃああああああああああああああッ!」
やっと状況を理解した人々は悲鳴を上げ、急いで蒼祁から逃げ始めた。それと同時に、ショーの音楽が再び鳴り響く。蒼祁は逃げ惑う人々を追いかけ、刀を水平に振った。七人が真っ二つに斬られる。周囲はさらにパニックになった。音楽に負けないくらいの悲鳴が、あちこちで上がっている。それでも構わず、蒼祁は刀を振り続けた。振る度に蒼祁は血を浴びる。だんだんと悲鳴は小さくなっていき、最終的にはピタリと無くなった。
「さて………始めるか」
ニヤリと笑う蒼祁。
その瞬間、彼の背後で花火が上がった。
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