6話ー⑥『篠塚』

 黒い煙の中、頭がぼんやりとする。頭の中から何かが抜けていきそうな感覚。ふわふわと飛んでいきそうな感覚。俺はその場に膝をついた。段々と煙が晴れていき、俺に腕が伸びてきた。



「――――――ッ!」



 俺は咄嗟に、足に力を入れた。右斜め前に飛び、捕まえようとしていた手から逃れる。篠塚は驚いて振り向いた。



「なっ……なんで……⁈」



 俺は置いてあったバッグを取り、篠塚を睨み付ける。まだ少し頭がくらくらするが、さっきほどではない。

 ちょうどその時、篠塚の後方、屋上の入り口のドアが開かれた。現れたのは、さっきまで全く起きなかった蘭李だった。



「てめぇ………よくもやってくれたな……!」



 蘭李は怒っていた。怒りマックスだった。黄色い目をキラギラに光らせ、今にも飛び掛かってきそうだった。こんな蘭李を見たのは初めてかも……。

 篠塚が小さく震えている。これでもかってくらいに目を見開いている。



「なんで起きて……⁈」

「蜜柑さんに叩き起こされたんだよ……! 耳元で騒がれたらさすがに起きるわ!」

「くそっ……!」



 蘭李が駆け出した。同時に、篠塚はポケットから取った何かを蘭李に投げた。



「蘭李ッ! それはダメだッ!」

「ッ⁈」



 俺の言葉に蘭李は急停止する。しかし遅かった。投げられた球は蘭李の体にぶつかると、黒い煙を吐き出した。みるみるうちに蘭李が煙に飲み込まれる。

 やがて煙が晴れると、蘭李はへたれこんでいた。脱力して目に光が入ってない。呼んでも反応はなかった。



「忌亜くんもこうなるはずなんだ……! なのになんで……!」



 篠塚がキッと俺を睨み付けた。その目には涙が浮かんでいる。

 俺もこうなるはず……? たしかにあの煙をかけられた時、頭がぼーっとしていった。あのままいけば、蘭李と同じようになっていたのかもしれない。

 でもなんで……ならなかった? 俺自身にも分からない。



「あいつ……嘘ついたのか……⁈」

「そうだ……おい篠塚! 何であんな悪魔の言うこと信じたんだ⁈ お前の目的はなんだ⁈」

「目的……? そんなの……そんなの……!」



 篠塚が一瞬何かを言おうとしたが躊躇い、ぐっと口をつぐんだ。そしてぷるぷると震える腕で、俺を指差した。



「君を……手に入れるために決まってるだろ……!」



 沈黙が流れた。冷たい風が肌に触れる。辺りは薄暗いのに、不思議と篠塚の姿はしっかりと確認出来た。篠塚は、怯える小動物のように震え、真っ直ぐ俺を見ていた。

 ――――――意味が分からない。俺を手に入れるため? なんで?



「俺を手に入れてどうする気なんだ……⁈」

「どうする……? そんなの決まってる……君とずっと一緒にいたいんだ……!」



 はっ………――――――?





「僕は、忌亜くん……君のことが好きなんだよ……!」





 突然のカミングアウトに、再び沈黙。その言葉を理解するのに時間がかかった。あまりにも突拍子すぎたから。

 俺が――――――好き? 篠塚が? なんで? 男同士なのに? たしかに小学校中学年くらいまではよく遊んでいたが………だからって………。

 やばい………。





 ―――――――――…………気持ち悪い。





「ほら……やっぱりそんな顔をする……」



 篠塚が涙を溢しながら、複雑な笑みを浮かべた。

 そんな顔ってどんな顔だよ……何なんだよ……普通誰だって、同性にそんなこと言われたら………。



「でもそれは普通だ。同性に好きだなんて言われたら気持ち悪がられる。だから僕はこの思いを封じ込めて、密やかな片想いで終わろうと思った。それなのに………」



 絶え間なくぽろぽろと涙を流す篠塚。俺は言葉が出なかった。ただ、こいつの言うことに聞き入っていた。



「あいつが言ったんだ。これなら、この球さえあれば両想いになれるって……!」



 篠塚はポケットから再び球を取り出す。俺は反射的に後ずさった。

 また投げられるかもしれない。今度こそ効いてしまうかもしれない。そしたら俺は………。

 篠塚は球を握り締めた。



「球の煙を吸わせて、ずっと問い続けろって……僕のことが好きかって……否定されても続けろって……そしたら必ず好きになるって……!」

「お前………そんなんで好きになってもらって……嬉しいのか……⁈」

「そのくらいしか方法はないだろ⁈ 普通の恋愛感情じゃないんだから!」



 篠塚が興奮気味に叫んだ。鋭く睨むその目に、俺は多少の恐怖を覚えた。

 こいつは本気なんだ……本当にそれで俺を手に入れようとしていた。そこまでしてまで、俺のことが………。

 やがて落ち着いた篠塚が、静かに口を開いた。



「……忌亜くん。最近華城さんとよく喋るよね」

「え?」



 突然のその言葉に、思わず体が硬直する。篠塚は構わず続けた。



「冷幻さんや天神さんとも……たしかにもともと仲良かったけど、最近特に距離近いよね。なんで?」



 その言葉に恐怖を感じた。同じ学校である限り全然知ってても不思議じゃない情報だけど、まるでストーカー……みたいな発言に思えた。

 篠塚は不気味な笑みを浮かべる。



「いいなあ。忌亜くんと話せて。近くにいれて」

「……お前も普通に話しかけてくればよかっただろ」

「そうじゃない……僕は君の特別になりたいんだ……」



 篠塚が球を持ったままポケットに手を突っ込む。出された手が握っていたのは、球ではなく果物ナイフだった。俺は咄嗟に、バッグのチャックを開く。篠塚から顔は逸らさず、手の感触だけでその中を探った。



「だから……だからそれなら……!」

「やめろッ! そんなことしたって―――」

「こんなことをしてまで僕は君の特別になりたいんだよッ!」



 やっと見つけた感触。俺はすぐそれを掴み、から引き抜き、確認もせず篠塚に投げた。篠塚は蘭李にナイフを突き立てようとしている。くるくると回りながら飛んでいくコノハ・・・に、蘭李の無事を託した。コノハはくるくる回り、いつものように人の姿になって――――――。



「ああああああああああああああああッ!」



 剣の姿のまま、コノハは篠塚の背中に突き刺さった。篠塚は悲鳴を上げ、ナイフを落として倒れ込む。血がどくどくと流れ出る。俺は呆然と立ち尽くした。

 なんでコノハは剣のままなんだ………?

 コノハが煙を上げ、やっと少年の姿になった。篠塚の背中に刺さる自身の腕を引き抜き、鋭く俺を睨み付ける。



「あのさあ、なんで今魔法使ったわけ?」



 ――――――言ってる意味が、分からなかった。魔法? 俺が? 今? 使うわけないだろ。なんで使うんだ。篠塚はただの人間だっていうのに。



「………その顔、分かってないみたいだね。まさか無意識? やめてくれる?」

「無意識……? 何言ってんだよ……」

「お前が僕を掴んだ時、お前の、魔力を打ち消しにする魔法が働いた。結果僕は人の姿にもなれず、刀身を自由に曲げることも出来なかった」



 は……? 嘘だろ……? 別に出そうとしてないっていうか出してない……。

 まさか本当に……無意識的に………?

 コノハがため息を吐き、今度は篠塚を睨み付けた。



「で? どうやったら蘭李をもとに戻せるわけ? まさか知らないってことないよね?」

「いっ………知らない……ッ…! 知らないよ…ッ……!」

「死にたいの?」

「本当……だよ…ッ……! 本当なんだあああッ!」



 涙で顔がぐちゃぐちゃになりながら、篠塚は必死に叫んだ。いくらなんでも、さすがにかわいそうに思えてくる。

 俺は歩き、今にも篠塚に襲いかかろうとするコノハの肩を掴んだ。



「たぶん本当だよ………それに殺したら、コノハが捕まるぞ」

「…………チッ」

「俺、こいつを手当てしてくるよ」

「戻す方法は………やっぱあいつを倒すしかないのか……?」



 コノハが悔しそうに唇を噛み締める。

 きっと悪魔を倒せば戻せる。悪魔が作ったであろう球なんだから。一体どんな魔法作用が込められてるのかは知らないが……意識を失わせるとかそういうのか……?



 ――――――――――――魔法?



「あっ」

「ん?」



 思わず声が漏れた。不思議そうにコノハが振り返る。

 そうだ………魔法なんだこれは。だから俺には、煙の魔法・・・・が効かなかった……!

 俺は魔法効果を打ち消す『無属性』なんだから!

 ――――――まあ、それは無意識的だけど……。

 俺はコノハ、そして蘭李を見た。未だ蘭李は、人形のようだった。



「俺なら、蘭李をもとに戻せる!」

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