5話ー②『親と子』

「あんた、最近何してるの?」


 護衛の仕事を明日に控える前夜。風呂から上がり、パジャマに着替えて自室へ向かおうとしていた蘭李の肩がビクリと上がった。いつもとは違う雰囲気の声に、彼女はおそるおそる振り向く。表情こそ怒ってはいない。しかし、何かを疑うような眼差しを母親は娘に向けていた。


「何、って?」

「最近帰り遅いし、休みの日だって出掛けてばっかりだし」

「ハク達と遊んでるって言ったじゃん」

「昨日白夜ちゃん見かけたけど? あんたがいない時にね」

「うっ……」


 何やってんだハク……いや、ハクのせいじゃないけど―――蘭李は胸の内で友人を逆恨みしながら言い訳を探し、沈黙してしまった。


「そもそも毎日毎日遊んでるなんて嘘でしょ? 本当は何やってるの?」


 やばい、勘づかれた―――蘭李は思わず拳を握り締める。

 彼女以外魔力者のいない華城家では、もちろん彼女は魔力者であることを隠していた。コノハを買った時からずっとだ。彼も要注意しているし、今までは人間主軸の生活をしていた。

 しかし最近は、厳密には先祖達が現れてから、魔力者主軸の生活になっていた。悪魔の存在、健治との契約、特訓―――普通の学生生活を送っていれば、これらが入る隙間は、必然的に放課後や休日になってくる。

 当然、その生活変化を親が気付かないわけがない。特に入院があってからは、母親はピリピリしている。また娘が襲われてしまうのではないか。帰りが遅くなるなと言っているのに、もしもまた―――そんな不安が、母親の中に溜まっていた。


「まさか、何か変なことを……」

「ちがう……あの……」


 蘭李は一瞬躊躇った。彼女の心を探るように、母親の眼差しが鋭くなる。

 これを言ったら、本当に怒られるかもしれない。そもそも信じてもらえない可能性の方が高い。だけどこれ以外言い訳が思い付かない。それなら、もう―――蘭李は母親を力強く見つめた。


「あのね、お母さん。あたし……」


 彼女の言葉を遮るように、インターホンが鳴り響いた。母親は玄関へと迎えに出向く。


「ただいま」

「お帰りあなた」


 帰宅してきたのは父親だった。珍しく早い帰りに、蘭李は心底落胆した。

 ―――最悪だ。一対一で告白するならまだしも、二対一で言わなきゃいけないなんて。威圧に押し潰されそう。

 このまま部屋に逃げ込んでしまおうかと迷った蘭李だが、こうなればもうやるしかない。食卓に着く父親を見計らって、彼女は大きく息を吸った。


「あのね、あたし、魔法使いなの」


 お茶を飲んでいた父親がブッと吹いた。幸いコップから口を離していなかったので、誰かに吹きかけることはなかった。母親が不安そうに蘭李を見る。


「あんたどっか頭でも打ったの? 病院行く?」

「ちがう! 大丈夫! あたしは本気で言ってるの!」

「母さん、これ本格的に危ないやつだ。大きい病院に連れていこう」

「ちーがーう! もう! それならこれ見てよ!」


 スクールバックからコノハを引っ張り出して立ち上がる蘭李。勢いよく鞘からコノハを抜き、彼に向かって叫んだ。


「コノハ! 見せてやれ!」


 次の瞬間、コノハはボンと煙を上げる。煙が晴れたそこには、人の姿へと変化したコノハが立っていた。


「きゃああああ!?」


 母親が悲鳴を上げ後ずさった。父親が彼女を守るように、腕を水平に伸ばす。コノハは困ったように蘭李に振り向いた。


「悲鳴上がっちゃったけど」

「まあ、初めて見たらそうなると思う……」

「しゃっ……喋ってる……!?」


 わざわざ人の姿になったのに喋らなかったら意味無いじゃん―――蘭李はそんなツッコミをぐっと我慢した。


「分かったでしょ? これは魔法でやってるの。信じてくれた?」

「魔法……?」


 両親が顔をしかめながら、まじまじとコノハを見る。彼は少しだけ蘭李に寄り、あえて目を合わせないように視線を逸らした。

 実際に電撃でも出して信じてもらおうとも考えた蘭李だが、何の目標も無いまま魔法を放つのは制御しきれない可能性があった。そこで、いつもやっている「非日常」を見せれば良いと思ったのだ。


「………魔法じゃなくて、手品でしょ?」

「えっ」


 まさかの返答に、蘭李はたじろぐ。母親が落ち着いたのを見計らって、両親はもとの位置に戻った。困惑しながらも蘭李とコノハも座った。


「まさかあんた、この手品の為に最近……」

「ちがう! 断じて! そもそも手品じゃないし!」

「なら何やってるのよ」

「だから! 魔法使いだから戦ってるの! 特訓してるの!」

「まだそれ言うの? いい加減本当のこと言わないと怒るわよ」

「ホントのことだよ!」


 蘭李はテーブルを両手で思いっきり叩いた。料理を乗せている皿がほんの少しだけ浮く。母親は驚いているように見えた。そんな彼女を、蘭李は怒りのまなこで睨み付ける。


「そっちこそなんで信じてくれないわけ!? たしかに魔法なんて非常識なものだけど、実際にあるんだもん!」

「だって蘭李……」

「コノハを見せたって手品だって言うし……じゃあ何やったら信じてくれるの!?」

「だって蘭李、突然魔法とか言われたって信じられるわけないでしょ?」

「だから説明しようとしてんのにそっちが聞こうとしないんじゃん!」


 興奮する蘭李の服をコノハが引っ張る。彼女は唇を噛みしめ、再び両親を睨み付けた。母親は困ったような怒ったような顔を、父親は真剣そうな顔をしている。


「じゃあ……普通の魔法出そうか? それなら分かってくれる?」

「急に魔法使いだなんて言われても……」

「分かってるよ。信じられないでしょ? でも本当にそうなの。ふざけてない。それならハク達にも聞いてみようか? 魔法一族だから事細かに教えてくれると思うよ?」


 沈黙が降りる。蘭李の興奮も落ち着いてきて、彼女はお茶を一口飲んだ。母親がため息を吐き、ちらりと横目を向ける。父親は静かに口を開いた。


「……仮に蘭李が魔法使いだとしよう。そうだとしても、一体何と戦っているんだ?」

「え……? えっと……悪魔とか……」

「悪魔ぁ?」


 呆れたように母親が呟いた。当然といえば当然の反応だ。しかし事実であり、実際それに狙われている蘭李は、その反応に少しばかりイラっときた。


「ねぇ、やっぱり信じられないわ。この子誰かに騙されてるのよ」

「……悪魔と戦ってるから、最近帰りが遅いのか?」

「あなた!」


 父親は真剣だった。真剣に聞いてくれているようだった。それが蘭李にとっては意外だった。母親と一緒になって、きっと真面目に聞いてくれないだろう。そう思ってたからだ。

 蘭李は座り直し、父親と向かい合った。


「厳密には、悪魔に殺されないくらい強くなるために、特訓してるの。ある人がその場所を提供してくれて、ハク達も一緒に特訓してる」

「何よそれ……!? 本当に騙されてるわよあんた!」

「本当なの! あたし、なんでだか知らないけど、悪魔に狙われてるの! しかも……」


 言いかけて、蘭李ははっと気付いた。親にこんなこと言ったら、余計な心配かけるかもしれない。過剰な心配をされるかもしれない。

 でも―――ここまできたらもう言うしかない。彼女は大きく息を吸い、静かに口を開いた。


「………あたし、もうすぐ死ぬらしいんだ」


 再び沈黙が流れる。両親は目を見開いていた。突然娘から死の宣告をされたら、誰だって驚く。それが例え、信じてもいない魔法によってのものであってもだ。

 父親は驚いたものの、大きく表情を変えることはなかった。しかし母親は違った。不安や不信感が増すばかりだった。


「何よそれ……誰に言われたの!?」

「あたしの先祖。突然現れて……死ぬって。だからあたしを守るために、先祖は出てきてくれたんだって」

「はあ……!?」


 母親の目には、娘が冗談を言っているようには見えない。しかし、にわかに信じがたい。当然である。魔法さえ信じられないのに、さらに死ぬだとか先祖だとか言われても信じられるわけがない。


「それはじゃあ、悪魔に殺されるってことなのか?」

「ちょっとあなた……!」

「どうやって死ぬかまでは分からないの。でも可能性は高いと思う」

「そうか……」

「あなたっ! 鵜呑みにしてるの!?」


 母親が父親の肩を揺する。今の彼女にとって、冷静に話を聞いている自身の夫は、異常以外の何者でもなかった。


「鵜呑みにはしてない。けど、本当なら大変なことだろう」

「そうだけど……本当なわけないでしょ!」

「そう言い切れないだろう」

「そんなっ……!」

「お母さん、本当なの。あたしだって最初信じられなかったけど……でも実際先祖はいるし、悪魔だって狙ってくるんだよ。だから……特訓して強くなって、殺されないようにしてるの」


 母親は顔を強張らせた。父親は目を閉じて何か考えている。蘭李は不安を抱きながら、二人の言葉を待つ。

 分かってもらえなかったらどうしよう。そうだとしても、特訓するしかない。そうじゃないと、すぐ殺されてしまう―――そこでふと、蘭李は思う。

 ――――――でも、わざわざ両親に分かってもらう必要、あるのかな?


「………もしその話が全て本当なら、父さんは何も言わない。蘭李を守る為に、親として出来る限りのことはするけど」

「本当!?」


 まさかの返答に、蘭李は驚きの声を上げた。思わず彼女は身を乗り出す。


「父さん達は魔法なんて使えない。戦うことなんて出来ない。そしたら自衛してもらうしかないだろう。もちろん、出来ることがあるなら協力するよ」

「ありがとう!」

「………勝手に話を進めないで」


 静かに言い放つ母親を、蘭李はおそるおそる見た。先程までとは違い、静かな怒りを瞳に宿している。


「仮に話が全て本当だとして、そうだとしても、警察とか然るべきところに頼んで守ってもらうのが普通じゃないの?」

「魔法の警察は普通のと違って、守ってくれないんだよ。自分の身は自分で守るしかないの」

「なら、白夜ちゃんとかのお家に頼んで守ってもらえばいいじゃない。お金なら何とかするから」

「そんなの迷惑だし、絶対守りきってくれるとは限らないじゃん」

「あんただって絶対強くなれるとは限らないでしょう!?」


 突然大声で叫ぶ母親。その目には涙が浮かんでいた。蘭李はその姿に驚く。


「あんたが強くなるまで悪魔は待ってくれるの!? そんなわけないでしょう! 明日死ぬかもしれないんでしょう!? それなら誰かに守ってもらうしかないじゃない! あんたまだ中学生なのよ!」

「そうだけど……! でもあたし自身が強くならなきゃダメじゃん!」

「何がダメなのよっ! 子供は弱くて当然でしょう!?」

「でもハク達は強いもん! 特訓して強くなってるんだよ! 危険な仕事だってやってるんだよ!」

「じゃああんたは今すぐそこまで強くなれるの!?」


 蘭李は言葉を詰まらせた。そんなのムリに決まってる。でもそれを言ったら―――。

 母親は深いため息を吐いた。


「無理でしょう? だったらやっぱり、誰かに守ってもらえばいいのよ」

「なんで……なんでなんだよ……」


 蘭李の拳が震える。隣に座るコノハは、黙って彼女を見ていた。蘭李は唇を噛みしめ、母親を睨み付ける。


「なんで特訓しちゃいけないの! 強くなっちゃいけないの! そりゃ今すぐなんてムリだけどさ! でもやれば強くなれるんだよ!」


 突然、乾いた音が鳴る。蘭李は自然に右を向いた自身の顔に驚き、そっと左頬に手を当てる。じんじんと痛みが広がっていた。彼女は目を見開いたまま、視線を戻す。


「子供が死ににいくようなことしてるのに、それを親が許すわけないでしょ!?」


 母親は泣いて叫んだ。怒っていた。蘭李にはその意味が分からなかった。


「どうして自分で戦おうとするの! 余計に死ぬ確率が高まるだけじゃない! あんたそれで死んだらどうするの!?」

「だから特訓して……」

「特訓して絶対死なないって言い切れるの!? 実際戦って全く敵わなかったらどうするの!? あんたそういうこと考えてるの!?」

「考えてるよ! ハク達にもアドバイスもらったりしてるもん!」

「それならやっぱり守ってもらった方が早いじゃない!」


 父親が母親の肩に手を置く。そのことによって、彼女は自身の興奮を少し抑えた。しかし彼女は、父親をキッと睨み付ける。


「あなたもさっき、どうしてあんなこと言ったの!? 蘭李が死んでもいいの!?」

「そんなわけない。守ってくれる人がいたらもちろん頼む。だけど、蘭李自身も自衛の術が無いと安心して暮らせないだろう?」

「守ってくれる人がいるなら自衛の術なんていらないじゃない!」

「常に守ってくれるとは限らないだろう」

「………どうして? 子供が自ら危険に飛び込もうとしてるのよ? 心配じゃないの!?」

「心配だよ。でも、いつまでも守ってもらうわけにはいかないだろう? 普通の社会でも、自分のことは自分でしなきゃいけない」

「そうだけど……!」


 父親は真っ直ぐ蘭李を見た。近しい黄色の瞳が見合う。


「母さんは父さんが説得するよ。でも、頼める人には守ってくれるように頼みたいから、友達の家に話をつけてくれるか?」

「……分かった」

「ちょっと!」


 そうして半ば強制的に話が終わり、蘭李はコノハと共に自室に向かった。扉を閉め、座蒲団の上にボスンと座る。部屋で待機していた先祖三人がふよふよと彼女に近付いた。


「ひとまず信じてもらえたかのう?」

「お父さんはね……」

「ここまで声、聞こえたよー!」

「愛されてるんだな。お前」


 素っ気なく言い放つ秋桜のその言葉に、蘭李は彼らを見上げた。


「みんなはどうだった?」

「俺は言わなかった。どうなるかは目に見えてたからな」

「僕は信じてもらえたよ!」

「我も言わなかったのう。じゃが知っていたようで、家を追い出されたわ」


 直後、全員が蜜柑を凝視した。当の本人は何が起こったのか分からないのか、キョトンとしている。


「なんじゃ?」

「家追い出されたって……じゃあどうやって暮らしてたの?」

「別に家など無くともどうにでもなるわ。ミカンがある限りな!」

「つ、つよ……」


 とても自分の先祖とは思えない。あたしだってそのくらいタフな精神持ちたいよ―――蘭李は立ち上がり、ベッドに勢いよくダイブした。布団の上で、体が小さく跳ねる。


「早く寝よ……明日早いし……」

「僕を忘れて行くなよ?」

「そんなことするわけないでしょ! コノハこそ早く寝てよ?」

「僕は寝なくても別に……」


 蘭李は布団に潜り込み、目を閉じた。彼女の心には、不安が広がっていた。

 母親は認めてくれるだろうか。両親にあんなことを話して、二人に危険が及ばないだろうか。

 もし―――そこまで考え、彼女は意識を手放す。静かな寝息と幽霊達の話し声だけが、部屋の中を満たしていた。

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