5話ー③『夢』
「よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる、銀色の髪をした男女。若俊も軽く頭を下げ、女性についていった。その後ろを蘭李とカヤが歩く。
蘭李の視線はせわしなく周囲に向けられていた。たくさんの扉、ふかふかの赤い絨毯、壁にかかるよく分からない絵画、天井からエントランスを照らすシャンデリア―――見れば見るほど、目の前に広がるこの光景が信じがたかった。
若俊の護衛として蘭李がやって来たここは、
「こちらです」
二階へ上がり、長い絨毯の廊下を歩いた先にある、とある一室。中に入ると、まず部屋奥の大きなベッドが目に飛び込んできた。その右隣にはテーブルとイスがあり、手前の左壁には本棚がある。しかし本は一冊も無かった。手前の右壁には暖炉があり、部屋は青い絨毯が敷かれている。
蘭李達はベッドへと近づく。覗いて見ると、灰色の寝巻きを着た白い髪の少年が眠っていた。頬を赤く染め、苦しそうに呼吸をしている。
「息子の
「分かりました。では診察します」
若俊がベッドを回り、傍にあるイスに座り診察を始める。カヤは彼の隣のイスに座った。『慎』の母親は心配そうに診察を見守っている。
やることのない蘭李は、部屋を見回した。ふと、本棚の隣に扉があることに気付いた。引き寄せられるように近付いていき、何とはなしに眺める。これといっておかしなところはなかった。
蘭李についてきた先祖三人は屋敷内を探索しに行っており、部屋は静寂に満ちていた。誰も何も言わない。慎の呼吸と、若俊の作業する音だけが聞こえてくる。
やがて診察が終わり、若俊が立ち上がる。不安そうに見つめる母親にその結果を伝えた。
「インフルエンザですね」
「ああ、やっぱりそうですか……」
「今年はかなり流行っていますので。でも薬を飲めばすぐに治りますよ」
「良かった……お願いします」
「じゃあ用意するので、別の部屋を貸してもらえませんか?」
「分かりました。こちらへどうぞ」
母親と若俊が部屋から出ていこうとする。蘭李とカヤもその後を追った。案内されたのは、廊下一番突き当たりの部屋。小さな灰色の部屋で、中央に木製のテーブルとイスがあるだけだった。
「薬が出来たら呼びますので」
「はい。よろしくお願いします」
母親が何度も頭を下げ退出した。若俊は持ってきたバッグからたくさんの瓶を取り出す。カヤはドカッとイスに座り、頬杖をつきながらその様子を無言で眺めた。
「あっ、しまった」
若俊がそう呟いたのは、蘭李も着席しようとした時だった。不思議そうな顔をする蘭李に、若俊は顎で扉を指した。
「華城、戻ってバッグを取ってきてくれ」
「え? バッグ?」
「器具が入ってる方だ。ったく、ボクとしたことが……」
反論をする間もなく、蘭李は部屋からぽいっと追い出されてしまった。
なにこれ。あたしって雑用で呼ばれたの? いくら借金してるからって!
そんな不満を持ちながら彼女は、先程の部屋に足早に戻る。たしかにイスの足元には茶色いバッグがあった。蘭李はそれを持ち、帰ろうと踵を返す。
「………なぁ……」
突然、ガシッと腕を掴まれた。反射的に振り向くと、慎が必死に蘭李の腕を掴んでいた。苦しそうに上体を起こし、とろんとした真っ白な瞳で彼女を見る。蘭李の鼓動が少し速くなった。
「な、なに……?」
「お前………強い……?」
「へ……?」
予想もしない問いかけに、蘭李は拍子抜けた返答しか出来ず。しかし慎は構わず続けた。
「僕………殺したくないんだ………」
「は………?」
「だから……守ってくれ………あの人を……!」
「え……?」
慎が手を離し、胸に手を当てゆっくり息を整える。蘭李は不審がって見下ろした。
急にどうしたんだろう? 熱でおかしくなってるだけ?
少し落ち着いた頃に、慎が顔を上げた。
「……僕の家系の魔力は知ってるか?」
「ああ……うん」
蘭李はカヤの言葉を思い出した。夢で人を殺す一族。そしてその魔力のせいで、劉木南一家は『異形魔力者』であると。
そこでふと、蘭李は後悔をした――――――異形魔力者のこと調べるの忘れた。
「僕もその魔力を受け継いだ。けど、今まで夢は見なかった。そのおかけで誰も殺さずにこれた。だけど……!」
慎は拳を握り締めた。顔は赤いというのに、その手は病的なまでに白かった。
「ついに……見てしまったんだ……今日の、夢を……」
「今日の?」
「ああ。僕のおばあさんが……殺される夢を……」
蘭李は目を見開く。
本当に夢で人を殺すんだ。しかもそれが、正夢になる。もしこの人の夢の中に、あたしが出てきたら―――蘭李は息を飲んだ。慎は、縋るように彼女の両腕を掴む。
「頼む……! 僕、正夢にしたくないんだ……! こんな魔力のせいで、誰かを殺したくない……! 金なら払うから……! だから……!」
その時突然、部屋の扉が乱暴に開かれた。二人が目をやると、黒いマスクをした男三人が入ってきていた。見知らぬ顔に蘭李は驚き、慎は顔を青ざめた。
「夢の……通りだ……!」
男達はナイフを取り出し、二人目掛けて駆けてきた。蘭李はバッグを置いて背負うコノハを取り、ベッドを回り込んで慎と男達の間に立った。
正面から一人、ナイフが振り下ろされる。右に避け、体を回しながらコノハを水平に振った。男から血が飛ぶ。前後から同時に男が襲いかかってくる。蘭李は足に魔力を溜め、一気に前へと突っ込んだ。男に勢いよく突撃し、一緒に床に倒れ込む。すぐ起き上がり、背後の男へ同じように飛んでいった。男が倒れる。
「こいつらなんなの!」
「夢に出てきた……こいつら、僕を狙ってる……!」
「おばあさんじゃないの!?」
はじめに倒した男が起き上がり、銃口を蘭李に向けた。彼女の体が硬直する。
「大人しく武器を捨てて手を上げな」
男に言われ、蘭李はコノハを落とし手を上げた。残り二人の男も立ち上がる。銃を構える男が、少しずつ蘭李に近寄った。
「余計な真似しなきゃ、嬢ちゃんは生かしてやるよ」
額に銃口がつきつけられ、蘭李の心臓がバクバクと高鳴る。二人の男が横を通り過ぎた。
「ったく、こんな護衛がいるなんて聞いてねえよ」
男がぼやいた刹那、足元から煙が上がった。一瞬男がそこに目をやったその時に、銃を握る男の
「―――ぐぁああああああああああッ!」
男の悲鳴が部屋中に響いた。その場に倒れ込み、痛みに悶えている。少年姿になったコノハの右腕は血濡れた刃になっており、続けて二人の男に飛び掛かり斬りつける。男達は血を噴き出して倒れた。
「ったく……こいつら一体何なんだ?」
コノハが腕を振って血を落とす。慎は彼に驚愕の瞳を向けていたが、そこら中に飛び散る血と鉄のにおいに晒され、すぐさま口を押さえた。
「コノハ……助けてくれたのはありがたいんだけど……」
申し訳なさそうに男達を見下ろす蘭李。コノハはむっとして反論した。
「何? 背に腹は変えられないでしょ?」
「うん……まあそうなんだけど……」
「そっ………そいつっ……!」
慎の震えた声が上がった。顔は恐怖で凍りついており、蘭李はそっと彼に手を差し出した。
「あの……大丈夫?」
「そいつ誰!?」
「あ、えーっとコノハはね、剣だけど生きてるんだ。だから人の姿に……」
「そんなことより」
コノハがおもむろに差し出したのは拳銃だった。男の切断された手から取ったものだ。蘭李は一瞬躊躇うが、渋々それを両手で受け取る。
「使えとは言わないけどさ、一応持っておいた方がいいんじゃない?」
「………よく取れたね。あんなグロいものから」
「それ、いつも一番間近で切断される瞬間を見てる僕に言うこと?」
その時、再び扉が開かれた。若俊とカヤ、続けて慎の両親と先祖三人が部屋に入ってきたのだ。部屋の惨状を見た母親が、甲高い悲鳴を上げる。
「きゃあああああ!?」
「一体何があった?」
若俊に聞かれ、蘭李は先程の騒動を伝える。すると、カヤが楽しそうに手をバキバキと鳴らし始めた。
「ということは、アタシが暴れてもいいってことよね?」
「何故そうなる。駄目だ」
「何でよ」
「医者は治療をするだけだ。お前はその護衛」
「だから未然に防ぐ為に暴れても」
「ボクが狙われてるわけじゃないんだ。何もしなきゃ危険は無い」
若俊がカヤの首根っこを掴んだ。不満そうに彼女が振り向くが、彼は無視した。慎が気分悪そうに口を開ける。
「夢では………まだまだ敵がきてた……と思う……」
「慎っ!」
「皆おばあさんを狙ってるのか?」
「いや………僕のことも……狙ってた……」
「だからこいつら……」
「そんな……!」
母親が慎を抱き締める。父親は若俊に向き直り、頭を下げた。
「お願いします……どうか、慎だけでも守ってもらえないでしょうか!」
「その場合、それなりに追加の報酬は貰いますが」
「構いません! お願いします!」
「分かりました。それなら事が済むまで、力になりましょう」
ありがとうございます―――何度も両親が若俊に頭を下げる。カヤがニヤリと笑い、準備運動をし始めた。
「待って……」
慎が蘭李の服の裾を引っ張る。起きているのも辛そうな彼を母親が無理矢理寝かせようとするが、その手を振り払われてしまう。慎は熱を帯びる白眼で蘭李を見上げた。
「僕はいいから………おばあさんを……!」
「何言っているの! あなたの方が大事なのよ!」
「嫌だ……! 正夢にしたくない……!」
「いい加減にしなさい! それでもしあなたが死んだらどうするの!?」
その光景を見て蘭李はふと、昨日のことを思い出した。
――――――お母さんは、あたしのことを案じてあんなに怒った。母親ってそういう生き物なのかな。でもあたしも慎も、その思いをそのまま受け取ることは出来ない。あたし達だって、ちゃんと考えてる。
結果的にあたし自身が強くなれば万事解決じゃん……なんで分かってくれないんだろう……。
「じゃあ、二手に別れればいいんじゃないの?」
突然のコノハの言葉に、全員が振り向いた。
「そしたら二人同時に守れる。解決じゃん」
「それはそうだけど………というより、あなたは……?」
「アンタ誰?」
カヤがずいっとコノハに顔を近付ける。コノハはふいっと顔を背け、蘭李のもとに戻った。彼女の肩にポンと手を置く。
「こいつの武器。詳しくはそこの医者に聞きなよ」
「はあ?」
「なんでボクに振るんだ」
「説明が面倒だから」
コノハは彼の真っ黒い視線から逃れるように、蘭李の影に隠れた。フンと鼻を鳴らした若俊は、カヤを横目で見る。
「………まあこいつはともかく。それでいこう」
「じゃあアタシこっちね~」
「じゃあ僕らはおばあさんの方。どこにいるの?」
「……離れにいます」
「家の裏側にある………行けば分かる……」
慎が付け加えた。コノハと蘭李は頷き、部屋から飛び出した。それを機に、安心したように脱力しベッドに横たわる慎。母親が慌てて彼に毛布をかけた。
「さて。じゃあボクらは、こいつらから聞き出すとするか」
若俊が足元に転がる男達を見下ろし、妖しげに笑った。
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