4話ー⑥『あいつ』

 オレンジ色の日の光が差し込む路地裏で、コノハは小さくしゃがみこんでいた。苦しそうに呼吸する彼の心は今、怒りと悲しさと不安で支配されていた。

 夏は本当の持ち主じゃなかった。僕の名前の由来を間違えた。僕の名前はそんな理由でつけられたわけじゃない―――何もかも忘れているはずの彼だったが、何故かそう信じてやまなかった。


「やーっと見つけた」


 突然降り注ぐ声に、コノハが顔を上げる。西日をバックに見下す少年は、「あいつ」のそばにいたような気がした。他の二人と一緒になって「あいつ」の周りを……。

 ――――――「あいつ」って誰だ?


「だ、誰だ……」

「アンタの本当のご主人様の先祖だよ」


 秋桜はすーっとコノハへと降りていく。真っ赤な瞳を、驚いたような緑色の瞳が凝視した。


「お前、知ってるのか……?」

「知らないのはアンタだけだよ」

「僕だけ……?」


 胸を押さえるコノハ。自分の体内から魔力が消えていく感覚が、名も知らない少年の言葉が、彼の不安を掻き立てていた。


「アンタは記憶を失っている。でも、何故そうなっているのかは考えなかったのか?」

「なぜって……」


 ―――戦っているときに負った怪我のせいで記憶がなくなった。

 夏からそう聞かされていた。何も分からない彼はそれを信じるしかなかった。


「怪我のせいじゃないの」

「まあそれはそうなんだが……何故その怪我を負ったのかは考えなかったか?」

「戦闘でしょ」

「戦闘って? その戦闘って一体何だよ?」


 知らない、そんなこと―――そのはずなのに、突然フラッシュバックされた。


 ――――――たくさん人がいる。互いに殺し合っている。僕らにも刃が飛んでくる。僕も「あいつ」もそれを迎え撃つ。

 不意に、胸を貫かれた。耐えきれなくなった僕は剣の姿に戻った。「あいつ」は僕を手に持ち、必死に戦う。しかし僕を使おうとはしない。

 勝てるわけがない。「あいつ」が僕なしで勝てるわけなんかないのに―――。


「あッ……あぁあああ……!」


 コノハの体は小刻みに震え始めた。目を見開いて、頭や胸を力任せに握る。頬を汗が伝って落ちた。


「思い出したか?」

「うッ……ああッ……」

「アンタを手にしていた人物は誰だ?」

「だれ……? わかんない………あいつはだれ……?」

「分からないわけない。もうそこまで思い出してるだろ?」



 ――――――ごめんね……コノハ………本当にごめん……。



 突然思い出した場面。見ず知らずのあいつに、なんで謝られたのか分からなかった。僕の持ち主は夏だからとか、赤の他人なのに何言ってるんだとか、そういう理由じゃなくて。



 ――――――謝る必要なんてないのに、という自分でもよくわからない疑問からだった。



 ―――――――――ドォオオオンッ


 突如鳴り響いた轟音。音の方角からは大量の電撃が放たれていた。秋桜が不安な顔色を浮かべる。


「あれ、まずくないか……?」

「え……?」

「オイ! あそこに行くぞ!」

「あそこって……」

「急げ! 本当に取り返しのつかないことになるかもしれないぞ!」


 建物をすり抜けて真っ直ぐに飛んでいく秋桜。コノハはもう一度、放たれる電撃に目を向けた。

 ―――どうしてだか、懐かしい心地がした。

 疲弊する体を引きずりながら、導かれるようにそこへ向かった。



「どうにかせんかッ!」

「どうにかってどうすればいいんだよ!」


 飛び交う電撃の中、蜜柑と白夜が叫び合う。その体を電撃が掠める。白夜は一瞬怯むが、すぐに次の電撃を避けた。蜜柑へと放たれた電撃は当然すり抜け、背後にいた海斗に向かう。彼は寸前で後ろに跳んで避けた。

 自分に繋がれていた管………両腕、両足、腹部、胸部と、身体中につけられていた全ての管を外した蘭李。吸収されていた魔力は再び暴走し、無造作に電撃が放たれ始めた。


「機械を壊されちゃどうにもならない! 他の病院にもあるだろうが……」

「他の病院に行くって言ったって、あの状態の蘭李をどうやって……!」


 蘭李自身も悲鳴を上げ続けている。その体が壊れるのは時間の問題だ。しかし無理矢理封じ込めても、内部から壊れ始める。白夜達も電撃から避けるのに必死で、近付くことさえままならない。


「このままじゃ……!」


 白夜の頭を過った結末―――言うまでもなく、蘭李の終焉である。


「何があった!」


 メルに守られた健治と夏が彼らの元に駆けつけた。そこにコノハの姿はないが、今はそれどころではない。


「蘭李が管を外してしまって……!」

「なっ……なんでそんなことを!」

「おぬしのせいじゃぞーッ!」

「ねえ蘭李を助けて! シロちゃん!」


 蜜柑が海斗に怒鳴り付け、睡蓮が泣きながら白夜に訴えかける。彼女も策を考えているが思い付かなかった。もうすぐ完全に日が暮れようとしているが、蘭李を根源から救う手立ては見つからなかった。闇属性の魔法ではどうすることも出来ないのだ。


「おいっ! 大丈夫か!」


 この声は―――白夜が振り向くと、秋桜もそこにいた。しかしそれよりも、その後ろから走ってくる少年の姿に、彼女は驚きを隠せなかった。


「コノハ!?」

「連れてきてやったぞ!」


 皆もコノハに気付き、目を奪われる。そこに容赦なく電撃が飛んできて、彼らは直撃を避けられなかった。紫苑と海斗がその場に崩れ落ちる。


「あいつ……!」


 コノハが蘭李を見据える。彼の存在に彼女はまだ気付いていない。コノハは唇を噛み締め、突然走り出した。電撃が彼に襲いかかるも、彼は止まることなく走り続けた。その姿に、またも釘付けになる。


「コノハくん!?」


 最も驚いたのは夏だった。彼女が叫ぶと同時に、コノハが跳躍した。蘭李も彼に気付き、目を見開く。


「コノハ……!?」


 コノハが空中で剣の姿に戻った。くるくる回りながら、弧を描いて落ちていく。反射的に蘭李はそれに手を伸ばした。痛んで軋む足で踏ん張り、なくなっていく力を振り絞り、コノハの柄を力強く握った。



 ――――――ああ、久しぶりの感触だ。

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