4話ー④『違和感』

「はい。バームクーヘンだよー」


 バームクーヘンの一切れを二つ、それぞれ皿に乗せてテーブルに並べる夏。彼女が向かいに座ったのを見届け、コノハは柔らかいスポンジにフォーク刺した。一口分に切り離し、口の中へと運ぶ。表情に変化はない。


「美味しいでしょー」

「………うん」

「ここのバームクーヘンはねー、昔から好きなんだー」


 夏も同じようにバームクーヘンを頬張った。幸せそうな笑顔を見せながら味を堪能する。

 一方、それを盗み見る瞳はどこか鋭かった。


「さっきのあいつ」

「え?」

「ちょっと様子おかしかったね」


 ちょうど夏がバームクーヘンを口に入れたところだった。唖然とした表情で口を動かす彼女に、コノハは語気を強めて付け加える。


「黒髪のやつ」

「あー、華城さん? 様子おかしかった? うーん……」


 考える一方で食事の手は止まることなく、もう一口飲み込んだところで夏は答えた。


「そうかなー? 私にはいつも通りに見えたけどなー」

「………そっか」

「気になる?」


 淡い緑の瞳に見つめられ、コノハはおもむろに視線を落とした。返答せず、バームクーヘンを小さく食す。夏は辛そうな笑みをうっすら浮かべていた。


「………ねえ。あのさ」


 まだ半分も食べていないバームクーヘンの皿にフォークを置き、コノハは顔を上げた。夏の視線は落ちたままだ。


「僕の中に残ってる魔力って、誰の?」


 ピタリと夏の手が止まった。顔を上げた彼女は、険しい表情のコノハに一瞬動揺した。それを悟られまいと、すぐさま微笑を浮かべる。


「何言ってるの? 私のに決まってるでしょー?」

「ならなんで、起きてから一度も魔力をくれないの?」

「それは……」


 夏が口ごもる。たしかに彼女は、コノハが目を覚ましてから一度も魔力を与えたことはない。しかしそれは出来なかったのだ。

 コノハの中には蘭李の魔力がまだ残っていた。その状態で他人の魔力を入れると、拒否反応を起こし暴走しかねない。だから夏はその魔力が尽きるまで与えないようにと思っていたのだ。


「このままだと僕、人の姿になれなくなっちゃうんだけど?」

「魔力が尽きたらあげるから安心して」

「なんで? なんで一回空っぽにするの?」


 コノハの問いに答えられない……いや、答えてはいけなかった。

 答えてしまったら、もとの記憶を思い出してしまうかもしれない。それだけは駄目だ。もしそうなったら、きっと彼は蘭李のもとへ戻るだろう。それは魔具の持つ悲しき性なのだ。それだけは阻止しなければならなかった。


「………じゃあ、これは訊いていいよね」


 沈黙する夏に追撃するかのようにコノハは続けた。


「夏は僕の持ち主なんだよね」

「……うん」

「僕の名前、なんで『コノハ』にしたの?」


 予想外の問いに、夏の体は固まった。

 私が持ち主であることに疑問を持った? 本物の持ち主かを確認するための質問か? それにしたって不自然だ。

 ―――そんな分かりきった質問を選んだ理由とは?

 夏は少し考え、いつものようなおっとりとした口調で答えた。


「木の葉みたいに、緑色の刀身をしていたからだよ」



「成る程……それでここへ来たと……」


 白衣を来た男が足を組んだ。手に持つ書類を眺めながら、眼鏡の位置を整える。健治は立ったまま、横の彼の書類を覗くように視線を落とした。


「原因は何か分かるかい?」

「原因と聞かれれば、それはキャパシティオーバーだからと答えられる」

「キャパシティオーバー?」


 健治は顔を上げる。目の前のガラス越しには、いくつもの管によって大きな機械に繋がれた蘭李がベッドの上で眠っていた。

 彼が蘭李をこの病院へ運び込んですぐ、彼女はあのような状態にさせられてしまった。その処置が正しいのか半信半疑であったが、ひとまず落ち着いた様子に健治は胸を撫でおろした。


「彼女の魔力許容量以上の魔力が体内に溜まったせいで、抑えきれなくなった魔力が暴走。更にそれを無理矢理封じ込めたせいで、逃げ場を無くした魔力が体内で暴走し、体を中から壊し始めたってワケだ」


 デスクに書類を無造作に放り、男は椅子の背にもたれた。手を頭の後ろで組み、眼鏡の奥の真っ黒な瞳は虚空を眺めた。


「しかしどうして魔力が急増しているのか。しかも未だ増え続けている……」

「悪魔に何かされた可能性があるんだ。調べられるかい?」

「何かされたかを調べることは出来る。ただし、その何かは分からないが」

「お願いするよ」

「了解。結果が出るのは明日の朝だ」


 男が腕を伸ばし、パソコンのキーボードをカタカタと打ち始めた。その間、健治はガラスに近付き、再び蘭李の様子を見る。彼女は静かに寝息を立てていた。健治の隣に立つメルも、心配そうに眺めている。

 もしあと数分でもここに間に合わなかったら―――そこまで考えて、彼は思考を停止させた。それ以上は無意味なことだ。考えるだけエネルギーの無駄である。


「それにしても、夜間にこんな患者が来るとは……ボクもつくづくツイてないな。確かにこの完璧なボクに頼りたい気持ちも分かるが……」


 男がわざとらしくため息を吐き、やれやれと首を横に振った。冷めた視線を送るメルの隣で、健治は携帯のバイブレーションを感知した。ズボンのポケットからそれを取り出し、発信者を画面で確認したのち耳にあてる。


「もしもし夏? どうした? ………え? それは本当かい?」


 終始驚いているような健治。短い通話を終えると踵を返し、足早に医務室の扉へと向かった。メルが不安そうな表情で追いかける。


「どうしました?」

「コノハがいなくなったらしい」

「コノハ様が? お一人で?」

「ああ。とにかく俺は夏に事情を聞いてみる。メルは白夜達に知らせてくれ」

「承知いたしました」


 二人は部屋から飛び出した。一人取り残された男はその背中を眺めていたが、やがて蘭李に視線を移す。彼女が眠っていても、繋いでいる機械は微かな音を上げて動き続けている。


「まるで………封印を解いてしまったようだな」


 男は本棚から一冊の本を取り出した。

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