4話ー③『異変』
蘭李と海斗が喧嘩してから三日が経過した。未だ白夜達に勝てない蘭李は、しかし言われた通り、躊躇わずに木刀を振ってはいる。以前よりは良い動きになってはいるものの、蘭李には漠然とした焦りがあった。
「そもそも夏が言った強くなるまでっていうのは、長期的なものだと思うよ? 俺もそう思ったし。だから全然焦る必要は無いと思うけど」
真逆の考えだったのかと、健治に言われて蘭李は気が付いた。彼女は短期的なものだと思っていた。少しの間だけコノハを預かってもらう。長くても一~二ヶ月……そのつもりだったのだ。
「海斗、今日も戦ってくれないね」
トレーニングルームの奥にある射撃場への入り口を眺めながら雷が呟いた。
あれから海斗は、放課後にはずっとそこにいて、全く蘭李の相手をしなくなった。お互いに謝る気がないから、こうなるのは当然だろう。
「そういえば雷達もずっとここにいるけど、いつの間に健治と契約したの?」
トレーニングルームに入ってきた白夜が、木刀を軽くブンブン回しながら蘭李達の方へ来る。その横では、秋桜がふよふよとあぐらをかいていた。
「大会が終わった次の日だよ!」
「はや……タダでは使わせないか」
「俺は何の問題も無かったけど……雷は親に知られたらマズイんじゃないのか?」
「まあね。でもほら、そんな過激なことはしてこないと思うから大丈夫!」
「楽観的だなあ……」
ニカッと笑う雷に、苦笑いを浮かべる紫苑。その横で蘭李は密かに一瞥する。少し離れた壁際、いつもコノハと夏が観戦している場所だった。今日は二人とも来ていない。
「蘭李、大丈夫か?」
突然白夜に顔を覗き込まれる蘭李。心配そうな表情を浮かべる彼女に、蘭李は焦って笑ってみせたが、ぎこちない笑みになっていた。
「だ、大丈夫だよ? なんで?」
「ずっと険しい顔してたから」
「えー? そ、そうかな?」
「ここんとこずっと辛そうだし」
「あんまり無理しない方がいいよ? 蘭李」
「まー、無理は良くないよな」
雷と紫苑にも声をかけられ、黄色の瞳がじんわり潤んだ。顔を見られないように蘭李は俯く。
「………ごめん。今日あたし帰るね。朝からちょっと熱っぽいし……」
「えっ? ああ、うん……」
白夜達の間を通り抜けて、蘭李は俯いたままトレーニングルームを去った。リビングに置いてあったスクールバッグを取り、玄関へと足を運ぶ。健治の視線を浴びていたが、会話を交わすことはなかった。
皇家から出ると、辺りはもう夕暮れ時だった。オレンジ色に包まれた街中を、とぼとぼと歩く蘭李。冷たい風が吹くと、体が身震いした。マフラーも手袋もしていないため、直に寒さが感じられる。早く暖かい家に帰ろう―――彼女の足取りは自然に速くなっていた。
「……………あ」
ふと道の先に目をやると、緑色の髪をした女と少年が横切って行くのが見えた。その見知った顔に驚き、自然と足が止まる。
「あ、華城さん」
そう―――夏とコノハだったのだ。二人は買い物帰りだったのか、スーパーの袋を提げていた。
「ど、どうも……こんばんは……」
「こんばんはー。学校帰りー?」
「いや……今日は休日なので……」
「あ、そっかー。忘れてたー。ごめんねー? 私達も買い物帰りなんだー」
ふんわりとした笑みを浮かべる夏。コノハは表情を変えず、じっと蘭李を観察していた。
「寄っていくー? ちょうどバームクーヘン買ったんだー」
「あ……えっと……せっかくなんですけど……」
「そーお? あ、バームクーヘン嫌いだったー?」
「別に、そういうわけでは……」
「……来たくないだけでしょ」
「こらこらー。そういうこと言っちゃダメでしょー」
―――なんだか苦しい。もやもやする。イライラする。これはなんなんだろう。
よく分からない気分にたまらず、蘭李は必死に作り笑いをして切り上げた。
「あの……じゃあ、あたし行きますね」
「ああ、引き留めちゃってごめんねー。じゃあねー」
夏がひらひらと手を振って歩いていく。コノハも少し蘭李を見て、夏についていった。二人の背中を見送っているとやはり気分が良くないような気がして、無理矢理視線を遮った。
「あつ……」
再び帰路につくと次第に辺りが暗くなっていき、街灯がちらほらとつき始めた。
最近はほぼ毎日放課後に特訓しているから、彼女がこういった時間に帰るのは珍しくない。しかし大会以来、彼女の母親が不安がっていた。また何かあったらどうしよう、という母親の当然の心理だ。
そんな母親を心配させたくはない蘭李だが、特訓すればどうしても遅くなってしまう。だからたまにはこうして、いつもより早くてもいいだろう。休日だし。
それに今日は本当に朝から熱っぽい。安静にしている方がいい―――そんな風に自身の行動を正当化しながら、蘭李は歩く。彼女の頬は、ほんのりと赤くなっていた。
「よお。蘭李くん?」
聞き覚えのない声に、俯き気味だった顔を上げる。目の前にいたのは、彼女のことを殺そうとした青年―――悪魔だった。思いがけない奇襲に、蘭李は言葉を失う。
「最近、あの魔具がついてないみたいだな?」
全身を観察されるような不快を覚え、じりじりと後ずさる。悪魔がその間合いを詰める様子はなかった。
コノハが無くても、いざとなればヒューさんがいる―――しかし蘭李は分かっていた。ヒューさんを召喚したところで、こいつには勝てないと。
―――コノハさえ殺しかけるほど弱いあたしが、勝てるわけがないと。
「自ら死へと向かってくれるとは……献身的で何よりだ」
悪魔が目を細める。黄緑色の瞳が淡く光り、薄暗くなった空間にぼんやりと浮かぶ。
「だが……そんなんでお前を殺したくねえんだよ」
悪魔が歩き出す。反射的に踵を返し、蘭李は駆け出した。
―――何をされるか分からない。死ぬよりひどいことをされるかもしれない。捕まったら終わりだ。
全速力で駆け抜けた―――そのはずだったが、目の前に悪魔が降り立った。勢いあまって蘭李はぶつかりよろける。すぐさま逃げようとしたが首を鷲掴みにされ、ほんの少し体を持ち上げられた。
「オレはな、最悪な形でお前を殺したいんだよ。分かるか? だからな、わざわざ死ににいこうとするなら、オレはお前を殺さない」
キリキリと掴む力が強くなっていく。蘭李は必死にその手を離そうともがく。
殺さないとか言ってるくせに殺そうとしてるじゃないか―――その声が通じたのか、悪魔は突然手を離した。蘭李はその場にへたり込み、ゲホゲホと咳き込む。
「それでな、お前に良いこと教えてやるよ。早くあの魔具取り返したいだろ?」
悪魔もしゃがみこみ、蘭李の顔をうかがうように言葉を綴った。不敵に笑う彼を見て、逃げなければならないと本能が警告を出す。それなのに、体を動かすことができなかった。
―――それは、悪魔の言葉を聞きたいからだろうか?
「まあ……そうだけど……」
「だったら、悪魔と契約しろ。それならあっという間に取り返せるぜ」
刹那、蘭李の目の前が爆発した。しかし彼女からその光景はどんどん遠ざかっていく。何かと振り向けば、メルが蘭李を抱えて飛んでいたのだ。
「危ない危ない……ついてきて良かったよ」
着地したメルと蘭李の前に健治が現れる。メルはすぐさま彼の横に立ち、真っ白い羽を広げた。悪魔は爆発を避けており、二人を見るなり舌打ちをした。
「またお前らか」
「これが俺の仕事だからね」
メルが弓を構える。神々しく光る矢は、日の暮れた世界に溶け始める悪魔の心臓を狙っていた。天使と悪魔は、対峙したまましばらく静止する。
やがて、何も言わず悪魔は飛び去った。ほっと息を吐き、健治が振り向く。
「大丈夫? 何もされてないかい?」
先程掴まれた首の跡以外、蘭李の体に外傷は無い。そう確認出来ると、彼は深いため息を吐いた。
「君ね……狙われてるんだから、一人で帰ろうとしないで。帰るんなら誰か一緒に連れてね。こうしていつも助けが間に合うわけじゃないんだから」
「………健治はどうして助けてくれるの?」
「言っただろう。仕事だって」
健治が蘭李の頭に手を乗せ、ポンポンと軽く叩く。辺りを見回っていたメルも戻ってくるなり翼が消え、普通の少女を装った。
「あつ……」
蘭李は胸を押さえた。いつの間にか少し荒くなっていた息をもとに戻そうと、呼吸に意識を集中させる。しかし戻るどころか、どんどん息苦しくなっていった。
「蘭李?」
健治もその異変に気が付いた。蘭李は頬を真っ赤にし、過呼吸気味になっていた。
「どうした?」
「体が熱い……!」
健治が蘭李に触れようとすると、バチンと電気が走った。それを見たメルが、瞬時に彼を蘭李から離す。
「蘭李!?」
「主、危険です!」
蘭李の体からは、ピリピリと放電されていた。漏れているとも言える微量な電気だが、絶え間なく流れているため、触ることが出来ない。
二人はすぐに察した―――これは、蘭李の魔力であると。
「何してるんだ蘭李!」
「う………あああああああああああああっ!」
悲鳴と共に、大量の電撃が蘭李を中心に放たれた。メルは瞬時にドーム状の結界を張り、主を守る。
「蘭李落ち着け! 何してるんだ!」
「あああああああああああああああッ!」
健治の声は届かない。電撃は誰を狙うでもなく、無造作に放たれていた。
「主! 蘭李様の魔力が暴走しています!」
「暴走!? 何だって急に!」
「悪魔に何かされたのかもしれません! とにかく魔力を封じ込めます!」
メルは翼を広げ、結界から飛び出した。電撃をもくぐり抜けるスピードで蘭李の背後を取ると、その背に両の手のひらをつけた。一瞬、まばゆい光が放たれる。すると電撃が止み、蘭李はその場に倒れ込んだ。大人しくなった様子に、メルも健治も安堵の息を吐く。
「あの悪魔……一体何をしたんだ?」
結界が解かれ、健治は蘭李のもとへ歩み寄った。メルは周囲を警戒しながら主を横目に見る。
「他人の魔力をコントロール出来る悪魔がいると聞いたことがあります。恐らくそれかと」
「くそっ……一体何が目的なんだ?」
突然蘭李が小さく唸り、口を押さえながら体を起こした。次の瞬間、ゴボッという音と共に、押さえていた手の隙間から血が飛び散った。
「蘭李!?」
途切れ途切れに口から血を吐き出す蘭李。あっという間に小さな赤い水溜まりが形成された。健治が慌てて彼女を抱きかかえると、その体は小刻みに震えていた。
「なんでだよ……! 何が起きた!」
「異常です! 魔力だけ封じ込めて血を吐くなんて……」
「メル! すぐ病院へ連れていく! 飛べ!」
「承知致しました!」
メルは蘭李と健治を抱えて上空へ飛んだ。目的の場所を捉え、結界を張りながら一直線に飛んでいく。蘭李は血を吐き続けながら、やがて力尽きて意識を手放した。
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