3話ー①『大会一回戦目』
「さあ始まりました! 魔力者大会団体の部! 今日一日司会を務めさせていただきますのはこのアタシ、
桃色の髪をした女性司会者がお辞儀をすると、会場中で大きな歓声が沸いた。彼女は席からぴょんと飛び降りて、フィールドの中心へと進んでいく。その様子は巨大モニターに映されていた。
吹き抜けた円型の闘技場は、中心部が戦いをするフィールド、それを囲むように、高めの位置に観客席が並んでいる。モニターは闘技場の外壁の上に設置されており、その真下の観客席は、大会関係者の席となっている。梅香はまさにそこから飛び降りたのだ。
「それではまず、特別ゲストを紹介いたしましょう! 今回は、あの
「どうもー、よろしくー」
モニターが切り替わり、長い黒髪の巫女『河東クウ』が映された。彼女は胸の辺りの高さで小さく手を振っている。
「河東さん! 今回の大会について何かひとこと、コメントお願いします!」
「今からでも遅くないから、女の子だけの大会にしない? 男が戦う姿なんて需要無いでしょ?」
「何度も言いましたが河東さん、いい加減諦めてください! 女の子だけ見たいなら、あなたが主催者として新たに大会を企画してください!」
「もー! 融通きかないんだから! むさい男なんて見ても楽しくない!」
「そうじゃない男性も大勢いますから!」
さらに文句を続けるクウのマイクはオフにされ、梅香は会場中を見回した。
「では! 早速試合に移りたいと思います! 第一回戦目はサバイバルレースでございます!」
大きな歓声が沸く中、モニターが切り替わり、上空から森を映した。
「各チームスタート地点は別ですが、森の中心部にあるゴールにたどり着いた先着八チームが、次のステージへ上がることができます!」
モニターが八分割でそれぞれのチームを映し出す。緊張した面持ちでいる者もいれば、気楽に喋っている者もいる。最後に、画面は再び梅香を映した。手にはピストルを持っている。
「それでは参ります! レディー……ゴー!」
ピストル音と歓声が、会場中に響きわたった。
魔力者大会団体の部・第一回戦目の試合はサバイバルレースである。闘技場とはまた別の場所にある、森の特設ステージで行われる、二人一組での戦いだ。それぞれのチームは、ゴールを中心とした円周上のスタート地点から始まる。もちろん、ゴールは森の中心部である。上位八チームが次の試合へ進むことができる。
「健治、なんでこのペアにしたの?」
闘技場の観客席にいる蘭李が、冊子を見ながら呟いた。白夜が隣からそれを覗き込む。そこには、出場メンバー名が一覧で載っていた。
一回戦目に出場したのは、槍耶と海斗だ。本人達が希望したわけではなく、健治の采配である。しかも海斗はその決定に不服を唱えていた。それでも強行させた健治代表の意図が、蘭李には読めなかった。
「この二人、そんなに足速くないし」
「サバイバルレースは戦いというより、いかに地の利を得るか、じゃない? 舗装された道なら、蘭李の言い分も分かるけどね」
「えー? だから土属性の槍耶と、水属性の海斗?」
「そうだよ。もちろん、雷属性のスピードを生かせる君と迷ったけど、二人一組ってところで思い止まってね」
「なんで?」
「君だけ先にゴールしても意味無いからね。ルールでは、二人ともがゴールしないとダメだからね」
「まあ……たしかに」
それに、と健治は微笑を浮かべた。
「やっぱりあの二人にしておいて良かったよ。まさか君が魔法を使えないなんて、その時は思ってもみなかったからね」
皮肉混じりの声色に、蘭李は鋭く彼を睨み付けた。ごめんごめんとすぐさま謝るが、彼女は「ふん!」とそっぽを向く。
苦笑を浮かべる白夜の後席で、紫苑が「いやいや……」と呟いた。
「無理ないだろ。魔力者なら普通に魔法使えるって思うだろうし……」
「だからコノハが使えるって言ってるのに」
「まあまあ」
紫苑の隣に座る雷が、蘭李の頭をポンポンと叩いた。
「試合で証明すればいいじゃん。ね?」
「まあ……そうだね」
「雷はみんなのお姉さんポジションなのかな?」
なんとはなしに尋ねた健治に、雷以外の全員は首を激しく横に振った。
「いやいやいやあり得ない」
「え? そ、そうなのか」
「むしろ手のかかるでかい妹?」
「白夜に言われたくないんだけど!」
「こいつ、思春期真っ盛りって感じなんですよ……」
げんなりしたように補足する紫苑に健治は察し、それ以上の追及をやめた。
「ねえ健治。この服、本当に血とか落ちるの?」
雷と白夜が言い争う横で、蘭李は健治に向いた。その視線は自身の服に落とされる。
彼女達は今、黒を基調とした魔法道具を身に付けている。つまり、服が魔法道具ということだ。
健治が夏に依頼したもの―――その正体こそがまさにこれだった。
健治は夏に、「蘭李達六人の戦闘服」を頼んだのだ。だからと言って、ガチガチの鎧等を頼んだわけではない。汚れてもすぐに落ちるような服を頼んだのだ。
戦うということは、少なからず傷付け傷付けられるということ。そんな状況において、私服での戦闘は躊躇いが生じる可能性がある。特に蘭李の家族は非魔力者なので、親を通して警察沙汰になるかもしれない―――そこで健治は、この服を依頼したのだ。
基本、各々の瞳と同色のシャツを着て、その上に黒い上着を羽織っている。下は、雷以外はズボン、彼女のみはスカートとなっている。蘭李、雷、紫苑は黒い手袋をつけている。上着もズボン・スカートも手袋も靴も、全て端はシャツの色でライン装飾されていた。
「落ちる落ちる。疑うなら試してみなよ」
「痛いし。ていうか、どうやって落とすの?」
「自分の好きなタイミングで落とせるらしい。『落ちろー』とか念じるんじゃないかな」
「そんなテキトーなの?」
「よほど特殊なものでなければ、魔法道具は大体そんなものだね」
そういうものなのかと、蘭李はしぶしぶ納得した。自分だけの魔法道具を初めて持ち、その能力に期待する一方、本当にそんなことで機能するのか、不安も抱いていた。
魔法は、それを強くイメージすることで発動される。普通、その訓練は親から子へ、幼少から行われるものだ。得手不得手はあるにしても、発動できないほど魔法が苦手な魔力者などいない。
一方で、家族に指導者のいなかった蘭李はそれに苦戦した過去がある。それ故、「テキトー」でまかり通る魔法道具に疑問を抱かざるを得なかった。
「あ、槍耶と海斗だぞ」
紫苑の声で、モニターに視線を移す。ちょうど槍耶と海斗が映っており、二人は薄暗い森の中を駆けていた。
「おー! 二人ともー! 頑張れー!」
「こっちの声が聞こえれば良いんだけどなあ」
「頼む二人とも……! ここで敗退はやめてくれ……!」
必死に祈る健治に、そんなに金がほしいのかと蘭李は呆れ果てた。
*
森の中を駆け抜ける。当然道は整備されておらず、たまに大きめの石を踏みつけ体がよろけた。足を挫かないように気を付けなければ。
―――第一回戦目、俺と海斗は薄暗い森の中をひたすら走っていた。
ゴールの正確な位置は知らされていない。道も真っ直ぐ進めるわけではない。だが、方向は合っているだろう。とはいえ、景色が全く変わらない為、多少の不安もあるのは事実だ。
「あっ⁉」
スタートしてから数分経ち、俺達は初めて足を止めた。目の前に広がる水……そう、なかなか幅の広い川がそこにはあったのだ。
息を整えながら岸に近付く。海斗がしゃがみこみ、目を凝らして真っ青な水を見下ろした。川の水は、川底まで見えるほど透き通っていて綺麗だ。それでいて魚が泳ぐ様子もなければ、ここへ水分補給をしに来る動物もいない。
「舟も橋も無さそうだし……泳いで渡るか」
そう言いながら俺は袖をまくるが、海斗はそれを制止するように腕を上げた。
「駄目だ。川に毒が入ってる」
「なっ……」
衝撃的な言葉に、俺は水面を凝視した。
川に毒が混入されている? 自然にそうなっているとは当然思わない。しかしだからこそ、大会運営の本気度に恐怖を覚える。
―――ふと、視線を落としてそっと片足を浮かせた。さすがに地面は……ま、まさかなあ?
「毒自体には……致死性は無さそうだな」
「そうなのか? なら少し我慢してでも強行するか?」
「いや、それは危険だな。恐らく身体が痺れてそのまま溺れて死ぬ」
「ま、マジか……」
少し静止し、海斗はすくりと立ち上がった。腰に提げていたホルスターから拳銃を取り出す。
「ところで、毒が入ってるなんて見て分かるのか?」
「ああ。巧妙に隠すようなものもあるが、これはあからさまだな。水属性魔力者なら幼児でも分かる」
「す、すげえな……」
海斗は銃口を川に向け、乾いた音が一発。銃弾が水面に触れると、それを中心に水が円状に凍り付いた。
「えっすご! 海斗、そんなこと出来たのか?」
「水属性なら全員出来ると思うが」
「え……水属性有能過ぎねぇ……?」
羨ましい程だ。俺にもそんな力が欲しいものだよ。
一発で川の水全て凍ったわけではないが、ギリギリ立てる程の面積だった。海斗は氷にピョンと飛び乗り、再度弾丸を放つ。凍ったそこへ飛び乗り、また氷を作ってを繰り返して対岸を目指していた。
凍っても毒の効果は残っているかと心配したが、大丈夫みたいだ。俺も海斗に続いて氷の上を渡った。
しかし―――いくら
この魔力者大会団体の部の試合では、必ず『生命原石』が参加者に配られる。生命原石はその名の通り、生命を司る石。と言っても、膨大な生命エネルギーがあるわけではなく、治癒能力に長けた石らしい。
例えば、生命原石を持った人間が心臓をひと突きされる。普通なら死亡するところだが、石の魔力によって一瞬で治癒されて生存するらしい。もちろん、魔力が回復するまで再使用は出来ないので二度目はアウトだが。
にわかに信じがたい。健治さんから渡されたこの服といい、魔法は何でもありなのだろうか?
「早く行くぞ」
対岸に着いた海斗が、くるりと踵を返して先へ進んでしまった。置いていかれないように、俺も急いで渡って追いかける。
海斗は強さにこだわりを持っている。それなりに魔力者として良い家系出身でもあり、幼い頃から戦う術を身に付けているからだろうか。とにかく強くなりたいらしい。
強くなれれば手段は選ばない―――いつか海斗はそう言っていた。現に俺達六人の中で一番強いというのに、本当に凄い向上心だと思う。だからこの大会にだって、何の文句も言わなかった。というより、ずっと出たかったらしい。
そして念願叶って本日……と言いたいところだが、唯一の不満は一回戦目に回されたことだった。
この一回戦目は、純粋にゴールまでの速さを競うもので、つまり基本的に誰かとの戦闘にはならないのだ。俺としてはそれで良かったが、もちろん海斗には物足りなく、しばらく舌打ちをしていた。しかもその度に健治さんを睨み付けながら。初めは銃を取り出して脅そうとしていたもんだから、まだ良い方だ。
とはいえ、決定してしまったことは仕方ない。「やるからには勝つ」と海斗は意気込んでいた。「ついでに敵がいたら戦う」と言っていたのはスルーさせてもらうが……。
海斗がやる気を出してくれて助かった。俺一人だけじゃ勝ち残ることは出来なかっただろう。
それに……これは私的ではあるが、今週末に学校でテストがある。結構重要なもので、そのせいで特訓もほとんど行わず勉強していた。
つまり俺の目論みとしては、海斗がやる気を出して早々に試合を終わらせることが出来れば、先に帰って勉強出来るというわけだ。誰にも言ってないが、きっと雷辺りには「今日くらいいいじゃーん!」と言われそうだ。しかし、この予定を変える気は全く無い。
そんなことを考えながら走ることおよそ二十分、未だゴールは見えず。俺達は立ち止まった。
「遠いな……少し休憩するか?」
「……おかしいな」
「え?」
「お前の推察だと、そろそろ着いててもいいはずだよな?」
「あ、ああ……」
ゴールの正確な位置は分からないが、森の全景はスタート前に公開されていた。そこからおおよそのゴール位置を割り出し、どのくらいで到着するかを俺は算出していた。
「だけど森の面積は目視だし、予測通りじゃなくても……」
「いや、おかしい」
「なんでそんなに自信が?」
「お前の数的予測は結構当たるからな」
さらりと言われ、俺はポカンとしてしまった。
―――こ、こんなに海斗から信用されていたのか……俺。なんだか少し嬉しいな。
「へへっ……ありがとな」
「喜んでる場合じゃないぞ」
海斗の声色から緊張が伝わる。そうだ……予測通りだとすると、その他の要因があるってことだ。
「一体……」
海斗が指を指し、言葉を遮られる。倣って見ると、太い木の幹の後ろから巨大な蜘蛛が現れた。全長三メートルほどであろう黒い巨体は、黄色い目玉で俺達を見た。海斗は銃を、俺は背に掛けていた槍を手に持つ。
「成る程成る程……貴様にはたしかに迷いが無い」
しゃがれた男の声。俺でも、ましてや海斗の声でもない。
―――ということは、この蜘蛛の声なのだろうか?
「だが………貴様には大きな迷いが有るようだな」
蜘蛛は脚の一本を俺に指した。黄色い目玉もぎょろりと向けられる。
「俺に……迷いがある?」
「ああ、そうだ」
急に何を言っているのか。誰にだって迷いはある。それをわざわざ指摘して、一体何をしようというのか?
「仮にそうだとして、だから何だ?」
カタカタと、蜘蛛が幹を一周する。黄色い目玉が、幹の裏から俺を覗きこんだ。
「『こんなことをしている場合じゃない。早く帰って勉強しなければ』」
―――突然の
「『そもそも五人チームなら、俺がいなくても良かったじゃないか。早くこんな大会終われ』」
海斗がじろりと俺を見る。気付いたみたいだ―――そう。蜘蛛が言っているその言葉は、俺が思っていることだと。
「貴様の心中、代弁してやったぞ」
「頼んでいないことをわざわざ……」
海斗を一瞥し、俺は挑発的に蜘蛛を睨み付けた。
「そうだよ。俺はそう思ってる。でも、だからって何だ? 俺と海斗が仲違いすると期待したか?」
「しないのか?」
「当たり前だ。俺が勉学を優先してることは今に始まったことじゃない……だよな?」
「ああ」
海斗は拳銃を、俺は槍を構える。蜘蛛は目玉をギラリと光らせ、俺を捉えた。
「なるほど。そのようだな」
「さあ、通してもらうぞ。覚悟し―――」
「―――『でも、最後まで大会に参加していたい』」
―――瞬間、俺の体は硬直した。蜘蛛はカタカタと嗤う。
「『沢山の魔力者が見られるなんてそうそう無い。みんなとチームで戦えることなんてのも無い。それに―――』」
「やめろッ!」
思い切り叫んだ。蜘蛛が何を言うか想像出来る。当然だ。俺の心を見透かしているのだから。
だからこそ―――その後に続く言葉は、絶対に口に出したくないものだった。
「なんだ? 言われたくないのか?」
「うるさいッ! 黙れッ!」
駆け出し、蜘蛛に槍を突き刺した。こんな巨大な身体、外すはずがない。それなのに―――刃は幹に刺さっただけだった。
「『やっぱり俺も、魔力者として生きていきたい』」
全ての時が止まったように思えた。今日は無風だが、それが余計にそう思わせた。よろけてその場に尻もちをつき、呆然と見上げる。木々で覆われた薄暗い森の中、蜘蛛はひたすらカタカタと嗤い蠢いていた。
―――言われてしまった。自分でも言いたくなかった言葉。決意を揺るがせる言葉。
でも―――心の奥底に根付いていた言葉。
俺の家系は、所謂
そんな父にも憧れたが、俺は母の魔力者としての姿に憧れていた。魔警察に憧れていたのかもしれない。魔法を使って戦い仕事を遂行するその背中に、俺は強く惹かれた。いつか自分もそんな風になりたいと思っていた。
だけど、俺はある日からそう思うことをやめた。
母が、殉職したのだ。
魔警察である以上、魔力者である以上、死は付き物。頭では理解していたが、いざそれに直面すると受け入れ難かった。
母は捕まえるはずの犯人に、見るも無惨に殺された。それは仲間の裏切りや、犯人に大勢の仲間がいたからではなく―――単純に、力量差だった。
俺は思った。やっぱり俺の家系は普通の魔力者なのだと。俺はこんな風には死にたくないと。こんな無惨に殺されたくないと。
――――――それならば、無理して魔力者でいる必要も無いと。
だから俺は、父のように人間として生きていくことにした。職業によっては危険なものもあるが、魔力者でいるよりずっと安全だ。
―――決意は固かった。そのはずだった。
海斗達と出会ってから、やっぱり魔力者として生きていきたいと思うようになった。小さなことだったけど、みんなで戦ったのは楽しかった。出来ることならこのままでいたいと思った。
しかし、子供はやがて大人になる。自立して、仕事をして、食べていかなければならない。
―――それじゃあ俺は、何の仕事をする?
―――平和に満ちた、普通の仕事をする?
―――死と隣り合わせの、諦めた夢を追いかける?
―――魔力者の道を断つように、俺は普通の進学校に入学した。そうすれば否応なしに勉強させられ、そういう道を進むだろう。
それでいい。命懸けで戦えるほど俺は強くない。長生きしたいなら、この選択が正しいはずだ。
「迷うことは決して悪くない。むしろ人は迷わなければならない」
人外は、偉そうに説教する。人の秘めた思いを引きずり出して、困惑する俺を嘲笑っている。
そこに一発の銃声と銃弾。弾は木の幹に食い込んだ。その犯人はもちろん海斗だ。
「槍耶。とにかく今はここを抜けることだけを考えろ」
二発目、蠢く蜘蛛の脚を掠った。海斗は舌打ちし、さらにもう一発撃つ。幹の裏に隠れた蜘蛛には届かなかった。
「チッ……槍耶、立て。二人で倒すぞ」
「倒すことなど出来ない。迷いを捨てない限りはな」
「なら捨てればいい」
こんな至近距離でも、海斗の弾はまともに当たらなかった。本当に、俺が迷いを捨てないと突破出来ないなんて言うのか?
だけど―――この迷いを今、捨てろと?
「そんなの……無理だ……」
「は?」
「……ごめん、海斗。この迷いは、もっとじっくり考えたいんだ。将来に関わる……命に関わることだから」
顔を逸らして項垂れる。海斗はきっと今、怒りに震えているだろう。この宣言は、戦意喪失とほぼ同義だ。海斗だけじゃない、健治さんや雷達を裏切る宣告でもある。そんな裏切り者に憤るのは当然だ。
でも………駄目なんだ。適当に選択しちゃいけないことなんだ。
「お前は魔力者として生きていきたいのか?」
海斗の声に、怒りは含まれていないように聞こえた。
「………そりゃ、出来ることなら俺だって……」
「じゃあそれでいいだろ。何を迷ってるんだ?」
「それは……」
――――――死ぬのが怖い。だから躊躇っている。
―――なんて言えなかった。きっと海斗は「そんなの当たり前だ」と、「そんなこといちいち気にするな」とあしらうだろうから。
「私が代弁してやろう」
「ッ……⁉ やめろッ!」
蜘蛛がカタカタと嗤う。意気地無しの俺に、その口を止める手段など無かった。
「『死ぬのが怖い。母のように死ぬのだけは嫌だ』」
沈黙が流れる。ただただ、蜘蛛の嘲笑だけが森の中で響き渡った。海斗は黙りこくっている。
当然だ。魔力者でいたいくせに、死ぬのが怖い―――そんな子供みたいな駄々をこねて足止めさせているんだ。次の瞬間にはブチ切れることだろう。
それでも……俺にとっては大事なことなんだ。簡単には決断できないことなんだ。
「くっ……」
―――何の音か、一瞬理解できなかった。見上げると、海斗はクックッと笑っていた。
突然だし予期していなかったことだったので、俺は思わず唖然とする。蜘蛛の動きも止まった。
「お前でもそんなことで怖がることもあるんだな」
「は……?」
「だってそうだろ? 頭の良い、ある意味現実主義者のお前が、とんでもなく確率の低い事柄に振り回されてるんだ」
海斗は、銃を構えていた腕を下ろす。そのままそれを、腰のホルスターにしまった。
確率の低い……事柄? 死ぬことが?
「何言ってんだ……魔力者である限り、常に死と隣り合わせだろ?」
「そうだな。だけど俺達は今まで生きてきただろ」
海斗は笑うのをやめ、俺に鋭い視線を向けてきた。海のように真っ青な瞳は、眼鏡のレンズ越しに俺を捉える。
「俺達は今まで死なずに生きてきた。隣り合わせなのになんでだろうな?」
「それは……まだ子供で魔力者らしい仕事なんてやってないから……」
「それは違うだろ」
更に視線は鋭くなる。俺はその圧力に圧され、少し後ずさった。
「白夜はモノノケ退治、雷は光属性としての仕事、そして俺は強くなるために進んで汚れ仕事を受けている」
「ッ………」
「蘭李なんて、死ぬって言われてんのに悪魔退治に加担してるんだぜ? でもそれは正しいと思う」
「………なんで?」
「待っていたら死ぬだけだからだ。それこそ、死と隣り合わせだからな」
海斗は、視線を蜘蛛に移した。さっきまでのやかましさが嘘みたいに、静かに話を聞いていた。
――――――分かっている。白夜も雷も海斗も、危ない戦いをしていることは。子供だからって許されない仕事をしているって。
でも―――でもそれは……。
「海斗達は………強いから」
「だからお前も強くなればいいだろ。馬鹿みたいなこと言うなよ」
「簡単に言うけどな……俺は海斗達みたいに才能があるわけじゃないんだよ」
「――――――誰に才能があるって?」
海斗にギロリと睨まれた。今まで向けられたことのないような眼差し。瞳に広がる大海原は、まさに怒りを帯びていた。
「お前、まさか俺達が努力無しで強いとでも思ってるのか?」
「そうじゃない……けど、少なからず俺よりは才能があるだろ」
海斗がずかずかと近付いてくる。どうやら俺は海斗の逆鱗に触れたらしい。だけど俺だってここで折れたくない。海斗は俺の胸ぐらを掴み上げた。
「俺が今までどれだけ努力したか分かってんのか?」
「分かってるよ」
「分かってねぇよ……昔の俺がどれだけ弱かったか知らねえくせにッ!」
海斗は思い切り叫んだ。敵である蜘蛛に背を向けているというのに、お構い無しだ。
こんなに感情的になっている海斗を見るのは初めてで、俺は返す言葉を失った。
海斗は乱暴に手を離すと、長く息を吐き、静かに口を開いた。
「………俺は、人を殺すのはおろか、まともに弾すら当てられなかった。同い年の奴等はバンバン当ててるのにだ」
でも今じゃ当たり前のように当てられるし殺すことも出来る。
それは何故か―――もちろん、努力したからだ。
「ずっと言われてきた。『このままじゃお前は早死にするだろう』と。だからというわけじゃないが、必死に特訓して強くなった。そして俺は、今まで死なないでいれた」
―――絶句した。もちろん海斗が努力していることは知っている。けど、元々の強さがあったものだとずっと思っていた。今現在が物凄く強いからだ。
海斗が大袈裟に言っているとは思えない。こいつは嘘も誤魔化しもしない。良くも悪くも、いつでも正直だ。
――――――だからこそ、説得力があった。
「……………俺は……」
視線を落として自分の手を見つめた。目視できるほど小刻みに震えている。
「強くなれるとは……思えない……」
「なんでだよ。お前、努力家だろ? やればやるだけ報われるんだ」
やるだけ報われる―――勉強が辛い時、何度自分に言い聞かせたか分からないくらいの言葉。そのお陰で折れずにやれてきた。
そして、経験者から聞かされるほど真実味のある言葉でもある。
――――――もしそれが、本当に魔力者にも当てはまるなら……。
「俺も……強くなれるかな」
「何度も言わせるなよ」
「海斗みたいに……」
「俺だって常に上を目指してるんだ。簡単に追い付けると思うなよ?」
海斗がフッと笑った。その顔を見て、じんわりと目に涙が溢れてくるのが分かる。
―――追い求めてはいけないと、ずっと言い聞かせていた。死ぬ間際、必ず後悔するだろうと思っていた。
でも、それはやめよう。例え死ぬ時でも、「この道を選んで良かった」と思えるような生き方をしよう。
そんなこと出来るのかなんて半信半疑だけど、きっと海斗達がいてくれれば、大丈夫な気がする。
―――根拠の無い自信なんかじゃない。
何せ、経験者であり親友が言ってくれたからな。
「すぐ追い付いてやるさ」
立ち上がり、言い放つ。その瞬間、幹に張り付いていた蜘蛛がボンと煙を上げて姿を消した。
「蜘蛛が消えた……?」
「お前の迷いが消えたからだろう。これで多分迷わずにゴールにたどり着ける」
海斗が俺の顔を見る。俺は涙を拭い、真っ直ぐ先を見据えた。
「行くぞ」
「おう!」
俺達は、ゴールを目指して再び走り出した。
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