2話ー①『契約』

「この家には実戦用のトレーニングルームがあるから、そこを自由に使っていいよ」


 チョコクッキーに齧り付く蘭李と、緑茶を飲む白夜。二人の対面ソファーでは、健治が足を組み直して背にもたれた。

 モノノケ事件、そして白夜誘拐事件の後、言われた通り健治の家を訪れた蘭李と白夜。彼の言う「取引」の話をするため、彼女らは警戒しながらも門をくぐった。

 建物は二階建てのごくごく一般住居。広すぎるわけではないが、二人暮らしには十分過ぎる広さだった。

 まず二人が通されたのはリビング。そこで取引の話は始まった。


「トレーニングルームって……この家そんなに広くなかった気がするけど……」

「詳しくは後で見せるよ」

「ちなみに、そっちがこっちに要求することは?」


 健治は、栗色の目で白夜を見据える。彼の表情は笑みを浮かべていたが、その目は笑っていなかった。


「悪魔を見つけ次第、殺してほしい」


 ―――言ったと思うけど、俺はただの人間、非魔力者。いくら天使のメルが強くても圧倒的に不利だし、何より時間もかかる。

 だから、君達魔力者に手伝ってもらいたいんだ。


「ま、蘭李は狙われているみたいだし、組んでおいて損は無いと思うけど?」


 健治はクッキーに手を伸ばし、半分を口に含んだ。サクリと音を立て、ポロポロと欠片がこぼれていく。

 蘭李はちらりと白夜を見た。無言で頷く彼女を確認し、続いて三人の先祖達へ顔を向ける。しかし、彼らはキッチン用品に目が行き、全く話を聞いていなかった。

 ため息を吐き、横に置いておいたコノハを手に取る。鞘から抜き出すと、彼は健治を鋭く睨み付けた。


「具体的にどんなトレーニングルームなのか、それと部屋だけあったって、技術は向上しにくいと思うけど?」


 その声には、あからさまな敵意が含まれていた。二人の間に緊張が走る。後方で控えているメルも、主と敵対するコノハを睨み付ける。

 健治はクッキーを飲み込むと、膝に手をつき立ち上がった。スタスタと歩き、ドアの前で止まる。くるりと振り向き、蘭李達を手招いた。


「見せた方が早いね」


 メルだけ残し、蘭李達はリビングを後にした。健治を先頭に二階へ上がり、突き当たりの部屋へ向かう。ドアを押して開いた先に家具は一つもなく、白壁に囲まれた狭い部屋には窓だけがついていた。

 次に健治はドアを閉め、今度はドアを引いて開けた。すると向こうには、広々とした空間が広がっていた。先程の部屋とはまるで違い、例えるなら体育館のような造りになっていた。

 蘭李と白夜は顔を見合わせた。それから、躊躇うことなく入っていく健治についていく。


「ドアを引いて開けることで、異空間に設置したこのトレーニングルームに来れるんだ」

「異空間……?」

「お店で買ったんだよ。高かったよ~。なんせ空間を創るからね」


 蘭李は唖然と口を開けた。白夜は苦笑いを浮かべている。コノハも驚愕の表情を隠せない。歓喜の声を上げた蜜柑達は、さっそく散り散りになり、部屋中を調べ始めた。


「すごいのう! こんなちっさい住処にこんな広い部屋があるとは!」

「お店って……健治さん、何のお店ですか?」

「魔法道具屋。知らないかい? なら今度、君達も行ってみるといいよ。基本値段は高いけど」

「こいつ、そんな裕福そうには見えないけど」

「秋桜兄、脳ある鷹はってやつじゃない?」

「いや、金持ちは見せびらかすのが大好きな人種のはずだ。な、蜜柑?」

「そうじゃな! くだらないものを自慢するのが好きなやつらじゃな!」

「……蜜柑さん達が健治に見えなくてよかった」

「ん? どうしたの蘭李?」

「いえ、何でもないです」


 先祖達から視線を逸らし、蘭李は聞かなかったことにした。健治は若干疑問が残ったものの、微笑を浮かべて両手を広げる。


「ルームはこんな感じ。トレーニング器具は無いけど、武器は大体揃ってる。マットをひけば肉弾戦の練習も出来るし、奥の部屋に行けば射撃兼弓道場もある」


 天使であるメルなら怪我しても特に問題ないから相手もできるし、それを見て俺も客観的な指摘が出来る。


「何よりも、何の心配もせずに技術を磨ける場所なんて、そうそう無いと思うけど?」


 蘭李達は沈黙した。蜜柑達は奥の部屋に行ったようで、騒ぎ声は薄れていく。


 魔力者の世界で、殺人は珍しくない。家同士の争い、別属性とのいざこざ、暗殺依頼など、ひと昔前にあったようなことが日常的に起きている。

 そんな世界で生き抜くためには当然、強さが求められる。生き残るための手段は、特に名家であればあるほど、幼い頃から叩き込まれるのだ。

 その「強さ」を鍛える段階で、多くの問題が立ちはだかる。その一つが「場所」だ。

 家が広ければ問題は無い。しかし、大抵の魔力者はそうではない。強くなるための訓練場、道具、練習相手など、魔力を持たない人間が統治する世界では障害が多すぎるのだ。

 だからこそ、健治はこの提案をしてきたのだ。


「どうする?」

「………いいね!」

「えっ⁉」


 コノハと白夜は驚いたように振り向く。蘭李は拳を握り、興奮気味にぶんぶん振っていた。黄色い瞳は輝き、期待に満ちている。


「秘密組織みたいで楽しそう!」

「おい! 他人事じゃないんだぞ⁉ 蘭李が狙われてるんだぞ⁉」

「だからこそ強くなるんじゃん! コノハ!」

「自ら悪魔達に向かっていくことになるんだぞ⁉ それなら見つからないような道具を使った方がよっぽど安全だ!」

「やだ! あたしだって戦えるようになりたい!」

「ということは?」

「やりましょう! 悪魔退治!」

「勝手に決めるなよ!」


 コノハが蘭李に詰め寄る。彼女は両手で耳を塞いで「聞こえませーん!」と抵抗の意を示した。コノハは無理矢理その手をはがそうとするが、なかなかそれは叶わない。白夜はそんな二人を、苦笑いしながら眺めていた。


「安直だな……蘭李」

「君はどうする?」

「まあ……蘭李がやるなら私もやるけど……」

「けど?」

「………私、悪魔に狙われてるわけじゃないけど?」

「でも君も、誰かに狙われているんだよね? なら組んでおいた方が良いんじゃない?」

「狙われるなんて私に限った話じゃないと思うけど……それでもいいなら」

「大歓迎。俺は戦力が増えて嬉しいからね」

「だからってまだ完全に信用はできないけどね」

「これは手厳しい」


 健治が白夜に手を差し出す。彼女は一瞬戸惑ったが、要望に応えて握手した。それを見た蘭李も、コノハを押し退け健治と握手する。


「よろしくお願いします! 健治さん!」

「よろしく。あと敬語使わなくて良いよ」

「健治! よろしくね!」

「よろしく」

「勝手に団結するなーッ!」


 コノハが蘭李に、勢いよく飛び蹴りをした。彼女の体は真っ直ぐ吹っ飛んでいき、ゴンッと鈍い音を立てて壁に激突する。脱力して壁伝いに崩れ落ちる彼女に、白夜は思わず顔を引きつらせた。


「うわあ、容赦ねぇな」

「アンタらもさ、勝手にあいつを仲間に入れないでくれる?」

「どうしてそんなに反対しているのかな?」

「さっき言った通り。あと僕の負担が増える」


 キッパリ言い切り、蘭李のもとへ向かうコノハ。健治は腕を組み、納得していないように唸った。


「何故あんなにも反対するのか……神社や教会にいたって悪魔に侵入される恐れはあるのに、道具で何とかしようなんて……」

「普段は蘭李に厳しく当たってるけど、やっぱり心配なのかな」

「………いや、あれはそういうのじゃない気がするな」

「と、いうと?」

「言うのは止めておくよ。確かじゃないしね」

「何すんだよコノハーッ!」


 白夜が視線を移す。起き上がった蘭李とコノハは言い争いをしていた。さらに戻ってきた蜜柑達が、「喧嘩か! いいのうもっとやれ!」などと言って騒ぎ出す。全員が見える白夜にとっては、彼らは騒音の塊でしかなかった。


「あー……! うるっさい! お前ら!」


 耐えられなくなった白夜は、すかさず騒音達へ怒鳴った。



「大会?」

「そう!」


 元気よく答えた蘭李は、スクールバッグから一枚の紙を取り出し、それを少年に渡した。真っ赤な瞳は書類を映し、まず最上段の文言に注目する。

『魔力者大会団体の部に参加される皆様へ』


「どお? やってみない?」

「うーん……」


 二人の横を、制服を着た多くの学生が通り過ぎる。蘭李達に声をかけていく生徒もいた。

 今日から新学期であるここ『風靡学院』には、蘭李の知る限り五人の魔力者がいる。蘭李自身と白夜、残りの三人のうち一人がこの少年である。


「こんな大会あったんだな……」


 黒髪の少年『忌亜きあ紫苑しおん』。お化けやジェットコースターが嫌いな、女子顔負けのチキン少年。無属性という特殊な属性であるが、魔法を使うのは苦手だと蘭李は聞いていた。


「ねえ、やろうよ!」


 蘭李は紫苑に迫る。彼女の圧に若干引きながらも、いいけど、と彼は参加の意を示した。直後、人目も気にせず歓喜する蘭李と、集まる視線。


「やったー! 一人確保ー!」

「お、おい。あんまり騒ぐと……」

「ああごめんごめん。でもよかったー! 断られたら無理矢理出場させなきゃならなかったよ!」

「はじめから俺の意思完全無視じゃねえかよ!」

「拒否権なんてあってないようなものだもんね!」

「あるから権利なんだよ!」

「よし! 早速作戦会議に行くよ!」

「え? あっおい!」


 蘭李は紫苑の腕を掴むと、構わず歩き出した。まさに、拒否権なんて無いと言わんばかりに彼を引きずっていく。その力は大して強いわけでもなく、振り払おうと思えば簡単にできそうだった。しかし、紫苑にその意思は無い。何だかんだ、「大会」に興味を持っていたのだ。

 二人が向かった先は、学校から徒歩で十数分の一軒家・皇家だった。見慣れない家のインターホンを躊躇なく押し、見慣れない少女に招き入れられる友人の姿を見て、紫苑は混乱するばかりだった。そんな彼を蘭李は引っ張り、リビングへ連れていく。


「健治ー! 連れてきたよー!」


 既にそこには数人の少年少女がいた。その中には白夜もいる。


「ありがとう蘭李。彼が無属性かな?」

「そうそう!」


 ソファーに腰掛ける健治は、なるほど、と腕を組む。


「水属性に土属性、それから光属性と無属性……うん。いいんじゃないかな」


 健治が頷くと、蘭李はガッツポーズをし、白夜とハイタッチをした。しかし紫苑を含め、他の四人は訳が分からず、首を傾げたり顔を見合わせたりしていた。


「あの……蘭李、説明してくれるか?」

「ああ、そうだよね。ごめんごめん。えーっと……昨日のことなんだけど……」


 健治との出会いを簡略に説明し、今回の経緯に入る。

 ―――事の始まりは、一通のメールからだった。健治との取引を終えた後、帰宅しようとした蘭李達だったが、玄関を出る直前で急に彼に引き止められてしまった。


「何? 忘れ物?」

「これを見てくれないかい?」


 健治が携帯画面を二人に見せる。それはメール画面だった。その差出人は『魔力者大会組織委員会』である。蘭李と白夜は、不思議そうにその内容を読み始めた。


「魔力者大会団体の部に参加される皆様へ、大会の詳細が決定しましたのでお知らせ致します……?」

「日時は……来週じゃん」


 使用武器、属性、年齢問わず。予め出場選手を決め、前日までに申し出て下さい。

 尚、同一人物が何度も試合に出ることは出来ません。


「健治、これ出るの?」


 蘭李の問いに、健治は首を横に振った。


「俺は出られないよ。魔力者じゃないから」

「え? じゃあなんでこんなメールが?」

「試合には出れなくても代表にはなれるから。ずっと前に申し込んでおいたんだ」

「なんで⁉ そもそこれ、チーム戦って書いてあるし……」

「もちろん、賞金が欲しかったからだよ」


 その瞬間、蘭李と白夜の健治を見る目が一変したことは、言うまでもなかった。





「………とまあそんなわけで、みんなに頼んだわけ!」


 説明が終わり、唖然とする四人。その中には、蘭李を不安そうに見つめる者もいる。また別の者は、チラチラとこちらを見ながら何かをメモしている健治を凝視している。相変わらず困惑が拭えない紫苑は、スッと手を上げた。


「じゃあこの大会は、皇さんを代表として俺達が出るってことなんだよな?」

「そう!」

「はいはーい質問! もし優勝したら、皇さんとも賞金山分けするの?」

「山分けっていうか、代表として俺が半分貰うからね」

「えー! そんなの嫌だー!」


 オレンジがかった茶髪の少女『天神あまがみらい』が大声を上げた。「半分も取るなんてぼったくり!」と言いながら、腕を上下にぶんぶんと振り始める。その隣で、黒髪眼鏡の少年『海原うなばら海斗かいと』が鼻を鳴らした。


「別に貰えなくても、俺は強敵と戦えればそれでいい」

「うちはやだよ! 貰えるものは貰いたい!」

「でも、俺が申し込んでなかったら一円も貰えないんだよ?」

「まーたしかにそうなんだけどさー」

「あの……来週ってすごい急ですけど、勝算はあるんですか?」


 ブレザーを着た茶髪の少年『鎖金さがね槍耶そうや』が、書類を見ながら問いかけた。

 彼だけは、蘭李達と制服が異なる。それはただ単純に、通う学校が違うからだ。小学校は六人共同じ学校だったが、頭の良い彼は受験をして進学校に入ったのだ。一人だけ離れているが、蘭李達との仲は小学生時代と変わらず良好だ。

 ふふん、と健治は得意げに笑う。


「俺とメルでとことん鍛えるよ」

「お任せ下さい」

「うわぁあああ⁉」


 槍耶の背後から突然現れるメル。槍耶が驚くかと思いきや、何故か隣にいた紫苑が叫び声を上げた。メルは、驚いて床に崩れ落ちる彼を気にする様子もなく、スタスタと健治のもとへ歩いていった。彼女を初めて見る四人は、黙って目で追いかける。


「紹介するね。うちのメル。天使だけど結構強いよ」

「宜しくお願い致します」


 天使という言葉に、紫苑は瞬時に反応した。


「天使……⁉ そんなのいるのか……⁉」

「目の前にいるじゃん」

「蘭李、信じてるのか⁉」

「羽生えたとこ見たしね!」


 紫苑は唖然とし、メルと蘭李を交互に見た。そして、じりじりとメルから離れる。健治はソファーから立ち上がると、蘭李に向かって手招きをした。


「さ、君達にもトレーニングルームを紹介しよう。蘭李には、これ」


 蘭李は、三つに折られた先程のメモ用紙を渡された。中を開こうとすると、健治に素早く止められる。


「見ないでね。それを、これから言う人に届けて欲しい」

「え? なんで? メールじゃダメなの?」

「最近の若者はすぐメールメールって……それじゃ引きこもりになっちゃうよ?」

「いや関係ないし」

「それに、メールだけじゃ済まないことだからね。それを届けたら頼み事を受けるだろうから、それを遂行してきてね」

「頼み事……? 分かった」


 イマイチ疑問が払拭できなかったものの、蘭李は早速目的の人物のもとへと向かうことにした。

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